四章 解に行き付く前に

第18話 まだ人である内に

 歩いていた、誰にも言わず、一人で。ふらふらとした放浪じゃなくて、しっかりとした目標、というか、標的があって、そこへ向かっていた。誰の許可も得ないで、一人で。


 何だか、不思議な感じがする。アタシは一人で研究に勤しんでいたら、それで良かったはずなのに。誰とも関わらずとも、誰の為に成らずとも、自分自身の為に動けたら、それで良かったはずなのに。

「・・・」

アタシは、ふと足を止め、空を見上げる。つい、思い出す。昔のこと、まだアタシは、純粋だった頃。


 アタシを好んだ男は、みんな、アタシのことなんか見ちゃいなかった。幼くして両親の遺産を相続したアタシは、働かずとも一生暮らせるような金銭が手に入った。羨ましい。そう思われるかもしれない。でも、夢のないことを言うようだけど、金なんて持っていたところで、何もならない。


 アタシも女。恋に落ちたときもあった。告白した。一人の男性に。そして、アタシとその男は付き合うことになった。ここから先は、在り来たりで、想像通り。向こうはアタシのことなんて、アタシという存在なんて、どうでもよかった。周りは蟻。甘い砂糖を求める、ただの蟻。アタシ、という存在なんて、丸っきり関係なかった。


 どこから流れたか分からない。情報が一体、どこから漏れたのか。ただ一つ分かったのは、アタシが告白した男は、どうやらアタシが金持ちなのを知っていて、ただそれだけの理由で、アタシに近づいたということだった。


笑ってしまう。


 子供みたいに、やった、なんて、家に帰って喜んだ。眠れなかった、嬉しくて、心躍って。顔を赤らめて、必死になってした告白が、俺も、実は、なんて言葉で返されて、本当ですか!なんて、声を荒らげて、笑みが収まらなくて。


滑稽だ。


 きっと、あの男もそう思っていた。でも、仕方ないじゃないか。その時は、アタシ自身の魅力だって、思ったんだから。金の魔力なんて、知らなかったんだから。


 それからも、結局言い寄る男は皆、アタシではなく、金目当て。アタシの正体、なんて言うと大げさだけれど、それを知らなかった男も、ちょっと金のことをほのめかすと、変わる。目の色が。本人は意識していないだろうけれど、多分、本能とでも呼ぶべきものによって、変わらざるを得なくなる。


 アタシ自身、ひどい目にもあった。金の魅力、魔力、妖艶さに取り付かれた男に、暴力を振るわれたこともあった。それもあって、アタシは人から離れて、ひっそり一人で研究に勤しんでいた、というわけ。途中、楓に出会って、あの子とはだいぶ馬が合って、アタシには他に人がいなくても十分だった。


 そもそもアタシの性格、というかポリシーは昔から何も変わらない。後先何も考えず、ただ、自分がやりたいようにやるだけ。だから男は勝手に誑かされるし、アタシは勝手に傷を付ける。


 そんな折、だった。

彼は、本で埋もれているアタシのもとへやってきた。アタシは男に騙されて、そこそこ酷い目にあってきたのに、男性嫌いになっていないことは、アタシの器量の一つだろうか。アタシは何も考えず、彼に手を求めた。


 楓の紹介、ということだった、からなのだろうか。彼はアタシの知人の知り合い、だから、大丈夫、ということなのだろうか。アタシは何も躊躇することなしに、彼をアタシの家に住まわせた。十数年ぶりだった、興奮して眠れなかったのは。


 ドキドキした。思い出した、この気持ち。体がふわっと宙に浮いていってしまうような、この高揚感。単純に、一言で言うならば、一目惚れだった。


 フィクションの世界じゃ、ある種禁じ手。だって、過程を描けない。いろんな事件があって、吊り橋効果で、助けられて、不慮の事故で、唇の接触で、何でもいいけど、とにかく、人が好きになる過程っていうのを、全部すっぽかしてしまうのだから。でも、アタシはフィクションだって思ってた。一回見ただけで胸を矢で撃ち抜かれるなんて、表現が古い気もするけど、ある筈ないって。


 あった。アタシだ。しかも変わらなかった、目の色が一切。本人は気づいていないだろうけど、アタシが金の話をしたのに、一切、目の色が。分かる、その微妙な機微に関しては、アタシは専門家だから。


 そんな彼が今、いや、アタシと出会う前から、苦しんでいる。楓から、彼のことについて聞いた。大切な人を亡くして、苦しんでいる。だったら、助けてあげたい、そう思った。即決だった。


琴音。


 彼の昔からの知人が、殺された。彼の目の前で。

一体どれほど辛かっただろう、一体どれほど悔しかっただろう。


刺殺。ナイフか包丁か、ともかく何かに刺されて、彼女は死んだ。何者かによって、彼女は殺された。その、何者かの情報を、楓が集めてきた。


 覚えている。今でも、はっきりと。汗が出た、つーっと。唾を飲み込んだ、ごくって。怖かった、恐ろしかった。彼が出したそれ、即ち、殺気が、まじまじと感じられた。悟った、一瞬で。殺したいほど、憎んでいるって。


千尋。


 彼が愛した人。故人。アタシが知らない人。言うなれば、琴音は最愛の人ではない。千尋ではない人なのに、彼は本気で千尋を殺した人物を憎み、怒れる。そんな優しい彼だから、きっと、無茶をしてしまうのだろう。彼の手は、血に染まってしまうのだろう。


 彼は全く気づいていないだろうけれど、アタシは彼といっしょに過ごせて、どうしようもなく楽しかった。彼に暴言を吐かれた後でさえ、彼のことを思わずしていられなかった。虜だった、単純明快に。


「・・・ふふ」


 そんなアタシが可笑しくて、勝手に一人で笑う。ベタ惚れってやつ?アタシはまた歩き出す。誰もいない道、木々に囲まれた一本道。帰り道も、ここを通るかは分からない。もし通るとしても、アタシが人であるかは分からない。


 見えてきた。小屋。一人暮らし用の、小さなもの。あそこに、いる。あいつが、いる。あそこに入れば、もう後戻りはできない、って分かってる。でも、止まらない。アタシだから、自分勝手なアタシだから、彼の為になるとアタシが勝手に判断したことは、もう止められない。アタシは━。


「・・・誰だ?」


「アンタを殺しに来たモンさ」





 

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