A県警察本部警備部長 朝加雄介

「被害が出ていない?」

 時折明滅を起こす照明をもう見上げることもせず、朝加あさか雄介ゆうすけはやんわりと相好を崩す。

「幸いなことに」

 愛知県警察本部警備部長――警視正。稲が声をかけた相手であるが、人選を間違えたかと今更になって歯噛みをする。

 すでに窓の外は暗くなり始めている。稲が高らかに出撃を宣言してから何時間経っただろうか。

 朝加は極めて慎重だった。稲の説明をしっかりと聞いてなるほどと頷くと、部下たちを使って本部内から速やかに現状報告を集めると言って稲の出撃を制止した。穏やかだが、有無を言わせぬ力があった。

 名古屋市中区栄周辺で原因不明の閃光を確認。それと関連するかのように名古屋市内全域で原因不明の一時的な停電が頻発。ただし全て即座に復旧。

 人的被害――なし。それが朝加の結論だった。

 だが――また閃光。この『雷帝の裁き』とやらは現在でもまだ放たれている。佐藤を使って何度も確認を行い、明らかにナローシュの発動したものであると確証を得ている。

 その確証が、彼らにとっては確度ゼロに等しいということを、稲は遅ればせながらその身で理解していた。

 ナローシュには人権がない。

 彼らの言葉など、全て世迷言に等しいのである。いくら佐藤がそのスキルで鑑定を行おうと、それを行ったと確かめる術がない。佐藤――ナローシュが毒者も含めて他者に情報開示ステータスオープンを行うことはできない。佐藤がいた異世界では可能だったというが、立っている基盤そのものが違う相手に情報干渉を行えるほど現実は寛容ではなかった。

「しかし」

 稲は後ろで小難しい顔をして状況を理解した気でいる佐藤を一瞥し、朝加を睨む。

「停電という被害は出ています。即時復旧しているからと言って、これによって致命的な被害を受ける交通機関や企業は存在するはずです」

「ええ。鉄道の遅延は問題ですね。ただ、ゲリラ豪雨ならぬゲリラ落雷だと報道するようにそちらから手回しなさったんでしょう?」

 瞬間言葉に詰まり、己の愚かさを呪う。即座にそれは関係のない話だと切り返さなければならなかった。テレビを見れば地方局の夕方のニュースでいくらでも流している情報だ。そこから特テの関与を推察することなど特テの存在を知っている者なら誰でもできる。

 この一刻も惜しい中続く拘束時間の間に、稲は対策室本部に状況を詳細に報告している。それを受けて特テからの働きかけは各方面に行われたはずだ。ナローシュの実戦運用の承認も得られた。ただ――決定権は現状、まだ現場のほうが強かった。

「被害が出てからでは遅い――いえ、被害は確実に出ています。相手はナローシュです。私が出る必要があります」

「その話ですが、ナローシュ? ですか。その連中は、私どものようなまっとうな人間には力を振るえないのですよね」

「ええ」

 唸り声のような生返事。

「すでに現場に機動隊を向かわせています。捕り物なら、我々警察のほうが適役でしょう」

 稲は怒声を上げそうになるのをぐっと堪えた。

「ナローシュの魔法が発動している以上、毒者が観測している――ナローシュが十全に力を振るえる状況なのは明らかです。近づくのは危険すぎます」

「だもんで、被害は出とらんでしょう」

 即座に「失敬」と標準語に戻るが、明らかに稲を下位に見ているという意思表示だった。稲が愛知県出身だということを恐らくは承知の上での、年寄り臭い名古屋弁。

「氷川」

 佐藤が訳知り顔で口を開く。黙っていろと一喝しようかとも思ったが、朝加に主導権を握られている状況で迂闊な発言は避けたい。

「被害が出ていないのは、やはりおかしいと思うのだが」

「ほう」

 朝加が興味を示したというモーションをかける。手玉に取られていることにも気付かず、物怖じするだけの了見も持たない佐藤は真剣ぶって、浅ましくも自慢げに続ける。

「『雷帝の裁き』はランクS、雷属性最強の魔法だ。俺のエターナルブレイズと同等の威力と思っていいだろう。それが発動したのなら、直撃した場合半径100メートルは跡形もなく吹き飛ぶと俺は判断する」

「しかし被害は出ていない。どういうことでしょうか?」

 朝加も性格が悪い。耳に入れる価値なしと自分で判断した相手の話に乗っているような素振りを見せている。そしてそれに気付かず悦に入ったようにべらべらと喋る佐藤の――なんと滑稽なことであろうか。

「ふむ……そこがどうにも妙だと思う」

 それで言葉を切って、してやったりといった表情で佐藤は身を引く。

 結論もなしに、自分の所感だけを述べたのか――この男は。

 この場で、到底許される行為ではない。状況を混乱させ、余計な先入観を与えかねない。不用意な発言はそれだけで議論を台無しにする。その道理が、全くわかっていない。

 朝加はそれ見たことかと口の端を歪めている。この男には珍しく、皮肉より単純な侮蔑のほうが勝ってしまっているのだろう。

 これで、ただでさえゼロだった佐藤の証言の価値はマイナスへと墜落した。

 部屋に制服警官が一人、慌ただしく駆け込んできた。朝加に何事か耳打ちをすると、それまで泰然と余裕を浮かべていた朝加の表情に影が差す。

「被害が出たようですね。そちらに」

 ほとんど揣摩臆測だが、当たる自信はあった。ナローシュの制圧に機動隊を向かわせた発言したことと、朝加の真っ当であるがゆえのナローシュへの侮り。

「――ええ。ナローシュの潜伏していると思われるビルに突入しようとした機動隊員が、全員卒倒したようです」

 結界――バリア――魔法による電気柵――そのようなものがビルに仕込まれていたとしてもおかしくはない。

 稲が素早く――佐藤が口を挟まないように素早く――その旨を伝えると、それ以上は言わずとも朝加は状況を理解したようだった。

 突入は、ナローシュ以外に不可能。接近しただけで卒倒する仕掛け罠が、超常の力で張り巡らされている以上、それを乗り越えられるのは、同じく超常の力を振るえる者だけ。

「しかし――どうもいよいよ、やーな予感がするんだわ」

 咳払いをして標準語に戻る。今のは挑発というよりも、単に意識を向けさせるためのもの。

「被害が出ていないにも関わらず、延々と続くこの閃光と停電。私には、これがあなたをおびき寄せるための餌に見えてしまうんです」

 まっすぐに稲の目を見て言う朝加の真剣さに、稲は思わず固唾を呑んだ。

 確かに、明確な被害を出さないにも関わらず、佐藤の言うSランク魔法をひっきりなしに放ち続ける。まるで号砲か祝砲のようなあからさまなアピール。

 これを受けて行動に移すのは、間違いなく特定大規模テロ等特別対策室の関係者。そして対抗措置として、保持しているナローシュを運用せざるを得ない状況に、まさにいま追い込まれている。

「できれば我々だけでケリをつけたかった。特務捜査官を危険に晒すのは避けたほうがいいに決まっていますからね。そうそう替えの利く人材ではないんでしょう」

 世辞や社交辞令ではない。それよりはるかに悪辣な調略の一手だ。それを逆に取り込んでしまうだけの力は今の稲にはない。

「痛み入ります。緊急車両は?」

「ええ。手配ずみです」

「現場から半径――300メートルの立ち入りを完全に禁じてください。一般人も警察官も等しくです。片付き次第、パトカーの警察無線で報告します」

 稲は朝加に背を向け、忌まわしさを顔に出さないように注意しながら佐藤と向き合う。

「佐藤さん。結界やトラップの解除スキルは?」

「ああ、だいたい揃ってる。鑑定できたんだ。通用するに決まってる」

 稲は形だけ頷き、佐藤を伴って警察車両の駐車場へと向かう。

「氷川」

 佐藤が意識して作ったと簡単にわかる低い声を上げる。

「世界を救うぞ」

 稲は口元を歪めてそれに応じた。あまりの空虚さに漏れてしまった嘲笑だったのだが、佐藤はそれで勝手に満足したようだった。

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