かぐや姫の顔
牛飼童に、「かぐや姫のところに行くぞ」と言うと、「うへえ」という顔をした。
「正気ですか。せめて家で身支度を整えてからにしてください! 言うの我慢してましたけど今の旦那、臭いですよ!」
そりゃそうか。一週間ほど汗と土にまみれて過ごしていたのだ。
一度家に戻ると、家の者が寄ってたかっておいおい泣いた。ついに俺までかぐや姫に狂ったか、友人を亡くした
土で汚れた体を清め、新しい服に着替えたらすぐにかぐや姫の家に向かった。牛飼童は「不当な労働だあ」とわめいていた。
かぐや姫の家は、ただならぬ様子だった。いわゆるどんちゃん騒ぎというやつだ。何の宴会だこれは。
取次を頼むどころでもないので、勝手に上がり込むことにした。人目を忍んで、かぐや姫の部屋に向かう。不用心にも、止めるものは居なかった。
「姫ー。かぐや姫!」
もうあの女のおかしさは知っているので、気楽なものである。
俺がこんなにすんなり入ってきたというのに、かぐや姫の反応は薄かった。几帳の向こうに気配はあるが、何も言わない。
「なんだ、大人しいな。腹でも痛いのか」
几帳の前にどっかり座ると、少し衣ずれの音がした。
「……ああ、中将ですか。あなたも暇ですね。今日はちょっと疲れまして。お聞きではないですか」
「全く聞いてませんが、『燕の子安貝』を見つけた」
「今日は帝がここに来てそれはもう──ちょ、ちょっと待ってください!」
「待て待て待て帝が来たってどういうことだ!」
かぐや姫の口から出たまさかの訪問者に面食らったが、向こうも向こうでかなり動揺していたらしかった。なるほど、帝の狙ってる女を横取りする馬鹿はいないってことで、警備が手薄だったのか。
「そんなことより子安貝です。なんですか? あなたわたくしと結婚したかったんですか!? 嘘つきですか?」
「口説かれ慣れてるからって自惚れないでいただけますか? あと帝を『そんなこと』とか言うな不敬罪で殺されるぞ。まあ待て、説明するから」
俺は今日までの
「鳥の巣に姿を変えていた。変な突起を押したら光ってその姿になった」
「あああ……すご、すごい。コレです。通信装置です。生きてる? 生きてるかしらコレ」
「そ、それ生き物なのか?」
「言葉の綾と言うやつです。ええと、ええと…ああああああ電源入る! すごい! えらい! ステルスモードからのバッテリー節約技術ほんと神……」
また訳のわからないことを言い出した。この間のように澄ました様子はどこへやら、品もへったくれもなく騒ぐかぐや姫に、思わず吹き出してしまった。
「じゃあ、やはり本物の『燕の子安貝』なんだな」
「はい! はい! それはもう! これで帰れます!」
「そうか、これであんたの目的は果たせるってわけか」
かぐや姫がハッと息をのむ気配がする。気まずそうにコホン、と小さく咳払いをして、姫は小さく「はい」と言った。
「それにしてもよく、わかりましたね。ステルス……ええと、姿も変わっているのに」
「姿が変わっていることに気がついたのは、その前に『仏の御石の鉢』っぽいものがあったからだが」
「待ってください、エンジンもあったんですか」
「円陣……? まあ、タケノコに姿を変えていたらしい。光ってないから捨てたけどな」
「捨てッ!? どうして一緒に持って来てくれないんですか! まさか他のものもあったんですか!?」
「知りませーん。俺の友人が頼まれてたのは燕の子安貝だけですので、他はご自分でお探しくださーい」
「ケチ!」
「……じゃあ、あなたはケチじゃないんですか」
俺の声の調子が変わったのに気が付いたのか、かぐや姫は騒ぐのをやめた。
「どういう、意味ですか」
「俺は、あんたと結婚したいなんてこれっぽっちも思わない。けど、『燕の子安貝』を手に入れたんだ。あんたの顔を見る資格くらいはあるんじゃないのか」
「それは……」
かぐや姫はためらっているようだった。しばしの沈黙。遠くから、宴の音が聞こえる。
かぐや姫が話すまで、一晩中だって待つつもりだった。
「──そう、ですね。あなたにはその資格があります。わたくしの恩人です」
「じゃ、失礼しまーす」
「ちょっ、早」
言質が取れたのでサクッと几帳をめくった。こちとら恥じらいも嫌われる怖さもクソもないので、先方の気が変わらないうちにさっさと終わらせる。
中に入ると、かぐや姫は袖で顔を覆っていた。
「この期に及んで、往生際が悪いぞ」
「……わかりました。期待しないでくださいよ」
姫が小さく震えながら、おそるおそる手を下におろす。相当悪いことをしている気分だ。実際してるか。
口元まであらわになって改めて見る顔は──色白で額は丸く、切長の目、小さな鼻に、ぽってりとした頬、少し尖らせているが形の良い唇……それに長く真っ直ぐな黒髪が映える。確かに絶世の美女と言えるのかもしれなかった。少なくとも、俺はこんなに美しい女を見たことが無い。
「……がっかりしたでしょう」
「いや、こんな顔かあと思っただけ」
「反応薄いですね!?」
「麿足が見たら感涙するか腰抜かすくらいの美人だと思う」
「は? どうしたんです。顔を見たら結婚したくなったんですか?」
「調子に乗るなよ。誰が結婚なんかするもんか」
「あっ……もしかして」
姫が何か察したような顔をで口を覆う。
「なんだ」
「中将は石上中納言のことを」
「美女でも蹴り倒すがよろしいか」
「あ、違うんですか。なんだ……」
「……本当に変で、無礼な女だなあんたは。麿足じゃとても相手はできなかっただろうよ」
ため息をついて、立ち上がった。もうここに用はないのだ。
「帰る。あんたも、その子安貝で文を出すんだろう」
「……はい」
「じゃあな」
「……もう来ないんですか」
顔を見るという目的は果たした。もう、終わったのだ。
「帝が狙ってる女のところに通えるか」
「そうですか。あなたと話す時間は気が楽でした……それに、本当に助かりました。ありがとう」
「そう思ってるなら、帰ってからも麿足のことを忘れないでやってくれ」
「……は、い」
そして俺はかぐや姫の部屋を出て、そのまま家に帰った。
これで、おしまい。
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