色紡ぐ音/とある少年魔導師の異世界冒険譚Ⅲ

邑弥 澪

善き魔女の城

第1話 灰色の記憶 -レイアの目覚め-

 目を開けたとき、視界に入ってきたのは灰色の天井だった。


 無機質に切り出された石が幾つも重なり合って、アーチ型の天井を支えている。……毎日 目にしているというのに、いまだに慣れることのない、どこかよそよそしい風景。


 レイアは重いまぶたを何度かゆっくりとしばたいた。ぼんやりとしていた意識が徐々に輪郭を取り戻す。同時に、背中が汗でじっとりと濡れているのに気がついた。

 ――悪い夢を見ていた、そんな気がする。きっとこの冷たく重い石の天井が、昔を思い起こさせたのだろう。


 隣のベッドから物音がしたのに気付いて、そっと隣をうかがった。こんもりと小さくふくれ上がった掛布団の隙間すきまからは、橙色だいだいいろの猫耳が飛び出して、呼吸とともにぴょこぴょこと動いていた。――カノアが眠っているのだ。


 友人カノアを起こさぬよう、静かに自分のベッドから抜け出す。

 獣人猫族ケットシーの彼女は夜行性だから、きっと明け方近くに眠りについたに違いない。まだ薄暗く、夜も明けきらないこの時間。彼女の貴重な睡眠時間を邪魔しては申し訳ない。

 ダークエルフが得意とする忍び足というのは、こんな時には役に立つ。


*

 鉛色の冷たい石に囲まれた城の廊下を、物音を立てないよう慎重に歩みを進める。城の外ではまだが出ておらず、城内はまるで夜の女王がベールを掛けたかのように薄暗い闇に包まれていた。廊下の所々に掲げられた魔法のランプのほのかな明かりだけが、わずかに足元を照らしている。


 明け方の城内はまだしんと静まり返っていた。が、様々な部屋から聞こえてくるかすかな寝息の音をも、レイアの耳は敏感に察知していた。先ほどまで寝ていた部屋の隣にいるはずの男性陣――ノエルとカッツェ、ヴァイスもまだ眠りについているようだ。


 廊下の突き当りにある階段を降り、踊り場の窓から外を眺める。暁の空は灰青色ブルーグレーから紺瑠璃こんるり、赤みがかった菫色すみれいろに変化して、徐々に明るさを増してきていた。もうすぐ陽も昇るだろう。


 誰もいない階段の踊り場で、レイアはひとつ身震いした。夜明け前のこの時間が、一番冷え込む。何か羽織るものを持って来ればよかった、と少し後悔した。悪い夢からめて冷たく濡れた背中が、暖かい布団から抜け出したばかりの体温を容赦ようしゃなく奪う。両腕で自分の体を抱きながら、レイアは窓の外を見つめ続けた。吐く息が白くにごり、顔の前にゆるく留まる。


*

(見ていたのは、昔の夢だ――)


 かすかに残る夢の記憶の断片を、手繰たぐり寄せるように思い起こす。夢の内容ははっきりとは覚えていなかったが、わずかに体に残る悪寒から、それが昔の記憶だとわかった。――あれは盗賊達と暮らしていた頃の記憶だ。この城のひんやりとした石の感触や、かすかにただよこけの香りが、盗賊達が根城ねじろにしていた洞窟の冷たい感触を思い起こさせるのだ。


 彼らは、いつも好きなだけ酒を飲んでは騒いでいた。ダークエルフであるレイアは、ヒト族と違ってほとんど食事をとる必要がない。だからいつも部屋の隅に座って彼らを横目で眺めていた。テーブルの中央に置かれたランプは、ねぐらの隅々まで照らし出してはくれない。レイアの前には、ただ暗く冷たい灰色の壁だけがあった。


 何の味もなく、色も無い。ただ淡々と過ごした日々。酒を飲んで騒ぐ盗賊達を見ても、何が楽しいのかわからなかった。悲しみも感じず、楽しみも感じられない。あったのは、ただ虚しいという感情だけ――。


*

 「道端みちばたに捨てられていたレイアを助けてやった」といつわり、自分達の管理下において利用しようとした盗賊たち。実際には、レイアの両親を殺し、生まれて間もない彼女をさらってきたに過ぎなかった。おそらく、最初は奴隷として高く売るつもりで育てていたのだろう。しかしレイアの生まれ持った驚異的な身体能力に気が付くと、今度は盗賊としての戦い方や盗みのやり方、強奪の手法を教え、自分たちの手下として扱うようになった。


 物心ついたときからそうして盗賊に育てられたレイアは、自分の行っていることが「善い」か「悪い」かなど考えたこともなかった。あったのは、ただ「敵」か「味方」かの区別のみ。敵であれば殺すだけ。味方であれば――裏切らないよう監視する。自分以外、誰も信じない。それが、盗賊の世界では当たり前のルールだった。


*

 けれど、そんな彼女も今では仲間を見つけた。〈龍の盃〉を探す旅の途中で出逢った四人の仲間――ノエルとカッツェ、ヴァイス、そしてカノア。彼らは「暗き森」にいたレイアを外の世界に連れ出してくれた。


 そうしてレイアは、自分の中の「正しい心」を見つけた。彼らとの間には、盗賊たちとは違う、別の「掟」がある。それが何だか今の自分にはうまく表現できないが、その「掟」はレイアを心地よい安心感へと導いてくれる。


 盗賊達は今頃、石牢に入れられていることだろう。盗賊業から足を洗って抜け出すことを決意した際、レイアが治安局に密告したからだ。

 そのことについて、多少の罪悪感を感じていない訳ではない。自分だけが助かって良かったのか、本当は自分自身も牢獄に入るべきだったのではないだろうかと――。


 ただ、今のレイアは、ノエル達と出会って旅をしたことで「本当の自分」というものをようやく取り戻しつつあると実感していた。今の暮らしは、これまで知らなかった未知の体験を味合わせてくれる。本来獲得すべきだった「感情」というものを、レイアは今ようやく少しずつ手に入れ始めていた。


 それは四人のおかげ――。その四人の友人に対して自分には何ができるのか、レイアはずっと考え続けていた。ノエル達と共に西東二つの大陸を縦断し、二ヶ月強も共に旅をしてきたが、未だその答えは見いだせていない。ぼんやりとしていて曖昧なその答えを見つけるには、まだまだ時間がかかりそうだった。


*

 とりとめもなくそんなことを考えていると、徐々に城の中で人々が起き出す音が聞こえてきた。


(カノアのもとに、戻ろう)


 冷たい汗が引いて少しずつ体に熱が戻ってくるとともに、重く沈んでいたレイアの心もだんだんと浮上してきた。昔の記憶にとらわれるなんて、自分らしくない。軽く頭を振って、レイアはそう思い直した。


 暗い灰色の記憶は消えないけれど、もっといろんな彩りで心を埋めていけばいい。今の自分にはそれができる気がしていた。少しだけ軽くなった足取りで、カノアと二人の部屋を目指す。

 一度寝たらなかなか起きないあの友人を、そっと起こしてあげよう――。橙色の猫耳をもつ彼女のことを思い出すと、レイアの気持ちは少しだけはずむのだった。



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◆登場人物紹介 No.1: レイア(双刀使い・魔剣士)

 ダークエルフの戦士。年齢は推定20歳。二本の忍び刀と土魔導で戦う。

 褐色の肌と、一括りにした銀色の長髪・琥珀色の瞳が特徴。桃色の戦装束と鎖帷子くさりかたびらを身に着けている。盗賊に教え込まれた暗殺術を活かし、強敵にも恐れずに立ち向かう意志の強さをもつ。

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