第5話「終焉の序曲(1) - 禁忌なき研究」 “Overture of the end chapter 1 - Tabooless research”

昔々あるところに、とある国がありました。

誰もに信頼される優しい王と、王が見初め娶った誰もに愛される平民出の美しい王妃が、それはまるでおとぎ話の後日談のように華やかな2人が統べる王国がありました。


しかし、幸せな国が幸せでいられるのは、その国がどこからの影響も受けない間に限られるものだ。

隣国で起きた洪水が招いた不作は、結果的に周辺諸国を残らず巻き込む大乱を呼ぶ事になった。

「生きるための戦い」と言えば聴こえは良いが、要するに略奪、或いは農耕地となる領土の切り取り合いであった。

国境沿いの小競り合いは各国家間の不和へと発展し、明日は我が身の諸国は次々に自国の安寧を求めて陰謀や策略を巡らせていった。

誰もが国家の平和と安定を願いながら、誰もが戦争と混沌へと突き進んでいった。

2人の王が住まう城は、湖上にあった。


湖に突き出た丘のような島に築かれた城には頼りなさそうな橋が一本岸からかかり、そこが唯一の連絡路であった。

城内のテラスからは湖面とその先に臨む山林が一望でき、その景観の美しさは混乱が到来するよりも以前において、外国から訪れる来賓達の楽しみであった。

この湖の対岸、湖沿いにそびえた山岳には、鉄鉱山が散在しており、城を守る兵士達が身につける装備は全てそこに由来するものであった。

鉱山の周辺には、当然鉱山で働く者たちの街や村があり、鉱山も含めて夜間に灯火を絶やすことがない。

この明かりは、夜会においてはテラスからの風景を昼に見られた霧に烟る涼し気な景観から一変させ、山肌に点々と灯り橙色の星空のように暖かな夜景を湖面に映すのである。


秋の収穫も終わり冬支度が整うかという頃に、この鉱山の一角にて、奇妙な事件が起きた。

それは、昼当番だった鉱夫達がそろそろ交代するかという夕暮れ時に、採掘中の岩の中から人の屍体が出土した、というものであった。

純朴な人々はその奇怪な発掘品に恐れ慄き、すぐさま自警団を経由して聖騎士達を呼んだ。

横に幅が広い湖のため陸路は遠く、緊急の際には城下の者は岸の港から対岸の村まで船を出す。

上陸した聖騎士たちを迎えたのは、土中から掘り起こされ、毛布で固くくるまれた遺体と、それを取り囲み血色を失った鉱夫達であった。

すぐさまその出土品を改めんと毛布を剥がした騎士達は、現れた姿を見て、ある者は絶句し、またある者は驚嘆の声を上げた後、言いようのない唸り声を挙げた。

その装身具は明らかに現代のものではなく、その身につけた甲冑や刀剣はもはや語られなくなって久しい古代のものでありながら、その屍体はまるで昨日にでも埋められたもののような肉の瑞々しさを残していた。


この異常な発見は当然街の噂や新聞の上でセンセーションを巻き起こし、その由来について様々な憶測が飛び交った。

しかし、かねてからの不穏な国家間情勢に紙面を追いやられ、やがて人々の口に出る事もなくなった。

こうして、全ての元凶、あるいは終焉の序曲の第一小節とも言える"邂逅"は、誰にも気づかれる事なく、忘れ去られていった。


「忌々しい豚どもめ」

均整の取れた顔立ちに似合わぬ悪言と唾を橋の石畳に吐き捨てたその騎士を、その側を歩く僧侶に咎められた。

「そのような言動を誰かに聞かれたら、まずいですよ」

ひそひそと声をかける僧侶をその長身から見下ろして、足を止めた。

「豚は豚さ… 保身だけに執心する姿を、自覚もできぬような奴らだ」

「恐怖は、神に与えられた試練です」

毅然と返されても、動揺する様子はない。いつもの事だ。

「武人には、武人の信ずるところがあるのだ。許せ」

この国における聖騎士(パラディン)の役目は、「信仰の全う」である。

信者が助けを求めるなら、助けに向かう。

教義に反するものがあれば、それを取り除く。

そしていずれ、聖列にその名を連ねる日のために、生涯の禁欲と高潔を守り、名誉を重んじて戦う。

“戦争屋"と揶揄される傭兵や、民間徴用のサボる隙を求めて市街を闊歩する兵士達とは、戦う意味も、強さも、違う。

「神の試練なればなおのこと、揺るがぬ心を持たねば」

「鬼神の姐御、なんて呼ばれていましたよ」

僧侶は眉をひそめながらも、笑みをこぼした。

「…言わせておけ、有象無象は」

聖騎士は無表情のまま、再び歩を進め始めた。歩幅の違いから、僧侶は追うのもほぼ小走りだ。

「確かに我が国は脆弱だ。民を守るだけの、力が必要だ」

「それでも、禁忌などを…!」

僧侶は思い出したように声を荒げる。

「そうだ。どんな苦境にも、破ってはならぬものもある」

「陛下のお気持ちはごもっともです。民の事を思う慈愛の心があってこそ、どんな手段を使ってでも… そうお考えに」

「そのお気持ちに、つけこんだのだ連中は」

騎士はきしむ音が聞こえるほどに強く拳を握りしめ、続ける。

「魔導など、そもそも本来はあってはならぬもの。それを、才能がある者には相応の機会を、等と存続を許されるから、此度のように増長するのだ」

「まさか、陛下のご信心にも翳りが…」

「それ以上は不敬に当たるぞ」

騎士は目的地を視界に捉えた。

橋を渡って陸門を抜けた、港近くに立つ尖塔。

そこは、ある者は「地獄の入り口」と呼び、ある者は「悪魔の住処」またある者は「知識の殿堂」と呼ぶ。

そして、そこに頻繁に出入りする「関係者」は、そこを「研究棟」と呼ぶ。

ここでおぞましい学術調査を日夜繰り返す無法者どもに天誅を下すのは、まだ先の事である。

今日ここに来たのは、争うためではない。

彼女達は、教会の剣としての密命を受けた、秘められた冒涜を破る使者だ。

全てを把握し、整えた条件の元で、謀反の罪で魔導師達を一網打尽にする。

王にその事を悟らせず、「驕った者達の叛意を察知し、食い止めた功績者」として取り入らんとする司祭達の手駒として、2人は選ばれたのだ。

その唾棄すべき意図とは裏腹に、その行動がもたらす結果… 「禁忌なき研究の阻止」については、2人は陰謀者達と利害が一致していた。

「今日は事を荒立てず、あくまで視察の体だ」

「わかっています…」

駆け引きに通じぬ僧侶は、緊張の面持ちだ。

聖騎士は、扉のドアノッカーに手をかけ、優しく3度、続けざまに叩いた。


「勝手に入ってー」

少女のつっけんどんな返事が、室内から響いた。

慎重にドアを開きつつ、聖騎士の顔には先刻までとは別人のような笑顔が花開いている。

「やぁ、お邪魔かな」

「…ちょっとね」

雑然と器具や薬剤が散らかった部屋の中央で、背もたれの高い柔らかな椅子の上に、行儀悪くあぐらをかいたまま座る少女が目に入った。

紫の薄汚い外套をまとい、側の机にはいつもかぶっているであろう服と同色の縁の広い帽子が無造作に置かれている。

その周囲では、百近い数の小動物… ネズミや猫、アライグマなどが所狭しと部屋中駆け巡りながら、薬瓶や書物をひっきりなしに運び続けている。

ネズミが苦手な僧侶は平静を装いきれず、度々小声で悲鳴を上げながら、部屋の隅の丸イスまでつま先立ちに移動して、椅子の上で膝を抱えた。

聖騎士は動物達を踏まぬように注意しながら、少女の近くまでゆっくりと歩み寄っていく。

「陛下の命を受け、視察に参った」

「…聞いてないけど」

倍近い巨躯に傍らまで近づかれても、少女は目線を正面から移さず、背中を丸めた姿勢も崩さない。

見ると、その手にはパンケーキが握られており、時折それを頬張っては、ボロボロと椅子の座面にパンくずをこぼしている。

「食事中かい?」

「仕事中。見てわかんない?」

しかし、少女はただ姿勢悪く座り、虚空を見つめながらパンを咀嚼しているだけのようにしか見えない。

「何かの術を?」

「使い魔で調べ物してんの。マルチの操縦は、集中力要るから」

そう言いながら、残ったパンの端を全て口に放り込み、口を動かしながら側の机に置かれた山積みのパンケーキからまた1枚手に取り、抱えながらまた姿勢を戻した。

「ここにいる動物… 全てを、同時に操っているのか?君が?」

「あと、外にカラスが37、イタチが26。」

「ど、どういう事ですか…?」

僧侶がおずおずと、足元を駆ける影に目を配りながら、部屋の隅から質問を投げる。

苛立ちを見せた少女の顔をすぐに察した聖騎士は、代わりに応えた。

「使い魔を操っているんだ、これだけの数を、一度に。並大抵の術士じゃ、この数を一度には扱えまい」

「…そう、知ってるんだアンタ」

少女が意外そうに、ちらと聖騎士の顔に目線をやった。すぐに戻したが。

「なに、こういう時勢だ。相手方に術士がいて、何もわかりませんでは務まらんのだ」

「で、視察って?ナニ?」

雑談に払う時間が勿体無い、という様子だ。

「影響を確認したいのだ。陛下は禁忌なき研究をお許しになったが、何も知らぬ市民はそうではない。ただでさえ周囲から畏避されているここでの研究が市井に漏れるような事があれば、暴動だって起きかねないのだ。そうなっては陛下の思惑にも適わぬ。どのような研究かを把握し、必要ならそれが漏れないよう支援するようにも言い遣っている。例えば、無数の動物が駆け回っている異常な様子を、覗き見られないようにするとか、ね」

そう言って聖騎士は、天井が見える吹き抜けを見上げた。

望遠鏡を備えた上階のバルコニーからは月明かりとそれを隠す雲が見え、カーテンは閉ざされていない。

「…邪魔しない範囲でなら、好きにしていって」

「そう言ってもらえるとこちらも助かる」

聖騎士は、僧侶に目で合図した。

僧侶は、恐る恐る丸イスから降りると、部屋の端を、まるで崖際を渡るように移動しながら、はしごに足をかけ上階に駆け上がると、外の様子を覗いてから、窓のカーテンを引いた。

「塔の方も見させてもらうよ」

そう言って会釈すると、聖騎士は僧侶を置いて元来たドアから外に出た。

動物の洪水のような状態の1階を眼下に、置き去りにされた僧侶は進退窮まったまま、呆然と魔女の様子を見守るしかなかった。


聖騎士は、先程入った扉の左手、塔の螺旋階段へと踏み入った。

冬の冷たい風が、塔の上から吹き降りてくるのを感じる。

長い長い螺旋階段を登りきると、湖と市街を一望できる、尖塔の屋上にたどり着いた。

「何もないのだな…」

「何かないと、困るのかね?」

突然の声に驚き振り返りざまに剣を振り抜くが、誰もいない。

すると、今度はまた後方、つまり先程の前方から声がした。

「申し訳ありませんな、バカ正直に顔を出しては斬り捨てられかねないもので」

再度向き直った先には、小汚い外套をまとった、背の低い男が立っていた。

「陛下の命で視察、と?」

男は不思議そうに首を傾げた。

「…そうだ。国の明日を占う、重要な研究だろう」

「しかし、お二人で、こんな夜中に…?」

「日のある時間に大人数で、大手を振って来られても、そちらも困るだろう」

「それもそうですな」

男は不快な笑みを浮かべた。

「ではひとつ、お願いをしてもよろしいかな」

「何だ?言ってみろ」

「なに、大したことではないんですよ… へっへっへ」

「…?」

男だけが一人得心してニタニタと笑い、聖騎士は怪訝そうにそれを見つめていた。

「あの子ね、下で仕事してる」

「あの魔女の子が、なにか?」

「あの子は、ああ見えて寂しがり屋なんだ。毎日1回は、顔を出してあげてくれんかね」

意外そうな表情で、聖騎士は男を見つけ返した。

「…そんなの、お前がいてやればいいだろう」

「私じゃあ駄目なのさ、おじさんだからね… 女同士の方が、いいこともあろうて」

そういうと、男はそそくさと螺旋階段を降り始めた。

「あ、おい待て」

「どうやら何かがあったようだ、見たまえ」

そう言われて目を市街にやると確かに、いつもなら灯を落として暗いはずの市街が、今日は異常に明るい。

それに、耳を澄ますと、風に乗って塔上に騒々しさが伝わってくる。

視線を階段に移すと、既に男の姿はなかった。


対立を深める隣国は、四方にあわせて5つある。

「隣国の1つが、一夜にして滅びた」

その知らせを持って城下に帰還した斥候は前後不覚の錯乱状態に陥っていたため、その発言は支離滅裂なものだった。

だが、断片的な喘ぎをつなげる事によってわかったのは、この世のものとは思えぬおぞましき事実だった。

突如として現れた未知の軍勢が、城と言わず街と言わずあらゆるものを蹂躙し、破壊し、焼き払い、去っていったのだ、と。

そして、命を奪われたはずの犠牲者達が起き上がり、国中がその生ける屍で溢れた地獄と化した、と。


この知らせを受けたある司祭が、半狂乱になりながらもこう叫んだ。

「予言だ!!最も古く、忌まわしい予言が、現実のものとなったのだ…」


~つづく~

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