第41話 あいつは死なせない

「あ・・・」

アタシが思わず気の抜けた声を出す。物事をすっかり忘れていたときに出る、典型的な、あ。今日はアタシの家に楓が泊まっていた、そんなことを忘れるくらい、こいつの様相は異常だった、ってことかねぇ。


 いたた・・・、と楓は膝をさする。察するに、地下から上がってきたらアタシたちの声が聞こえて、咄嗟に隠れて盗み聞きをしていたら、足をもつらせて転んだ、というところだろう。足をつまずくほどのこと・・・、はぁ、こいつの秘密、聞かれちゃったんだろうねぇ・・・。


 それにしても、と、アタシはもう一度しっかり楓の姿を眺める。アタシの家の地下には風呂がある。つまりは、楓は風呂に入ってた、ってことなんだけど、女しかいないと油断してか、髪も大して乾かさずに水で滴り、頬は紅く火照って、服も流石に下着というわけはないけれど、薄目の寝巻きで、要するに、彼女の姿はなんだか、えらく色っぽかった。


「ったく・・・。何も無いところでこけるなんて、ウチもドジ踏んだもんだ。なぁ、渚?」

「ア、アタシっ?」

楓がアタシのことを親の仇でも見るような目で睨んだ。

「何だぁ?ハナからそいつが来るって知ってたのかよ?」

「いや、知らなかったって!アタシだって戸惑ってるんだから!」

「けっ、どうだかな・・・」

ん~、な~んか、アタシに八つ当たりしてない?さては、自分のあられもない姿をこいつに見られたから・・・というよりも、単純にずっこけたところが恥ずかしかったってところかね。楓の奴、自分の体のことに関しては隙だらけだし・・・。こいつも、普段なら楓の姿にときめきを覚えるんだろうが、今の状況じゃね・・・。


「ところで、楓」

一応、聞いておかないと。

「どこから聞いてたんだい、アンタ?」

「別に?琴音が消えたとか、前の世界がどうとか、それくらいしか聞いてねぇよ」

十分すぎるよ。むしろ、それくらいしか話してないよ。

「まぁ、言うまでもねぇが、ウチはここで真実を追求しねぇほど大人じゃねぇぞ」

「ま、そうだろうね・・・。ってことだ、アンタ、話してやんなよ」


 少しくらいは抵抗するかと思ったけど、こいつは意外にもすんなりと話し始めた。逆に喋らないのも妙だし、もう聞かれているから仕方がない、ということなのだろうか。楓は黙って聞いていて、全部聴き終わったあとも、大して驚いているようには見えなかった。

「お、驚かないのかい・・・?」

思わずアタシは聞いてしまった。

「いや、驚いちゃいるが・・・。今日はエイプリルフールでもねぇし、こんな嘘をつく意味もねぇし・・・。ただ、別に前の世界だろうが今の世界だろうが、お前はお前だしな」

「・・・ありがとな、楓」

何だか、一際嬉しそうな顔をしていた気がする。


「あー、でも悪いが、人が消えた、ってのはまだ半信半疑だ。何せ、ウチが知らない人間のハナシだし・・・」

やっぱり楓も、琴音のことは覚えていない。

「テレビでも付ける?ニュースで何かやってるかもよ」

アタシがしたその提案、後から考えれば、悔やむべき判断だったのか、分からない。


『速報です。急に目の前で人が消えた、という目撃情報が、世界各地で相次いでおり・・・』


「・・・!」

「世界中、で・・・?」

「・・・おいおい、何てタイミングだよ・・・」

そのニュースを見た途端、アタシはこいつの手を反射的に掴む。何も言わず、外に出ようとした素振りを見せたからだ。

「・・・アンタ、馬鹿なこと考えなさんなよ・・・」

アタシはこいつがやろうとしていることが、分かった気がした。

「・・・なんのことだ。僕はただ、外の空気を吸おうと思っただけだ」

「嘘。それくらい、分かる」

アタシじゃなくなって、誰にだって。

「・・・」

「アンタが死んだって、この状況が好転するとは限らないだろ」

アタシは断定して言った。

「・・・元を断つ、っていうのは、問題解決のセオリーだ。もう臨界点なんだよ、わかるだろ・・・。このまま何もしなければ、世界中の人間が・・・、いや、お前たちが、消えてなくなる。そんなのは、御免だ・・・!」

「だから、アンタが死んだら意味ないでしょ!」

「じゃあどうしろってんだよ!?僕がここに来たから、関係ないお前たちまで巻き込んだ!人が消える、だなんて有り得ない現象、僕が来た以外、何が原因だって言うんだよ!」

こいつは怒鳴る。大声で、絶望に揺られながら。

「アタシが何とかする。そう言ったろう?」

「お前が言ったのは琴音のことで、ここまで規模が広がったら・・・!」」

「何とかするさ、科学者は、人類を支える存在・・・。絶対に、何とかしてみせる!」

嘘は無かった、偽りも何も。今、アタシがどんな目をしているか、それは分からないけれど、本気の目、それをしているつもりだった。

「・・・信じなよ。アンタが頼ってくれた、女のことくらい」

アンタは気づいていないだろうけど、アタシのことを一番に頼ってくれて、すっごい嬉しかったんだから。

「・・・分かった」

そんな情熱に打たれてか、こいつは観念したような表情を見せる。

「・・・頼む、僕じゃもう・・・」

「やめなよ」

アタシは膝をついて、頭を地面に付けそうなこいつの顔を手で抑え、土下座を阻止する。

「・・・仲間だろ、そんなこと、しなくていいから」


 あいつは出ていった。アタシに、巻き込んで悪いな、と言って。あいつが負い目を感じていそうだったから、科学者にとって、面倒ごとは財産だ、って返してやった。あいつは少し笑って、自分でもできるだけやってみるから、と言い残して帰った。

「ったく・・・、土下座なんかしなくても、気持ちは十分伝わるってのに」

アタシがさながら母のような気に浸っていると、楓は深刻な顔で、最悪だな、と呟いた。

「最悪、って、あんたねぇ・・・」

誰だって死にたくないだろうさ、アタシは続ける。

「そうじゃねぇ、お前の目は節穴か?」

「・・・?どういう・・・?」

「あいつは、死ぬつもりだ」


「え」


「な、何言ってんだい・・・。見てただろ?あいつが観念したような、仕方ないって思ったような態度・・・。もう、死ぬなんてことは・・・」

「戦略だ、全部あいつの戦略」

「戦略・・・?」

「もう手段がなくて逆上していたところを、お前に諭されて納得。土下座までして、お前に頼らざるをえない、っていう、演出だ」

「え、演出、って・・・」


「お前、思っただろ?これで大丈夫。少なくとも、あいつの自殺は止められる、って。これで、お前のあいつに対する警戒心は0になった。これがあいつの狙いだ」


「あいつは今すぐにでも死にたい。それで世界が救われるのなら、自分の命なんて平気で投げ出す、それがあいつだ。でも、それをしないのは、逆の可能性があるからだ。この原因があいつなら、解決できるのもあいつだけかもしれない。つまり、自分が死んだら、世界は2度と救えないかもしれない」


「あいつが言った、できるだけやる、っていうのは、原因を自分で調べてみて、解決策が自決だったと分かった瞬間に、命を断つ、ってことだ」


「あいつは死ぬぞ。世界を、ウチたちを救う為になら、何の躊躇いもなく」


「・・・へぇ」

確かに、すべてが的を射ていた。あいつの性格を考えてたら、尚更アタシは納得してしまった。そして、それと同時に、何故だか、ジェラシーを感じる。

「たったあれだけで、ここまで分かるのね」

「はっ、まぁな。あいつとは腐れ縁だ。お前よりは長く付き合ってる」

「・・・妬いちゃうよ、少し」

アタシはあいつとの付き合いは浅い。それでも、あいつの状況、状態を知っているのは世界でアタシただ一人だけだった。その特権、とも言うべき奴を持っていたからかねぇ・・・。何だか勝手に、あいつにとってアタシは特別で、あいつのことを一番分かっているのはアタシだ、って、思ってた。

「・・・落ち込むな、誰だって、適材適所だ」

「ふん、だ・・・」

何か悔しいよ、女として、ね・・・。


「・・・あるんだろ、策」

「・・・」

アタシの嫉妬を知ってか知らずか、楓は話題を元に戻す。確かに、今は私情をはさむところじゃない、か。

「お前のことだ、出まかせじゃないことくらい分かってる」

「まぁ、ね。それでも絶対じゃない。越えなきゃいけないリスクはベリーハードだし、超えたとしても、完全に上手くいくとは限らないよ」

「いいさ、それでも何もないよりはマシだ」

「・・・楓、アンタ・・・」

アタシはもう、楓の気持ち、決意には気づいていた。

「分かってんだろ?抜け駆けはさせねぇ。ウチにも手伝わせろ」

「・・・死ぬかもよ」


「死なねぇさ、ウチは死なねェし、あいつも死なせねぇ」

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