希望と絶望への価値観

読み終わってやりきれないという気持ちになりました。
このお話ではヒロインにとっての希望と絶望への解釈が語られ、最終盤にそれに対する主人公の見解が語られます。僕はそのふたつの意見のどちらともに言い分は理解できはしたものの、結末のことを思うとやっぱりやりきれないなあと思ってしまいます。
「価値観は人それぞれ」といえば耳障りはよく、それ自体にはなんの反論もありませんが、ケースによっては、特に生死に関して価値観の配慮というのは無遠慮に行われていいものではないかもしれないと考えたりします。
ではどういう言葉をかければああならずに済んだのかといえば、その答えは誰にも分りません。なぜなら当人の価値観ですので死が怖くなくなってしまい、むしろそれが希望になってしまったのなら、どんな言葉さえも意味をもたないでしょうから。
例えばそれは自分にはない価値観をもった人と出会った際の接し方を考えるようなものでしょうか。僕は自死を望む人物の価値観をうまくは理解できません。なぜなら自死をすべきではないと思っているからです。しかしそれは当人の価値観なのですから、「価値観は人それぞれ」に則ってしまうのなら何も言うべきことはなくなってしまいます。
でも自死を選ぶことは悲しいと思う自分は確かにいる。特に親愛の友人ならなおさらでしょう。できることは死んだら自分がかなしいと訴えることしかないのだと思います。そうして自分のことに置き換えてみれば、主人公の終盤の台詞「俺は、葵がいない世界なんて悲しいよ」というのはもうそれしか言えることはなかったのではないかと思い、もっと遣る瀬無い気持ちになりました。
願わくば心にトラウマを背負っていても、現実がつらくても生きていてほしいと思うのは当事者でない者の勝手かもしれません。けど生きていてほしいと思うそれ自体もきっと人それぞれの中に含まれており、当事者でない者にとってはそれを言い続けるしかないのかもなと思います。

P.S この度はテーマ「手紙」で小説を募集した自主企画に参加して頂いてありがとうございました。また何か主催した際には参加してもらえると嬉しいです。

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