12:満月の夜、竜の背に乗って

 丘の上に並んで立つ新菜とトウカの目前に、この世のものとは思えぬほど美しい一頭の竜がいる。


 尻尾を含めた全長は十五メートルほどか。

 満月に照らされて輝く白銀の鱗は、一枚一枚が芸術品のよう。

 四本の指先から伸びた鋭い爪。

 背中に抱いた大きな翼。

 頭頂部には煌く水晶のような角が生えていた。

 頤を軽く上げ、神秘的な七色の光を放つ目で凛然と前を見据えるその姿は気高く、神々しい。


 虹色の瞳を持つ優美な銀竜を、詩人は《月の使者》と呼ぶそうだ。

(月どころじゃない。神の使者よ)

 この竜を狩り、その目を抉ろうとする人間がいるなんてとても信じられない。


 新菜は息もできず、竜に見入っていた。

 人智を越えた大自然の美しさに感動するのにも似ている。

 地平線の彼方から昇る朝陽を見て、深い畏敬の念を覚え、知らず涙するような――身震いするほどに激しい感動。


《どうしたんだ、ぼーっとして》


 頭の中に声が響いて、新菜は忘我の淵から戻った。

 どうやらテレパシーで目前の竜が語り掛けてきたらしい。


 いつもの声と違って聞こえるが、この竜は紛れもなくハクアだ。

 トウカをもふもふする夢を叶えた新菜は、続いてハクアに「一度でいいから竜の姿を見せてくれ」と頼み込んだ。

 手を組んで瞳を潤ませられれば嫌とは言えなかったらしく、ハクアは外に出て新菜の望みを叶えてくれた。 


「ああ、いえ、ごめんなさい。あんまり綺麗で、びっくりしてしまって……想像を遥かに越える美しさです。神様がその手で作ったとしか思えませんね……」

 陶酔して竜を見上げる。

 こちらを見返す竜の目は、闇の中で虹色の光を放っている。

 ハクアの虹色の瞳は満月の夜に強く光り輝く性質があるそうだ。

 こうして暗い外にいるとはっきりわかった。


「……よし、竜バージョンのハクア様の姿はこの目に焼き付けました。では次。本題。触ってもいいですか?」

 新菜は右手を上げた。


《……いいが、あまりべたべた触るなよ。まさぐられて喜ぶ趣味はない》

「はい」

 歩み寄り、そっとハクアに触れる。

 白銀の鱗はひんやりと冷たい。なぞるとざらざらしている。

 未知の感触である。


「おおー。凄い。鱗だ。竜だー本物の竜だー!」

「竜だー」

 トウカと二人してぺたぺた触る。

 触るだけでなく、撫でてみたり、身をぴったり寄せてみたり。

 頬ずりなんかもしちゃったりして。

 ハクアはその間、我慢強く耐えてくれた。


《……もういいか?》

 数分ほどして、沈黙を保っていたハクアが訊いた。


「はい。触るのは満足しました!」

《……触るのは?》

「よくそこに気づいてくださいました! できましたらわたし、背中に乗ってみたいです。空を飛んでみたいです!」

「ぼくも! ぼくも! 久しぶりに乗りたい!」

 トウカが片手を挙げてぴょんぴょん跳ねた。

 動きに合わせて尻尾が上下に揺れる。


「久しぶり? トウカ、乗ったことあるんだ?」

「うん、一ヵ月前に乗せてもらった。ハクアは満月の夜になると身体がうずうずして飛びたくなるんだって」

「………」

 無言でハクアを見つめる。じーっと。


《……わかった。トウカは乗せてやったのにお前を乗せないのは不公平だからな》

「ありがとうございます!!」

 新菜は手を打って喜んだ。


《ちょうどいい機会だ、あいつらにもお前を紹介しておこう》

「あいつら?」

《行けばわかる。乗れ》

 ハクアは地面に腹ばいになった。

 翼も伏せられる。

 なんだかくつろいでいるようで可愛い。


「では失礼して」

 新菜はハクアを蹴らないように気を付けながら、その背中に座った。

 トウカを手招きして、細い腕を掴んで引っ張り上げ、前に乗せる。

 新菜たちが準備を終えると、ハクアは上体を起こした。


《しっかり掴まれ。落ちるなよ》

「はい」

 ハクアの背を挟んだ腿に力を入れる。


「はーい」

 能天気な調子でトウカがそう言った直後、ハクアは翼を力強く羽ばたかせ、飛んだ。

 ぐんぐん高度をあげていき、適当な高度で滑空へと移行する。


「わー!!」

 新菜は歓声をあげた。

 全身に浴びる夜風が気持ち良い。

 上空の澄んだ空気を力いっぱい吸い込めば、胸が浄化されるようだ。

 トウカも目を輝かせて遠い地上を見ている。


 ハクアは神秘の森の上をゆっくり飛んでいた。

 結い上げたポニーテイルが吹き飛ぶのではなく、緩やかになびく程度の滑空速度。

 わざとゆっくり飛んでいるのだろう。背中に乗った新菜たちが楽しめるように。

 トウカと大いに盛り上がっていた新菜だが、急にある危険性に思い当たって顔色を失った。


「ハクア様ハクア様!」

 べちべちと鱗に覆われた肌を叩く。

《連呼しなくても聞いてる。なんだ? トイレか?》

「違います! ハクア様って狙われてるんですよね!? 自分で言っといてなんですが、人気のない森の上とはいえ、堂々と竜になって飛んじゃって大丈夫ですか!? 地上から丸見えですよ、物凄く目立ってますよ!?」

《何をいまさら》

 ハクアの声には呆れがあった。


《心配しなくても、イグニスの領地内なら大丈夫だ。イグニスは無用な混乱を避けるために、領民たちにおれとトウカのことは口外しないよう、固く口止めしてくれている。ついでに言うと、おれがここにいることは国王も知っている》

「ええっ!?」

《イグニスは神秘の森で動植物を採取したり、魔物を排除しているおれの実績を訴え、侯爵家の一員と認めさせたらしい。だから国王命令で軍が動くことはない》

「じゃあ大丈夫ですね、良かった。イグニス様さすがです。良い仕事をされますねえ」

《……ああ》

 何故か一拍の間を置いてハクアはそう言い、降下を始めた。

 ハクアが目標とする着地点には見当がついた。

 目を凝らせば、神秘の森の中に木造の小屋がある。


「ハクア様、あれは?」

《おれと同じく、イグニスに頼まれて神秘の森の管理をしている傭兵団の詰め所だ。詳しい話は下りた後でラオに聞け》

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