「今日から貴方の作品に住むことにしました」

阿井上夫

前編

「今日から貴方の作品に住むことにしました」


 その一文を目にして、私は自分の眼を疑った。

 ひさしぶりにページを開いた、三年前に出版された私のデビュー作。その冒頭に、自分が書いた覚えのない文字が並んでいる。こんな誤植があったとは全然気がつかなかった。


 いやいや、落ち着け。そうじゃない。


 初めての活字作品だったから校正に気合が入っていたし、出版当日に書店で十冊も購入して冒頭から末尾までめ回すように読んだはずだ。その時にはこんな文字はどこにもなかった。

 そもそも私の処女作はごく普通の、テンプレートと呼ぶのも恥ずかしいほどお約束通りの、それはもう見事なラブコメだったはずだ。こんなメタな展開はありえないほど陳腐な物語だ。

 世間ずれしてない小中学生をだますことに専念した、それはもういさぎよいほどに既存の人気小説に対するパクリ――もとい、オマージュに満ちた、読者の期待を一切裏切らない小説だったはずだ。

 ――読者の期待を一切裏切らない。

 そこで私の背筋が寒くなる。確かにこの小説はあまりにもご都合主義の度が過ぎていて、アマゾンの書評で気持ちよいほどに叩かれる一方で、まともにまり込む少年少女もいた。

「主人公の少年がかっこいい。自分もそういう人間になりたい」

 という、作者が将来をあやぶむほどに熱烈なファンレターを貰ったこともある。だから、その中の一人が作品の中に住みたいと思っても……


 いやいや、だから落ち着けよ。そうじゃないだろ。


 私は大きく息を吐く。そうそう、そうだった。いくらなんでも小説の中で生きることが、出来るはずないじゃないか。

 気を取り直して私はその先を読んでみる。本のカバーと中身が違っているのかもしれない。ところが――事態は私が思っていた以上に進行していた。

 作品の冒頭、主人公の少年は隣の家に住む幼馴染の少女と、同じ高校に入学することになっている。そこは確かにそのままなのだが、高校の門をくぐったところで、

「やあ、これからは一緒の学校に通うことになるな。よろしくお願いするよ」

 と言いながら、中学時代の同級生であるサトシが近づいてきた。


 ――??? 知らない。こんなやついたっけ?


 財閥企業の御曹司おんぞうしで、頭脳明晰ずのうめいせきかつスポーツ万能。ピアノから鳩笛まで華麗に演奏し、日本人の癖に金髪碧眼きんぱつへきがんで、十二ヶ国語を流暢りゅうちょうに話す。

 実は裏の世界では、生まれ持った特殊能力を武器に悪の組織を壊滅かいめつさせるなど、縦横無尽じゅうおうむじんの活躍をみせるエージェントで、世界の危機を救ったことも二度三度だけではないという――


 いやいや、いくらなんでもそれは盛りすぎだろう。


 確かに私は厚顔無恥こうがんむちだが、だからといってここまでバランスが崩れた登場人物を出すほど常軌じょうきいっしてはいない。

 その私の当惑をよそに、ヒロイン役の幼馴染が声をかける。

「あ……サトシ君、おはよう……、一緒の学校だね……私、嬉しい」

 ああもう、デレてる場合じゃないだろ!

 そこに主人公が、

「よう、サトシ。これからもよろしくな!」

 と、何の警戒心もなく爽やかに挨拶する。


 いやいや。いやいや、それはアカンだろ。少しは対抗心を燃やせよ。お前の嫁が完全にサトシになびいているぞ。


 作者としてはつっこみを入れざるをえない。しかし、物語は完全に作者の意図を外れて暴走してゆく。

 最初のうちは主人公の理解者と思われたサトシが、手酷てひどい策略をめぐらせて、本来の主人公をおとしいれる。

 主人公が立ち直れなくなっている間に、幼馴染はおろか、主人公に淡い恋心を寄せているはずの脇役の女性達を、次から次へと攻略してゆく。その鬼畜な行動の数々は――私の小説よりもはるかに面白かった。


 いやいや。いやいや。いやいやいや、ちょっと待てよおかしいだろそれは。


 私が混乱していると、机の上に置かれていた電話が震動する。あわてて出てみると担当編集者からだった。

「先生、どうしたんですか? 先生の処女作があちらこちらの書店で品切れ状態ですよ。注文が殺到して、重版をしないと追いつきませんよ」

 私は受話器を握り締めながら放心した。


 その後、シリーズ三作品にわたってサトシは乱暴狼藉らんぼうろうぜきの限りを尽くした。

 少年少女向けの健全な文庫に納められていた私の作品は、『青い鳥の皮をかぶったフランス書院』という別名で呼ばれるようになり、世間の顰蹙ひんしゅくを集め――売れに売れた。

「主人公のサトシがマジでかっこいい。俺もこんな男になりたい」

 という、別な意味で作者が将来をあやぶぶむほどに熱烈なファンレターを貰うようになる。

 事ここに至って、さすがに私もきれた。


 私の処女作を汚したサトシ君には、少々痛い目にあって頂くことにする。

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