第三節 魔法使いと従者(1/2)

 2月15日、朝7時頃。

 とあるアパートの一室に鳴り響く携帯のアラーム。寒さが応えるこの時期の朝は起きるのも億劫である。しかしそうも言ってられないので、布団の中からもぞもぞと動いて携帯を探す。

 その間も鳴り続けるアラームに多少の五月蝿さも感じつつ、漸く彼は携帯に手を届かせた。

 今やスマートフォンが世間で根付いているのにも関わらず、彼は未だに携帯電話を使っていた。カパ、と開いてアラームを止めて、ゆっくりと彼は起きた。


「……7時、か」


 起きなければ。

 そう思い、彼……立花聖は布団を仕舞い始めるのであった。




 聖が住んでいるのは、築50年の古びたアパート。名前はあったか荘。家賃はお手頃だが夏は暑く冬は寒いというとんでもない物件である。風呂は男女別の共同風呂であり、洗濯機も共同のものという、どこかアットホームを感じるアパートである。

 聖はそこの2階に住んでいる。身支度を整え、1階にある大家の部屋に行く。このあったか荘では、朝の食事は住人全員で食べるというルールがあるのだ。

 外の寒さに震えながら、聖は大家の部屋に入った。


「ああ、おはようエル」

「おはようございます、エル」


 部屋に入って出迎えてくれたのは、大家の妻である花崎香織と、端正な顔立ちが印象的な立花竜である。

 花崎香織、彼女は聖の返事を聞くと焼いていた鮭を皿に盛り始める。いい色に焼き色がついた鮭は、朝食にぴったりだ。竜は卵焼きを切っている。

 あったか荘の食事は、香織か竜のどちらかが作るか、一緒に作るかのどちらかである。

 実にいい匂いが台所に漂っている。メニューは鮭と卵焼き、味噌汁にご飯やおつけものといった、いかにも日本らしい朝食だ。


「エル、沙羅がテーブルを拭いてくれてるから、手伝ってくれない?」

「ああ……」


 聖は盛り付け終わっている皿をテーブルの方に運ぶ。テーブルには、一人の女性が香織の言っていた通り、テーブルを拭いていた。

 女性は聖に気付くと挨拶をする。


「おはようございます、エルさん」

「ああ……」


 挨拶をした女性の名は田辺沙羅。あったか荘の住人の一人で、医療大学に通っている大学生だ。物腰が柔らかく、無愛想な態度の聖にも変わらない優しさで接している。

 沙羅はテーブルを拭き終わると、台所に行き聖と同じように皿を運ぶ。


「香織さん、手伝います」

「ありがと沙羅。あ、レーア、味噌汁の様子見ておいてくれない?私あの寝坊助起こしてくるから」

「わかりました」


 レーアと呼ばれた竜は、味噌汁の味を確かめる。

 聖と竜、彼らはそれぞれ、エキャルラット・ケーンティフォリアとレーア・フォルムという本名がある。しかし、今は訳あって各々を立花聖、立花竜と名乗り、偽名を使っているのだ。

 彼らをエル、レーアと呼ぶ人物は彼ら以外を除いてはあったか荘の住民だけである。


「うん、いい味だ」


 竜が味噌汁の味を確認した直後のことだった。


「さっさと起きなさいこの寝坊助親父!!」


 香織の罵声と衝撃音、そして男性の悲鳴が部屋にこだました。

 まだ多少寝惚け眼だった聖は、突然の騒音に目を覚ました。あまりに急だったので体が硬直している。それに対して台所にいた竜は苦笑し、沙羅は皿を落としかけた。


「今日はまた、勢いが違いますね……」


 はは、と苦笑しながら呟いた竜の声は音にかき消されていた。

 そして暫くして、一人の男性がよろよろと部屋に入ってきた。まだ朝だというのに、まるで仕事帰りのような顔をしている。


「おお、おはよう皆……」

「おはようございます、拓海さん」


 拓海と呼ばれた男性は、返事代わりに軽く右手を挙げる。彼があったか荘の大家であり、香織の夫である。

 あったか荘に今現在住んでいるのは大家の拓海と妻の香織、沙羅と聖と竜の5人だ。全員揃ったところで朝食も配り終わり、席についた所であったか荘の毎日恒例、朝の朝礼が始まる。


「えー、まぁあれだ。今日も一日変わらずに過ごすこと、以上だな!」

「変わらないですね」

「確かにねぇ。さぁ、冷めないうちに食べようじゃない」


 香織の言葉で、全員は手を合わせた。


「いただきます」


 今日も、一日が始まる。



 朝食を食べ終わると、拓海と竜は仕事に出る準備を、沙羅は学校に行く身支度を始めた。

 学校に通っていないのか、聖は台所で香織の手伝いをしている。

 一番先に出たのは拓海だ。


「ほんじゃ、行ってくる」

「いってらっしゃい。あんまり遅くなるようだったら電話ちょうだいね?」

「わかってるわかってる」


 にこ、と笑う拓海。夫婦仲は円満である。香織も笑って、拓海を見送った。

 次に沙羅が出て、最後に竜が出る。

 彼の姿は、先程まではブロンドの美しい髪とエメラルドの瞳が印象的だったが、今は黒髪に黒目と、れっきとした日本男子に変わっていた。

 彼も、聖と同じく特殊な力の持ち主であり、でかける時は姿を変えているのだ。何か訳があるのだろう。


「それでは、いってきます」

「いってらっしゃい」

「はい」


 返事をして、出ようとする竜。


「……レーア」


 そこに聖が声をかけた。聖の声に反応する竜。彼が自分の方に振り返ると、聖は言った。


「いって、らっしゃい……気を付けて……」

「……はい。いってきますエル」


 にこ、

 笑いかけて、竜は職場へ向かったのだった。


 皿洗いを終えた所で、香織は掃除を、聖は洗濯物を干していた。これは2人にとっては最早日課となっている。

 洗濯物を干していた聖に来訪者が来る。空中でふよふよと浮かぶ陰1つ。


「おはよーエル!」


 にこ、笑ってリリーが聖の前に浮かんでいた。それに対して聖は曖昧に返事をする。


「もう9時だぞ……」

「あれ?私まだてっきり7時かと思った」

「ズレすぎだ」

「エルたちが早すぎるんでしょ……私まだ寝足りないのに」


 気だるそうに欠伸をするリリーを見て、女子力がないとはこういうことかと少し外れた解釈をする聖であった。

 洗濯物を干し終わり、腕時計を見ようとして、ふと聖は首をかしげる。そんな様子にすぐリリーは気付く。問いかけようとしたその時だった。


「おやリリー、おそよう」

「香織さん!おはようございますっ」


 掃除を済ませたのか、香織がエコバックを持って聖達の方へ歩いてくる。

 因みに、香織は聖や竜と違って特別な力がない一般人であるが、竜の力によってあったか荘の住人には彼女が見えるよう、細工を施してある。あったか荘の心霊現象だと噂されないよう、そうされたらしい。

 よって、香織にはリリーの姿がはっきり見えるのである。


「おでかけですか?」

「まあ、町内の集まりとかでちょっとね。聖、どうかした?そんなに腕時計が綺麗なの?」


 彼女は腕時計を見たまま固まってる聖を見た。

 聖はそこで我に返り、しかし「いや…」と渋る。迷惑をかけたくないのだろう。

 だがそんな気遣いは逆効果だったのか、香織は言う。


「隠し事しない!!」

「…………わかった」


 香織の気迫に押されたことに気付いたのは、彼とリリーだけであった。

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