第3話:ただ切る少女(三)

「ど、どうし……て?」


「早苗ちゃんの魂を解放するには、これしかないの」


 豹変した平坦な口調で言い放ち、烏輪はかつての友人の肉体から容赦なく刃を引きぬいた。吹き出る血潮を見つめるその表情には、すでに笑顔の欠片もない。

 低い呻き声と共に、その場に両膝を付き、うずくまる早苗。

 それを烏輪は、冷たい目で見おろす。


「ひ…どい……うり…ん……」


「ボクに、そんな幼稚な手は通用しないの」


「……あはっ……あははは……」


 顔を下に向けたままの早苗が、烏輪の言葉を聞いて静かに、そしてだんだんと激しく嗤いだす。


「あはははは! 友人をだまし討ちで刺せるなんて、非情、非情、非情!」


「卑劣な鬼に、そんなことを言われたくないの」


 烏輪は太刀を斬りあげた。

 だが早苗の体は、人の物とは思えない勢いで後ろに大きく跳びさがる。


(鬼切に刺されてるのに……。ほむ。ランクCぐらいなの)


 再び、早苗の体が闇に埋もれる。

 訪れる静寂は、遠くで聞こえていた車の走行音も一切遮断する。


 数秒の間。



――ドン!



 右手の窓から威嚇する音が響く。

 見れば、窓ガラスに朱の掌が浮かびあがっている。

 それはまるで幼い頃に色紙に残した、記念の手形を思わせる。



――ドン!


――ドン! ドン!



 次々に窓に浮かぶ鮮血の掌。

 それにまぎれて、血糊でできた人面も浮かぶ。



――うひひひひ……



 その実体のない顔が嗤う。次々に現れては、叫声まじりに響かせる。


(鬼切だと幽鬼ゆうきは斬りにくいけど、このぐらいなら……)


 烏輪は太刀を横に構えると、敷いてあるタイルが割れるのではないかと思うぐらい、勢いよく床を蹴った。そして、早苗とは逆方向に疾風のように走りだす。

 その影を追いかけるように、窓ガラスの手形や顔も走りだす。次々と窓ガラスが、真っ赤なスタンプで埋められていく。


「今時、こんなありふれた演出じゃ怖くないの」


 烏輪は、耳元で空気が鳴るほどの速度で、一〇メートルぐらいを駆け抜け、緑の光源の手前で急停止を試みた。タイルの上で少しだけ靴底を滑らせ、鉄製の扉の前で程よく止まる。

 上には白い文字で非常口と書かれた明かり。

 その緑の明かりを返す扉の取っ手に手をかける。

 鍵を外してあるのは確認済み。

 勢いよくまわし、体当たりするように扉を開けて外に出る。


(第四章三節……)


 そして、すぐ左に太刀を一閃。


野分のわきはらい!」


 まとった霊気を刃とし、太刀は窓の外に漂っていた赤黒い煙をスッパリと十メートルほどに渡って両断する。

 薄暗い校庭に「キィー」という甲高い悲鳴が轟く。

 それは、一般に悪霊と呼ばれる鬼――幽鬼の断末魔。

 その先に、早苗の姿を見つける。


 否。


 それはもう、早苗の姿をしていない。口は顎が落ちるように胸元まで裂けて、両目が中央にまで寄ってしまっている。四肢だけが奇妙に膨れあがり、爪がまるで猫のような形で大きく発達していた。そして、頭上には二本の牡羊の角。

 それは鬼か悪魔か、まさに化物。


「…………」


 それを見ても動揺せず、烏輪は鬼となった早苗に走りよる。

 早苗も爪を振りあげて迎え撃つ。


「ひどのおどごをどっだおまえもじね!」


 濁った怒声と共に、大きな爪が振りおろされる。

 だが、寸前で止まった烏輪はそれを右足をさげて捌き、太刀で鬼の手を上から斬り落とす。その動きは同じ古流剣術【柳生新影流剣術】の【飛燕ひえん】に近い。


(第三章六節……)


 だが、そこからが違う。

 振りおろした刃を返し、右手を棟に添えて、踏みこみと共に風さえも斬り裂きながら真横へ走らせる。


鬼神断行きじんだんこう!」


 刃が霊気で輝く。

 普通の女子中学生ならば、その重さに振りまわされてしまうであろう太刀。

 それを彼女は、見事に操った。

 その力量は達人級で、早苗の上半身と下半身をきれいに両断する。


 錆びたギアがこすれるような高い絶叫をだしながら、異形の肉体が横に倒れた。

 だが倒れた後も、その太い腕で上半身を起こそうともがいている。


「無駄なの。鬼切は、人から鬼に墜ちた者の力を断ち切る刀。これだけのダメージを鬼切から受けたら、霊力がまともに働かないの」


 烏輪の言葉に観念したのか、鬼の上半身の動きが止まった。

 いや。止まったかと思ったが、ふと顔を起こして烏輪を見つめた。その顔は、いつもの早苗。烏輪だけがよく知っている、少し泣き虫のいつもの彼女。


「う、烏輪……。あのね……早苗、何度も、相談……しようと思った……んだ、よ。一緒の高校にも……約束した……なんで、早苗を殺し……て……なんてひど――」


 烏輪は、その言葉を最後まで言わせなかった。体を回転させるように太刀を振るうと、斬りにくい低い位置にあったにもかかわらず、見事に早苗の頭部を宙に舞わせた。

 斬首の音と共に手に残った感触。それを烏輪は、すぐさま意識から振りはらう。


「早苗の記憶で、戯れるななの……」


 言い終わった途端、周りの空気が変わる。それは充満していた鬼気の喪失。

 それを感じると、烏輪は太刀への力を抜く。

 とたん、太刀から神々しさが抜けて元の模造刀に戻った。

 それが終わりの合図。


「見事でした。合格です」


 校庭のナイター用スポットライトがすべて灯り、唐突に烏輪へ拍手が贈られた。

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