第4話『所謂、気まずさ』

「……」


「……」


 正直に言おう。 気まずい。


 それから俺と冬木は、最初の仕事として校舎の最上階の隅にある教室へと案内された。 そこはどうやら一年三組にだけ使用されるというクラス委員専用の教室らしい。 というのも、俺たちのクラスは放課後には部活動やら委員会活動で使うことがあるらしく、いつからだったか一年三組のクラス委員がこの教室を使い始め、それがなんとなく今日この日まで受け継がれている、といった流れである。 いやはや全く嬉しくないね。 この無愛想な冬木空と同じ教室で二人きりというのは、拷問に近い何かがあるって。 どうせなら、騒がしい体育館とか、外の風が気持ちよさそうな校庭の方が良かった。 この密室とも呼べる空間に、冬木と二人っきりというのは超気まずい。


「……」


「……」


 そして、俺と冬木は淡々と作業をしている。 今しているのは5月末に行われる校外学習の資料整理だ。 少しずつ進めていくらしい校外学習のものだが、その最初である記念すべき今日は、膨大な資料の山から教師がクラスで説明する際に便利になるであろう資料をまとめる、というものだ。 まさに雑用係だな……。


 別にこういう地味な作業が嫌いというわけじゃない。 わけじゃないけど、この空気が問題。 まるで私語を禁止され、更に刑務作業をやらされているかのような単純作業は新手の拷問なんじゃないのと言いたくなってくる。 私語はもちろん禁止されてなんかいないけど、こいつと雑談ができるわけがない……! だって見てろよ?


「クラス委員って思ってたより地味だよな」


「……」


 ほら、無視だよ無視! いくらなんでも無視は酷くない? さすがに「そうですね」くらい返してくれても良くない!? 俺が馬鹿みたいに独り言喋ってるみたいじゃん!


「……なんか喋ろうぜ、折角こうして同じ委員になったんだからさ」


「……」


「今日は良い天気だな」


「……」


 あくまでも無視というわけか。 そうなら俺も俺で考えがある、どうやら冬木は世間話というのがしたくないらしいから、違う方向で攻める必要があるということだ。 失敗したとき、場の空気は最悪を通り越してしまうかもしれないが、最早落ちるところまで落ちている気がしなくもないし、やってしまえ俺。


「そういやさ」


 俺は言い、冬木の顔を見る。 人二人分ほどの間を開けて座る冬木は、俺の視線を物ともせずに黙々と作業をしていた。 瞳は真っ直ぐ手元に向いており、長い睫毛と細い指先が視界に入る。 俺はそんな冬木に言葉を浴びせることにした。


「布団が、吹っ飛んだ」


「……っ」


 あれ、ウケた? いや顔を逸らされたから表情こそ見えないが、反応があったのは事実だ。 もしかして、こんな低俗なつまらないギャグで笑ったのか……?


 いやいや、さすがに考え過ぎだろ。 この氷の塊のような女がそんなことで笑うわけがない。


「アルミ缶の上に、あるミカン」


「くっ……」


 やっぱりウケてるよね!? まじかよこいつ、すげえつまらないギャグで笑うとか……。


「……先程からうるさいです。 少し静かにしてもらっても良いですか」


 そして、俺の攻撃もとい口撃が効いたのか、冬木はようやく口を開いた。 これは大きな一歩である。


「だったら世間話でもしようぜ、じゃないとまたギャグ言うぞ」


「性格の悪さが顔に滲み出ているんですね、成瀬君は」


「随分と辛口だなおい! ……って、名前知ってたのか、俺の」


「それは……同じクラスですし、昨日から私に付き纏っているので覚えただけです」


 辛辣すぎる。 しかし名前を覚えてくれていたことについては素直に嬉しい……のだろうか? 微妙な気分である。


 とりあえずは一歩前進、といったところか。 その前進方法もギャグを使っての脅しというなんとも言えない方法であるけど、ひとまず冬木が俺のことをガン無視するということはなくなりそうだ。 観察に観察を重ねていくつもりだったが、これは思わぬ収穫である。


「あーっと……それで、冬木はどうしてこの仕事しようと思ったんだ? 正直、あんまやりたそうには見えなかったんだけど」


「……もしかしてですが、それで立候補したんですか?」


 睨むようにこちらを見たと思えば、質問に質問を返される。 だがそれに文句を言っても仕方ない、冬木との距離を詰めるためには、冬木の機嫌をわざわざ損ねる必要はないというわけだ。 既にだいぶ機嫌を損ねている気がしなくもないけど。


 ……あれ、なんか俺、冬木さんの下僕みたいになってないかな。


「まぁ、そんな感じ」


「余計なお世話です」


 めちゃくちゃバッサリ切り捨てられた。 言い方毎回冷たいなおい!


「私が立候補したのは、周囲の空気を察しただけです。 あのとき、クラスのほぼ全員が私がこの雑用をやることを望んでいましたから」


「いやいや、んなわけないだろ」


 その言葉は嘘ではない、となると少々被害妄想が強いのだろうか。 冬木は言うものの、作業の手は全く休めていない辺り、根はやはり真面目な奴に見える。


 それよりも問題は、冬木がそう思うようになってしまうまで、クラスの雰囲気がそうなってしまっていることだ。 中学時代を俺は知らないけど、恐らく長いこと続いている流れなのかもしれない。 前に聞いた冬木の陰口のようなものから、冬木がクラスの誰とも話していないことだったり、違和感を感じる部分は多くある。


「あなたには分かりませんよ、成瀬君。 私の気持ちなんて、誰にも分かるわけがありません」


 冬木はそんなことを言う。 一見すればその発言は、自分のことを悲劇のヒロインとでも言いたげなものでしかない。 他人のことをまず知ろうとしていない冬木がその言葉を口にするのは間違っていることだと思う。


 しかし、そう言ったときの冬木の顔は決して忘れられなかった。 あまり表情に変化がない冬木だが、その言葉を口にしたときも表情こそ変わっていなかったが、その瞳に映っていたのはある種の恐怖だった。 そしてそれを表すかのように、冬木の発した声は若干であるものの震えていた。 何かに怯えている、そう言えるような。


 とにかく、その正体が掴めないのであれば責任の取れない言葉を放つべきではないと思う。 折角冬木と仲良くなれた……たぶん、仲良くなったと言って良いと思う。 仲良くなれたというのに、わざわざ溝を深める意味はないということだ。


 そんな想いから、俺は冬木を宥めるべく口を開こうとする。 が、その前に口を開いたのは冬木であった。


「……すいません、少し言い過ぎました。 何か飲み物でも買ってきます」


 ハッとしたように俺の顔を見た冬木は、唐突にそんなことを言い出した。 普通であればそんな言葉は出てこないようにも思えるが、幸いなことに俺が何かを言う必要はなくなったようである。


 そして、冬木はそそくさと教室を後にした。 残されたのは俺と、今日の仕事である資料の山。 冬木の方は既に半分ほどが終わっているものの、俺の方はまだ全然進んでいない。 会話をしている最中は放ったらかしにしていたし無理もないか。


 しかし、実際に冬木と話せたのは大きい。 そうすることで分かったことも、僅かな時間の会話であったが多々ある。 まず、冬木は思ったよりも冷たい奴ではないということ。 それに会話が成立しないということもないし、態度はまぁ辛辣だし若干被害妄想が強い部分もあるかもしれないけど、そこまで変わった奴ではない。 冬木が抱えている何かさえ解決してしまえば、きっと普通に友達になれるとも思う。 つまらないギャグがツボに入っていたのはどうかと思うけどな。


 ……あれ、俺の目的って冬木と友達になることだっけか。 違った気がするけど、似た者同士で興味がないわけじゃないし、意外と話してみたら悪い奴ではなさそうだし、軽い知り合い程度にならなっても問題はないか。


 というよりか、悪い奴どころかあいつは真面目だ。 制服もしっかりと規則内で着ているし、座ったときの姿勢はえらく良いし、資料分けの手際も大変良い。 教師にタメ口なんてもっての他、俺に対しても敬語だし君付けだしで、珍しいくらいに真面目な奴である。 その真面目さと言動の辛辣さが逆にギャップを生み出しているのかもしれない。 いや、それが良いとは全然思わないけどね。


 今のところ、俺から見た冬木空というのはそういう人物だ。 しかし、一番気になるのは時折挙動不審になるということ。 今日の委員会決めのときも、何故か唐突に俺のことを見ていたし、さっきの会話の最中もいきなり謝ってきたりで、何かに怯えているものの、妙なタイミングで妙なことを言っている気がする。


「……仕事が全く捗っていないようですが」


 と、そこで冬木が教室に帰って来た。 開けた扉を後ろ手に閉め、ツカツカと歩きながらそんなことを言う。


 事実、俺の仕事は全く捗っていない。 考え事をしながら作業をするのは苦手なんだから仕方ない。


「何を考えていたのか知りませんが、一度息抜きでもしたらどうですか。 休憩を挟めば効率も上がるので」


 冬木は言うと、再び俺の隣へと腰掛ける。 長机には未だに大量の資料が置かれており、そんな資料の山にため息が出そうになったそのとき、冬木の手が視界に映った。


「どうぞ。 一応、お詫びということで」


「……お詫び? なんの?」


 冬木はご丁寧にも俺の分の飲み物も買って来てくれたようだ。 やはり、こいつの根は悪い奴ではないらしい。


「私を庇ってクラス委員に立候補したというのは本当らしいので、そのお詫びです。 勘違いしないで頂きたいですが、貸しを作るというのが嫌なだけですので」


「おお、サンキュー!」


「ですからお詫びなのでお礼を言われる筋合いは……」


「んなことどうだって良いって。 俺は嬉しいからお礼言ってんだ」


 まあ。


 まぁ、その買って来た飲み物がおしるこというのは、果たして嫌がらせの可能性もなきにしもあらずである。 ……一応確認するか。 もしも嫌がらせなら「真面目な奴」という評価を改めないといけねえ。


「おしるこってセンス良いよな」


「そう思いますか? それなら良かったです」


 はい、嘘ではない。 冬木は真面目な奴でした、そして同時に冬木のセンスは絶望的なのかもしれない。 そんなことを思う俺であった。


 ……あれ?


 そういや、冬木はさっき、どうして俺が考え事をしていると分かったんだろう?


 ま、良いか。

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