6


それは、僕たちが初めて直面する、現実の壁だったように思う。

けれど、僕たちは何も怖くはなかった。


なぜなら、僕が優希を、そして彼女が僕を、愛していることは明らかだったから。


例え、彼女が大手企業に就職をしても。

例え、僕がしがない大学生だったとしても。


僕たちにはワンルームのアパートがあった。

二人だけの、幼い頃からの思い出があった。


僕は君に恋をして、初めて強くなれた気がしたんだよ。


優希の卒業式の日、袴を着た彼女は息を呑むほど美しかった。


どれだけ子どもっぽい人でも。

甘党で、泣き虫で、写真嫌いでも。


優希は僕のお姉さんなのだ。

隣の家に住む幼馴染のお姉さんなのだ。


綺麗で、強くて、大人なお姉さん。

僕が憧れた、僕が愛しているお姉さんだった。


嫋やかに笑って、優希は卒業証書を手にしていた。

やっぱり、写真は撮らせてくれなかった。


卒業式が終わり、僕たちは手を繋いで一緒のアパートに帰ろうとしていた。

そんな僕たちの前に、一人の男が立っていた。


僕たちのゼミの教授だ。

そして、優希の元不倫相手だった。


彼は僕たちに気が付くと、ゆっくり近付いてきた。

そして、そのまま頭を下げて、


「ごめん、優希。俺……」


そんな馬鹿みたいなことを言うものだから。

僕は思わず拳を握りしめた。


そして、教授につかみかかろうと足を一歩踏み出したところで、僕の手は温かい何かに包み込まれた。


はっとして隣を見ると、凛とした表情で前を見据える優希がいた。


彼女の手が僕の手を掴んでいたのだ。

彼女の手は小刻みに震えていた。


その様子を見て、僕は我に返った。


そうだ。

僕以上に、優希の方が彼に対して思うところはあるだろう。


僕と付き合うと同時に、きっぱりと別れたと彼女は言っていたが。

そして、その後もゼミで特に問題があるようなこともなかったのだが。


どうして、今更になって。


所在無さげに突っ立っている教授の元へ、優希は足を進めた。

一緒に行こうと身体を動かした僕を、彼女は首を横に振って止めた。


優希が自分の元に来たことに、どこかほっとしたような表情をしている教授。

そして、彼は優希が足を止めたと同時に口を開いた。


「優希、俺は……」


だが、その言葉を彼女は一刀両断した。

それからにっこりと笑って、


「私、今すっごく幸せなんですよ」


教授は、優希の言葉に戸惑ったようだった。


「いや、俺はただ……」


またもや、彼の言葉は途切れる。

優希がくるりと僕の方に振り向いて、こんなことを言い出したからだ。


「二年後、悟が卒業したら、私たち結婚するんだよね?」


ちょっとだけ照れくさそうに、彼女は頬を染めた。

僕はびっくりして、けれどもすかさず頷いた。


「はい、実はそうなんです。だから、先生が心配するようなことは何一つないですよ」


僕がそう言えば、教授は何とも言えないような気まずい表情で、


「そうか……」


それだけを言って、彼は立ち去った。


しょんぼりと肩を落としている教授の後ろ姿を目で追いながら、僕は隣に戻ってきた優希に話しかけた。


「ねぇ、これって逆プロポーズだったりする?」


僕の言葉に彼女は悪戯に瞳を輝かせた。


「指輪は一緒に見に行こうね?」

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