イデラの占い師が飼う鳥が、客の過去を知っている訳


 イデラは荒くれの町。アタイらみたいな、はすっぱには似合いの町さ。

 金持ちが暮らす中央から離れて、潮臭いたまり場を歩くとよく分かる。

 酒には塩水が、賭場にはイカサマが混ぜ物されてるのが当たり前。

 だからアタイはこの町で花を売るときゃ、余所者だけを相手にしているのさ。


 昨日の商売相手は、プロケスタから魚を買い付けに来たレストランの若旦那。

 これがなかなかどうして、いい羽振りを披露してくれた。

 おかげで仕事明けの今日は昼の最中から、最高級の骨付き牛と熱い口付けさ。

 ボトルを一本平らげちまっても、そりゃあ仕方ないってもんだろ?


 焦らしに焦らして巻き上げた、八枚もの金貨。

 そのうち一枚をテーブルに乗せて扉をくぐり、ご機嫌なヒールで石畳を鳴らす。

 そんなアタイの視界を埋める青い空の下には、いくつもの屋根の先に、黒ずんだアドリア海が横たわっていた。


 漁場から駆け上がるような丘一つ分というイデラの町。

 腐った町だけど、時たま仕事場として足を運びたくなる訳はこの店にある。


 いい食材を使ってるのに、口ばかりのコックのせいで残念な味になるんだけど。

 なにやら今日は、やたら赤い香辛料のせいで味がぼやけちまってたけど。

 そんなもんに金貨をくれてやるのも、すべてはこいつのため。


 丘の頂点に建つこの店から、腹をくちくさせて出た瞬間の眺めが最高なんだ。



 幅広の目抜き通りが一本、わき目もふらずに落ちていく。

 そこにたむろするすべての人間を、そしてアドリアを渡る風でさえ、アタイのヒールが下に踏みつけている。



 年に、ほんの一度か二度。こうして人の一番上に立ってる自分を感じるために選んだ仕事。

 あと何年続けることができるのやら分からねえけど。その間に、毎朝こんな景色を堪能できるような家を持つ男を捕まえることができるのか分からねえけど。


 ……いや、もしそれを手に入れたとしても。

 アタイが満足できるとは思えねえけどな。




 親に虐げられてたアタイを育ててくれたのは、お隣に暮らすおばちゃんだった。

 何度も命と心を救ってくれたおばちゃんは、アタイに人として大切なことを教えてくれた。

 そして両親からは、獣として大切なことを学んだのさ。


 そう、獣の領域。

 最後の最後に、アタイに知ってはならないものを植え付けやがって。

 粗悪な酒のせいで痙攣した二人を踏みつけた別れの晩。

 あの優越感、超越感。アタイは、禁断の果実の味を知っちまったんだ。


 そんな記憶の中の麻薬を嗅ぐために、アタイはここへ花を売りに来る。

 でも、あの日知った興奮を超えやしない事も分かっちゃいるんだ。


 そしていつの日か。

 アタイはあの味を二度と口にしないままに、踏みつけられる側に回るのさ。



 ――この地においては高級住宅街と呼ばれる丘の上。

 その頂から、掃き溜めみてえな最下層を見下ろしていたら。

 他人を騙すことしか興味のない輩を掻き分けるように、青い顔でネズミみたいに駆けずり回ってる男を一人見つけた。

 素面になった今更、アタイに振舞った金貨が法外だってことに気付いたってツラしてやがる。


 やれやれ。興も削がれちまったし、何より見つかっちまったら面倒だからな。

 アタイはするっと目抜きを外れて嵐をやり過ごそうとしたんだが……。


「こいつぁ驚いた。占いなら夜中、酒場のそばに店を出すもんだぜ?」


 丘の頂点に立つ、この町最高の飯屋。

 その裏手に回ると、背丈の低い建物の影にちょこんと納まるように、ばあさんが座っていた。


 占いなんざ、酔っ払いをご機嫌にさせて金をせしめるのが道理だってのに。

 それを、昼下がりの石畳に紫ヴェールでべったり尻を付けて。

 レモン木箱を逆さにして、その上に有難そうに水晶玉を置いてやがる。


 場違いで時違い。

 こんなところで客なんか釣れるはずはない。

 だから逆に、ばあさんに興味が湧いたんだ。


 急いでこの場を離れなきゃと思ってたけど、あの男もまさかアタイが石造りの高級住宅街を彷徨いているとは思わねえだろう。

 だったら、ここにいた方が安全か。


 ばあさんの正面に胡坐で腰かけて、面白い話の一つでも売ってもらうことにアタイは決めたのさ。


「おい、ばあさん。風が吹くまでレモンをもぐなってことわざを知らねえのか?」

「そうきゃ、そうきゃ。時節を知れとおめさんは言うが、ワイは儲けておるじゃ。今日も、いい客がこうして来よる」

「ちっ! このアタイをカモ呼ばわりか?」


 冗談じゃねえや。

 そう思いながらも、こいつは上手いと舌を巻くことになった。

 だって、占いなんぞに興味すらないアタイがこうして銅貨を五枚も出しているのは、こんな場違いに引っかかったせいだ。


「……まあいいや。なんか一つでもアタイのことを言い当てたら思惑に乗ってやる。銀貨でどうだ?」

「そうきゃ。最初の所望は、おめさんの『昔』きゃ。じゃがそれもお見通し。コイツきゃら既に聞いちょるじゃ」


 随分と癖のあるしゃべりのばあさんが、懐から取り出したもの。

 それは鮮やかな黄色い翼を持つ、一羽のセリンだった。


「こいつって……、鳥から聞いたってのかよ」

「『昔』と『今』は、コイツが持つ双の眼でなくば見えぬじゃ。ワイは右目を無くしてもうたし、残りの目は『先』だけしか見えぬで」


 隻眼? しかも未来が見える?

 そう話すばあさんの右目には、確かに炭が塗られてる。

 とは言えアタイだって騙しのプロだ。そいつが芝居化粧だってことくらい分かるっての。


「はっ! そいつぁいい! そんじゃお鳥様が見てきたアタイの過去、聞かせてもらおうか?」

「この店はエビが名物というに、なんでおめさんは牛なんぞ食ろうたじゃ」

「…………おいおい、ほんとかよ。当てやがった」

「ほほ。ちったあコイツの目を信じなさるきゃ?」


 そう言いながら、セリンを指先で弄ぶばあさんよ。

 今のはどんな手品だったんだ?

 アタイは約束通り銅貨の上に銀貨を一枚放ると、人間様には心地良い音に驚いたセリンが、ばあさんの腕から飛び立った。


 ちょっと慌てたけど、ばあさんが涼しい顔をしてやがるから問題ねえんだろう。


「驚いたぜ。あんた、本物か?」

「占う者は皆、自分だきゃ本物と疑わぬからこの商売をするじゃ」

「へへっ、そうは思わねえけどな。だが商売してる以上、そうとしか返事も出来ねえってか」

「いんにゃ? ワイはまがい物。じゃが、あの鳥は本物じゃ」

「……へえ。そんじゃお鳥様ってやつに、少し占ってもらおうか」


 この塩気にむせるような街に厚手を羽織るばあさんは、キセルに火を打って一服つけるとアタイに渡してきた。

 上質の葉だ。

 昨日の成金がくゆらせていた安もんと違って風味が奥深い。


 紫煙をぼうっと眺めながら、アタイは考える。

 このばあさん、ひょっとすると忍びで大物が占ってもらう程の女かもしれねえ。


 ぼろい木箱に反して、羽織りは南東の最高級品。

 身に着けてる宝石だって、全部売りゃあ一生遊んで暮らせそうな代物。


 こんな場所に店を張ってるのに、普通にやってたら羽振りがいいはずはねえ。

 よっぽどの大物から占い代を受け取ってる証だろう。


 ……こりゃあ、いいめっけもんしたぜ。

 まどろっこしいスカートを腿まで捲って本腰を入れると、アタイはもう一枚の銀貨を先払いして、占ってもらうことにした。


「じゃあ占ってくれ。アタイはどうしたら金持ちになれる?」

「ふわっは。錬金でも夢見ておるのきゃ? 銀貨一枚でそんな物が買えたら、ワイがすがるじゃ」

「ばあさんほどの腕がありゃ、そんなの必要ねえだろ。ケチケチすんなって。お偉いさんばっかじゃなくて、たまにはアタイみたいなのにも甘い汁吸わせろよ」

「そうじゃの……。なれば、年寄りに金でも恵むと良いじゃ」


 ニヤニヤ笑いながら、並んだ金を指差すばあさん。

 仕方ねえな。


 アタイはここまでだからと念を押しながら、銀貨をもう二枚乗せた。


「ほほ。ワイのまがい物な目にも、おめさんの眩しい『先』が見えるぎゃ」

「そんなこたどうでもいい。そこに辿り着くにはどうすりゃいいのか聞いてんだ」

「そうじゃな。放っておくとそこへ着く前に倒れちまうからの」


 しわがれた声がくすんだ空を見上げると、さっきの鳥が舞い降りてきた。

 レモン箱に着地した黄色い翼。

 そのくちばしには油紙で折られた薬包が挟まっている。


「……倒れちまうってな、どういう事さ」

「おめさん、こいつを飲んでおくがいい。胃の毒が綺麗に消える」

「毒だって!? おいおい、そいつぁ何の話だ!」

「肉と一緒に、なんぞ食ったろ」

「……見たこともねえ香草が乗ってたけど……」

「それは、イデラに住まうもんにゃ薬になるがの。他所もんにゃ胃に回る毒じゃ」


 冗談じゃねえ!


 言われて初めて気付いたが、確かに腹が少し痛く感じる。

 あたいは薬包を開いて、粉末をばあさんの水筒で流し込むと、今度は喉が焼けるようにヒリつきだした。


「げほっ! ……なんだこりゃ?」

「慌てるか、おめさん。そいつは薬湯じゃが、若もんにゃ効きが良すぎる」

「喉が熱い! おいババア! アタイはどうなるんだ!?」


 こいつの胸倉を掴んだところでどうにもならねえことは分かってる。

 でも、アタイはそう動くよう、両親から学んじまったんだからしょうがねえ。


 荒くれた動きで木箱から銀貨を跳ねさすと、セリンが慌てて逃げ出して行った。


「じゃから、慌てるか、おめさん。安心するぎゃ。熱は三日ほど頭に移って、そのうちてっぺんから抜けよる。んがいやじゃ言うなら……」


 ばあさんの言葉に合わせるようにセリンが再び木箱へ舞い降りると、今度は雑草がその口に咥えられていた。

 ……いや、これは雑草じゃねえ。

 こいつは確か……。


「熱さましを噛んで呑みゃれば、夜には熱が引く」

「……その葉っぱ、見覚えがあるぜ」

「ほほ。そりゃおめさん、この鳥は『昔』を見ることが出来るじゃの」


 セリンの口から取り上げた草。

 熱さましに、小さいころ飲まされたやつだ。

 隣のおばちゃんがすりつぶして、シロップと混ぜて飲ませてくれたやつだ……。



「――今のアタイがあるのは、あの人のおかげだ」

「じゃから、さっきも言うた。年寄りに金を恵むと良いじゃ」


 熱くなった喉に苦い葉っぱを無理に通すアタイを見上げながらばあさんは言う。

 その顔立ちはおばちゃんに似ても似つかねえのに、なんでかそっくりに思えてきやがった。


「……それが、眩しい未来へ至る道なんだな?」

「同じことを言わせるおめさんだぎゃ」


 あれっきりだから、もうあの場所に暮らしてねえかもしれねえけど、探し出してお礼をしてやらねえと。

 アタイから奪い取られた親孝行ってやつをしてやれる機会。

 そいつが不意に生まれたことに、なんだか興奮し始めた。


 ……あの、他人を踏みつける興奮とは比べられないほど小さいけど。

 どういう訳か、あの興奮より何倍も気持ちいい。


 気付けば流れていた涙。

 悶える両親を見殺しにした夜に捨てちまったものまでアタイはこの手に取り戻すと、もう 居ても立ってもいられなくなった。


「そうと決まりゃ、すぐに発たねえと」

「ほほ。……薬代くらい置いてくじゃ」


 ばあさんは、跳ねまわった金の内、銀色の一枚を指しながら言う。

 だがな、銀貨なんぞくれてやるって訳にゃいかねえ。


 アタイはばあさんの手に、硬貨を一枚置いた。


「金貨!? バカな子じゃろ! こんな葉など、どこでも取れるじゃ!」


 慌てふためくばあさんに、アタイは作ってない笑顔ってやつを向けた。

 そして作ってない言葉ってやつを投げかけた。


「……本物の占い師ってやつを初めて見たぜ。ばあさん、こんな掃き溜めみてえな町にゃあもったいねえ」

「やれやれぎゃ、ワイはまがい物と言うに。……鳥が何でも知ってるだけじゃ」

「ああ、確かにすげえ鳥だ。よくよく考えりゃ、このセリンが持って来たもんが全てだったんだからな」


 へへっ、ほんとだ。ばあさんは何にもしてねえや。


「……いや? そんなこたねえか。ばあさん、アタイが食ったもん当ててたか」

「それも、鳥に聞いただけじゃ」


 なるほどね。

 鳥に聞いた、か。


 アタイは本物の占い師に心の底から頭を下げて、新しい一歩を踏み出した。

 眩しく輝き始めたアドリア海へ向けて。

 その先にある『未来』を求めて。


 まるで心を梳くように、潮風が髪を靡かせる。

 アドリアからの風に乗って向かって来るのは、潮の香りと、新しい人生。そしてあの鳥だった。


「……おい、ばあさん! 最後に教えてくれ! いま、あんたの鳥が咥えてた魚の骨は、アタイの未来の暗示かい?」


 随分と伸びた食堂の影に身動ぎするばあさんは、静かに首を振りながら答えた。


「おめさんの占いは、とうに終いじゃ」

「なら、それはなんだ?」

「次の客が食ったもんに決まっとるだよ」


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