後編

 光龍四十五年。

 大陸東部、尾根おね州、石場いしば


 そんな味気ない、不毛という言葉を想起させる地が、東部中央に位置する要衝だった。

 名の通りにかつては火燃石の採掘場として有名な場所だった。

 その産出量が下降気味にある今でも、その輸送のために開けた道は経済的に、あるいは軍事的に機能している。


 その要地も、人の手から別のものへと渡ろうとしていた。


「人間どもにしては中々やりますな」

「うむ、存外頑強に抵抗しおった」

「まぁ、この山が尾根州最後の砦であるからなぁ」


 楽観、おごり、あるいは上からの目線による、卑弱のものたちに対する称賛。

 彼らの陣営には、戦場とは思えない弛緩した雰囲気があった。

 だが、陣幕をまくり上がった瞬間、彼らの顔が一様に緊張を取り戻した。

 色とりどりの髪色が動き、一対の宝玉のような、透明度の高い両目が現れたふたりを見つめていた。


 ひとりは、蜜色の長髪を結い上げた妙齢の女性。その眼は他の者とは違い、一目でわかるほどにあざやかに、赤と青とで、左右非対称な金銀妖眼となっていた。

 名目上とは言え総大将としての責任からか、あるいは初陣であることの緊張感か。戦場には不釣り合いな白皙は、微笑を浮かべつつも、やや強張りを見せていた。


 そんな彼女に敬意と微笑ましさを見せていた彼らの視線が、後につづいた青年を見た瞬間、一転した。

 少年らしさを残す、鼻筋の通った顔立ち。やや背丈は不足気味ではあるが、半マンテルと陣羽織を組み合わせて瀟洒に着こなす、引き締まった肉体。

 だが、彼らからしてみれば常識外の生き物だった。

 カラスを思い起こさせるツヤのない黒い髪。同色の黒い瞳。だが、その瞳は顔の右にしか存在していなかった。

 左目は、眼帯で覆われている。中に眼球らしきものは見えるが、それは頭蓋の形が歪まないようにするための詰め物に過ぎなかった。


 何より異様なのは、それは今、十数吉路キロ隔てて相対しているものと同種……ヒトだった。

 無論、彼らの部下の中にも人間はいる。だがここまで堂々と陣中に出入りできる人間は、この男ぐらいなものだろう。


 侮蔑、純粋な嫌悪、あるいは好奇。

 色とりどり、様々な感情の入り混じる視線を、彼は涼やかな微笑とともに受け流した。


 上座に着席した娘の咳払いが、一瞬漂った不穏な雰囲気を打ち消した。


「皆、ここまでご苦労でした。このシャロン・トゥーチ、おかげで何事もなく初陣を勝利で飾ることができました」


 そう言って礼を告げる彼女に、幕僚たちは表情を崩した。


「いやいやなんの」

「全ては陛下や総領閣下のご威徳と、姫様の督戦によるものです」


 と褒めはやす一方で、平素の彼女に珍しく強気の発言をいさめる声もあがった。


「しかしまだ、勝利と決まってはおりませんぞ。敵軍はますます頑強な抵抗を試み、意気盛んとか。遠からず、反撃に出るやもしれません」


 対する女司令はかぶりを振る。そして、みずからの脇に立った隻眼の青年に向けて視線を送った。自然、陣営の者たちも追従するかたちで注視する。

 微笑を浮かべたままに、青年は表情を固めていた。じらすかのように、あるいは話題を振られて自身が困惑しているかのように、それをどう切り出そうか思慮するかのように。

 やがて、その口だけが動いた。


「あちら……すなわち人間どもの藩王が病死したようです」


 こともなげにもたらされた急報に、青年への悪感情を忘れたかのように一同は騒然となり、隣や向かいの者たちと談じ合った。

 嘘か真か。ならば敵は退く気なのか。となれば敵の士気の高さとつじつまが合わぬ。

 そんな彼らの耳に届くか届かないか、といった声量で青年はつづけた。


「我々の耳に届いた、ということはとうに敵陣にもその報が届いていることでしょう。あの意気はあくまで見せかけ。おそらくは今夜あたりにでも、この地を放棄して退く肚でしょう」


 淡々とつづけられるその言葉にいつしか騒がしさは止む。あとは司令官の裁断を待つのみ。そんな空気が出来上がった。

「皆、聞いてのとおりです。これで戦は終わりました」

 その中で、彼女は言を発した。


「これにて我々も兵を退き、領都へ凱旋を」

「恐れながら、総領姫様」

 だが、その副官は女主人の言葉を遮り、うやうやしく頭を垂れた。

「ここは、追うべきかと」

 そして、彼女の意見とは対する進言をおこなった。


「追撃しろって言うの? じゃなかった……せよと、言うのですか?」

「元よりこの地は、先帝たる雹龍帝ナラグジャ陛下が避寒地として愛用されていた土地。それを資源欲しさに人間どもが略取し、私物化いたしました。この地を満たすほどの彼らの流血でもってその代償をあがなわせ、かつ神陵にて眠る陛下のなぐさめとすべきかと」


 故事を引き合いに出して弁をふるっていた彼は、刺さる視線をまるで意に介さないようにふるまい、そして最後に締めくくった。


「とはいえ、今まで前線にて奮戦されていた皆々様におかれてはさぞやお疲れのことと存じます。願わくば、我ら第二連隊六〇〇名にて、その任に当たりたく」


 ここまで渋面を作りながらも、その饒舌に耐えていた幕僚たちは、ここにきて我慢の限界を迎えた。


「黙れっ! さっきから聞いておれば、まるでおのれが竜であるかのようにべらべらと!」

 まず立ち上がったのは、今回先鋒の大将をつとめたブラジオ・ガールィエだった。こと、この成り上がりの人間嫌いの急先鋒でもある彼は、ここぞとばかりに威圧感をともなって詰め寄った。燃えるようなオレンジの瞳がくわっと開いて青年を射貫くかのように光を放っていた。


「大方、ここにきて手柄を立てられぬことに焦りでもおぼえたのであろう。ヒトの浅知恵など、我らに通じると思うてか」


 その分厚い巨躯は、至近から見上げる青年にとっては岸壁のようにさえ見えるだろう。彼ほどではないが、青年よりも一回りも大きい部下や同僚たちがまた、それに続いて青年を囲った。

 だが、彼はそんな状況下でも怖じる様子は出さず、肩をすくめた。


「別段たくらむことなど……ただ自分は、皆々様の心身や先帝陛下のご無念を思えばこそ」


 などと、隻眼の小僧はぬけぬけとのたまう。

 彼を擁護すべく腰を上げたシャロン

に、煉瓦色の髪を逆立てたブラジオが振り向いた。


「姫様、我らにこそ、その任を与えていただきたい!」


 もともと、青年に言われるまでもなく、ブラジオらには追撃したい欲求があった。

 最近生意気にもたてつく人間どもを、思う様に屠りたいという残酷な本能がうずいていた。


 シャロンは思案するそぶりを見せた。

 その互い違いの目が、青年の隻眼へと向けられる。

 彼は微笑を返した。


「皆さまに余力があるとはつゆ知らず、差し出口を申しました。しかしながら敵の士気が高いのもまた事実であり、その指揮も、退却の手際も凡将のそれとは思えません。おそらくは何らかの備えも」

「もう良いッ! その無駄口は閉じておくがよいわ!」


 地方豪族のひとりが放った恫喝に、彼はそれ以上の説明はせずに、しずしずとかしずいた。


「失礼をいたしました。……では、自分たちは遊軍として、皆様のご活躍を拝見し、向後に活かす学びとさせていただきます」


 そんな彼が浮かべた表情は、誰の目からも確かめることはできなかった。


~~~


 果たして、青年の予測は当たった。

 敵は夜陰に乗じて退き、それを追い立てながら彼らはひとつ山を越えた。

 そしてその先にあった盆地で、彼らは敵を、完全に捕捉した。


「各々、『牙』を剥けぇい!」


 ブラジオの号令一下、それぞれの兵を率いる将たちが剣を抜く。

 ――いや、それに類似した何かを、抜いた。


 あるいは何もない空間から、生じた雲から、あるいはほとばしる雷の中から。

 あれが、彼らが生まれた時から持つといわれる『牙』だ。

 その刃があらわになった瞬間、彼らの屈強な肉体が様々な、そして異形の装甲に包まれた。

 触れるだけで皮膚を切り裂きそうな鋭利なそれらこそ、彼らの『鱗』だ。


 彼らは自身につづく人間ヒト獣竜けものを叱咤しながら、盆地に陣取る敵勢へと向かっていく。

 おおきく飛び上がって敵の歩兵部隊に突っ込むと、それぞれ握りしめた『牙』を振りかざして、畏怖する敵に叩き込む。


 走る速さは彼らが放つ銃弾よりも速く、その外殻は砲弾でも容易に傷がつかぬほどに分厚く、対してその一撃は、そのいずれよりも速く、重厚で、ただひたすらに強い。


 それが彼ら真竜種……人が竜と呼ぶ知的生命の長たる種であり、すべての生命の根本ともされる存在だ。


 ――だが、そううまくはいかないんだな。


 青年は自身の連隊とともに丘陵地帯を迂回しながら、戦場を見守っていた。

 遊軍として配置されたそこからは、その推移があざやかに見て取れる。


 敵の中軍が退いた。そこに突っ込んだ竜たち率いる追撃部隊が、咆哮をあげながらそこを占拠した。

 次の瞬間、丘陵で待機していた敵が、砲撃と銃撃を開始した。

 西方大陸から輸入されてきたとおぼしき臼砲は、破壊の威力と範囲はすさまじいが、機動性は悪い。

 つまりそれは、最初からここに配備されていたものであり……敵は、ここを戦場としてあらかじめ設定していた。


 その火砲でもってしても、真竜種は傷つかない。

 だが、足止めはできる。彼らが率いる部隊はふつうに銃弾砲弾の雨嵐にさらされて、血の華を咲かせながら断末魔をあげ、損耗していく。

 彼らが率いているのは、彼らの土地の民だ。その多くは、人間や獣竜種だった。

 すなわちそれは、彼らの領地や部隊の人的資源の消費をそのまま意味している。


 そして竜たちが経済的、軍事的に麻痺している隙を突いて、人はあらたに領土をかすめとる。

 これが、いまだ竜たちに対抗手段を持たない人類種の基本戦略だ。


「苦戦しているようだな」

 副官の女獣竜種、リィミィが切れるような美しい声で言った。


「……ハハッ!」

 青年は、一笑で返した。

 それは陣幕の内での優雅なものとまるで違う。野性味をむき出しにしたような笑みだった。


「……まさか、予測してたか」

「そりゃそうだろうよ。連中にしても、ただで要所を返すつもりはないし、追撃を完全に振り払うためにも大々的な反撃はしてくる。となれば、偵察を出すほどの距離でもなく、オレらから山で死角となっていたこの盆地以外にない」

「なぜ、それを言おうとしない」

「言おうとはしたぞ? まぁ言い方が回りくど過ぎて、途中でやめさせられたけどな」


 リィミィは青い瞳をすがめて苦笑した。

 すでに青年の意識は戦場へと戻っていた。


「そろそろ本当に退くな」


 と頃合いを見計らい、部隊の足を一度停止させた。

 陣形を整える彼らを、登り始めた朝日が照らす。


 そして眼下には、脇腹をさらす敵勢。

 細州さいしゅうごしらえの、軍刀を抜きはなち、彼らに向けて突きつけた。


「敵後方、崩れはじめたあたりへ仕掛けるぞ」


 端的に指示を伝える。敵が側面に回った敵に気がついたらしいのは、その時だった。

 もはや遅い、と彼は嗤う。

 誰よりも先んじて、青年は駆ける。

 その隻眼を、子どものように、あるいは星の光を宿したように輝かせて。


 彼の名は、夏山かやま星舟せいしゅう

 竜の陣営における、唯一無二の、人の将であった。

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