第39話 どうしてお前ばかりが

 確かに、そこにあった。その手は、僕の左手に包まれていた、その事実に誤りはない。彼女自身は知る由もないだろうが、もう二度と離さない、そんな気概で握っていた。もう二度と、遠くへ、僕の手が届かないところへ、行かせないように。


「・・・」


 つー、と汗が出る。ごくり、と生唾を呑みこみ、息が荒くなる。何回も、何回も反復して確認する。いたんだ、間違いなく、今、僕の側に。


「はっ、はっ・・・」


 手にじっとりと汗をかく。その汗を雑に服でぬぐって、周り、360度を眺め、目を泳がせ、僕は探した。彼女を、琴音の姿を、探した。


「琴音・・・?」


 比喩じゃない、例えじゃない、妄想じゃない、幻覚じゃない。いや、本当ならば、そのどれかであってほしい。僕の勘違いで、僕の頭がおかしくなったんだと。それならどれだけいいか。だが、今僕の目の前で起きたこと、それは現実だった。


「消えた・・・!」


 急に、本当に急に、消えた。僕が握っていた手がふわっと急に軽くなり、僕が見ていた琴音の優しい顔がぱっと急に見えなくなり、僕が聞いていた琴音の声がぶつんと急に途切れた。


「はは、そ、そんなわけ・・・」


 僕はふらっと足がよろめきながら、どうにか体を支える。そうだ、そうに決まってる、僕の勘違いに決まってる。だって、冷静に考えて、人が目の前でぱっと消えるなんて有り得ない、そんなこと、あってはならない。


「落とし穴に落ちた?」

僕は地面を見る、穴は開いていなかった。


「ロープで上へと引っ張られた?」

僕は空を見る、そんなクレーンみたいな機材は存在しなかった。


「瞬きした間に一瞬で走り去った?」

多分時間にして0.1秒、琴音はそんな超人ではなかった。


「じゃあ、えっと・・・」


 いくら頭で考えようとも、どんなに子供っぽい思考だろうが、どんなに非現実的なことだろうが、琴音の消滅を否定できない。考えれば考えるほど、目の前で、手を握っていた琴音が、服も残さずに、跡形もなく、気配もなく、一瞬で、突然に、消えた、その事実が頭の中を駆け巡る。


「嘘だっ!!」


 僕は大声で叫び、走った。公園に行って、デパートに行って、今日僕が琴音といっしょに回ったところをしらみつぶしに。もしかしたら、どこかに隠れているかもしれない、いざとなったら、あれ、どうしたの、なんて、気の抜けた声が返ってくるかもしれない。そうだ、そうに、そうに・・・。


「はぁ、はぁ、はぁ・・・」


 日が暮れた。今までの人生の中で間違いなく全力で走りまわった僕の体は、すぐに限界を迎える。それでも、僕の足は歩むのを止めない。そうだ、琴音の家に行こう、僕はそう思い、また体に無理をさせて、少し早めに歩く。


* * *


「・・・」


 家を失ったことがある。しかしそれは原因不明の怪奇現象とかではなくて、ありがちな火災だった。その燃え焦げた家を見た僕は、確か度重なる不幸に笑った気がする。しかし、今、僕の目の前に入ってきたそれを見て、僕は声が出なかった。


「・・・」


 住所は間違えていない、一体この一年間で、何度来ただろうか。確かにあったはずの家が、まっさらな、更地になっていた。


「・・・」


 ここに来て、ようやく僕は膝をつく。ぐしゃっと音をたてながら、崩れ落ちる。何もない、消えてしまった空地を、放心して眺めながら。


「ことねぇえええええ!!」


 また、叫ぶことになってしまうなんて。悲痛に彼女の名を、呼ぶことになってしまうなんて。僕はまた、救えなかっ・・・。


 いや、違う。まだ、まだだ。前の世界では、琴音は殺された、それははっきりと僕は確認したことだ。でも、今回、琴音は殺された、のではなく、消えた。比較してみれば、まだこちらの方が希望はあるじゃないか。こちとら次元を超越してきた最早SFの存在、だとしたら、人が消えたとしても、まだ彼女を救える手立ては残されているかもしれないじゃないか。


「・・・よし」


 絶望している場合はじゃない。泣き叫んでいる場合じゃない。僕は立ち上がり、渚の元へと走る。この世界で唯一、僕の事情を知っている渚。彼女ならば、何か対策を知っているかもしれない。人に頼りことしかできない僕の愚かしさも、今は目を瞑るしかない。


* * *


「渚っ!」

僕はノックもせず荒らしくドアを開ける。うぉ、な、なんだい、びっくりした・・・。そんな渚のきょとんとした顔が見えた。僕はひとまず安堵する、もしかしたら渚までも・・・、そんな考えがよぎらないわけではなかったから。


「実は、琴音がっ・・・」

「・・・琴音って?」


「・・・!!」

心が、へし折られた気がした。僕の顔が歪んでぐちゃぐちゃになっていると、鏡を見らずとも分かった。当然、琴音のことを渚は知っていた。知り合い、顔見知り、そんな程度ではなく、二人はよくいっしょに過ごしていて、遊んでいた。それなのに。聞きたくなかった、もう二度と。琴音って誰だ、そんな言葉は。


「ちょっと、一体どうしたんだい・・・?」

僕の顔を見て、渚も心配する。悪いな、何でもない。僕は抜け殻のように返事をする。いや、急に訪ねた来たのに・・・。当然の返事を渚はするが、悪いな・・・、それしか僕は言えなかった。ドアを開け、僕は外に出る。

「ちょっ、アンタ・・・」

・・・悪い・・・、何でもなかった。僕はそれしか言わなかった。


 とぼとぼと、ふらふらと、まるで死人のように、歩く。分かりたくなかった、認めたくなかった事実。琴音という存在が、この世界から完全に抹消されていた、ということを、受け止めながら。


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