ザ・バンディット -未来盗賊たちは、花が咲かない明日を夢見るか?-

束冴噺 -つかさしん-

FILE:01/THE ORDER

 ペンの形に似たプレフィルドタイプの注射器を自分の腕に刺し、イディオットと呼ばれるウィルスを体内に注入する。

 俺はいつもこのとき、花を握り潰すイメージを頭に思い浮かべる。

 フリーズされた花のように、握り潰した俺の手の中で、薄い花弁はパリパリと音を立てながら粉々になる。繊細な飴細工を潰すように、力なんて必要ない。そして手を開いた時には、かつて花だったものが、まるで乾いた砂のように零れ落ち、風に飛ばされ、空の彼方へと消えていく。

 《WIZDAM》と呼ばれる量子コンピュータによって、勝手に決められた未来が、白紙になるように――

【《WIZDAM》:人類の未来を予測する量子コンピュータ。ネーミングには「知恵」を意味する〈WISDOM〉と、「達人」を意味する〈WIZ〉、さらに「堰堤えんてい」を意味する〈DAM〉の三つの意味が込められている】

 俺は空になった注射器を投げ捨てる。

 しばらくすると、体の中心部から高揚感がみなぎってくる。

 多少疲れていても、まだやれるんじゃないかって思いと、多少危険なことでも、大丈夫なんじゃないかって、根拠のない自信と楽観的なテンションが肉体を支配する。イディオットの副作用として、この感覚が一定時間続く。

【イディオット:欺瞞信号発信ウィルス】

 《WIZDAM》によって人類の行動が全て予測され、さらに地上に張り巡らされたライブスキャナと呼ばれるセンサーが、この宇宙の最小単位であると言われている 10のマイナス105乗㎥(プランク長:10のマイナス35乗mの三乗)にまで人間の情報を還元し、24時間、365日、俺たちを監視している。その大容量のコズミックデータはプランクデータと呼ばれ、アンダードームという地下施設にそのデータベースが格納されている。そんな状況下で俺たちが未来盗賊バンディットをやるには、「俺たちは何も悪いことをしていない。むしろ善良な市民だ。オーケー?」という偽の情報データをイディオットを使って発信しなければならない。

 つまりイディオットは、俺たちバンディットがこの完璧な未来管理システムを掻い潜りながら仕事をするために必要なドラッグってわけだ。その副作用のため、イディオット依存症になっている者もいる。俺は実際にそういう奴を知っているが、今は思い出したくない。

 ――俺の体が、大きく揺れた。

 ここは小型輸送機の中。さっきの揺れは、輸送機が方向転換したため起こったものだろう。

 輸送機の全長は10メートルくらいで、鋼鉄でできたクジラのような形状をしている。その中には俺とDAP-H3000と呼ばれる二足歩行の戦闘汎用ロボットが2機いる。DAP-H3000は今のところ2機とも壁のアンカーに固定され、スリープモードになっている。

【DAP-H3000:ディフェンディング・アーミー・プロダクト・ヒューマンタイプの3世代目。二足歩行の自立型戦闘兵器で、状況に応じたカスタマイズが可能で汎用性が高い。基本的な設計仕様はオープンソースとして公開されているため、各メーカーは生産設備さえあれば自由に製造に参入できるソーシャル企画でもある】

 DAP-H3000は身長が3メートル以上もあり、かなり大型だ。しかしこの3世代目は設計仕様のアップデートを重ねた末、手足も長く、スレンダーで、機動力が高い。

 しかもデフォルトの量子思考回路に加え、オプションで最新の戦闘経験データベースを実装しているため、現役の兵士と遜色ない判断を下すことができるし、さらにアンチ・エネルギー・コーティングされた十分な装甲を身に着けているため、盾としても頼もしい。

 ――突然、機内の赤いランプが点滅した。それと同時に、警告音が鳴る。

 そして金属同士が擦れる重々しい音を立てながら、輸送機の後部ハッチが開いた。

 いよいよだ。

 俺は立ち上がり、自分の下半身に装着されたボトムアシストのバッテリーを確認する。充電は十分だ。

 俺は生まれつき足が弱い。だからこれがないと、仕事ができない。

 開いた後部ハッチからは、夜景の中心で鮮やかな紫色に照らされた、ドームスタジアムのコンサート会場が見える。ドームスタジアムの屋根は閉じられ、それはまるで、開花する前のつぼみを連想させた。

 あそこにはクライアントがいて、俺はそいつに盗んだ未来を引き換えに、莫大な報酬を貰う。今回は久しぶりの大型案件だ。ミスするわけにはいかない。絶対に。

「ヘイ、レイニー。状況はどうだ?」

 俺はイアークと呼ばれる耳に装着されたデバイスで、RAリード・アヘッダーのレイニーと通信する。

【イアーク:正式表記はe-ARc:三日月状(アーク状)の形状をした、耳の裏に装着する小型デバイス。通信機能だけでなく、クラウド上に記録されたデータを脳に直接、電気信号で送ることで視界上に投影できるAR(拡張現実)機能や、肉眼からの情報信号を拡張してズームできる機能なども備えている】

RAリード・アヘッダー:《WIZDAM》にハッキングして予測された未来を先読みし、未来を盗む者。一人の才能に依存せず、チームで案件を遂行するバンディットにとって、中核を成すポジション】

「あなたが指定した未来は既にワイルドカードに出力して、TPトランス・ポーターに預けてある」

 イアークの奥で、RAリード・アヘッダーのレイニーがそう答えた。俺より少しキャリアが長い、大人びた女の声だ。

【ワイルドカード:RAリード・アヘッダーが《WIZDAM》にハッキングして盗んだ未来が記録されたカード型のメディア。取引額が大きい大型案件の場合、このワイルドカードを巡って競合のバンディット同士が奪い合うことがある】

TPトランス・ポーターRAリード・アヘッダーが出力したワイルドカードを安全な場所に搬送する者】

 レイニーは続ける。「TPトランス・ポーターには私の先読みリードアヘッドで最も安全な搬送ルートを指示してあるけど、気を付けて。何か、悪い予感がする」

「何だよ、悪い予感って。俺の結婚が遅れるってことか?」

「そうじゃない。TPトランス・ポーターがランデブーポイントに到着した途端、消えたのよ」

「消えたって、何がだよ?」

TPトランス・ポーターの、生命反応よ」

「――何だって?!」

 その直後だった。

 凄まじい爆音と共に、輸送機が大きく揺れた。

 水平だった床が、大きく傾く。

 後部ハッチが開くときとは違う、鼓膜を突き刺すような、不快な警告音。

 ――畜生! 何者かに襲撃された!

「おい! レイニー! どうなってんだ!」

「わからないわ! それより、早くそこから脱出して! 私の計算では、その輸送機はあと32秒後に墜落する!」

「だったら、最善の脱出方法を先読みリードアヘッドしてくれ!」

「ちょっと待って! その計算に少し時間がかかる!」

 クソッタレ! これだから今どきのRAリード・アヘッダーは使えない! だったら、こんな状況くらい即座に対応できるのに!

 俺の元を離れていった奴のことを、今さら言っても仕方がない。

 俺はレイニーを頼るのは諦め、自力で脱出することを試みる。

 機体が開いた後部ハッチの方に大きく傾く。恐らくジャイロセンサーと平衡制御バーナーも壊れたのだろう。機体は傾いた上に、空中でグルグルと回り始める。きっと地上では、三半規管が狂った巨大クジラが暴れているように見えるだろう。

 俺は尻餅をつき、ズルズルと開いた後部ハッチの方に滑っていく。

 このまま開いた後部ハッチから飛び降りようと一瞬考えたが、止める。

 高度はまだ70フィート以上、10階建てのビル以上の高さにいる。今飛び降りれば、いくらボトムアシストを装着しているとは言え、その衝撃をカバーできない。高度が低くなるのを待つにしても、いつこの機体が大爆発するかわからない。いや、それ以前に、俺はここから滑り落ちるだろう。既に俺の膝から下は、後部ハッチから宙ぶらりんの状態だ。クソ! どうすればいい!

 ――そうだ! 俺は閃くと同時に、叫ぶ。

「おい! 起きろお前ら! いつまで寝てんだ!」

 その言葉に反応した2機のDAP-H3000は、スリープモードから目覚め、機動を示すように目が青白く光った。

「もうとっくに出勤時間は過ぎてるぜ! 遅刻した分は報酬から差っ引くから、早く出ろ!」

 その言葉の直後、DAP-H3000を壁に固定していたアンカーが外れた。

 直後、2機のDAP-H3000は一斉に開いた後部ハッチの方へ――つまりは俺の方へ、滑り始めた。

 ――おい待て! 普通、順番に滑ってくるだろ!

 しかしそんなことを今さら思っても遅く、俺は2機まとめて滑ってきたDAP-H3000のうち、一体に蹴り飛ばされる。おかげで、俺はめでたく空中に放り出された。

 強風が下から吹き荒れる感覚の中、俺は落下する。イアークが示す高度は59.347フィート。落ちれば、多分、死ぬ。

「うおおおお!」

 俺はあらん限りの気力を振り絞り、傍で落下するDAP-H3000に手を伸ばす。

 DAP-H3000の腕に、俺の手が触れる。

 イアークが示す高度は38.581フィート。

 俺は何とかDAP-H3000の腕を掴む。それに体を手繰り寄せる。

 イアークが示す高度は22.992フィート。

 地面が急速に近づいてくる。

 このままじゃダメだ。着地した衝撃で、俺はDAP-H3000の腕から振り落とされてしまう。だから何とか、背中まで移動して操縦席に乗り込まないと。自立型汎用兵器のDAP-H3000だが、有人でコントールできるようにすることに加え、負傷者を搬送するストレッチャー代わりとしても、人ひとりが搭乗できるように、背中から斜め上に伸びる操縦席がある。そこに乗り込めれば――

 イアークが示す高度は8.729フィート。

 俺はDAP-H3000の背中で、操縦席のハッチを開くスイッチを押す。

 イアークが示す高度は4.861フィート。

 操縦席のハッチが開く。俺はそこに手を掛ける。あともう少し。あとは俺の腕力で体を操縦席まで持ち上げれば――

 ――イアークが示す高度は0.000フィート――

 ――凄まじい衝撃が走った。

 衝撃は全身を駆け巡り、内臓から髪の毛の先まで響き渡る。

 そして全身を打ちつける痛み。

「……っく!」

 言葉にならない呻き声が口から漏れ出る。

 霞んだ視界には、空中で回転しながら落下する炎上した輸送機の姿と、ドームスタジアムのコンサート会場から打ち上がる花火が見える。そして輸送機は、打ち上がる花火の中でやがて――

 ――轟く爆発音。

 その爆発音は花火の破裂音と重なり、輸送機が赤い花を咲かせるように激しく散る。

 あまりにも激しい爆発によって、輸送機の残骸がこちらまで飛んでくる。しかもかなり大きい鉄辺が、俺に向かって突っ込んでくる。先端が鋭利な刃物のように尖り、時間をも切り裂きそうだ。

 何もできない俺は、咄嗟に目を閉じ、両腕を顔面でクロスさせる。

 さすがに、死ぬかと思った。

 だから目を開くことができなかった。しかしいつまで経っても天使の迎えが来ないと思った俺は、目を開く。

 すると眼前には、静止する鉄辺の尖った先端がほんの数センチ先にあった。

 冷たい汗が、額から毀れる。

 よく見ると、その鉄辺はDAP-H3000が受け止めていた。そんなDAP-H3000は、青白く開く目で俺を見下ろしている。恐らく、指示を待っているのだろう。

「オーケー、サンキュー」

 俺はそう言いながら、その場で何とか立ち上がる。着地寸前まで俺がしがみ付いていたこのDAP-H3000が、多少なりとも衝撃を吸収してくれたようだ。怪我はないし、ボトムアシストも無事だ。「そいつを捨てて、先を急ごうぜ」

 DAP-H3000は俺の指示に従い、鉄辺を捨てる。

「ついでに、俺の邪魔をした奴も、ぶっ潰さねーとな!」

 そうだ。あの輸送機はリースだ。この損失分は、今回の報酬から差っ引かれるとなると、かなり痛い。ぜってー見つけ出して請求してやる!

 TPトランス・ポーターとのランデブーポイントは、ドームスタジアムだ。俺はそこに向かって足を進める。2機のDAP-H3000が、それに続く。コンサート会場まで、ここから歩いて行ける距離だ。

「おい! レイニー! 一体これは何なんだ!」俺はイアーク越しに怒鳴る。怒りが収まらない。「いきなり襲撃されたぞ! おかげで輸送機一機がおじゃんだ! お前の先読みリードアヘッドざるか!」

「そんなわけないわ! 競合のバンディットに案件情報はリークしてない! だからワイルドカードが狙われるわけない! それにC◒H-Iの行動は完璧に予測しているし、現に、いまだに彼らから緊急出動要請は出ていないわ!」レイニーも感情的に返す。

【C◒H-I:Central◒House-INVESTIGATIONの略称。バンディットの取締りをはじめとする、未来管理中央捜査機関】

「緊急出動要請が出ていない?! そんなわけねーだろ! こんな派手な事故を起こしといて! 普通だったら、俺たちはそっこー豚箱行きだ! じゃなかったら――」

 ――ドンッ!

 俺は何かとぶつかった。暗いせいか、レイニーにキレていたせいで前をよく見ていなかったのか、とにかく、顔面に冷たくて硬いものが当たる。ったく、ドームスタジアムまではあと少しだってーのに!

 俺は舌打ちをした後、

「何だよ!」

 と吐き捨ててから前を見据える。するとそこには、女がいた。

「ファンなら、チケットを買ってからにしろ」

 女はそう言った。なんだ? ここの警備員か?

 確かにこいつは女だが、相当デカい。身長が179センチはある俺だが、その俺よりも頭一つ分背が高い。しかもガタイもいい。露出している二の腕は分厚い筋肉の層で覆われ、俺の太もも以上の太さはあるし、足だってまるで馬の後ろ脚のようにしなやかな筋肉を纏っている。黒人であるらしく、肌は少し黒く、髪は緩いウェーブがかかっている。そして特徴的なのが、胸だ。今はボディプロテクターで胸部を覆っているが、その胸の厚みが、決してプロテクターの厚さだけでないことはわかる。その胸に、さっき俺は顔をぶつけたわけなのだが。

 俺はイアークの奥で罵詈雑言を浴びせてくるレイニーの声を一旦ミュートにし、

「俺はファンなんかじゃない。仕事でここに来たんだ」

 と言った。すると女は自分が装着しているイアークと、俺のイアークとを同期させ、俺の身分証と関係者リストを照会し始める。

 身分証データを呼び出されているおかげで、俺の視界に、少し癖毛かかった長い髪、太い眉毛と、少し吊り上がった瞳、アジア人特有の低い鼻……つまり俺の顔と、27歳という年齢などの個人情報が表示される。

「残念だが、我々のスタッフにお前の該当データはない」

 女は冷たく言う。よく見ると、女の腰の両脇には、鞘に刺さった刀が一本ずつ、計二本取り付けられている。装備といい、強靭な肉体といい、警備員にしてはレベルが高すぎる。警備員なんて所詮、ちょっと肥満な男が制服を着て、装備もせいぜい防弾チョッキとライフル一丁くらいだ。

「そりゃそうだ。俺はここのスタッフじゃない」

「じゃあ、誰だ?」

 女が怪訝な視線を俺に向ける。俺は溜息をつき、とりあえずは簡単に、こう自己紹介する。

「俺はショウ=サイレンジ。バンディットだ」

「バンディット? ANアカウント・ネゴシエーターか?」

「そうだ」俺は答える。

ANアカウント・ネゴシエーター:クライアントから依頼を受け、自らのネットワークを駆使し、案件遂行をコーディネイトするバンディットのフロント的役割。クライアントとは案件の難易度や危険性に応じて報酬の交渉を行い、RAリード・アヘッダーTPトランス・ポーターDAディフェンディング・アーミー(護衛)に分配する報酬や予算を決定する権限を有する】

 そのときだった。ドームスタジアムに変化が起きた。

 蕾のような形をしていたドームスタジアムが、開花の映像を早回し再生しているように、花弁の形状をした屋根が少しずつ開き始める。そしてそこから虹のように様々な色が混ざった光が闇に溢れ出すと同時に、凄まじい歓声が夜空に向かって解き放たれた。

 どうやら、ショーの始まりのようだ。

「そろそろ、そこをどいてくれないか?」俺は言う。「クライアントが待ってるんだ。そして大事なものを届けなくちゃならない」

「その大事なものっていうのは、こいつが持っているんじゃないのか?」

 そう言って女は、今まで暗くてよく見えなかったが、女の後ろで倒れていた男の後ろ襟を掴む。そのままそいつを俺の前に引きずり出し、男の顔を俺の目の前に突きつける。

 俺は一瞬、喉が詰まる。同時に、一歩後ずさってしまう。

 なぜなら、その男は死んでいるからだ。

 頸動脈を刀でひと斬り。

 そんな感じだった。頸動脈の位置から、まだ乾いていない夥しい量の鮮血が流れ出している。その血の一滴が、地面に落ちる。

 しかも最悪なことに、その男こそ、俺がアサインしたTPトランス・ポーターだと、イアークの顔認証システムが伝える。

「まずい!」俺は一旦、女に背を向け、イアークの奥にいるレイニーに叫ぶ。「TPトランス・ポーターが殺された! 今すぐ別プランをリードアヘッドできるか!?」

 しかしレイニーの返事を聞く前に、異様な殺気を背後に感じ取った。

 俺は振り返る。するとそこには、女が刀を抜き、俺に斬りかかってくる光景があった。

 咄嗟に、俺は身をかがめる。刃は俺の頭上をかすめ、俺の後ろにいたDAP-H3000の一機が上下真っ二つに斬り裂かれる。

「ふざけんな!」

 俺は叫ぶも、女はもう一本の刀を抜き、再度、俺に斬りかかる。刀は日本刀のように、長く美しい緩やかな曲線を描く刃だった。その刃が、夜の闇の中でおぼろづきのように輝き、電光石火のごとく俺に迫る。

 俺は足がすくみ、動けない。あの美しい刀に魅了され、そして襲い掛かる恐怖に、抗うことができない。その間に、刀は無情にも俺に差し迫る。

 だがそのとき、もう一機のDAP-H3000が俺と女の間に割って入ってくる。直後、DAP-H3000は両手をクロスさせ、アームプロテクターで刀を受け止める。

 おかげで助かった。ここがロボットのいいところだ。人間だったら、絶対にこんな勇敢なことはできない。

 女は剣を受け止めたDAP-H3000としばらく力比べをする。だが女の馬力は凄まじく、二トントラックくらいなら持ち上げられるDAP-H3000でさえ力負けしている。DAP-H3000の足元が、ずるずると後ろに滑り始める。

 しかし優勢だったはずの女は、遠目で何かを確認した後、いきなりDAP-H3000から離れた。

 逃げるのか? と思った次の瞬間だった。

 突然、さっきまで力比べをしていたDAP-H3000の頭部が吹き飛んだ。

 頭部を失ったDAP-H3000は、全身の力が抜けきったように、地面に倒れた。

 この状況を目の当たりにして、俺は悟る。こんなことができるのは、あれしかいない。

 スナイパーだ。

 スナイパーが、どこか遠くに潜んでいる。

 二刀流の刀で接近戦を仕掛けると同時に、スナイパーの射撃で長距離戦にも対応する。

 見える敵に注意を引かせ、見えない敵が仕留める。その逆の、見えない敵で戸惑わせ、その隙に見える敵が仕留める。どちらもできる。そしてどちらで来るのか、正直、狙われた方は全くわからない。それがこいつらの戦術だ。わかることがあるとすれば、こいつらは、スペシャルだということ。

 じゃあ、俺がとるべき行動は、ただ一つだ。つまり……

 今すぐ逃げる!

 俺はすくんだ足を奮い立たせ、走る。

「レイニー! はやく別プランを用意しろ!」

「私のリードアヘディングは笊だけど、いいの?」

 俺の口から舌打ちが漏れる。こんな時に嫌味かよ!

「いいから未来さきを読め! このままだとこの案件は失敗して、お前の報酬も無しだぞ!」

「わかりました」

 素っ気ないレイニーの返事の後、数秒後にPlan_Bと書かれたファイルがイアークを経由して送信され、俺の視界に表示される。俺は即座に解凍パスワードを入力し、ファイルを開く。それにはワイルドカードの位置とその回収方法、そしてクライアントと合流するまでの俺のとるべき行動が、秒単位でシミュレーションされている。

 ファイルには“スペシャルな奴ら”の情報は無かったが、俺が特注したボトムアシストのおかげで、奴らは俺の速さについてこれないらしい。

 レイニーのリードアヘディングによれば、比較的警備が手薄でここから近い搬入口からの侵入が示されている。俺はそれに従う。しかし搬入口付近には警備員や関係者スタッフがいて、簡単に入れそうにない。

 だが問題ない。レイニーは現場にいる警備員とスタッフ全員のイアークにハッキングを仕掛け、俺のIDを関係者スタッフとして認識させることで搬入口を簡単にスルーする。

 次はワイルドカードの回収だ。

「ちょっと大変かもよ」イアーク越しで、レイニーが言う。

「どういうことだ?」

 レイニーはライブスキャナのデータからTPトランス・ポーターの行動履歴を調べ、ワイルドカードの位置を特定する。TPトランス・ポーターは殺されてしまったが、彼はさっきのスペシャルな奴らに襲撃を受けた際、案件を遂行するためにワイルドカードをこのコンサート会場内に隠したらしい。命がけで職務を全うしてくれたことは非常に素晴らしいし、感謝しきれない。

 ただ、ワイルドカードを隠した場所ってのが、問題だった。

 俺は搬入口からコンサートのアリーナ会場に入る。

 会場は人で埋め尽くされ、ステージ上で歌うひとりの歌姫に熱狂している。歌姫は歌いながら観客に向かって星を次々と投げていく。星は100メートル離れていようが200メートル離れていようが、重力の影響を全く受けずに真っ直ぐ飛んでいく。

 それもそのはずだ。あの星は、イアークを経由して視界に表示されるただのAR(拡張現実)だ。

 その星は俺にも飛んでくるが、無視する。それよりも、ワイルドカードだ。

 俺は見上げる。

 屋根が開放し、夜空に晒されているこのコンサート会場中では、ここの様子を撮影し、中継しているドローンがいくつも飛び回っている。ドローンと言っても、その姿は身長10センチ程度の、羽の生えた妖精の姿をしている。ヒラヒラが多い過剰装飾された服を着ており、はっきり言って、俺は趣味がいいとは思えない。

 その中の一体に、透明なカードを両手で抱えている妖精がいた。

 その透明なカードこそ、俺が探していたワイルドカードだ。

 この妖精は撮影ドローンとしての“役割”のほかに、落し物の回収という“役割”も付与プレゼンテッドされているのだろう。だからこのコンサートが終われば、あのワイルドカードは回収され、内容が調べられ、盗まれた未来が記録されていることがバレて、戻ってくることは二度とない。そうなる前に、俺はあの空飛ぶ妖精からワイルドカードを奪い取らなければならない。言うのは簡単だが、俺は空を飛べない。ボトムアシストの出力を上げてジャンプしても、はえのように小回りが利く飛翔物を、遠距離からのジャンプで捕まえることは、難しそうだ。

 レイニーが言っていた「ちょっと大変かもよ」という言葉の意味を、俺は今になって理解した。

「まあ、女子トイレに隠すよりかは、マシかもな」

 歌っていた曲が終わり、次の曲が流れ始める。さっきよりもアップテンポな曲調で、会場のボルテージがさらに上がる。そして空中からは、円盤型のドローンに乗った女性ダンサーたちが数人現れた。ダンサーは赤い色のセパレートの衣装を着て、長い肢体を激しく動かしながら優雅に踊り、適度に鍛えられた腹筋が美しい。しかもそのダンサーたちは、イアークのARエフェクトじゃない。生の人間だ。

 勢いよく飛び跳ねる観客たちを掻き分けながら、俺はその中を進む。

 策はある。そのためのレイニーだ。

 あいつのリードアヘッドの予測に従いながら進んでいくと、調度俺の頭上に、円盤型ドローンに乗ったダンサーが通り過ぎようとしていた。

 アレだ。まずはアレに飛び移ればいい。

 レイニーがダンサーの空中軌道を予測し、俺が飛び移れる位置にまで誘導したのだ。

 そして俺はボトムアシストの力を借りて、大きくジャンプする。

 地上から2、3メートル飛ぶくらいのことは簡単だ。その脚力を活かし、ダンサーが乗った円盤型ドローンに飛び移る。

 その瞬間、会場がざわめく。目の前にいるダンサーも、恐怖と戸惑いに満ちた顔で俺を睨む。まあ、当たり前だな。

 だから俺は目の前にいるダンサーの手を取り、曲に合わせてステップを踏む。

 俺は踊りなんて得意じゃない。でも踊りの仕方ならわかる。なぜならレイニーがシミュレートしたダンスプログラムがイアークを経由して脳のシナプス信号に変換され、その信号が俺の脳に届くことで、俺の体が勝手に動くからだ。おかげで会場のざわめきは収まり、むしろ演出の一つだと勘違いし、盛り上がる。さっきまで酷い顔で俺を睨んでいたダンサーも、いつの間にか笑顔で楽しんでいる。

「あなた、誰なの? サプライズゲスト?」ダンサーが踊りながら俺の耳元で囁く。

「そんな大そうな者じゃないさ」ステップを踏みながら、俺もダンサーの耳元で囁き、返事をする。「ただの、通りすがりだよ」

「それにしては、ダンスがお上手ね」

「君の美しさに感動して、一緒に踊りたくなったんだ。だから練習したよ。猛烈にね」

「嬉しいこと。でも美しさじゃ、ステージで歌っているお姫様には適わないでしょ?」

「そんなことないさ。君は美しいよ。とってもね」

 そして曲が終わった。ダンサーは体を大きく反りながら倒れ、俺はその背中を支えることで曲のフィニッシュを迎えた。

 調度そのときだ。フィニッシュの瞬間を撮影しに来た妖精型ドローンが、俺たちに近寄ってくる。その妖精は、ワイルドカードを抱えている。これもレイニーのリードアヘディングの予測通りだ。

「サイコーだったよ。マジで」

 俺はダンサーにそれだけを言い残し、次の瞬間、ワイルドカードを抱えている妖精に向かってジャンプする。この距離なら、捕まえられる。

 その自信を証明するかのように、俺は妖精を両手でキャッチした。

 そしてそのまま二階席の客席に飛び込む。

 観客たちは飛び込んでくる俺を避けるように、円状に広がって逃げる。だから俺は誰からも受け止められることなく、できた円の中心に落ちる。おかげで肩を強く打った。だけどワイルドカードを持った妖精だけは、決して離さなかった。

 俺は痛みを我慢しながら立ち上がり、妖精が抱えているワイルドカードを回収する。妖精はただの撮影ドローンだから、表情は特にない。だが人の形をしているが故、何とも言えない哀愁があるような気がしてならなかった。だから俺は、妖精をそっと、優しく空に離してやった。妖精は俺に振り返ることもなく夜空に消えていった。それを見届けてから、俺はクライアントに会うために観客席アリーナを後にした。


 観客席アリーナを抜け出し、クライアントがいる楽屋へと向かう。

 楽屋の前には、一人の執事が立っていて、俺はそいつに声を掛けられた。

「お待ちしておりましたよ。ザ・バンディット」

 その執事は細身で長身だからタキシードがよく似合う。歳は俺より少し若く、25歳くらいだろう。顔も小さく、髪の毛もサラサラで、中性的な顔立ちをしている。それだけならいいのだが、ひとつだけ、怪しい個性がある。それは仮面だ。

 縦半分に割れたピエロの笑った仮面の片方を、俺から見て左側に被っているのだ。

 俺はその強烈な個性にツッコミを入れた方がいいのか迷ったが、結局はその個性を尊重し、触れずにおくことにした。

「あんたは突然、俺に斬りかかってくるってことはないよな?」

 俺の嫌味の意味を即座に理解したのか、執事はわざとらしい笑みを浮かべながら、

「もちろんですよ」と顔を迫らせて言う。「私は、あなたの味方です」

 どうだか。それより顔が近い。

「どうでもいいが、はやく取引を始めたい」俺は執事からは顔を離し、言った。

「わかりました。ではこちらへ」

 執事は楽屋の前に立つ。すると執事の足元の床が、緑色に光る。地面に張り巡らされたライブスキャナと同期し、執事のプランクデータを読み取っているのだろう。そして執事のプランク認証が完了すると、楽屋のロックが解除され、扉が自動スライドで開く。

「どうぞ。お入りください」

 一瞬、躊躇う俺だが、執事に促されて入る。

 するとそこには、王室が広がっていた。

 いや待て、ここは楽屋だ。このコンサートの主役である歌姫様の。

 広さは何十畳あるだろうか? 室内には豪華なシャンデリアがいくつも天井にぶらさがり、まるで神殿にありそうな豪華な彫刻が施された祭壇、壁のビジョンには古典的な絵画がいくつも映し出され、天井のビジョンには遥か高い天井を映し出すことで視覚的な広さを演出している。

「あなたが、ショウ=サイレンジでよろしかったかしら?」

 まるで王室にあるような、背もたれが高く、脚やひじ掛けにも豪華な装飾を施された椅子に、少女が座っている。そしてその少女が、俺の名前を確かめた。

 少女は緩いウェーブがかかった灰色のロングヘアで、目じりが少し下がった大きな瞳が、小動物のような安心感を与える。顔は小さく、小鼻。セーラー服をモチーフにした衣装に、首に大きなリボンが付いている。そしてスカートは、紫色のグラデーションが施された花弁をモチーフにしたデザインだ。ちなみにこの紫色は、彼女のトレードカラーだ。

「さようでございます。ニゲラお嬢様」

 俺はそう言って、小さくお礼をする。その言葉の後、少女は入念に観察する生物学者のように、俺の体を隅々まで視線で舐め回し、顔のパーツは一つひとつ丁寧にインプットするかのように見つめた。

 こんな俺を見ながら何を考えているのか、しばらく黙った後、

「お嬢様は不要だ。ニゲラでいい」

 と少女は言った。

 少女と言っても、見た目だけの話だ。見た目は17歳かそこらだが、彼女はニゲラと呼ばれ、かれこれ160年以上も歳をとっていない世界の歌姫、尚且つ、Central◒Houseが運営するHCPP:ホスト・コミュニケーション・プラットフォーム・パーソナリティ、要するに、この世界の精神的思想的支柱的【人格】でもある。

 半永久的に消費され続けている偶像と言えばいいのかもしれない。

 人々の“好み”を《WIZDAM》が収集、分析し、その結果、共感を最大公約数化されたビジュアルに常に最適化され続けている存在。それは宇宙の最小単位であるプランク単位:10のマイナス105乗㎥にまで情報が還元されてしまったこの時代において、人間もまたプランク単位に分解、管理され、そのプランクデータを量子単位で再構築し、万物共通の法則とされている量子アニーリングと呼ばれる最適化アルゴリズムによって未来が予測されているが、ニゲラの場合、それに加えて誰もが〟好き〟になれるように、大衆の嗜好傾向からシミュレーションされた結果をもとに、肉体をも出力できる3Dプリンタによってボディリメイクを常に行い、ビジュアルの最適化が繰り返されている。

 情報化社会が行き着く所まで行き着き、《WIZDAM》によって人類の行動が完璧なまでに予測さてしまい、さらにはプレゼンテッド・ロールという形でその人の適性に合った労働が自動分配されてしまっているこの時代、言い換えれば「人類の運命は既に決まっている」という冷酷な真実を突きつける結果となってしまった。

 しかしその真実はネガティブなことではなく、むしろ素晴らしいことであり、かつてのように自由意思に翻弄されて戦争や犯罪を繰り返すのではなく、個人に最適化されたプレゼンテッド・ロールを全うすることこそが最大の生き甲斐であり、人類の幸福であると訴求し、精神的安定を世界に供給するのが、この永遠に歳を取らないニゲラの“役割プレゼンテッド・ロール”なのだ。そして彼女こそが、今回のクライアントだ。俺は執事を経由して案件の発注を貰い、今日、この取引に挑んでいる。

【ニゲラ:世界に精神的安定を供給するHCPP:ホスト・コミュニケーション・プラットフォーム・パーソナリティ。ネーミングのニゲラは、「未来」の花言葉を持つNigellaニゲラから由来している】

【Central◒House:全人類の行動を一元管理し、統治する世界最大のグローバル企業。《WIZDAM》を開発、運営している企業でもあり、ニゲラの運用も手掛けている】

【プレゼンテッド・ロール:個人のプランクデータを《WIZDAM》が分析し、適性にあった労働を最適な量で個人に配分するシステム】

 とは言え、枯れない花ほど、目障りなものはない。

 俺のような未来盗賊バンディットにとって、永遠に咲く花は、永遠なる平穏で退屈な未来が義務付けられているようで、胸糞悪い。造花だって、いつかは腐食し、枯れる。生命だって、運命だけに縛られていない。それが自然だ。それがこの宇宙セカイの原理だ。

「ここのセキュリティの教育がよかったおかげで、こちらの貴重なDAP2機が犠牲になった」

「それはごめんなさい」俺の嫌味に、ニゲラは答える。「極秘案件だから、あの子たちには情報を共有していなかったの。悪く思わないで。その代り、損失分は今回の請求分に上乗せして構わないわ」

 DAP-H3000だけならまだいいが、こっちはトランス・ポーターひとり、命を失っているんだぞ。

「それはありがたい。俺も、今日からあんたのファンになれそうだ」

 皮肉を込めて、そう言ってやった。

 だがそれを掻き消すかのように、凄まじい歓声が壁と天井を突き抜けてくる。

「あまり時間がありません。私のステージを待っている人が大勢います。迅速に取引を済ませてもらえるかしら」

 ニゲラの口調からは、見た目の幼さからは想像ができないほど、何事にも動じない、達観した波長が感じられる。伊達だてに160年以上も生きていないということか。

 俺は盗んだ未来が記録された透明なワイルドカードをテーブルの上に置く。一瞬、執事が全身を力ませた気がしたが、気のせいだろう。テーブルに置いた後、ワイルドカードから文字がホログラムとなって宙に浮かび上がる。そこには、こう書かれている。

 ―ニゲラが最後に咲かせる花は、何か?―

 それこそが今回の取引の商材であり、俺たちが盗んだ未来だ。

 中身については、よく知らない。中身は暗号化されているし、今の技術じゃ解凍できない。タイトルも意味不明だ。普段盗むものは、企業が求める競合の将来のテクノロジーや商品アイデアだったり、内容を完璧に把握した上で取引に挑む。そうじゃないと、盗んだ未来の価値も査定できないし、交渉もできない。しかし今回は執事から指定された《WIZDAM》のアクセスコードをもとに、数千年後の未来の一部を抜き取ったに過ぎない。ただ俺が気になるのは、これがニゲラの未来であるとすれば、彼女はあと数千年もHCPPを続けていくということになるんじゃないか、ということだ。だとすれば、途方もない未来が彼女を待ち受けていることになる。それは、幸せなことなんだろうか、と思う。

 ニゲラは宙に浮かぶホログラムの文字をしばらく見つめた後、

「さすがね。かつて“クールロデオ”と呼ばれていた男だけはある」と言った。

「よく、俺のジャックネームをご存じで」俺は小さく礼をする。「あなたのようなお方は、バンディットなんかに関心が無いと思っておりましたから」

 ちなみに“ジャックネーム”とは、バンディット業界で名をはせた者に与えられる称号みたいなもんだ。と言っても、アングラな業界だから、公式なものじゃない。みんなが勝手にそう呼んでただけだ。ジャックネーム以外の称号には業界ナンバー1を示す“キングネーム”、凄ウデ女プレーヤーを示す“クイーンネーム”があり、ワイルドカード=ジョーカーをはじめ、この業界はトランプのカードに例えられることが多い。

「バンディットは好きではないわ」ニゲラが言う。「ただ、切っても切れない関係があるの。いろいろとね」

 確かにそうだ。ニゲラを運用するCentral◒Houseは、俺たちを取り締まるC◒H-Iを子会社に持っている。だから好きじゃないし、切っても切れない関係がある。その通りだ。

 しかし解せないのは、そんなCentral◒Houseグループが排除したがっている、いわば悪であるバンディットに、なぜ今回ニゲラが依頼したのかってことだ。それは言い換えれば、組織への裏切りだ。いや、組織だけじゃなくて、世界への裏切りだ。バレてスキャンダルにでもなったら、この地球上に居場所がなくなり、土星や金星に移り住まなくちゃならないほど、世界の嫌われ者になる。

 そんな危ない橋を渡ってまで、手に入れたい未来ってのは、一体何なのか? 真相はわからない。

 とにかく俺は、大金が貰えれば、それでいい。

「で、おいくらかしら?」沈黙の後、ニゲラが言った。

「そこにいらっしゃる執事様のご指定されたご予算が10億LTMでしたが、今回の損失分を加算して10.5億LTMになります」

【LTM:ライフ・タイム・マネーの略称。この時代における全世界共通の通貨単位。LTMは左の掌に表示することができ、決算はLTMリーダーに左手を翳すだけ簡単にできる仕組み】

「損失分の上乗せ計上が少し高い気もするけど、まぁいいわ。あまり時間もないことだし」

 ホント、性格のいい歌姫様だこと。

「ありがとうございます。それではこの契約書にサインをお願いします」

 俺はイアークを通じてプライベートフォルダーから契約書データを視界上に呼び出し、それをニゲラに向かってスワイプする。契約書はニゲラの眼前で静止する。

「そして振込先口座はこちらになりますので、本日より3営業日以内にお振込みをお願いしま――」

 そのときだ。突然、天井が割れた。

 遥か高い天井をビジョンに映し出していたから、突然、空間自体が破裂したかのような錯覚を覚えた。そして破裂した空間から、人が飛び出してきた。

 そいつはワイルドカードが置かれたテーブルの上に着地するも、着地の衝撃が凄まじすぎて、テーブルが半分に割れた。瓦礫が頭上から降り注ぎ、灰色の粉塵が舞う。

「何事だ!」

 そう言ったのは、俺じゃない。楽屋の扉を蹴り開けて入ってきた、少女だった。赤茶色の髪の毛をポニーテイルにして束ねた、灰色の大きな瞳が可愛らしい、小柄なモスクワ系の少女。多分、15か16歳くらいだろう。そんな少女には似つかわしくない大きなスナイパーライフルを、彼女は突然天井から現れた人影に向かって構える。

 すると人影は、後ろの腰に仕舞われていた二刀の巨大な剣、刃長は約1メートル、刃幅は20センチはありそうな、包丁をそのままデカくしたような剣を抜き、その大袈裟な刃で少女に向かって斬りかかる。

「カンナ! 下がれ!」

 その叫びと同時に、剣を受け止める者がいた。それはここに来る前に、俺に斬りかかった黒人のデカい女だ。彼女もまた、二つの刀を抜き、巨大な剣を受け止める。

 よく見ると、天井から現れた者もまた、少女だった。だが、カンナと呼ばれた少女のスナイパーよりもさらに小柄で華奢で、かなりスレンダーな体をしている。小さな顔で、長い金髪はツインテイルにして束ねている。どんな顔をしているのかと覗きたいところだが、わからない。彼女の瞳は、黒い戦闘用ゴーグルで隠されている。

 色白な肩と太ももは露出しているが、胸部に薄いプロテクトアーマーを付けている他、アームアシスト、ボトムアシストが装着されている。しかし、かなり軽量化されているのか、どのパーツもかなりスリムで、配線も最小限ですっきりとして動きやすそうだ。それだけじゃない。彼女が最も特徴的なのは、耳と尻尾だ。

 髪をツインテイルに束ねている箇所から、猫耳のようなアンテナが伸びている。そして尾骶骨あたりから伸びる、細くて長い尻尾。

 黒を基調としたスリムなアサルトスーツに、取り付けられた猫耳と尻尾と二刀の剣。

 こいつにいい名前を付けるとしたら、“猫忍者”しかないと思う。

「シオン姉ちゃん! 加勢するよ!」

 カンナが叫び、猫忍者に再度、スナイパーライフルを構える。強靭な筋肉を纏った黒人の女――シオンと呼ばれた女でさえ、フルアシストのアサルトスーツを身に纏った小さな猫忍者に、力だけでなく、テクニックにまで圧倒されている。シオンが振り下ろす刀は尽く、簡単に打ち返され、そして俊敏な動きで躱されていく。その俊敏さ故、カンナはスナイパーライフルの照準を合わせられないでいる。

 猫忍者の動きは完璧だ。刀がどこから振り下ろされるのか、スナイパーライフルの照準はどこでロックオンするのか、わかっているかのように。

 ――いや、猫忍者は実際に、わかっている。未来を、知っている。

 ということは、猫忍者は俺たちと一緒の存在だ。つまり彼女もまた、バンディットだ。

 そしてカンナが猫忍者にようやく照準を合わせられた、その瞬間だった。

 猫忍者は尻尾の先端を床に押し当て、そのまま尻尾を支えにして体を浮かせ、両足で思いっきりシオンを蹴り飛ばす。シオンはまるで重力から解き放たれたように、簡単に宙に飛ばされ、その体はカンナに向かう。

 長距離用のスナイパーライフルで照準を合わせていたカンナにとって、いきなり目の前に迫ってくる物体に対して対処できない。だからカンナは、自分の顔面にシオンのケツがぶち当たり、二人は床に倒れてしまう。

 その隙に猫忍者は両足で着地。ワイルドカードを尻尾の先で拾う。尻尾の先が吸盤になっているのか、よくわからないが、ワイルドカードは尻尾の先に吸い付く。それを自身の口元に持っていき、猫忍者はそれを咥える。

 そして俺を一瞥した。

 俺は思わず銃を抜き、猫忍者に向かって構える。でも、トリガーにかかる指が動かない。アサルトスーツの中身は少女だ。だから俺は、銃のトリガーを引くことを躊躇っている。

 そんな俺の結論を待つことなんかもちろんしない猫忍者は、両脇を広げ、二刀の剣の刃先を下になるように垂直に持ち、それを床に突き刺す。それから体をひねり、バレリーナのように片足立ちで一回転する。そして回転し終わったと同時に、猫忍者の足元が抜けた。

 床が円状に切り抜かれ、それと一緒に猫忍者も落下する。

 俺は追いかけようと円状に切り抜かれた床を覗き込む。が、そこには闇しかなく、既に猫忍者の姿は見えない。俺は自分の歯が割れるんじゃないかってくらい、奥歯を噛みしめる。

「畜生!」

 叫ぶついでに、床に転がっている瓦礫を思いっきり蹴り飛ばす。怒りが抑えられない。そして自分の情けなさに、耐えられない。

 ワイルドカードが、盗まれた!

 ワイルドカードを狙う同業者は多い。それは案件の難易度が高ければ高いほど、報酬が多ければ多いほど、手柄を横取りしようとする奴らが現れる。今回の案件は別格だ。クライアントはあのニゲラで、これまで盗んできた未来の中で最も機密性が高い。クソ! 俺としたことが!

「悔しがっている暇があったら、追いかけたらどうなの?」

 呆れた。そう言わんばかりの大きな溜息をつきながら、ニゲラは言った。

 それから椅子から立ち上がり、2メートルはあるだろう姿見の鏡に向かう。ただの鏡だと思っていたが、違うようだ。鏡に映っているのは、確かにニゲラだが、同じ姿ではない。実際のニゲラはセーラー服をモチーフにした衣装を身に纏っているが、鏡の中のニゲラは、まるで中世の竜騎士のような鎧を身に纏い、手にはスピアーが握られている。そしてニゲラはその鏡に向かって足を止めることなく進み、何と、鏡を潜った。

 鏡は物体ではなくホログラムだったようで、簡単にすり抜けた。それだけでも十分サプライズなのだが、それだけで終わらないのが、世界の歌姫であるニゲラなのだ。

 鏡を潜った後、まさかニゲラの衣装が、さっきまで鏡に映っていた竜騎士の衣装に変わっていたのだ。

「ヘイ、マジックショーなら楽屋でやらずに、ステージでやったらどうだ?」

「これはマジックショーではない。3Dプリンタを応用した、ただの着替え装置よ」

 ニゲラが答えた。なるほどね。びっくりさせんなよ。

「それより、早くワイルドカードを回収しなさい。あれが他者にわたるのは、好ましいことじゃない。むしろ、事態は深刻になる」

「というと?」

「あれが他者にわたれば、少なくとも、私はあなたを始末しなくちゃならない。それくらいの重要機密未来事項が記録されている」

「まさか。こんな可愛らしい歌姫様が、そんな物騒なことを――」

 俺が喋り終わるのを待たずに、ニゲラはスピアーの刃先を俺に突きつける。刃先は、俺の眉間に今にも当たりそうだ。

「言っておくけど、これは冗談じゃない」

「……お、オーケー、わかった」俺は後ずさりして、スピアーから離れる。

 すると俺から離れたニゲラのスピアーの刃先は、今度は床で尻餅をつく二人の女たちに向けられた。

「シオン、カンナ。まだ休憩の時間じゃないわよ。この間抜けな未来盗賊のケツ拭きがまだ残っている」

 ったく、お上品な口をきく歌姫様だ。メディアで流通しているニゲラのイメージが、いかに嘘かってことを思い知らされる。今ここにメディアの人間がいれば、確実にスクープが取れるのに。「世界の歌姫の正体、ここに暴かれる」ってな。

 ニゲラの言葉で奮起したシオンとカンナは立ち上がる。そのとき、カンナだけはわざと俺に聞こえるように舌打ちをした。

「さっきの奴は地下駐車場に逃げ込んだはずよ。ショーが終わるまでにワイルドカードを回収しなさい。それまでは特別に、あの子たちの力を貸してあげる」そう言ってニゲラはスピアーをおろし、俺に背を向けて歩き出した。

「ちょっと待て! 今さっき、襲撃を受けたんだぞ! こんな状況で、まだショーを続けるつもりか!」

 するとニゲラは振り返り、

「客が待っている。歌わない理由がないでしょ?」と、さも当然といった具合で言った。

 全く、とんだ顧客第一主義な歌姫様だぜ。


 /

「言っておくが、私はお前を信用したわけではない」

 俺とシオンの二人は、走って地下駐車場に向かっている。その途中、シオンはそう言った。

 その台詞を、俺はそのままそっくり返してやりたい。ドームスタジアムに入る前、恐らくカンナというガキが狙撃ライフルで輸送機を破壊し、シオンはTPトランス・ポーターを始末し、挙句の果てに俺に斬りかかってきたんだ。

 まあいい。こんな奴を頼りにするよりも、バンディットのやり方でカタをつけてやるさ。

「ヘイ! レイニー! 聞こえるか!」

 そうさ。RAリード・アヘッダーで未来を先読みすれば、わざわざこんなデカ女の力を借りずに済む。そう思ったんだが――

「――――」レイニーからの応答がない。急に、胸がざわつく俺。

「レイニー? おいレイニー! 応答しろ!」

 するとノイズに紛れて、レイニーの応答が、微かに聞こえた。上手く聞き取れなかったが、多分、こう言ったと思う。

「……ショウ……の案件は……り危険。だから……手を引い……じゃないと――きゃあ――■■■!」

 レイニーの悲鳴と共に、通信はそこで途切れた。次の瞬間、高熱のビーム弾が俺の頬を霞めた。

「分散しろ!」

 シオンは叫んだ。それと同時に、俺はシオンに突き飛ばされ、尻餅をついてしまう。

 ヒリついた頬をぬぐうと、血が滲んでいる。しかし血が滲んだ手も、すぐに見えなくなる。

 天井の照明が、次々とビーム銃で破壊され、光が失われていくからだ。犯人は、猫忍者に違いない。

 俺はイアークを使って脳の視界情報を暗視モードに切り替える。闇から緑色のオブジェクトが薄っすらと浮かび上がる。

 猫忍者とのタイマンはデカ女のシオンに任せるとして、俺は一応、突貫で構築した作戦行動をとることにする。

 シオンはEXITと書かれた駐車場のゲート前に先回りし、そこで二つの刀を抜く。

 刃にエネルギーがチャージされたシオンの刀は、眩しいくらいに光り、イアークで視界を暗視モードにしなくても、恐らく視認することができるだろう。

 そして向こうで轟く、バイクのエンジン音。威嚇するように、闇の奥で、猫忍者は何度もバイクのエンジンを吹かす。もちろん、そんな威嚇にシオンは動じない。むしろかかって来いと言わんばかりの表情だ。

 その挑発に乗った猫忍者は、バイクのアクセルを踏む。超電導技術を応用したホバークラフトタイプの大型バイクが闇から飛び出す。それがシオンに向かって突っ込んでいく。

 しかしそれに動じないシオンは、真正面から斬りかかっていく。あのバイクを刀で真っ二つに切り裂くつもりだろうか? まったく、クレイジーな女だよ。

 だがシオンの行動を予測していたのか、バイクの先端を持ち上げ、ウィリー走行に切り替える――いや違う。先端を持ち上げただけじゃなく、そのままバイクを縦に回転させた。

 そして真っ逆さまになったバイクの運転席から、二刀の太い剣を抜いた猫忍者が現れる。それを、シオンは頭上で迎え撃つ。

 お互いの剣と刀にチャージされたエネルギーがぶつかり合い、激しい火花が闇の中にとっ散らかる。

 ところが、空中でアサルトスーツのアシスト能力を発揮できない猫忍者は、今回ばかりはシオンに力負けしてしまう。馬の後ろ脚のような筋肉で覆われたシオンの太ももが、凄まじい力で地面を蹴り、その勢いの全てを二つの刀に込める。

 その結果、バイクに乗った猫忍者は、打ち返された野球ボールのように跳ね返る。

 アシストなしで、これほどまでの身体能力を発揮するシオンという女は、化け物と言わざるを得ない。それがニゲラの命を預かる者ということなのだろうか?

 それはいいとして、猫忍者が観念したわけじゃない。

 シオンに打ち返されたとは言え、そのままホームランにはならず、空中でうまくバイクのバランスを整え、着地する。

 そして出口からの――つまりは正規ルートからの脱出は諦め、さっきとは逆方向に向かって疾走し始める。

 そこまで見届けてから、俺は駐車してある、誰のものかもわからないバイクに跨り、ロックを解除し、エンジンを吹かす。いわゆる、バイク泥棒ってやつだ。未来を盗むためには、時としていろんなものを盗まなくちゃならない。そういうことだ。

 俺はホバークラフトのバイクをシオンの元にまで滑らせる。

「乗れよ」俺はシオンの近くでバイクを停め、言った。

 それに対し、シオンは無言のまま、刀を仕舞い、後部座席に乗った。浮遊したバイクが、少しだけ沈む。

 まあ、ここまでは作戦通りだ。

 今頃待機しているカンナの狙撃ポイントに、猫忍者を誘導する。そしてそこで交戦している間に、俺はワイルドカードを奪う。それが今回の突貫で構築した作戦だ。しかし、困ったことが一つだけある。

 カンナの狙撃ポイントというのが、ニゲラのステージだということだ。

 俺は小さな溜息をついた後、バイクを走らせ、猫忍者を追う。


「パーフェクト・トゥモロー! YEAH!」

 ステージ上から、ニゲラがそう叫ぶ声が聞こえる。

 パーフェクト・トゥモロー、それこそが人類の未来を管理するシステムの名称だ。

 完璧な明日――完璧な未来を生きる……はっ、大そうな名前を付けたもんだ。笑えるよ。Central◒Houseの自尊心がオブラートに包まれずに、直球でつけられたネーミング。これを考えた奴は、相当、いいセンスをしている。

 そもそも、人類の未来を管理し、平和を構築しようという馬鹿げた考え(アイデア)の発端は、今から250年以上も前の西暦2130年頃にまで遡る。まだ“国”と呼ばれるコミュニティ単位が存在し、世界に散らばるその国たちが戦争を繰り広げていた頃だ。

 戦争と言っても、血生臭いもんじゃない。戦うのは人間でもアンドロイドでもない。量子コンピュータだった。ルールはとってもシンプルで、各国は自国で開発した量子コンピュータで、自国が所有している人口と資源をいかに有効活用し、いかに効率的に軍事力を高めていくかをシミュレーションする。そして各国は自国の量子コンピュータ同士を連結させ、戦争の結果をシミュレーションする。

 とってもバーチャルで、とってもクリーンな戦争だ。血なんて、一滴も流れやしない。

 量子シミュレーション戦争――この戦争を、今ではそう呼んでいる。

 量子シミュレーション戦争に勝つためには、事前にプログラムする自国の人口と資源も重要ではあるが、量子コンピュータのスペックも大きく関係する。なぜなら、相手国の量子コンピュータと連結されたときに、相手国よりも早く未来さきを予測し、的確な戦略と戦術を組み立てなければならないからだ。

 そうやって繰り広げられた戦争も、終焉を迎える。それは当時、アメリカ合衆国が開発した量子コンピュータが、どの国のシミュレーション結果をも凌駕し、勝利宣言と共に、終戦を宣言したからだ。と同時に、アメリカ式の経済と倫理、道徳をグローバルスタンダードにすることも、高らかに宣言した。

 最も効率的で、最も優秀な未来をシミュレーションできる国こそ、世界をリードするべきだと。

 当時のアメリカ合衆国は出口の見えない不況に雁字搦がんじがらめにされていたこともあり、国際的な信用も経済的影響力も低下し、GDPは中華人民共和国やインド共和国に抜かれていた。だから一度失った覇権を取り戻そうと、量子シミュレーション戦争に躍起になって取り組み、この勝利を強引に捥ぎ取った。

 もちろん、それを面白いと思わない国は多かった。国だけじゃなく、個人もだ。こんな二番手、三番手に落ちた国に、なぜ従わなくちゃならない?

 だから、テロが起きた。

 ホワイトハウスがあるワシントンD.C.でブラックホール爆弾が爆発したのだ。

 このブラックホール爆弾の仕組みについては、プランクメモリの原理が応用……というか、悪用された。

 プランクメモリの開発は当時から試験的に行われてきた。この宇宙の最小記録単位は、1プランク(10のマイナス105乗㎥あたり)1ビット、空間10のマイナス105乗㎥にエネルギーが発生しているか(空間が振動しているか)【1】、発生していないか(空間が振動していないか)【0】にまで還元できる。もしそれを超過する情報量を記録しようとすると、空間自体が情報過多に陥り、重力崩壊が発生する、つまり、ブラックホールが発生する。この原理がブラックホール爆弾に悪用されたわけなのだが、現在、普及している3Dプリンタだって、プランク単位で出力が可能だ。もしそれで1プランク1ビット以上の情報量を遠くから送信し、3Dプリンタで出力すれば、安全地帯からブラックホールを生成し、起爆することができてしまう。

 だから現在においては、空間が情報過多になる出力コードの使用は禁止されているし、公開もされていない。

 話を元に戻すと、ブラックホール爆弾がワシントンD.C.で爆発したことで、なんと直径30㎞以上、深さ約1㎞の巨大クレーターが生まれた。当然だが、ワシントンD.C.は消滅した。完全に。

 同じくして、アメリカ経済は破綻した。それだけならまだ良かったが、それだけでは終わらなかった。アメリカ経済が破綻すると、それに共倒れするように、各国の経済も破綻していった。経済は国境を越えて繋がっていたわけだから、当然だ。それに斜陽大国アメリカだったとは言え、それでも大国だった。だからアメリカ経済破綻という波紋は、凄まじく大きかった。中華人民共和国やインド共和国だって、アメリカ合衆国は貿易で最大の取引相手だった。このことから、アメリカ経済破綻は、かつてない恐慌を全世界にもたらした。

 これがいわゆる、【グローバルダウン】と呼ばれる出来事だ。

 グローバルダウンを機に、全ての株価は大幅にダウン。紙幣も紙くず同然となった。失業率は世界平均で80%を下回ることがなくなった。その不満と不安は各国の国民のデモとなって噴出した。だがデモに対し、何の打開策も見出すことができなかった各国の政府は、デモが暴動へと発展するのを傍観するしかなかった。やがて暴動はテロへ、テロは紛争へと姿を変え、政府の官僚たちはその餌食となり、次々と殺されていった。

 そうやって、世界に散らばっていた国々の政府は麻痺し、無秩序な闘争だけが地球全土に蔓延していった。それは流通機能、生活のインフラまでをも容赦なく破壊し、慢性的な物資不足を引き起こした。そうなれば当然、飢餓と疫病は地球全土を侵食し、それはやがて近代史上初めての世界人口減少という事態を発生させた。それに加えて、紛争の犠牲者が死亡者数を膨大に膨らませた。そして約半世紀という時間をかけて、100億以上あった世界人口が10億に減少するという、人類は凄まじい衰退を余儀なくされた。

 しかしここで絶滅の道を辿らなかったのが、人類の図太い生命力が成す技だった。

 この衰退に立ち向かうべく、【人類再建計画】というものが立ち上がった。発起者は、そう、Central◒Houseだ。Central◒Houseは国でも政治団体でもない、民間の株式会社だ。しかしただの株式会社じゃない。当時で最も資産を持っていた、世界最大のゼネコンだった。だから各国の政治機能を次々と買収し、さらに関連会社の優秀なシンクタンクの人材を次々とそこに投入した。そして国というコミュニティ単位を廃止させ、一国ではなく、一企業の支配が始まった。人類の運命が、国から企業に完全に委託された瞬間だった。

 だが当初、人類再建計画にはいろんなプロジェクトが立ち上がっては、消えていき、混迷が続いていた。そんな中で、最も成果があったのが、パーフェクト・トゥモローだった。

 ご存知の通り、量子コンピュータによって人類の未来を完璧に予測し、予め犯罪因子を取り除き、最も効率的で、平和で、安定的な資源と人材を適正に配分するシステム。このシステムを完成させるために《WIZDAM》が作られ、その維持装置として、ニゲラが死なずに恐ろしく長い役割じんせいを演じ続けている。

 そのおかげもあって、グローバルダウンから250年余りが過ぎ去った今となっては、未来盗賊を除く犯罪率はほぼ0%を維持し、物資が適正にかつ平等に配分されているため飢餓も貧困もなく、《WIZDAM》が予め病気の発症時期を予測しているため適切な予防処置が施され、みんな健康で、ハッピーだ。

 まさに、パーフェクト・トゥモロー! YEAH!な状況ってわけだ。一部を除いては。

「パーフェクト・トゥモロー! YEAH!」

 暗くて長い廊下の先に、光が見える。その光の向こうには、ニゲラのステージがある。

 光の奥から、ニゲラがそう叫ぶ声が再び聞こえる。

 そしてその光に向かって、バイクに乗った猫忍者が飛び込む。

 それに、俺とシオンが続く。

 ニゲラのステージに飛び出した瞬間、仕込まれていた花火バズーカが、ARデコレーションで誇張されて発射される。視界を覆い尽くさんばかりの紙くずとARテクスチャが舞う。

 そこに、本物の火花が飛んだ。

 そう。なぜならここは、カンナの狙撃ポイントだからだ。三階席よりさらに上に組まれたトラス。そこに照明が取り付けられている。その照明の傍に、カンナが待機している。そして猫忍者がステージに飛び出した瞬間、カンナが猫忍者を狙い撃ったのだ。それも、かなり火力の高いビーム弾をブチかましてやった。

 ちょっとやりすぎなんじゃないかと、俺は思う。いくらフルアシストで武装しているとは言え、相手は女の子なんだぞ。

 しかし俺の心配は杞憂に終わる。

 相当な火力のビーム弾だったにも関わらず、猫忍者はあの太い剣でビーム弾を受け止めたからだ。だがクールに、というわけにはいかなかった。紙くずとARデコレーションと火花がミックスして飛び散る中、猫忍者はバランスを崩し、跨っていたバイクから転げ落ちてしまう。地面をゴロゴロと横向きに転がる猫忍者。

 その隙を見計らったかのように、俺の後ろに座っていたシオンが飛び出す。

 シオンは俺の頭上を飛び越え、高くジャンプする。そして二つの刀を鞘から抜く。その二つ刀を猫忍者に向けて突き出し、降下する。

 その間にも、ニゲラは次の曲を歌い始めている。ニゲラは竜騎士の姿のままで、長いスピアーに取り付けられたマイクに向かって歌っている。

 シオンは二つの刀で突き刺す。

 だが突き刺したのは猫忍者ではなく、ただの地面だった。

 猫忍者はどこにいった?

 奴は、シオンの後ろにいた。

 どんなマジックを使ったのかはわからない。だがさっきまで地面を転がっていた猫忍者は立ち上がり、しかもシオンの背後に移動している。そして太い剣でシオンの背中に斬りかかろうとする。俺は思わず「危ない!」と叫ぼうとしたのだが――

 一筋の閃光が走る。

 その閃光が、猫忍者の剣を遮る。

 俺は目を見開かずにはいられない。なぜなら、その閃光の正体が、ニゲラの持つスピアーだったからだ。つまり竜騎士姿のニゲラが、持っていたスピアーで猫忍者の攻撃からシオンを守ったのだ。

 次の瞬間、歓声が沸いた。まるで地震が起きたかのように、ステージが揺れる。

 本当は異常事態なのだが、観客は演出だと勘違いしているのだろう。まあ、そっちの方が都合がいい。

 さらにニゲラは猫忍者に応戦する。

 一本のスピアーで、二刀流の猫忍者と剣を交える。スピアーの真ん中を握り、両端の刃の方向を絶妙に操り、猫忍者の攻撃を受け止めては、攻撃を仕掛ける。しかもニゲラは声色を全く変えずに歌い続けている。全く、恐ろしい歌姫様だ。

 そして二人の攻防に、シオンが加勢する。

 猫忍者は挟み撃ちにされる。しかし猫忍者は動じない。むしろ高揚しているかのように、動きの激しさが増す。全身に張り巡らされたフルアシストのケーブルが、赤く光り出す。それはまるで、相手を威嚇しているようにも見える。ケーブルが赤く光り出したと同時に、猫忍者のスピードが上がる。それも格段にだ。動画を2倍~3倍に早回ししたかのような動き。

 その早さをアドバンテージに、ニゲラとシオンの攻撃を躱しては、反撃する。

 歓声がさらに沸く。ここの空気は、今にも沸騰しそうだ。

 人間業じゃない。ここまで来ると、滑稽過ぎて笑えてくる。

 いや、笑ってる場合じゃない。俺はここのオーディエンスじゃないんだ。

 俺は銃を抜き、猫忍者に照準を合わせようとする……が、あまりにも素早過ぎて、狙いが全く定まらない。それはカンナも同じようで、狙撃ポイントでスナイパーライフルのスコープを覗き込みながら奥歯を噛みしめている姿が、イアークのズーム機能で覗くことができる。

 そのとき、ドスンと人が倒れる音がした。

 倒れたのは、シオンだった。どうやら、猫忍者の圧倒的なスピード攻撃に押されてしまったらしい。

 それからニゲラと猫忍者はお互いに距離を取り、お互い睨み合う。

 しかし猫忍者は背を向け、走り出す。逃げる気だ。

 もちろん、逃がすつもりはない。それはニゲラも同じだ。

 突然、ニゲラの足元から複雑な模様の魔法陣がホログラムで出現する。と思った次の瞬間、巨大な竜が夜空に出現した。

 全長は10メートルを超すだろうか? とにかく、デカい。稲妻のように複雑な形をした二本の大きな角が頭から生え、瞳はどの肉食動物よりも鋭い。赤い皮膚に覆われ、広げると体長の倍はあろう、大きな翼を優雅に羽ばたかせている。さらに、長い尻尾の先端には、煌々と炎が揺らめいている。

 そんな竜が、猫忍者に向かって咆哮する。鼓膜を突き破りそうな音量で、俺は思わず耳を塞ぐ。

 当然だが、この竜は本物じゃない。ARテクスチャ。要するに、イアークを経由して脳に電気信号を送って見せるCG映像だ。

 CG映像だとわかっていても、あの竜の迫力は凄い。睨まれただけで、心臓が飛び出そうだ。

 そんな竜が、猫忍者に襲い掛かる。空中に浮遊していた竜が、猫忍者めがけて急降下する。

 しかし猫忍者は動じる様子を全く見せず、襲い掛かってくる竜に向かって片手を突き上げた。

 そのときだった。

 突然、竜が静止した。

 そして何かに感染したかのように、体が小刻みに痙攣し始めた。

 何をしたのかは、俺にでもわかる。AR竜のモーションプログラムにハッキングを仕掛け、動きを止めたんだ。

 俺は呆気にとられる。観客は魅了されている。その隙に、猫人者は走り出す。客席の真ん中にまで伸びるランウェイに向かって突き進む。

「逃がすか!」

 俺はバイクのエンジンを吹かし、猫忍者を追う。

 走る猫人者。彼女の頭を、カンナが狙う。イアーク経由で、猫忍者の頭部に〈LOCK ON〉のARアノテーションが表示される。カンナのスナイパーライフルが、彼女を確実に狙う。

 だがカンナがトリガーを引くことは、猫忍者が許さなかった。

 猫忍者のアサルトスーツの膝の部分には、横から見ると三日月のように尖ったプロテクターが付いている。そのカバーが、いきなり前方に飛び出す。そしてそこに格納されていたのは、ハンドガン。

 猫忍者は膝に隠し持っていたハンドガンを引き抜き、カンナに向かって発砲する。

 ハンドガンは銃身がほとんどない、非常にコンパクトなサイズだ。

 猫忍者の発砲でカンナの照準が乱れる。〈LOCK ON〉のARアノテーションが消えては、また現れたりする。発砲されても、カンナは最後まで粘るつもりだ。

 しかし銃身がないハンドガンで遠方にいるカンナを狙うのは難しいと判断した猫忍者は、発砲を止める。

 それは、諦めたわけじゃない。

 猫忍者のハンドガンから、ビーム状の銃剣バヨネットが飛び出す。銃剣は二つある。一つは銃口の下。もう一つは、グリップの下から突き出している。

 銃剣が「く」の字型に伸びたその銃は、まるでブーメランに似ているなと、俺は思った。

 だがそれはブーメランに似ているだけじゃなく、実際に、ブーメランとして使われた。

 猫忍者は二つの銃剣が飛び出したハンドガンを、カンナに向かって投げる。

 高速回転するブーメランのハンドガンは、カンナに向かって真っすぐ飛ぶ。

 しかしあのブーメランが、カンナのいるところまで届くとは思えない。少なくとも、猫忍者とカンナは150メートル近く離れている。だが猫忍者の狙いは、ブーメランでカンナを仕留めることではない。ブーメランの軌道は、調度カンナの弾道と重なっている。つまり、ブーメランが飛んでいる限り、カンナは撃てないということだ。

 しかし問題ない。カンナがいなくても、俺がいる。

 俺はランウェイを走る猫忍者に向かって、バイクを走らせる。

 ランウェイをバイクで疾走するのは、これが人生で最初で最後だろう。案外、気持ちがいいもんだぜ。

 猫忍者の背中が、徐々に近づく。あと少しで、手が届く距離まで追い込める。

 そしていざ、猫忍者の首元を掴もうとした――そのときだった。

 突然、俺の頭上に巨大な竜の頭が現れる。

 ハッキングされたAR竜が、猫忍者によって操られているのかもしれない。

 答えなんて、どうでもいい。

 それよりもだ。問題なのは、この竜が俺めがけて炎を吐き散らし始めたことだ。

 幻想(AR)だから、熱くもないし、体が焼け焦げるわけでもない。しかし、俺が炎に包まれてしまったせいで、視界が完全に失われてしまった。急ブレーキをかけ、バイクを停止させる。

「畜生!」

 俺はこの邪魔なARを視界から除去すべく、イアークを外す。

 すると炎も、竜も、常に視界に浮かんでいたホームアイコンも消えた。何の加工も施されていない、丸裸の視界。その丸裸の視界の中で、俺は猫忍者を探す。

 だが俺は、そのときに失意の底に落とされてしまった。

「猫忍者が……いない……」

 どこを探しても、猫忍者の姿はない。炎と、竜と、常に視界に浮かんでいたホームアイコンと一緒に、猫忍者の姿が、消えた。

 ニゲラの曲も、いつの間にか終わっていた。

 俺はバイクを降り、さっきまで猫忍者が走っていたランウェイを、力ない足取りで、よたよたと歩く。視線を徐にさまよわせるも、俺の瞳が猫忍者を捕えることはなかった。

 逃げられた。AR竜で目くらませを食らっている間に、猫忍者に逃げられた。

「失ったものの代償は、払ってもらうわよ」

 後ろから、そんな声がした。間違いなく、ニゲラの声だった。

 待て! まだ完全に終わったわけじゃ――

 俺は振り向き、ニゲラに弁解しようとした。しかしそんな余地が全く与えられない間に、何かが、俺の体を貫いた。

 俺の腹から、太く、尖った刃が突き出ている。

 それが何であるかは、知っている。ニゲラが持っていたスピアーの刃だ。

 俺はゆっくりと振り返る。

 そこには、スピアーで俺の背中を突き刺す、ニゲラの姿があった。

「冗談……きついぜ」

 次の瞬間、漆黒の闇が俺を包み込んだ。


 限界を知らないような、激しい歓声。

 それは、俺の死を悼んでくれているものなんだろうか。だったら、まあいいかと思う。案件の進行中に死ねたんだ。老衰して呼吸器や排尿装置に繋がれたままベッドでくたばるより、随分とマシじゃないか。

「まだ死んだわけじゃないわ。さっさと立ちなさい」

「……何だって?」

 苛立ちが籠ったニゲラの言葉に、俺は我に返る。

 周りは相変わらず暗いが、薄暗い照明が僅かに肉眼での視界を与えてくれている。窓は一つもなく、鉄筋の骨組みが剥き出しになっている空間が細長く続いている。どうやら、ステージ下にある移動通路に連れて来られたらしい。

 まて! それどころじゃない!

 俺はニゲラに突き刺されたはずの傷口を確かめる……が、自分の背中や腹を何度も手で摩るも、痛くもないし、手に血が付くこともない。

「俺は……生きている?」

 どうなってんだ?

「生きていて当然よ。私があなたに刺したスピアーは、ただのホログラムだ」

 そう言ってニゲラはスピアーの刃先に自身の手を刺す仕草をする。だがスピアーの刃は二ゲラの手を全く傷つけずに通り抜けるだけだ。俺がランウェイで猫忍者を追っかけている間に、実物のスピアーとホログラムのスピアーを差し替えたってことか。

「なるほど。あんたが優しい女で助かったぜ」

「そうとも言い切れないわよ」

「そうですよ」直後、そんな言葉と共に、背後から俺を羽交い絞めにする者が現れた。「美しい花ほど、棘がありますからね」

 俺を羽交い絞めにしたその者は、楽屋にいた執事だった。縦半分に割れたピエロの仮面を被った、あの怪しい執事。俺は足掻くも、その羽交い絞めから抜け出せない。執事は細身であるはずなのに、意外にも力が強い。

「おい! 何の真似だ! 拘束プレイなら、執事が見ていない二人だけの場所でやろうぜ!」

 しかしニゲラは俺の台詞なんか無視し、プレフィルドタイプの注射器を取り出す。さらにそれを、俺の首元に突き刺した。注射器に入っていた液体が、俺の体内に注入される。

「何をしやがった!」

「あなたには猶予を与えます」ニゲラは言った。「それまでに、ワイルドカードを奪取してもらう」

「悪いが、よくわからない」

「あと一週間」強い口調で、ニゲラはそう言った。まるで駄々をこねるガキを叱りつけるように。「あと一週間でワイルドカードを奪取できなかった場合、さっきあなたに注入したプランクシュレッダーで、あなたの肉体をプランク単位で破壊する。言っている意味、わかるわよね」

 心臓が凍る思いをした。

 俺の肉体をプランク単位で破壊する――それは俺の肉体を構成している情報を最小宇宙単位にまで破壊することであり、つまりそれは、俺の死を意味する。

 ニゲラは俺に背を向け、歩き出す。

「待てよ! そうまでしてあんたが手に入れたい未来ってのは、何なんだ!」

 俺はニゲラの背中に向かって叫ぶ。すると無視すると思った彼女が、一度だけ振り返り、こう言った。

「私は咲き続けなければならないの。あと、もう少しだけ」

 そんな答えともとれない、意味深な言葉だけを言い残し、再び俺に背を向け、歩き出す。

 話は終わってねー!

 俺は羽交い絞めをする執事を振り払うべく、少し前かがみになって、ボトムアシストの力を借りてジャンプする。さほど高くない天井にはすぐに到達し、その天井に執事が激突した。

 さすがの執事も、その瞬間だけはひるみ、力が抜けた。

 その隙に、俺は執事の羽交い絞めから抜け出す。

 そして猛ダッシュで、ニゲラの背中を追った。

 が、突然現れた壁に、俺はぶつかってしまった。

「ざけんな! 邪魔すんなよ!」

 俺は苛立ちながら壁をドンドンと殴るが、びくともしない。それどころか、壁はいきなり俺を突き飛ばした。そのせいで、俺は地面に倒れる。

 見上げると、それは壁ではなかった。

 壁だと思っていたそれは、シオンだった。シオンは鞘に収まった刀を今にも抜いて俺に斬りかかろうとしている。おまけに、その後ろでカンナがスナイパーライフルを構えている。

「お……オーケー」俺は力なく言う。「ここは一度、ゆっくりと話し合おう」


 しかし、ゆっくり話し合う時間なんて与えられなかった。

 まあ、当然っちゃ当然だな。

 俺はさっさとドームスタジアムから追い出され、ニゲラのショーの続きを見届けることすら許されなかった。

「ここでお前の死様が見れないのは残念だ」俺を摘み出すシオンがそう言った。

「母さんに感謝しよろ」これはカンナ。「一週間だけ生かせてもらえるんだ。本当だったら、私がこいつでお前の頭を吹き飛ばしてやってもいいだぜ」

 なんでこいつはニゲラのことを母さんと呼んでるんだ? そう言えば、シオンのことはシオン姉ちゃんと呼んでいたっけ? 俺の脳内は、少し混乱する。どう見ても、こいつらは似ていない。ニゲラは人種不明としても、カンナはモスクワ系の白人、カンナはアフリカ系の黒人。血の繋がりがあるようには見えない。似ていることがあるとすれば、素敵な言葉遣いだけだ。まあいい。

「そうキツいことばっか言うなって。これから一週間、共に過ごす身だろ?」

「――は?」シオンが眉を歪ませ、俺を睨む。

「お前、バカじゃねーの?」またカンナが言葉を挟む。「イディオットのやり過ぎで、頭がおかしくなってんじゃねーのか?」

 少なくとも、俺はイディオット中毒じゃねー。俺は奴とは違う。それより――

「ちょっと待てよ。お前たちは、俺に協力してくれるんじゃないのか?」

「ふざけんな! 何でお前なんかに協力しなくちゃならないんだ!」カンナが口角泡を飛ばしながら叫ぶ。

「だって、さっきまで俺と一緒に――」

「それは母さんの指示だったからだ」カンナは言う。「だから仕方なく手伝ってやった。でもこれ以降は違う。私の〝役割〟は母さんを守ることであって、お前みたいなクソ野郎を手伝うことじゃない」

「そういうことだ」

 シオンはそう言って、俺のケツを蹴り飛ばす。結構マジで蹴りやがったせいで、ケツが痺れた。

「そうかよ! 親切過ぎて、涙が出そうだぜ!」

 クソッタレが! 俺は捨て台詞を吐いて、その場から離れた。

 ったく。二度とあんな連中と会いたくないもんだ。会いたくないが……また会う気がしてならないんだが、どうしてだ?


 そんなことはどうでもいいとして、猫忍者探しだ。

 あいつを捕まえない限り、俺の人生はあと一週間だ。これまでの人生、結構苦労してきたんだ。優雅な老後生活を送らずして、人生をジ・エンドしてたまるか!

 つーわけで、俺は猫忍者を追う。

 え? どうやって追うかだって?

 おいおい。俺を舐めてもらっちゃ困るぜ。これでも、かつてはジャックネームを持っていた一流バンディットだぜ。RAリード・アヘッダーの力を借りなくたって、猫忍者の居場所くらいわかってる。

 カラクリは簡単だ。万が一のために、ワイルドカードに発信機を仕込んであったのさ。

 だからイアークを経由して視界に映し出される3rd Heaven_Tokyoのマップ上に、猫忍者の現在地が確認できる。猫忍者の現在地を示す赤い点が、マップの北東で点滅しながら進んでいる。奴は現在、五回目の東京オリンピックのときに再開発されたネオ=トーキョー・シティを突き進み、その一画にある中華街に向かっているようだ。

 じゃあ、後はあいつを追いかけて、尻尾を掴むまでだ。マジであの猫みたいな尻尾を掴んでやる!

【3rd Heaven_Tokyo:量子シミュレーション戦争後、七つに分断されたBTL管理居住地区の一つ。戦前に日本ニッポンと呼ばれていた国の首都である「東京トウキョウ」が由来】

 少し、歴史の勉強が必要か。

 さっき説明した量子シミュレーション戦争の末、国というコミュニティ単位は消滅し、株式会社であるCentral◒Houseがパーフェクト・トゥモローと呼ばれる人類の未来を管理するシステムを構築した。その際、10億人にまで減少した人類を七つの管理居住地区に振り分けた。それがいわゆる【HeavenS】と呼ばれる、人類の行動を24時間監視するライブスキャナが地面に張り巡らされたエリアだ。HeavenSは次の7エリア存在し、そこに住む人間たちはBTLビロウ・ザ・ラインと呼ばれている。

 1stHeaven_NewYork

 2ndHeaven_B&H:(Beijing&Hong Kong)

 3rdHeaven_Tokyo

 4thHeaven_ASEAN

 5thHeaven_ Moscow

 6thHeaven_EU

 7thHeaven_Canberra

 そしてグローバルダウンで巨大なクレーターが発生したワシントンD.C.跡地は、何とか復興を遂げ、クレーター形状をそのまま活かした都市開発が行われた。そこで誕生した都市は、今では【ボウルシティ】と呼ばれている。

 さらにボウルシティはCentral◒Houseが本社を構える世界中枢都市として生まれ変わり、人類の未来の完璧な管理を一任している。もちろん、《WIZDAM》を管理しているのもボウルシティだ。そしてボウルシティに暮らす上流層は、ATLアバーヴ・ザ・ラインと呼ばれている。

 ちなみにボウルシティに住めるのは管理人口のわずか0.1%(10億人の管理人口のうち100万人)に過ぎず、その資格は《WIZDAM》による個人の生涯シミュレーション結果によって適正が判断され、残りの99.9%はBTLとして七つのうちいずれかの天国Heavenでプレゼンテッド・ロールを全うすることになる。

 BTL同士の経済格差はさほど大きくないが、ATLと比べるとその差は圧倒的に違う。多分、100人分のBTLの生涯LTM(ライフ・タイム・マネー)を合算したとしても、ATLのそれにはかなわないだろう。

《WIZDAM》という量子コンピュータによって最も効率化が進んだ未来管理システムが確立されてしまった今においては、人類を運営するのに多くのマンパワーは必要ない。

 極端な話、マンパワーなんて必要ないのかもしれない。

 実際、BTLの稼働は週5日と定められているが、ATLの稼働は週2日と定められている。その週2日の稼働日でさえ、ATLが昼寝していても、代わりに《WIZDAM》が未来をシミュレーションし、平和状態を維持するための最も効率的な選択肢を自動算出する。

 人類の運命が全て量子コンピュータに委託されてるんだ。全く、反吐が出る話だ。

 お勉強タイムはここまでだ。俺の人生をかけた鬼ごっこの再開だ。

 俺はイアークの通信機能を使って、愛車を呼び寄せる。

 現れたのは、ホバークラフト式が主流となっている今じゃ珍しい、タイヤ式の旧車だ。車種は、顔がコアラに似ていてキュートなジャガーのマーク2だ。

 もちろん、古いのは見た目だけで、中身はアップデートされている。しかもオープンカー仕様に改造済みだ。ジャンクタウンのオヤジに特注で造ってもらった俺だけのスペシャル。タイヤで走るが、タイヤを畳んでホバークラフト走行もできる。

 だが俺がタイヤ式にこだわるのは、道なき道を走るためだ。超電導のホバークラフトは、磁気舗装された道路しか走れない。通勤や買い物に車を利用するだけならいいが、バンディットはそうはいかない。未来を盗み、ワイルドカードで未来の番狂わせを仕掛ける者だ。行く道は、いつだって荒野だ。

 俺は愛車に乗り込み、アクセルを踏む。タイヤが地面に噛みつく音と共に、車が前に進む。

 猫忍者の居場所がわかっているのであれば話は早い。RAリード・アヘッダーに行動を予測させて、俺はそれを先回りすればいい。

 しかし問題なのは、レイニーとの通信が取れないことだ。

 ドームスタジアムの地下駐車場で、レイニーの悲鳴を最後に通信が途切れた。彼女に何かが起きたことに、間違いはない。だがそれを確かめる時間も余裕もない。俺はざわつく胸をなだめながら、他のRAリード・アヘッダーに依頼を試みる。しかし――

 マックス……ビリー……ジョーン……ダメだ。どいつもこいつも、俺の伝手つてがあるRAリード・アヘッダーとは尽く連絡が取れない。通信がジャミングされているのか、それとも始末されてしまっているのか……いずれにせよ、何者かが裏で手を回しているに違いない。レイニーの最後の通信が、頭をよぎる。

 …の案件は……り危険。だから……手を引い……じゃないと――

 一体、何だって言うんだ! あのワイルドカードには、どんな未来が記録されてるって言うんだ!

 ――ドンッ!!

 突然、前方で何か大きな物が落下する音がした。何だと思って見上げれば、なんとそこに一機のDAP-H3000が立っていた。

 俺が発注したDAP-H3000は、既に2機とも破壊された。それ以降、俺はDAP-H3000を追加発注していない。じゃあ、あのDAP-H3000は……まさか猫忍者が――

 俺はハンドルを切る。

 車は大通りから脇道にそれる。

 だが猫忍者が発注したであろうDAP-H3000は、俺の後を追いかけてくる。スピードを上げても、車のスピードくらいじゃDAP-H3000なら追いつくことができる。おまけにビーム弾を俺に向けて発砲してきやがる。

 俺は絶妙なハンドルさばきでビーム弾をよけながら、ハンドガンを手に取る。それでDAP-H3000に応戦する。しかしダメだ。あのアンチ・エネルギー・コーティングされた装甲では、ハンドガン程度の火力ビームじゃビクともしない。

 しかも赤色に揺らめく中華街の夜景が、徐々に近づいてくる。

 中華街にこいつDAP-H3000をゲストとして連れて行くのは、さすがにマナーが悪すぎる。

 しょうがない。

 俺は溜息をついた後、ダッシュボードから武器を取り出す。全長50センチほどの、毎秒20発の小エネルギー弾の発砲が可能なアサルトライフルだ。しかしこいつをただ食らわせても、さっきと同じように、ビーム弾が跳ね返されるだけだ。だからエネルギーマガジンにチャージされた1,500発分のエネルギーを一発に集約させ、ブチかます必要がある。それも、ゼロ距離でだ。

 簡単なことじゃない。でも、やらなくちゃ、だ。

 俺はアサルトライフルの安全装置を解除し、さらにリミッターも解除する。そして一発に、エネルギーマガジンの全エネルギーを集約させるよう、セットする。恐らく、こいつをぶっ放した瞬間、このアサルトライフルは使い物にならなくなるだろう。

 俺は愛車をできるだけ道路の端に寄せ、道路に並ぶビルに近づく。タイミングを見計らい、大きく深呼吸をする。そして覚悟を決め、いざ、ジャンプした。

 視界上で高速に流れるビルの一つの壁に、俺は着地する。

 その間に、俺の車を追いかけていたDAP-H3000は、俺を追い越してしまう。おかげで、DAP-H3000の無防備な背中を俺は目で捕えることができた。

 そしてボトムアシストの出力を調整し、俺はビルの壁からその背中に飛び移る。

 ――ガンッ!!

 衝撃と共に、俺はDAP-H3000の背中に抱き付くことに成功した。俺の存在に気付いたDAP-H3000は足を止め、振り払おうと足掻く。体を大きく左右に揺らすが、俺は死んでも離さない。そして限界までチャージされたアサルトライフルの銃口をDAP-H3000の背中に――正確には、操縦席ハッチのすぐ上に押し付ける――

 俺はトリガーを引く。

 眩しい黄色い光が閃く。

 炎を浴びたような熱が、顔の表面を覆う。だがそれも一瞬だ。

 次の瞬間には、直径10センチほどの穴がDAP-H3000の背中を貫通しているのが見えた。

 背中にあるのは――操縦席ハッチのすぐ上にあるのは、エネルギーパックだ。それを破壊すれば、すぐに爆発が起こる。

 だから俺は、すぐさまそこからジャンプで逃げる。そして俺が着地する前に、DAP-H3000は爆発した。

 ここまではクールだ。とっても。

 だが空中で爆風に煽られてしまった俺は、バランスを崩し、着地するときに尻餅をついてしまった。ああ、今のは見なかったことにしてくれ。

 とは言え、中華街に礼儀の悪いゲストを連れて行かずには済んだってわけだ。

 半分以上が損傷して、やはり使い物にならなくなったアサルトライフルを投げ捨て、俺は中華街に向かう。ここからは歩いて行ける。

「俺をコケにしやがって! とっ捕まえたら、お仕置が必要だな!」


 中華街は相変わらず賑わっている。

 赤色のネオンで形作られた、イアークで検索しないと読めない漢字の看板が溢れる中、それにアクセントを加えるように、いたる所に設置されたホログラムサイネージが散らばっている。そしてそこには、車やカジュアルブランド、清涼飲料水などの広告が表示されている。広告に出演しているイメージキャラクターは、全てニゲラだ。企業は広告を出す際、HCPPホスト・コミュニケーション・プラットフォーム・パーソナリティであるニゲラを起用することをCentral◒Houseが義務付けているからだ。そうやってBTLにニゲラの存在を浸透させ、精神的思想的支柱的【人格】を確固たるものにし、決定されてしまった未来をスムーズに享受させているというわけだ。

 そんな中華街の道には、ラフな服装をした男たちと、やたら露出が多い服を身に纏った女たちで溢れかえっている。どいつもこいつも、調度いい具合に酒がまわってご機嫌だ。こんな俺でも、誘えば踊りに付き合ってくれるんじゃないかって思う連中ばかりだ。こいつらを見ていると、俺も酒が飲みたくなる。

 ここに来るのは久しぶりだ。

 もう、5年くらい前だろうか。以前バディを組んでいたあいつと付き合っていた頃は、ここによく来て、先のことも碌に考えず、稼いだ金で遊びまくったもんだった。

 店を何件もはしごしながら酒を飲みまくり、飯を食いまくり、それに飽きたらベイジング式テクノクラブでダラダラ踊り、そこでイディオットを打ちまくっては無駄にテンションを上げ、そして疲れ果てて寝て、朝になれば未来を盗む。そんな毎日。

 俺は頭を揺さぶり、かつての記憶を振るい落とす。

 過去にしがみ付くのはやめだ。俺は未来盗賊バンディットだ。10歳より前の記憶だって、欠如している。両親の記憶も、俺の出自に関わる一切の記憶もだ。

 ――そう。だから俺には、未来しかないんだ。

 数ある街頭ビジョンには、調度ファイナルアンコールを終えたニゲラのコンサート中継が流れている。外に出ている連中の大半は、そのコンサートに夢中だったようで、コンサートの終了を名残惜しむ熱狂の残骸が街中に浮遊している。

 そんな中で、様々な露店が犇めくエリアが今回特別にニゲラのコンサートのパブリックビューイングになっていた。露店と露店の隙間を埋めるように酔っぱらいが集まり、その正面には巨大なビジョンが設置されていた。

 俺がワイルドカードに仕込んだ発信機は、ここに猫忍者がいると告げている。まさか、BTLに紛れて暢気にコンサート鑑賞をしてたわけじゃないだろう。

 入念に辺りを見回していると、設置されている巨大ビジョンに、違和感を覚えた。

 よく見ると、巨大ビジョンの上に、人が立っているように見える。俺はイアークのズーム機能を使ってその部分を拡大する。

 するとそこに、猫忍者がいた!

 ズームした視界の中に、間違いなく、巨大ビジョンの上に立った猫忍者の姿を確認できる。しかも猫忍者は俺を見下ろし、気のせいか、少し微笑んでいるようにも見える。

 隠れようとはしない。むしろ捕まえられるものなら、捕まえてみろと言わんばかりに。

「舐めやがって!」

 俺の言葉と同時に、猫忍者が巨大ビジョンの上を走り出した。

 それは助走だったのか、次の瞬間、人間の脚力とは思えない、凄まじいジャンプ力で飛翔した。そして30メートル以上は離れているであろう、道路を挟んだ向かい側のビルに設置されている「広東料理 絶華」と書かれた看板に飛び移る。

 それを見ていた観衆は歓声を上げる。まるで新しく始まったショーを楽しむかのように。

 見とれている暇なんて俺にはない。看板に飛び移った猫忍者はすぐに走り出す。そして隣のビルの屋上に飛び移る。油断していれば、猫忍者を見失ってしまう。

 俺はボトムアシストの力を借りて、地上から猫忍者を追う。

 しかしなかなか追いつけない。スピードが早すぎる。

 それもそのはずだ。

 なぜなら、猫忍者はこの摩天楼の中を、本物の猫のように、手脚を使って四足走法で駆け抜けているからだ。四本の肢体で効率的に地面を蹴り出し、凄まじいスピードを維持しながら、次から次へとビルの屋上を飛び渡っていく。

 四足走法をアシストするアサルトスーツの存在を、俺は知らない。だとしたらあれは、間違いなく未来から盗んだテクノロジーだ。

 厄介な奴だ。

 奴からすれば、いま流通している兵器の類は、ほぼ全てオモチャに感じるに違いない。じゃあ、俺は奴とじゃれ合う猫じゃらしに過ぎないということか?

「はっ! そんじゃ、俺も本気でお前と遊んでやるよ!」

 俺はボトムアシストの出力をMAXに切り替える。言っておくが、これだって未来から盗んだ特製品だ。俺を甘く見るな!

 そして俺は猫忍者に向かってジャンプする。

 ボトムアシストの出力をMAXにしたおかげで、周りの高層ビルよりもさらに高く上空に舞い上がる。高く飛んだ分だけ、猫忍者との距離が縮まる。

 さらにその間、イアークを経由して俺のハンドガンの照準機能と視界を同期する。

 視界に円状のスコープ照準がHUDとして出現し、HUDは猫忍者をロックオンする。

 標準アシストが機能しているおかげで、ハンドガンを持つ俺の腕は自動で動き、照準は追尾される。

「遊びは終わりだ!」

 俺はトリガーを引く。

 ここまでコケにされたんだ! 相手がたとえガキだとしても、関係ねー!

 しかしだ。

 俺の動きを予測していたのか、猫忍者は空中で宙返りをして、俺のビーム弾を躱す。

 クソ! もう一発お見舞いしてやりたいところだが、ダメだ。俺の体は降下し始めている。

 俺は止むを得ず、ビルの屋上に一旦着地する。

 違うビルの屋上だが、猫忍者も着地する。

 俺は間髪入れずに猫忍者に発砲した。が、それも呆気なく躱される。

 それだけじゃない。

 猫忍者はビーム弾を躱すと同時に、膝に格納されているハンドガンを取り出した。それを、俺に向かって撃った。

 猫忍者が放ったビーム弾が、真っ直ぐ俺に向かって伸びる。

 ――ヤバい! 弾を喰らった!

 そう思った。しかし俺の危機を脳波から察知したボトムアシストのAIは、倒れ込むようにして俺を伏せさせた。直後、ビーム弾は俺の耳元をかすめる。

 冷たい汗が、俺の背中に走る。

 その隙を見てだった。猫忍者は逃げる。

 猫忍者はハンドガンを膝に格納し、四本足で走り出す。そして高層ビルの間を縫うように、地上10メートルに建設されたハイウェイ、そこを走るトラックに飛び移った。

「待ちやがれ!」

 まだ終わっちゃいねーぞ! あれを見ろ! 予めハイウェイに逃げ込むと予想していた俺は、既にハイウェイに愛車を自動運転で先回りさせてあるんだ!

 俺はビルの屋上で助走をつけ、ハイウェイを走る俺の愛車ジャガーに飛び乗る。

 運転席の磁気誘引システムが金属製のボトムアシストを捕え、飛び降りる俺を確実に運転席にまで誘引する。飛び乗った瞬間、ドスンと一瞬、車体が沈むが、スピードを落とすことはしない。むしろアクセルを踏み、スピードを上げる。

 トラックのコンテナに乗った猫忍者を追う。

 トラックとの距離はどんどん縮まる。

 それに気付いた猫忍者は、トラックのコンテナから飛び降りる。着地した瞬間、即座に四足走法で疾走する。

 しかし相手は所詮、脚。こっちはタイヤだ。スピード勝負じゃ負けない。

 特注のターボエンジンを積んだ俺の愛車は、猫忍者との距離をぐいぐい詰める……のだが、猫忍者がとんでもない邪魔を仕掛ける。

 猫忍者は車を追い越す度に、走りながらそれを後ろ脚で蹴る。

 そのキック力は凄まじく、車を簡単にひっくり返してしまう。そのままゴロゴロと横転する車が、俺の方に突っ込んでくる。

 俺は何とかハンドルを切り、それを躱すが、次から次へとゴロゴロと横転する車が俺に襲い掛かる。隙を見てハンドガンで猫忍者を狙い撃とうとするが、転がってくる車があいつの盾となって狙えない。

 俺のイライラは募り、ついに爆発する。

「埒が明かねー!」

 俺は持っていたハンドガンを外に投げ捨て、イアークを経由してPMCの入札プラットフォームを視界上に開く。そこに音声入力で俺が欲しいDAディフェンディング・アーミーの条件を入力する。

「DAP-H3000を2機! 両機ともに高速移動アシスト搭載! 装備はグレネードランチャーだ!」

 すると入札プラットフォームが検索を開始し、数秒後には複数の候補が並んだ。だが金額を考慮する意味はない。重要なのは、納期だ。

 俺は納期が短い順に自動ソートし、最も上位に来たPMCと契約する。

 契約手続き処理の経過を示すメータが、視界上に表示される。

 そのメータと、フロントガラスに突然入った罅とが重なる。

 油断していた。

 入札に夢中で、猫忍者の発砲に気付けなかった。

 猫忍者は疾走しながらも、俺に向かって発砲してくる。その一発のビーム弾が、フロントガラスに直撃した。猫忍者は右手に銃を持ち、残りの三肢で走る。もはやデタラメだ。

 俺は減速し、猫忍者と距離を取る。だが発砲を止めない猫忍者。フロントガラスの罅が、二つ、三つと増えていく。

 そのときだ。PMCとの契約手続きが完了した。

 直後、納品までのカウントダウンが始まる。

 残り54秒。さすがに早い。

 きっと別件で近くを配送中だったものを、優先的にこちらに回してくれたのだろう。

 その分、とんでもない特急料金が吹っかけられた。

 俺の左掌に表示されているLTMは、一気にマイナスになった。晴れて、立派な借金王ってわけだ。

 まあいい。この案件の片が付けば、十分ペイできる。

 それより問題なのは、猫忍者が向かっている場所だ。

 このまま行けば、BTL管理居住地区である3rdHeaven_Tokyoから出てしまう。

 七つのHeavenSとボウルシティ以外のエリアを、俺たちはブランク・グラウンドと呼んでいる。七つのHeavenSとボウルシティにはライブスキャナが張り巡らされ、そこに住んでいる人類のプランクデータを24時間収集し、管理・監視している。しかしライブスキャナが存在するのは、あくまで七つのHeavenSとボウルシティに限られている。だから、そこから一歩でも外に出てしまえば、Central◒Houseはデータの取得ができなくなってしまう。

 そういうわけで、HeavenSとボウルシティ以外のエリアはブランク・グラウンド、つまり“からの大地”と呼ばれているのだ。

 じゃあ、ブランク・グラウンドに向かっている猫忍者が、なぜ問題かって?

 考えてみろ。

 俺たちの平和は人類の行動データをプランク単位で収集し、未来を予測することで成り立っている。であれば、行動データを収集できない場所となると、どうだ?

 それはつまり、カオスだ。そしてそこに人が住んでいれば、尚更だ。

 それこそが、この時代に残された不確定要素であり、不安要素だ。もちろん、ブランク・グラウンドにも、人は住んでいる。しかもその中には、アンチ・パーフェクト・トゥモローを掲げるテロリスト集団、【サリクス】が数多く分布している。

【サリクス:ブランク・グラウンドに広く分布しているとされるテロリスト集団。だが正確な規模はCentral◒Houseでも把握できていない。サリクスという名称は、「自由」の花言葉を持つネコヤナギの学名“Salix gracilistyla”から由来しているという説が有効】

 サリクスはHeavenSとブランク・グラウンドの境界ボーダーによく出現し、Central◒House の子会社である、対テロ専門業務を遂行するC◒H-DEFENCEと毎日のように交戦が繰り広げられている。それは3rdHeaven_Tokyoのボーダーでも同じことだ。

 俺は未来盗賊バンディットだが、テロは好きじゃない。確かに俺もパーフェクト・トゥモローは嫌いだが、アンチ活動で命を懸けるつもりはない。あくまでクールに未来を盗み、莫大な金を儲ける。それだけだ。

 フロントガラスが粉々に割れた。

 猫忍者のビーム弾を浴び続けて罅だらけになっていた俺の愛車のフロントガラスが、ついに撃ち破られた。

 粉々になったガラス片が目に入らないように、俺は一瞬だけ目を瞑ってしまう。そして目を開けた瞬間、絶句した。

 宙に、大型トラックが浮いていた。

 それはホバークラフトで浮遊しているのではなく、はるか上空を、このハイウェイから7~8メートル上空に打ち上げられている。

 しかもその大型トラックは、俺に向かって落下してくる。

 信じられないが、アサルトスーツのパワーアシストを借りたとは言え、まさかあの華奢な猫忍者が、大型トラックを持ち上げ、俺に投げつけたというのか?

 何であれ、大型トラックが上空から突っ込んでくる。

 こんな状況は産まれて初めてだ。だから対処の仕方がわからない。急にブレーキを踏んでも、大型トラックの軌道は、確実に俺を捕えている。逃げられない。

 そしてついに、大型トラックは俺に突っ込む。

 こういう時、俺は神様にでも祈ればいいのか?「どうか助けてください」って。

 なんてな。俺は神様なんかアテにしない。

 突然、目の前が火の海に包まれる。

 今にも突っ込んできそうだった大型トラックは、寸前のところで大爆発する。俺は愛車と共にその爆風の中に突っ込む。そして何事もなく、俺はその爆風を抜けきる。俺は熱風と粉々になった大型トラックの残骸を浴びただけだ。

 視界に映し出されているカウントダウンは、0になっている。

 俺が入札したPMCのロゴがプリントされたコンテナを運ぶドローンが、俺の頭上を飛んでいる。

 そうだ。さっき入札したDAP-H3000の納品が間に合ったのだ。

 ドローンに吊り下げられたコンテナの下側の扉が観音開きになっている。そのコンテナの中にはDAP-H3000が2機、アンカーで固定されており、その中の一機が、大型トラックめがけてグレネードランチャーをぶっ放したんだ。おかげで、俺は寸前のところで助かった。

 未来を先読みしたわけじゃないが、上出来だ。

 そして俺が入札したDAP-H3000はコンテナからリリースされ、ハイウェイに降り立つ。

 と同時に、フットパーツに装着されたショートスキー板のような超電導式ホバークラフトで、ハイウェイを高速で滑る。それで猫忍者との距離をぐんぐん詰める。さらに装備したグレネードランチャーを、惜しみなく猫忍者にぶっ放す。しかも何発も。

 派手な花火が、路上にいくつも狂い咲く。

 さすがは高いLTMをはたいて入札した代物だ。それだけの価値はある。

 しかし高い火力を誇っても、それがなかなか猫忍者に当たらない。奴は未来さきが読めているかのように、グレネード弾を華麗に躱して見せる。

 それでも大量に放たれる高火力なグレネード弾を煩わしく思ったのだろう。突然、猫忍者は高く飛び上がり、ハイウェイを飛び出した。そのまま地上へ落下し、闇に消えた。

 それを2機のDAP-H3000が追う。まるで狩猟本能がプログラムされているかのように、何の指示もしていないにも関わらず、だ。

 とは言え、俺も猫忍者を追うべきだ。たとえこの先がボーダーで、サリクスとC◒H-DEFENCEとの交戦エリアで、危険が伴うとしても。

 俺はハイウェイを降りる。


 ボーダー付近に街灯は一切なく、真っ暗だ。

 かつて五回目の東京オリンピックの際に再開発されたネオ=トーキョー・シティの最端に位置する商業都市、つまりボーダー付近のここは、今では荒廃しきった廃墟と化している。数年前、大規模なテロがあったのを機に、ここはサリクスとC◒H-DEFENCEとの交戦の場となっている。

 ここでのテロで、大勢の兵士とサリクス、そしてBTLが死んだ。ブランク・グラウンドにイディオットが密輸され、それをサリクスたちが使い、一気に突撃したのだ。それで事態の把握が遅れ、被害が拡大してしまった。

 しかしBTLの精神的打撃を回避するため、Central◒Houseは報道規制を行い、テロが大々的に報道されることはなかった。テロが発生していた最中でも、メディアは相変わらず欠伸が出るような世界の退屈なイベントや、ペットののほほんとしたハプニング集、下らないゴシップといった低俗な情報しか報道していなかった。

 事態は、結果的にC◒H-DEFENCEが最後、大量の兵器を用いて力ずくでサリクスを捻じ伏せたのだが、それを機に、大規模ではないものの、イディオットを打ったサリクスたちが、ここからの侵攻を継続的に続けている。

 湿った空気が、辺り一帯に漂っている。ここには、ここで死んだ兵士、サリクス、BTLたちの亡霊が、今なおさまよい続けているんじゃないかと思う。そしてそこに立ち入るなと幽霊の代わりに警告するように、視界に〈CAUTION〉のアラートがしつこく点滅する。

 だが俺は、それを無視して奥に進もうとした、そのときだ。

 いきなり、二丁のビームライフルが装備された円盤型ドローンが近づいてきた。

 俺は慌てて愛車のエンジンを切り、息を潜める。

 だが、既にドローンは俺の存在に気付いている。だから迫り寄る。そして割れたフロント窓から俺を覗き込み、二丁のビームライフルを突きつける。

 俺は両手を上げて降参のポーズをする。

 ドローンは俺の顔をスキャンし、アンダードームにあるBTLのデータベースと照合を始めたようだ。そして俺の偽物のIDと合致したらしく、善良な市民と勘違いしたドローンは、〈危険だから早く立ち去れ〉というテキストの警告をイアーク経由で発した後、俺から離れていった。

 思わず安堵の溜息をついてしまう俺。

 車に乗っていては目立つ。だからここからは歩いて行こう。発信機の信号は、この近くから出ている。

 俺は車から降りる。遠くで、大きな爆発音が聞こえた。それに鉛弾の銃声と怒声が重なる。しかし、次の爆発で銃制と怒声は一気に止んだ。

 さらにビームライフルを装備したドローンが、あちらこちらで上空からサリクスを攻撃している。ドローンはUFOに似ているから、まるで宇宙戦争のエイリアンの襲撃のようだ。そして闇に響くサリクスの悲鳴。時たま聞こえる、C◒H-DEFENCEが委託したPMC兵のテンションマックスな笑い声。サリクスとPMCとでは、2~3世紀以上のテクノロジーの差があると言われている。だからPMC兵にとっては、超イージーモードのFPSファースト・パーソン・シューティングをチートし放題でプレイしているくらい余裕なのだろう。そんなゲーム、何が楽しいんだろうかと思う。

 俺は頭を軽く振る。ここで社会批判をしても仕方がない。俺はイアークで視界を暗視モードに切り替え、猫忍者を追う。奥へと進む。

 すると直後、首が切断されたロボットが倒れているのが見えた。最悪なことに、それは俺が発注したDAP-H3000の一機だった。

 C◒H-DEFENCEが委託したPMCはサリクス以外攻撃しない。なら、これは猫忍者の仕業だ。

「クソッタレ!」

 俺は思わず下品な言葉を吐き捨てる。

 発信機の信号は、20メートルほど先にある複合型ショッピングセンターの廃墟から発信されている。俺はスクラップになったDAP-H3000からグレネードランチャーを拾い上げる。DAP-H3000はダメでも、こいつはまだ使えそうだ。

 俺はグレネードランチャーを構えながら、ショッピングセンターへと侵入する。

 中は、驚くほど静かだ。だから俺の足音も、大げさに響いてしまう気がしてならない。

 慎重に行け――俺は自分にそう囁く。

 足音を出さないよう、細心の注意を払いながら奥に進む。床には、瓦礫に混ざって朽ちたマネキンがいくつも転がっている。それが不気味過ぎて堪らない。このマネキン、いきなり立ち上がったりしないよな?

 そんなことを思った時だ。

 突然、頭上の天井が崩落する。

 しかも崩落する天井の瓦礫の中に、猫忍者が紛れていた。猫忍者はあの太い剣を俺に向かって突き立てている。

 俺はボトムアシストの動力を借りて、すぐさま横跳び。降ってくる瓦礫と猫忍者を避ける。

 避けた勢いで一度倒れた俺だが、すぐに立ち上がる。グレネードランチャーはまだ手の中にある。それを猫忍者に向かって構える。

 しかし猫忍者はそれに動じることはなく、もう一刀の剣を取り出し、二つの刃を俺に突き立て、突っ込んでくる。

 俺はトリガーを引く。

 だが猫忍者が早すぎる。照準が定まらず、グレネード弾はかすりもしない。おまけに、二発目を撃つ猶予はない。

 かと言って、悲観することはない。覚えているだろ? 俺が発注したDAP-H3000は、2機だ。

 柱の陰から、何かが飛び出す。そう。俺が発注した、もう一機のDAP-H3000だ。

 DAP-H3000は柱の陰から猫忍者に向かって飛び出す。

 さすがの俺も、勝利を確信した――が、それも一瞬だけだった。

 猫忍者は二刀のうち、一刀の剣を迫り来るDAP-H3000に向かって投げた。

 剣は回転することなく、刃先を前にして、まるでダーツの矢のように、空中をまっすぐ突き進む。そしてその刃先は、DAP-H3000の胸に突き刺さる。

 直後、DAP-H3000は爆発する。

 爆風と熱が俺を襲う。

 それを防ぐため、俺は慌てて両腕で顔を覆おうとする……が、できなかった。

 光り輝く刃が、俺の顔面に迫ったからだ。その刃先は、今にも俺の眼球に触れそうだ。

 俺の全身の筋肉繊維が、瞬時に凍りついた気がした。だが、ここで怯むわけにはいかない。相手は、たかがガキだ。

「子供の遊びにしては、やり過ぎだ。その剣も、銃も、フルアシストのアサルトスーツも、子供の持ち物にしては高価すぎる」

 俺はそう言いながら、持っているグレネードランチャーを猫忍者に構える。しかし自分の唇が、恐怖で震えているのが自覚できる。「武器を捨てろ。その代り、俺が新しい玩具を買ってやる。それで子供らしい遊びをするんだ」

 俺が喋っても、猫忍者は沈黙する。まさか、シャイというわけじゃないだろう。

「頼むから、そのカードを返すんだ。それがないと、俺は死ぬまで借金を背負わなくちゃならないんだ」

 それでも、猫忍者は沈黙を続ける。俺は大きく舌打ちをした後、

「誰の指示で動いている!」と言葉を荒くした。「言っておくが、この業界せかいは過酷だ! お前みたいなガキがいていい場所じゃない! さっさと足を洗って、まともな未来を生きろ!」

 しかし俺が何を言っても、猫忍者は沈黙を貫く。そう、訓練されているのかもしれない。

「なら、仕方ないな」

 俺は瞬時にしゃがみ込む。そして目の前に突き付けられた剣から逃れる。そのままブレイクダンスをするように、猫忍者に足払いを仕掛ける。

 グレネードランチャーで頭を吹き飛ばそうと思えば、できたんだ。でもしない。相手はガキだ。まだ未来がある。俺はつくづく、甘い人間だと思う。

 その甘さが、仇となってしまった。

 俺は猫忍者の足払いに成功しなかった。気付いた時には、腹と背中に激痛が走っていた。直後、胃から血が湧き上がってくる。

 どうやら、俺は猫忍者から腹に蹴りを食らったらしい。それもアシストの動力を借りた、容赦ない強烈な蹴りだ。そしてぶっ飛ばされた挙句、壁に背中を激突させたようだ。

 俺は地面に沈み、何度も咳をする。その度に、血の混じった痰が口から漏れ出る。

「……ざけやがって……!」

 内臓から噴き出る怒りに支配された俺は、もう我慢ができない。相手が少女ガキだろうと、容赦はしない。俺はグレネードランチャーを猫忍者に向かって構えた……構えたはずなのだが、それができない。

 なぜだ? 蹴り飛ばされた衝撃で、グレネードランチャーを手放してしまったのか?

 ――違う。そうじゃない。そうじゃなくて、グレネードランチャーを持っていたはずの俺の右腕が、無くなっているんだ。

「うわあああああああああああ!」

 激痛が走ったわけではない。だが恐怖と衝撃で、俺はその場に蹲り、叫ぶしかない。

 切断箇所を抑えるも、壊れた水道管のように血が溢れ出てくる。

「私に、未来なんて、ない」

 猫忍者は、そう言ったかもしれない。だがそれどころじゃない。俺は切断箇所の止血を試みようと、さらに強く抑える。だがそれも虚しく、切断口を抑える手の指と指の間から、血は漏れ続ける。

 そんな俺を見下ろしながら、猫忍者はこうも呟いた。

「そして、あなたにも」

 ――どういうことだ? 俺にも未来がない? しかしまともに考えることができない。出血が酷すぎる。そのせいで、俺の意識は朦朧とし始める。なるほど、俺にも未来がないのは、ここで死ぬからか……。

 だが、その本当の意味を、猫忍者はこんな言葉で、告げた。

「このワイルドカードが使われれば、人類の未来は終わる。だから――」

 俺の瞼は、石が吊り下げられたかのように、急に重くなった。それに逆らえない俺は、目を瞑るしかない。そして朦朧とする闇の中で、猫忍者は最後に、こう言い残した。

「――だから、ごめんなさい。パパ――」

 そう言えば、猫忍者のあの細くてまっすぐな金髪は、カーラに似ているなと、ふと思った。

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