食事の神様のいうことは絶対。

恋和主 メリー

《食事の神様のいうことは絶対》

 頭が動かない。何も考えられない。意識が朦朧としている。ここはどこで、自分は誰なのかもわからない気すらしてくる。布団が体の一部の様になり、視界に広がるのは薄汚れた枕の角と薄汚れて黄ばんだ壁だけ。生きる気力などとおになく、脳は何かを考えようとすると機械の電源を強制的に落とす様に意識を切断する。重々しい声で『クビだ』と宣告され自分の全てを剥奪される様な夢を一瞬だけみせて。死を望むように――


 磯の香りだ。朦朧とする意識を海の香りが呼び覚す。

「やっぱ腹減ってんじゃん」

 男の声。誰だろう。視界がぼやけていて人影だということしか認識できない。ただ部屋の電気が異常に眩しく夜だということはわかる。

「腹減ってるから動けねぇんだよ。ほら、一口でいいから食えって」

 唇を紙の様な物がかすめ、小さく口を開くと少し柔らかいけれど弾力のある固形物を無理やり捻じ込まれた。わたしは酷く驚いて慌てて口を閉ると、その反動で捻じ込まれたものが口の中に転がり込む。それが海苔と米だと認識するのに時間はかからなかった。コンビニおにぎりの味。

「おお。食った、食った。ほらもう一口食え」

 少し愉快そうな声はさっきの紙の様な感覚とは違いベタベタしたものを唇に押し付けてくる。首を振って逃れようとしたが「口開けろって。それとも無理やり食わせて欲しいのか?」と楽しそうな声で言ったと思うと鼻をつままれ、空気を求めた口におにぎりを詰め込まれた。完全にこれは拷問だ! 途中から拷問に堪えかねて自分で口をあけるとわんこそばの様に一口分の量を口に押し込まれ続けた。「よしよし」とペットボトルのお茶を渡されてわたしは一気に飲み干し、意識が途切れた。

 これも夢だったんじゃないかと思ったけど鼻をつままれた痛みには現実味があり、次に目覚めたとき少し体が動くようになっていて、わたしはいつぶりか布団から起き上がることができた。ゴミ箱を覗くとコンビニおにぎりの袋が捨てられている。しかも味わった具材と同じ《鮭》と書かれた袋のゴミ。あれは夢でなかったのだと奇妙な気持ちになりながら、少し空気でも入れ替えようと窓に近付き隙間をあける。唐突な違和感。窓の鍵が壊れていた。自分の家の窓の鍵は壊れていただろうか、第一……突然の吐き気と頭痛。布団に倒れ込むとそのまま意識は途絶えた。


※※※


「よお。また寝てんのか。飯食ったか?」

 同じ声。そして同じ風景。同じ影はわたしを覗きこみながら「お前、寝相悪いな。布団の中に入って寝ろよ。まあ今は、飯だがな」と言いながらビニール袋の中を探る音が聞こえる。前回よりもどこか男は嬉しそうに「今日はたらこおにぎりだぞ」と唇におにぎりを当ててくる。前回の様な拷問は受けたくなかったのでわたしは必死におにぎりに噛み付いた。男の手にあったおにぎりを完食するとまたペットボトルのお茶を渡される。

「サンドイッチの方がいい……」

 口の中と喉がうるおったからかやっと声を出すことができた。しかし男はわたしの額にデコピンをして「米を食え!米!」と一喝してくる。何かしらの理不尽を感じたがふわりと部屋に流れ込んでくる風と胃の重みが心地よく、わたしはあの夢もみることなく眠りに落ちた。


※※※


 軽快な口笛に目が覚める。音の方をみると狭い廊下に人影があり、口笛と共にフライパンが何かを焦がす音と匂いが漂ってきた。部屋中がどこか騒がしく、炊飯器からはご飯を炊いている音が響き、湯沸かし器もゴポゴポと音をたてている。

「だれ」

 声を絞り出したが、口笛の主はそれに気が付くことはなく楽しげに料理を続ける。窓の外が明るい。少しだけ部屋を見回すと布団のすぐ横に丸い木製のちゃぶ台が置かれていた。蒸気を噴いていた炊飯器からピーピーと音がすると人の気配が近付いてくる。そちらを眺めていると口笛を吹いたままその人は丁寧に炊き立ての米をしゃもじで混ぜ、蓋をパタンと閉めた。そしてわたしの方をクルリと向く。

「やっぱ炊き立ての米はいいよな! 目も覚めるよなー もうすぐ飯出来るから待ってろ」

 あの男だ。愉快そうなその声を聞くとお腹がグゥと鳴き声をあげる。男はテンポよくなれた手付きでちゃぶ台の上に食材を並べていく。出汁巻たまごにソーセージ。ソーセージにはきちんと切れ目も入っている。味噌汁はインスタントだが、お湯が注がれ味噌の香りが部屋に広がると再びお腹がグゥと鳴く。それを聞いた男がニヤっと笑った気がしてとても恥ずかしくなった。ゆっくりと体を起こすと、魔法でもかけられたように気分の悪さもなく意識は全てちゃぶ台の上の料理に持っていかれる。朝食と表現するのがふさわしい二人分の食事。

「お前は何も食べてないみたいだから大盛りな。俺は普通盛りー」

 歌う様に男は炊飯器から米をよそっていくが、どう見ても男の米の量の方が多い。この男、本当に何者なんだろう。いきなり現れて無理やりおにぎりを食べさせてきたり、今度はこんな食事を作ってたり。だけど知り合いという気もしない。しないけれど、全く知らない人という気もしない。わたしはやはり記憶喪失にでもなっているのだろうか。深く考えたかったけれど目の前の食事に気をとられすぎたて、思考回路のど真ん中に米を盛られた様な気分だ。


「それでは、両手を合わせて、いただきます!」


 可愛らしさを演出したいのか少し幼げな作り声をして男は出汁巻に手を伸ばす。

「うん。やっぱり俺様天才」

 自画自賛の言葉を口にしたかと思うと「冷めるだろ。早く食え」と怒られた。その気迫に慌てて手を合わせて「いただきます」と言ってから味噌汁を一口飲んで出汁巻に噛り付く……美味しい! 見た目はどちらかといえば不格好だし、味付けも顆粒出汁に醤油をぶっかけたような適当な味付け。なのに今まで食べたどの出汁巻よりも美味しいと脳が感じている。

 一心不乱にちゃぶ台の上の料理をパクパクと口に投げ込み頬張っていると男が肩を震わせながら声なく笑っているのがわかった。文句をいおうかと手を止めたと同時に窓から光が差し込み男の顔を照らした。初めてハッキリとこの男の顔をみた瞬間だった。長いまつげにパッチリとしているけれど涼やかのある目元。力強い瞳。スッキリとした鼻筋にどこか人を小ばかにしてる様に口角の上がった口。綺麗な人だと思った。


「ごちそうさまでした」と手を合わせてお辞儀すると「よろしおあがり」と聞いたことのない返し言葉と共に男もお辞儀する。

「今まで食べた中で一番美味しかった。気がする……」と素直な感想を伝えると男はニヤニヤと笑い「まあ、俺様は神だからな!」とふんぞり返った。

 一瞬あいた口が閉まらなくなったが、男のあまりの自信ありげな態度に本当にそうなのではないかという気さえしてくる。次の言葉を発しようと思ったけれど、苦しい程の満腹感と至福感が眠気に変わってわたしを床へと押し倒す。男が「お前、また!」と叫んでいるのは感じたけれど、意識はゆったりと遠ざかり沈んでいく。今までとは違う眠りへの落ち方。心地が良い。だけどそれ以来、今までは映らなかった断片的な映像が過る様になった。悲惨な事故現場の映像。それが鮮明になりそうになった瞬間、そうタイミングを計った様にいつも「飯だ」という声に叩き起こさる。食事を食べて眠りにつく、そして眠りの中で何かが見えそうになった瞬間に起こされ、食事を食べる。そんな日常がたぶん半月ほど続いた。


 日毎に体は軽くなっていく、けどやっぱり何か少しでも考えようとすると意識が飛んでしまう。唯一、意識を保ってられることは食事のときだけ。だから男の「飯だ」という言葉と食事にわたしはとても救われている。そして食事をしているときは少しだけ思考が動くので一度、自称神様に自分の状況を話してみると「じゃあ、飯のこと以外は考えなきゃいいじゃん」となにも解決しないような返答をされた。けれど、これがわたしの生活を大きく変えた一つだったといえるだろう。


 その日は目が覚めると夕方だった。考えたいことは沢山あったけれど、お腹がグゥと鳴いたのでわたしは狭い廊下にある台所に足を運ぶ。兎に角、なにか食べ物のことだけ考えることにしたのだ。冷蔵庫の中身は意外と充実していて、それを見ていたら料理をしたくなった。特に頭を使うこともなく体が無意識に食事を作っていく。眠る以外のことができていることが嬉しくてたまらなかった。たぶんにんまり顔で料理を続けていると、唐突にガチャリと音がして玄関から自称神様が入ってきて、味見皿を落とし掛ける。

「「うわっ、びっくりした」」

「起きてる!」

「神様の癖に玄関から入ってきた!」

 一瞬声がハモリ、それぞれに勝手な言い分を口にする。わたしは初めて見る男のスーツ姿に対しても驚きと背筋がスッと冷える感覚に襲われた。目の前の映像にノイズが入り、意識が途切れかける。体の力が抜け、倒れそうになった。けれど、その瞬間手首を掴まれ、気が付けばその手に持っていた味見皿に男は口をつけていた。男の力強い瞳と視線が交わる。

「美味しいじゃん。俺、焚きもん好きなんだよな。完成楽しみにしてよ」

 ニヤッと笑いながらわたしの手元から男の顔が離れていく。「焦がしたら罰金なー」そんな言葉と共に消えていく自称神様。頭が真っ白になりわたしは無我夢中で料理を完成させた。

 その日以来、少しずつでも料理ができるようになったことは嬉しい。でもそれ以外のことが考えられない自分にとても不安な気持ちにもなる。だから再び自称神様にそのことを相談したのだが「別に今はそれで構わないんじゃないか。お前の料理美味しいし」と笑うだけだった。その言葉に一応頷いたけれど、目覚めている時間が長くなるほど一つの言葉が頭の中で繰り返され、夢の中でとても苦しくなる。


 “食べるってことは生きるってことだ”


 この言葉自体は自称神様の口癖の様なものでもある。けれど、夢の中できこえるその言葉は悲痛な叫びで、鉄と炎の臭いがよぎる。それを叫んでいたのは――『クビだ』。「!!」。


※※※


「明日から出張で三日ほど一緒に食事できないけど、ちゃんと飯食うんだぞ。一日分はおにぎりを作り置きしてやろう」

 夕食時には必ず目を覚まし、自称神様と食事をするのが当たり前になっていたので男の言葉にわたしは角煮を落とし掛けた。

「神様にも出張ってあるんだ」

「あるよ。働いてるからな。あ、醤油とって」

「だめ。かけすぎ」

「ケチ」

「神様の健康を考えてデス」

 あまりにも日常的な会話。その幸せに笑いながらわたしは恐怖していた。失われる瞬間がいつかくるとわかっているから。それでも炊き立ての白米の香りと口に入れ、噛みしめたときの甘みの至福感が心をなだめる。

「お米って美味しいね。本当に」

「なに当たり前なこと言ってるんだよ。米は食の基本。食べるってことは生きること。これ以上の幸せはねぇよ」

 自称・神様。必ず白米を奉納しなくてはいけない神様。米は炊けたらすぐに混ぜなくてはならず、焼きそばの日であれ、冷麦であれ、挙句チャーハンでもあっても白米を要求して、チャーハンをおかずに白米を食す変な神様。一番好きなおかずはカレーで、でも自分では作れない呪いに掛かってるという子供みたいな楽しい神様。


 翌日の朝、わたしは叩き起こされ「ちゃんと米食えよ!」と念押しされた。いつもの様に夕方目覚めて、インスタントみそ汁を入れてからわたしは神様が作ってくれたおにぎりを頬張る。ぶっきら棒だけどマメな神様。

「…………味がしない」

 正確には味気がない。神様が作ってくれたのに。次の日は朝に目が覚めたので神様が作ってくれるものでもお気に入りの砂糖醤油こがし餅を作ってみたけれど美味しくなくて、薄明るい午前の部屋の中は自分からあふれ出す嫌な記憶で息ができなくなりそうで、わたしの意識は弾け飛んだ。


「お前は俺がいないとすぐこれか」

 乱暴に叩き起こされた。お土産であろう《M山峠名物・半月ヨモギ饅頭》という微妙に重たい箱で頭を叩かれ地味に痛い。言い訳を聞いてくれるというのでその饅頭を食べながら自分の身に起きたことを説明したが「それでも食うんだよ。ちゃんと生きろ」と一喝されただけだった。その饅頭を神様は美味しくないと言ったが、わたしはとても美味しいと思った。


※※※


 夢。いや、記憶。事故現場だ。

『俺はまだ生きるんだよ!』

 スーツの男はそう叫ぶと必死におにぎりを頬張っては咳き込み、血と共に吐く。

「どんなに足掻いても無駄です」

『そんなこと知るか!俺は生きる!食い物が食えればまだ生きれるんだ!食べるってことは生きるってことだ!!』

 そんなに強く叫んでも一口も食べれてないじゃないか。でもその姿に、瞳にわたしは何もできずただ見下ろしていた。そう、自称神様を。


※※※


 炊飯器の鳴る音に目が覚めた。時計はAM06:00と表示していて、そんな時間に目覚めたのは初めてだった。周りを見渡すと、わたしの隣で神様がスヤスヤと寝息をたてている。わたしはいつも考えない様にしていた部屋の中を見回し、そこにあるものを初めて認識した。完全に男物ばかりの部屋に見慣れたスーツとジャージ。わたしは静かに台所に立ち、料理を作った。一番初めに神様が作ってくれたのと同じメニューで。

 目を覚ました神様に挨拶すると神様は驚いた顔をしていた。

「ねぇ。わたしって、だれ?」

 全てを終わらす様に訊ねると、彼は顔をしかめて「先に飯!冷める!」と叫ぶ。「いただきます」そして「よろしおあがり」という恒例の言葉が交わされるまで終始無言だった。けれど食事が終わった瞬間に彼は重々しく口を開きこう言った。


「お前は死神だよ。俺の命を回収しに来た死神」


 そして夢で見た光景の話をしてくれた。彼の気迫に押されて魂を回収できず、彼は生き延び、わたしは死神という職であり存在を剥奪されたようだ。


「でも驚いたよ。退院して家に帰ったら死神が俺の布団で寝ててさ。最初は関わって命取られたら嫌だと思って放置してたんだけど、目は覚まさないし、衰弱していくし。さすがに見てられなくなって――」

「で、あんな拷問したと」

「拷問? なんのことだよ。まあ、その後は記憶ないみたいで、基本寝てるし、飯美味しかったから無害かなって改めて放置してた」


 彼は全てを知りながらわたしを……干渉的な気持ちなっていたのに無粋にも彼はお茶のおかわりを要求しつつ「ほら、俺って懐の広い神様だからな!それでいいじゃん」といつもの様に笑うのだった。腑に落ちないことはまだ沢山ある。それでも。そう、それでも、今が嬉しい。


「生かしてくれてありがとね。自称・食事の神様」


 笑顔でお礼をいうと窓から朝日が差し込んできて、神様をキラキラと照らし出す。自称神様はいつものようにニヤッと笑った。だがこの後に「自称ってなんだよ!」と喧嘩が勃発したことも書き加えておこう。

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