第8話 シー・イズ・ジャスト・フォー・ユー②



 到たち三人が水路の殆どの出入り口が封鎖されていることに気づくまで、そう時間はかからなかった。スティールタウンの中心部につながるマンホール周辺を突撃銃型のブラスター・ライフルで武装したシードが固めている様子を見れば、最早疑う余地などなくなる。着々と捜索の範囲を広げていくシードたちに、流石のホワイト・ヘリアンタスも立ち止まり、苛立ちを露にしはじめていた。。


「全く私も迂闊な女だ。こんなことなら地上を行った方がよっぽどマシだったかもな」


 異を唱えたのは意外にも彼女に背負われた到だった。


「でも……ここに来なかったらぼくは死んでました」


 ヘリアンタスの魔核能力によって到はなんとか一命を取り留めている。ただしそれは彼女の体に直接触れている場合に限り発動する力だ。仮に地上でラピード・マシンに乗ったまま移動していたなら、能力の庇護ひごも受けられず、シードの追い打ちに曝されていたかもしれない。


「んーまあ、そうなんだが……」


「結果論ですよ……場合によってはぼくを捨てて、エビちゃんを……」


「たるたる」


 静かに割って入ったアマビエに、到とヘリアンタスはピタリと黙ってしまう。背後を歩く和服姿の自称人魚は相変わらず俯いたままで、唇を尖らせて酷く不機嫌そうにしている。


「お願い……たるたるを見捨てたりしないで」


 微かに聞き取れる程度の消えてしまいそうな声で懇願する。そんな彼女を一瞥だけして、ヘリアンタスは低い声で


「……私はこの子に興味がある。捨てたりしない」と告げた直後に、今度は歩みを止め、振り返って問う。


「だがちっこいの、お前がこの子に拘る理由はなんだ?」


 訊かれたアマビエも、到もはっとした顔をした。アマビエが到やブラック・リコリスに同行する理由は単にこの星を脱出するのに都合がいいからだと考えて間違いない。現状はリコリスの語った宇宙船意外に手段が無いのだから当然だ。しかし、彼女の協力的な姿勢は単にリコリスに媚びを売っているわけでも、仲間意識があるからというわけでもない。明らかに到個人に向けられた奇妙なほど強い、暫定的に善意と呼べるであろう意志がそこにある。アマビエは抑えていたが、彼女が酷く狼狽していることは到にもよく分かった。ただ、後ろめたさから来るものではないと確信できたのは、彼女の元々リンゴのような頬の赤色が、顔全体を通り過ぎ耳まで広がっていったためだ。そしてアマビエは、魚のように何度か口をカプカプさせてから――――


「……だってあたし……たるたるのこと……好きだもん……」


「……えっ?」


 鳥のさえずりか何かと聞き違えても仕方のないほどに小さな音だった。しかし、到は一字一句違えることなく、その意味さえも正確に理解している。率直に彼女は到という男に好意を抱いているということだ。


「……なんで……ぼくのことなんか……」


 告白を快く受け止めたいのは山々で、当然嬉しく思いながらも、止まぬ疑問符の嵐に到は苛まれてしまう。何せ二人の接点はついこの間生まれたばかりで、特別な信頼など築かれてはいない。ある意味この反応も当然と言える。


「覚えてない? 八七年の夏、フェリーが沈没して……あなたのお父さんとお母さんが亡くなった事故で……あたしがあなたを助けたの」


 まるで堪え切れなくなったように、アマビエは胸の内に秘めた過去を吐露した。到は全くその出来事について思い出せない。それを察したアマビエは、彼女にとって決して忘れられない出逢いの日について語るのだった。


「地球の知的生命体は人間だけじゃない。あなたが言った通り、あたしたちはまさしくオカルトの存在……未確認生物。人魚っていうのは海に隠れ住まう『ビクニ』の一族のことなの。地上人と交わした“古い盟約”に従い、互いに不干渉を貫いてきた。決して地上人と関わってはならない筈だったの……それでもあたしは、あの事故で人が死ぬのを眺めているだけだなんて……耐えられなかった。ビクニの名を捨ててでも、命を見捨てることだけはできなかった。一族を追われても、あなただけでも守りたかった」


「……なるほど、ちっこいのはいたるを……人間を助けたことで人魚の掟に背いた。それで一族を追い出されたってことなんだな」


「でも……その……ぼくのことがす……好きなのとは……関係ないし……」


「しょーがないじゃん……一目惚れだし」


 最早言っている方よりも聞かされている方が恥ずかしい。到は顔を真っ赤にして、ヘリアンタスの背中に顔を埋めている。この世に生を受けて十五年、女の子に告白した経験も無ければその逆も無い思春期の男子にとって、到基準で十二分に美少女と言うに相応しいアマビエにこうもストレートな愛情を示されてはどうしようもない。


 ただ、深く深くに埋まっていた記憶が掘り返され、到はその中で不可解な部分に気づき、恥ずかしさを忘れて顔をあげた。


「あれでも、ぼくって確か救助隊のヘリで病院に運ばれたんじゃ……そのときエビちゃんは?」


「流石に他の人間に見つかったら水族館に連れていかれちゃうと思って、ヘリコプターが来た途端に逃げ出しちゃった。その後たるたるのことを捜そうと思ったんだけれども、あたしそのときまだ下半身魚だし、顔しか知らない男の子を探すのは……」


「ほぼ不可能だろうな。だが、それをちっこいのはやり遂げた」


 感心したようにヘリアンタスが言うと、おもむろにしゃがんで断りもなく和服の裾をめくり、アマビエの足を曝け出した。「わっ」とアマビエがたじろぐ中、ヘリアンタスはふくらはぎの辺りを撫でている。その目は真剣そのものだ。


「義足じゃない……しかも……本物の足ね」


 その直後に『どうやって手に入れた?』と口にせずとも問われていることは明らかだった。


「ビクニと同じ神話の眷属けんぞく……魔女……“海の魔女”との契約で……」そこから先を躊躇う。ヘリアンタスはすかさず問い詰めた。


「契約というからには何かしら代償があるはずだ。足の代わりに何を支払った?」


「それは……」


 アマビエは視線を合わせようとしない。ヘリアンタスは決して険しい顔などしていない。だが、アマビエは恐ろしいものが目の前に迫っているような青ざめた表情をしていて、唇が小刻みに震えていることが到の目にも見えていた。


「も……もういいでしょうヘリ子さん! こんなことやってる場合じゃないです! ぼくらは早くここを出てリコさんとアンちゃんに追いつかなきゃいけないんだ!」


 到がヘリアンタスの肩を叩く。アマビエが隠し事をしている事実を飲み込めたわけではないが、命の恩人が無意味に追い込まれているのを黙ってみていられなかったのだ。ヘリアンタスは一瞬だけ不満そうな顔をしたが、アマビエの真っ赤な頭をくしゃくしゃと撫でまわしてから立ち上がって、ニコッと笑った。


「だな。面倒な話は後回しだ。できれば教えてほしかったが……隠し通せるようなことでもあるまいし……とにかくここを出る手段を見つけないと」


 再び歩みだす前に、ヘリアンタスは無言でアマビエの手を握った。当然驚いたアマビエは「え?」と、間の抜けた声を出してしまう。


「握ってろ。愛した男と離れ離れになりたくなかったらな。こうしている間は絶対に守ってやる」


「よ……余計なお世話だし! あたしこう見えても三百年は生きてるし!」


「人間で換算すると?」


「うっ……十才くらい……」


「なんだ見た目通りじゃないか。じゃあしっかり繋いでろ。迷子になるなよ」


「オカンか!」


 さっきまで敵対していたエージェントがどこか楽しそうにしているように感じた到は、この女を一体どう扱っていいものかと新たな悩みの種に苛まれるのだった。

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