-20- 迫る美貌の竜騎姫に対抗せよ!


 駐屯基地の隊舎の廊下を四人の老人たちが歩いていた。


 国家の威信を護るために魔法防具マジックアイテムを支給され、それぞれ誇らしげに装備している。


 いずれも独自性のあるのだが、先頭に立つ男だけは最上位の騎士のみがまとえる青色礼装だった。


 老いた男たちは奥にある会議室に踏み込み、中央に座る王冠を被ったリンネに敬礼した。


「殿下。首尾よくいきましたな」


「ありがとうジョーサイド、しかし、なんで帝国で謹慎中の君がここにいるのか理由を聞いていいかな?」


「ハッ! この地に危機が迫っていることを察しましたのですが……確証がなく、近衛騎士団長としての立場では動きにくい。そこで一計講じ、わざと失態を晒すことで誰にも勘繰られずにファンバードに移動できました。我が小さき名誉より国家の大きな実。帝国に迫る暗雲を切り払うためにはああするしかなかったのです」


 皇帝の近衛騎士がゴルフに狂い。

 剣ではなくアイアンを腰に下げ、王宮入りしたスキャンダラスな事件。

 それはあくまで演技だったとするジョーサイドに、アクネロは無言で生暖かい視線を送っていた。


 後ろにいる他の三人もいかにも、といった真剣な顔をしているが、首筋に妖精のものとされるキスの痕が残っている者もいる。


「では、彼らは?」

「ハッ! 彼ら三人も長年の経験からやはり帝国の危機に気付いておりました。まっこと勇気と知恵を持った男たちです」

「まあ当然じゃ」

「当然だ」

「ふっ、若者はまだまだじゃの」


 四人の英雄たちの裏事情をこの場ではアクネロだけが知っていたが、この弱味はいずれは利用できると踏んで黙っていた。


 ルーツバルトとの戦いでこき使える将軍クラスはいくらいても困らない。


 そして、戦争の追い風ともなっている。

 手を組んで座るリンネはにこやかに頷いた。


「素晴らしい功績だ。特にジョーサイド。君はすぐさま元の任に復帰できるだろう。君ら四人のことは父上にしかと報告しておこう」


 喜びを表す四英雄は栄光にしっかり喜び合っていた。

 いくつになっても、名誉欲は欲しいものだ。たとえそれが、思いがけぬ巡り合わせだっとしても。


「とはいえ、ルーツバルトの竜騎姫も本気になったようだ。陸軍を展開している。我々もまた包囲網を広げ、決戦に臨む必要があるようだ」


 連日連夜、海上から空砲を鳴らす作戦は炙り出しの意味もあった。


 市民が残っているため、砲弾を多段発射するわけにいかないが、火薬は爆発させることはできるし、たまに実弾を野営地に浴びせることもあった。


 敵が打って出てきたのは、街という防衛拠点を捨ててでも、こちらを倒さねばならないと判断したからだろう。


「まだ陸軍の数は脅威だ。補給線を断ち、たっぷり罠を仕掛け、徐々に消耗させる。ボクらは何も焦ることはない。じっくりと追いつめよう」


 細かな作戦が決められる。


 広げられた地図に部隊の配置が決められ、熱気を帯びながら指揮官たちは討論した。


 取るべき陣形。作戦の手順。予想されるアクシデントの対応。

 用意する武器。開始と終了の合図。敵を騙すためのフェイク。


 語るべきことは多く、絶対に覚えなければならないことも多数あった。

 戦慣れしたものは遠慮なく建設的な意見を飛ばし、慣れない者は固唾を飲んでいた。


 すべてが決まると夕方が訪れた。


 解散と休憩が告げられ、時を待ってアクネロは優雅に紅茶を飲むリンネに近づいた。


 熱気が嘘のように冷めた会議室には、もう二人しかいない。


 アクネロはリンネのすぐ横に腰かけ、肘をテーブルに乗せる。


「相棒、レオーナちゃんは俺にやらせてくれ」

「なぜだい?」

「敵将を討って手柄を立てたいと思うのは誰でも一緒だろ」

「かの姫騎士は美人らしいね」


 やや尖った声音。

 不機嫌を察してアクネロはこほんと咳払いした後に、喜悦の笑みを浮かべた。


「よし。白状しよう、捕まえて色々と楽しみたいんだ。あの女は乳もでかいし、尻もいい形をしてる。むちむちのふとももを舐めまわしたいと思うのは男として自然な感情だと思うぜ」


「長い付き合いだからわかるよ。君が嘘をつくとき、相手に嫌われるようなことを口にするんだ。そうして、相手の目を嫌悪で曇らせて真実から遠ざけようとする」


 貼りつけた邪悪な笑みが崩れる。


 頬を強張らせ息を呑んだが、心のうちを見透かすような瞳に串刺しにされる。冷え冷えとした王の嫡子の眼差しに。アクネロは歯を噛みしめた。


「何か別に欲しいものがあるんだね。しかし、ダメだよアクネロ。君はボクの傍でボクを護って欲しい。君は替えの利かないボクの親友であり、愛しい人だ。単純な戦闘なら、ジョーサイドに任せておけばいい。彼は未だ我が国でもっとも優秀な手駒だ。君の魔剣の師でもあるのだから、わかるだろう」


「そうだな……わかった。呼び声がかかるまで待つよ」


 慰めるようにリンネは微笑み、ゆっくりと立ち上がると、両腕を開いてアクネロを抱擁した。


 目を配って人気がないことを確認すると軽く、唇を重ね合わせる。


 余韻はなく、数瞬のことだったが、リンネの血行のよくなった頬と潤んだ瞳には思慕と情感が込められている。


「それでいい。心配いらないさ。ボクたち二人で勝利を飾ろう。きっと二人のいい思い出の一つになる」


「ああ、そうだな」






 ∞ ∞ ∞



 朝焼けが横一列に並んだ横陣をファンバード防衛軍を淡く照らし出した。


 呼応するように陣形を組むルーツバルトの軍隊が気勢を上げる。


 圧巻の人波だ。


 武装は要所を護る軽甲冑の歩兵がほとんどだったが、長槍と盾を主武器とし、肩巻きに自軍と敵軍を分ける紋章を刻んでいる。


 両陣営を分ける地形は高台。緩やかな斜面となっており、くぼみや勾配もあるおかげで仕掛けた罠の見えずらくなっている。


 そよ風が揺らす草原の上に鉄塊が並べられる。

 攻め手であるファンバードは地形の優位を利として、攻城兵器のバリスタや野戦砲を準備していた。


 対してルーツバルト側は市の囲いである城壁を背にして、そびえる胸壁の下に弓兵を潜ませて配置している。


 掃討戦を想定しているものの、いざというときに街へ引っ込むためだ。


 三万が八千に対して弱腰であるが、采配は慎重でもある。

 勝利が見えていたとしても、敵よりも痛手を受けたくない表れでもある。


 支配しきっていない敵地で一戦、二戦、三戦と続けば摩耗していくことがレオーナにもわかっている。


 ファンバード側としては、形勢は不利ではあるが、王族や古豪の英雄がいることで士気はそう悪くない。


 誰も次期皇帝を約束された者が戦死したがるとは考えないからだ。


「殿下、ルーツバルトの使者が来ました」

「よし、通したまえ」


 天幕に訪れた使者の話は、やたら装飾が多用された降伏勧告だった。

 こちらにはそちらにとって重要な捕虜がいる。彼らを無下に扱いたくはないが、攻撃を受ければ斬首する。


 また、数で上回る我々が負けるはずがない、と。


「捕虜を斬首したら君らを一人残らず同じ目に遭わせる、そう伝えてくれるかい? ボクらも夜襲で君らの一部を捕虜にしているが、戦時協定は守っている」


 使者は伝えたいことを終えると、足早に天幕から去って行った。

 敵陣に単身飛び込むのは命懸けでもある。

 使者の命など歩兵よりも簡単に消費されるものだ。


 前髪をかきあげたリンネは一息つくと、両脇に並ぶ騎士たちから一人を探した。

 

「さて……ん? ジョーサイド、アクネロはどこに?」

「はい。殿下のご命令でこちら側の使者として行くと」

「言ってないけど」

「……」

「……」


 穏やかな顔がみるみる内に鬼神へと変貌した。


 物腰の柔らかな王子の仮面が外され、地金がはっきりと覗けてくる。重いビロードのマントを外し、地面に叩きつけ、げしげしと踏みつけた。


「ぁあ、もうっ、全軍戦闘態勢! 出陣用意!」

「ハッ!」

「なんでそんなに馬鹿なんだっ! 馬鹿! うそつき馬鹿め! ああ、腹が立つ! どうしてやろうか! あの男め!」


 怒り狂ったリンネは歯を噛みしめ、動揺する騎士たちに向けて手を横に振って見せ、命令した。


「さぁ、攻撃だ! 貴様ら全員、死力を尽くせ!」









 敵兵の人壁が左右に割れ、細い道を作っていた。


 物々しい雰囲気が漂うなか、アクネロはその道を堂々と歩いていた。


 使者という身分を携え、非武装ゆえに拘束されてはいなかったが、陣営の奥深くに行けば行くほど周囲の兵隊の厚みが増していく。


 鎖で繋がれた竜たちの姿が視界に入った。

 世話をしている竜騎士は怒りの形相でアクネロを見つけると睨んでくる。戦友を討たれたことを知って憤っている。


 怒りは伝播でんぱして、何も知らない兵たちもアクネロに嫌悪感を寄せ始めた。


 最奥に案内されると、レオーナが取り巻きの竜騎士たちに囲まれながら簡易椅子に腰かけていた。

 目をぱちくりさせ、次ににやりと歪んだ笑みを見せた。


「へえ、面白い」

「よぉ、お仕置きに来たぜ」

「ここで死ぬわよ、アンタ」

「前はよぉー……せっかく楽しくやってたのに、いらねえ邪魔が入っちまったじゃねえか。勝負しようぜ。俺が勝ったらそこの頭抱えて俺に背を向けてるメイドを寄越せ」


 傍付きの従者と化しているミスリルは、縮こまってアクネロの目線から逃れようとしていたが、びくっと震えて涙目となり――身体を後ろを向けた。


「随分、ご執心じゃない? 嫉妬しちゃう」

「心配するな、これから文字通り死ぬほど相手をしてやる」

「期待していいのね」


 ざっ、ざっと身構えた騎士たちが歩み寄ってきた。


 囲むための槍兵が長槍を向け、抑えとなる騎士が剣を抜き、僅かな魔術師が刻印のある杖を細腕で握りしめる。


「我が二番目の従属たる歯刃の紋章剣よ……まず、てめえらはぶっ飛べや」


 ぞわぞわとした粘土質の魔剣がアクネロが顔にへばりついた。

 形は変化し、使用者の肉の形さえも変える。

 その魔剣の名は『赤狼の原初剣レッド・フラット

 使用者の頭部を変化させ、リミッターを外し、太古からのケダモノの剣を持たせる。


 おぞましい赤狼の獣面が出現する。

 びっしり頭部を覆った赤毛と狼の狡猾な瞳。

 凶暴な牙と頬の奥まで線を引くようにぱっくり開いた口蓋。

 血と肉に飢えた人狼だ。


 アクネロは息を深く吸い込んだ。

 そして――腹の底から咆哮した。


 大声は轟音となった。

 空気をビリビリと震わせ、給仕の持っていたガラスグラスを砕き散らし、誰もが両手で耳を塞いだ。


 魔性の咆哮は大気を揺るがし、鎖に繋がれた竜さえも怯えさせた。

 逃れようと羽ばたき始め、竜騎士たちの初動は遅れた。


 裂肉歯をむき出しにしてアクネロは駆け出した。怯んだレオーナの首筋に噛みつこうと大顎を開く。

 レオーナは槍胴をアクネロの口に突っこんで防いだ。唸る牙と金属が衝突する。天幕の裏で待機していた愛竜ボロスが幕を破って突進してきた。


 竜の頭突きをもろに食らい、アクネロが態勢をぐらりと崩した。


 音の爆弾から復帰した騎士たちが剣を抜いて襲い掛かってくる。一人目を横っ飛びでかわした。その流れた身体を狙い、横っ腹に肘を入れる。吹き飛ばすことには成功したが、アクネロの足下に魔法陣の影ができていた。


 気付くと、同時に雷弾が天空から落ちてきた。偽りの雷雲からもたらされた電撃に歯を食いしばって耐え、騎士の落とした剣を拾って唱えた魔術師に向けて投げつけた。魔術師は腹部を縦に裂かれてばたりと倒れた。


 どこからか、裂帛の雄叫びが聞こえた。

 騎士二人が左右から剣を滑らせてきている。スライディングで右から迫ってきた相手を倒し、その腕の自由を奪った。左の騎士の腹部に剣を突っ込ませる。


 鮮血が散らばり、血煙が舞い、青々とした草原に色を付け始めた。


「その姿って、あんまりイケてないわねっ!」


「我が従属たる駿馬の紋章剣よっ!」


 『アレキウスの具足剣』を召喚し、アクネロは滞空しているレオーナに向けてジャンプした。わらわらと兵隊たちが集結していっている。

 アクネロとしても、空に逃げるしか道がなかった。


 騒乱が巻き起こり、たった一人を殺すために軍団は意識を向けていた。 


 獣面は光の粒子と化したが、代わりに黒鉄の足が出現する。


 アクネロが勢いのまま蹴りを繰り出すと、レオーナは下唇を舐め、竜を操って回避した。

 お返しの刺突しとつが撃ち出される――アクネロは腰を回してカカトで弾いた。ついでにボロスの赤頭を踏み、更に高く飛翔する。


「楽しくなってきたじゃない! 『強腕となる魔槍よハンド・オブ・ラース』」


 喜びのオーラを発散させながら、レオーナは光槍を頭上でぐるぐると回した。左腕を伸ばし、わきをしめて騎兵特攻ランスアタックの体勢に移行。


 飛竜も連動した。棘を備えた尻尾が翻り、翼が垂直になる。


 アクネロは緊張した。肌身に触れる気流が変質している。部分的な真空を形成する。幻想種は神秘の生き物だ。その飛行能力は並ではない。


 火竜の種族結界がレオーナを包んだ。

 あらゆる障害物を弾く紫色の膜が乗り手を守護し、完璧なる防護と攻撃を実現する。


 誰もが知る常識において――竜騎士は空中戦において比類ない者だ。


「まあ、空を飛ぶ奴は魔術師とバケモノと俺みたいな奴だけだからな。比較なんてろくにしてねえだろうよ」


 ムカデ型の足甲『アレキウスの具足剣』は使用者の自重を無に等しくする。

 羽毛のように軽やかな移動を実現し、攻撃の際に重力を戻すことが可能となる。


 猛威の騎兵特攻ランスアタックが迫ってくる。

 魔法武器を持つ人間と数トンの怪物が加速し、無防備に落下するアクネロの息の根を止めようと襲い掛かる。


 カカト部分に差してある隠し剣を引き抜いた。奥の手はいくつでもある。『怪奇ソードオブ十剣・ストレンジ』の名は伊達ではない。


 雑兵が飛ばした弓矢を絶妙な動きで踏みつけ、襲いくる敵に向けて駆けた。


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