第2章 九嫁三伏のデッドヒート PART7



  7.



「……九条様との出会いはわたくしの実家です。先ほどもいいましたが、九条様はわたくしの実家を救って下さったお方なんです」


 陸弥は九条の顔を嬉しそうに眺めながら続ける。だが彼はふんぞりかえってテーブルに足を掛けている。どうやらここは黙ってやろうと覚悟を決めたようだ。


「実家の旅館が潰れた理由はただ一つ。両親の不仲です。仕事の方針、従業員の不遇、お金だけの理由ではありません。両親が協力しなかったために潰れたんです」


 陸弥は話し始めると途端に表情を曇らせていく。きっとあまり話したい内容ではないのだろう。自分の身内の話とはいえ話すだけで屈辱的な内容だ。



 ……両親が不仲だと結婚もしたくないだろう。



 なんとなく陸弥の境遇に身を置いて考える。彼女はさきほどお金がないと結婚できないといっていたが、どうやらそれだけではないようだ。彼女の心の奥を知れば何か道筋が見えるかもしれない。


「父は生まれた時から旅館で過ごしていました。そこに母が嫁いだんですが、母は父のやり方に合わせることができなくなって、最後には意思の疎通さえできていませんでした。それで結局お互い顔を合わせずに仕事をするようになったんです」


 お互いがお互いを無視して接客業ができるはずがない。接客業は細かな作業が場を繋いでいく。相手の動きを無視して、いい働き方などできるはずがない。


「子供の私からしても父のやり方はおかしいと思いました。けれど母のやり方だって父に対する反発心から動いたようなものばかりでした。お互いにけなしあい、潰し合っていたんです。結局私が成人して二人の間に入った時にはもう手遅れでした。そして旅館が潰れ、父と母は離婚しました」


 陸弥は実家でもある旅館、両親、仕事を同時に全てを失った。その時の悲しみは尋常ではないだろう。仮面だった表情が少しずつ剥がれ悲しみを纏っていく。


「わたくしは途方にくれていましたが、ある日、九条様がうちの実家に来てくれました。昔から続く老舗だったので、九条様の心遣いで転売を防いで下さったんです。昔から伝わる国宝もあったからかもしれません。ですが、彼は私の実家だけでなく私自身も買い取ってくれたのです」


 陸弥の顔に熱が帯びていく。心底、彼に惚れているのだろう。窮地を救ったヒーローに恋焦がれるのも無理はない。


「その時つけられた交換条件は私が九条様のホテルで5年勤めるというものでした。もちろん私はそれがどういう意味を含んでいるのかは理解した上でこのホテルに来ました。しかし私が想像していたようなことは一度も起こりませんでした」


 きっと陸弥は全てを捨てる覚悟でこのホテルに来たのだろう。クーロンズホテルはいまや日本、世界有数のホテルだ。どんなことが起こっても、権力の前では従業員一人の力など無力に過ぎない。


「九条様は私に対して奴隷のような扱いなど、一つもしませんでした。命令の一つもです。私の質問には的確に答えて下さり、ホテルのやり方を徹底的に教えて下さったのです。身内で固めた旅館に勤めていた私には目から鱗が落ちるようでした」


 地元での経営はいってしまえば家族、親戚づきあいの延長が多い。全てを的確に情報として伝える会社とはやり方が正反対に違うだろう。


「九条様は本当に私のことを考えて下さって、旅館を再建させるよう手助けして下さったのです。私は絶望に陥る所か、毎日新しい発見に心を躍らせていました。実家のやり方とは違い革新的で、純粋にお客様のことを考えて仕事をすることに喜びを見出すことができたのです」


 嬉しそうに話す陸弥に心が安らいでいく。きっとこれは彼女の本心なのだろう。顔がほころんでいる。


「九条様は特にフロント業を教えてくれました。それは旅館に戻っても無駄にならない仕事だからといってくれました。それだけではなく時間を許せば会社には関係のない経営学までも教えてくれました。私の心は九条様によって希望に変わっていったのです。ここを出る頃には自分の旅館を再生できるのではと夢を持つことができました」


 陸弥は一時中断して息を呑んだ。顔には先ほどの笑みはない。


「なのに……なのにです。私が5年間ここで働いて戻ったにも関わらず、父と母は1年も経たずに再び私の実家を破壊したんです。始めのうちはお金を貸して頂いて両親も力を合わせて頑張っていたんですが、経営の軌道が乗るにつれて二人は結局別の方向に動き始めたんです。父は旅館の経営以外の娯楽施設に力を入れ、母もまた別のビジネスに力を入れました。そしてあえなく実家は倒産しました」


 陸弥の悲しみが会場を包む。彼女は絶望と希望を持ちながらも九条のホテルで働いていた。彼の支えがなければ彼女はここにはいなかっただろう。


「そこで……私は決めました。経営者はもいらないと。二人でするからできないんです。二人とも同じ気持ちでいても駄目なんです。気持ちが強すぎれば摩擦が生まれていくのです」



「なるほど……けどそれはちょっと違うかもしれないな」



 修也は口を挟んで小さく呟いた。



、上手くいかないんだ。一緒にいる時間が長くなれば長くなるほど、相手の悪い癖ばかり目に入ってしまう。共働きだからこそ悪いこともあるのだと思う」


「……そうかもしれませんね」


 陸弥は自分の方を見てため息をついている。


「お互い時間を共有することはいいことだけでなく悪い所も見えてきます。だから私はこのホテルでの業務が終われば、一人で旅館を経営したいと思っているのです」


 陸弥は自分の仕事に対して真摯でありたいのだろう。男性を頼ることなく仕事に専念したいという気持ちを感じる。


「だから皆さん。私は確かにくーちゃんと付き合っています。けどそれは結婚するためのものではありません。くーちゃんに助けて貰った恩がありますし、この方にならついていきたいという気持ちはあります。それでも私は結婚することはできません。彼に迷惑は掛けれませんし、自分の意思で独身を貫きたいのです」


 陸弥はそこまで話して席に座った。会場が一段と静まり返る。



 ……これは中々難しい選択になりそうだぞ。



 頭を振り絞り策を練る。天才的な手腕でホテルの経営を導く九条。それに憧れ自分も一人の女性として旅館を再生させたい陸弥。そして祖母の代から仕えている七草。



 ……この中から良好な関係を築ける二人を選ぶことはできるのだろうか?



 このままいけば間違いなく第二投票に移る。そしてその選択にはこの3人しかいない。どちらに転ぶかを自分の中で決めておかなければならない。



 ……どちらを取るか。俺の考えは――やはり九条陸弥ペアだな。



 再び考えをまとめていく。陸弥が消えた場合、七草が残ることになる。彼女は男性陣からも好まれているため、彼らのペアが一番ベストな気がする。


 それに陸弥が残った場合、他の者と付き合うのは難しい気がする。これだけ一途な性格だ。他の者など目には入っていないだろう。



「なるほど。陸弥さんの意見は理解しました。ではというのはどうでしょう?」



 零無が挙手をしていったf。


「九条様は御自分で選ぶことはないとおっしゃいました。ならここは残りで投票するしかないでしょう。それに今ここにいるのは9人、奇数なら間違いなく別れるわ」


 九条が零無を強く睨んでいる。先ほどの忠告を無視したためだろう。


 だがここで彼に背かなければ、自分の独身人生は終わってしまう。ここは何としてでも皆に投票させなければならない。



 ……ここが勝負時だ。考えろ、ウェディングプランナーとして最善の策を練り上げろ。



 支配人を第二投票に持ち込んで、首にならないようにする方法。苦情と陸弥を選び、七草をないがしろにしない方法を――。



「シロウさん、俺からも発言してもいいでしょうか?」


「ええ、四宮様。どうぞ」



 九条を睨み席を立つ。ここは一か八か賭けるしかない!



「……九条支配人。ここは一つ、賭けをしませんか? 支配人の意見で、全てが通る方法で」


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