第37話 生きていてくれれば、それで

 買い物に思いの外時間を費やし、気づけば昼も過ぎもう2時になった。僕たちはデパートのフードコートでハンバーガーを持ち帰り、一番近くの公園にやってきた。公園、といっても遊具がある小学生のオアシスではなく、芝生があり野球なんかもできそうな広いスペースのある自由空間だ。直接芝生に座って、僕たちは少し遅めの昼食を取る。


「こういうときって」

食べながら琴音が少し申し訳なさそうに声を出す。

「女の子がお弁当作ってくる、ていうパターンがベタですよね。もしかして少し期待していました?」

琴音が作ってくれたお弁当、確かに食指をそそられるものではあるが、今日琴音を玄関で見たとき、どうもお弁当が入っていそうな袋か何かも持っていなかったので、その可能性はあまり考えていなかった。

「気にするなよ、また今度でいい」

と僕は特に何も考えずにいったが、琴音の顔がぱーっと明るくなって、そうですよね、また、今度でいいですよね・・・!と笑顔になった。何か特別なこと言ったか?と釈然としない僕は聞いてしまったが、いいえ、何でも!と教えてくれなかった。


「さて!」

ご飯も食べ終わったことですし。琴音は次の工程に移る司会者のように、パンと手を叩いた。

「遊びましょうか!」

「遊ぶ・・・?」

公園にいるのだから、この上なく適した動詞だが、それでも僕は疑問符を浮かべる。

「遊ぶって、何してだ?」

「何でもいいですよ。こんなに広い場所があるんですから、ただ走ったり、寝転んだり、何でもいいじゃないですか!」

「それって遊びか?」

「まぁまぁ、細かいことは気にしないで」

琴音は芝生に座っている僕の手を引っ張って立たせる、まぁ勿論、僕の助力があってのことだが。ぱんぱんと習慣的に服をはらって立ち上がった。


 ただ走って、ただ寝転んで、ただ笑って、ただ話して。公園でなくてもできることだが、広い敷地が開放感を促して、存外何も特別なことをしていなくても楽しい。無論、その楽しさの根本的な原因、要因は、琴音が無邪気に笑っていること、それに尽きているのだが。


・・・ああ。

僕は一緒に琴音とはしゃぎながら、それでも琴音をふと遠目に眺めながら、感じる、そして噛み締める。僕は今、幸せだ、と。


* * *


「・・・眠くなっちゃいました」

ふぁあ、とあくびをしながら、琴音は目をとろんとさせる。あれだけ遊んだらな、と僕は納得しつつ言う。琴音は兄に付き添う妹のように、僕の服の袖を軽く掴んで、こっち・・・、と方向だけを言って僕をぐい、と引っ張る。僕は人形のようにただ従って、近くにあったベンチに促される。

「・・・ちょっと、だけ・・・」

琴音は僕をベンチの端っこに座らせて、僕の膝を枕にして何の躊躇いもなく頭を乗せた。


「ちょ、琴音・・・」

「・・・ちょっと、ですから・・・」

琴音はすぐにすーっと吐息をし始めて、優しい顔で目を閉じた。今日が平日だからか、それとも時間的な問題か、明確な理由はわからないが、周りに人がいなかったので、こういった人目をはばかるような状況でも琴音は気にしないようだ。まぁ、もし人がいたとしても、この子は関係なく寝るのだろうか。


 しかし、いくら動いたといっても、外で寝ざるを得ないくらい疲れるものだろうか。小学生じゃないんだ、体力もそう簡単には尽きないだろう。考えられるとしたら、昨日の夜、何らかの理由で寝ていないとか、そんな感じか?結局考えたところで分かるものではないが。


「・・・すー・・・」

・・・それにしても、男の膝の上でこんなに簡単に寝れるよな・・・。一流アスリートではない僕は、自分の膝のことを気にしたことなんて一度もない。そんなに心地はいいものではないと思うが・・・。安らかに眠っているな。こんな言い方をすると、まるで琴音が死んでいるみたいだ・・・。と、ふと思ってしまった。


「・・・」

僕はじーっと琴音の横顔を見つめる。綺麗な肌、毎日きちんと手入れをしているのだろうか。艷めいた髪、長かったら質を維持するのも大変だろうに。可愛い服、センスがあるファッションだ。そんな一人の“女性”が、僕の上で無防備にも眠っている。別に発情した訳じゃない。思春期はとうに過ぎている、なんていったら、男は一生思春期だ、なんて意見も帰ってきそうだけれど、とにかく、性的興奮をしたというわけじゃない。まぁこれも本人が僕を誘う為の作戦だったとしたら、私って魅力ないですか、なんて落ち込まれてしまうかもしれないが。


「・・・んっ・・・」

僕は本人の許可を得ず、寝ている彼女の髪の毛をそっと触る。肌に触れ、温もりを実感する。びくっ、と彼女の体が動いた気がする。声も少し漏れた気もする。それでも僕は罪悪感なんて抱かずに、ただ、優しく琴音の顔に手を当てる。


 そう、分かったことが、分かっていたことがあった。ふと、彼女がしんでいるみたいだなんて、縁起でもない例えをしてしまったものだから、そのことが浮き彫りになった。間違いなく、彼女は、琴音は、今、生きていた。

「・・・良かった・・・」

僕は琴音の顔から目を外し、上を、空を見上げる。ちょうど暖かい木漏れ日が差す、外出にはうってつけなからっとした青空。それをもう一度見たくなかったから、ではない。零したくなかったから、少しだけ詩的な表現をすると、雨を降らせたくなかったから、僕は上を向いた。


「・・・いいんですよ・・・」

「っ!」

急に声がする。誰の声でどこから聞こえるかは、一目瞭然だった。僕は琴音を反射的に見るも、目は閉じたままだった。

「私は寝ていて、これは寝言。ですから、私は今のこと、何も覚えていませんから・・・」

だから。琴音は続ける。

「いいですよ、泣いたって。私は何も、知りませんから・・・」

「・・・ありがとな、琴音」

生きていてくれて、本当に良かった。


夕方。

琴音も目を覚まし、帰宅にはいい時間になった。

夕焼けが化粧となり、琴音を色っぽく、艶っぽく、より綺麗に映えさせる。

そんな彼女の口から、一つ。


「最後に・・・━、私からいいですか?」

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