憎悪


 最悪の再会が終わった後、アシュが『今晩は泊まって行く』と言い出したので、部屋へと案内させた。


 どの面下げて泊まれるんだとは思うが、致し方なし。


「ひっく……ひっく……」

「……」


 エロールが未だ部屋で泣きじゃくっている。なんと、声を掛けたら良いものか。フェンライは忌々しき第一夫人の面影を持つ美少女を見ながら思う。


「もう泣くな。お前は私の血の繋がった娘だ。これが、紛れもない真実だ」

「ひっく……ひっく……お、お父様は、私が……本当に血の繋がった娘だと思っているのですが?」

「……もちろんだとも」


 、100パーセント真っ赤な嘘だったが、100パーセントの笑顔で返す。

 貴族社会は血の繋がりをなによりも重視する。建前であれ、権力者であり、父親であるフェンライがそう主張しておけば、他はなんとか握り潰せる。


「あ、あの男! 絶対に殺してやる……絶対に……」

「落ち着け、エロール。気持ちはわかるが、アシュ=ダールは恐ろしい男だ」

「さ、さすがは、お父様。これほどの侮辱にも動じない心を持っているなんて、尊敬いたします」


 エロールがキラキラした瞳を向けてくる。


「ふっ……怒りに任せて勝てる相手ではない。相手は『闇喰い』と呼ばれている裏社会の深淵だ」

「な、なるほど。さすがは、お父様です!」

「……」


 実際、侮辱への免疫もある。常人であれば、人生でも即ナンバー1になるほどトラウマだろうが、あいにくフェンライが受けた屈辱の数々は、比ではない。


 それよりも、血縁関係という斜め上からの口撃は予想だにしておらず、なんの対策も打ってなかった。相変わらず、相手の触れられたくないところをまるで触診するかのように撫でまわしてくる……フェンライは思わず寒気を覚える。


 しかし、あちらもまさか、自分の溺愛している娘を罠にするとは夢にも思わないだろう。


「それで……あの、アシュ=ダールを誘惑できるのか?」

「は、はい! なんとか頑張って見ます」

「頼むぞ。私も愛する娘にそんなことはさせたくはないが、この大陸中の悲願だ」

「でも……あのアシュ=ダールという男は、いったいなんなんでしょうか?」

「……今を生きている者は、誰もが嫌悪するだろうな。ただ、百年後……いや、千年後は史にその功績を刻まれるはずの魔法使いだ」


 フェンライは忌々しげにつぶやく。


 これは、決して大袈裟な事ではない。全大陸中の嫌われ者。それが、アシュという男だ。しかし、この魔法使いが厄介なのは、その類い稀な才能の一点だ。


 世の中の犯罪人をすべて集めたとしても、犯しきれない残虐な殺しをしているかと思えば、大陸に革命をもたらすほどの成果を上げる。


 善悪の概念を超えた存在。そうとしか言いようがない。


 独自で開発した魔毒を使い、数万もの魂を捧げ、中尉悪魔との契約に成功した。至る場所の紛争に顔を出し、死体を暴き、生きた人間を解剖し、人々を恐怖に陥れた。また、闇魔法の勢力が拡大することによって、治安は悪くなり暗殺者たちが闇に紛れた。果ては、闇社会に当時君臨していたゼノスを倒し、自身が闇喰いとして裏社会を牛耳ることになった。


 一方で。


 毎年千人に一人の割合で亡くなっていた不治の病、神導病の治療法発見。その一件以降、闇魔法における医術のアプローチは至るところで取り上げられたが、常にその最先端の論文を提出し続けた。


 農業を革命する魔力を込めた肥料の開発。食料保存魔法の開発。大陸の闇を照らす魔街灯の開発。あげればキリがないほどの功績と特許ロイヤリティを持つアシュの財力はこの国のそれを上回る。


 最も多くの人を直接殺めてきた魔法使いはもちろん、ヘーゼン=ハイム。彼は、あらゆる賞賛を受け、その栄誉を手にしたまま死んだが、彼が生み出した数々の殺戮魔法は、大陸の戦争をより凄惨にし続けた。


 そして。


 最も多くの人を救ってきた魔法使いがアシュ=ダールであると言う皮肉。彼が発見した数々の病気の治療法は画期的だったが、決して知識の独占をすることはなかった。


 病気の治療法に関しては、莫大な特許ロイヤリティをすべて辞退した。それどころか、さまざまな疫病研究機関に寄付をして、その普及に努めたのである。


 そして、広く治療法を知らしめるため、その治療法を論文に起こして一般的な魔法使いでも可能なレベルに昇華した。


 千年後、謳われているのは史上最悪の殺戮者だろうか。それとも、聖人君子……


「っと。話が逸れたな」


 フェンライがハッと気づくと、エロールが不思議そうな表情を浮かべていた。


「どうした?」

「いえ。あの、気のせいだと思うんですけど、なんだか楽しそうにあの男を語るなって……」

「き、気のせいだ!?」


 フェンライは顔を真っ赤にして反論した。


 そんな中、トントンとノック音がした。


「あの、僕だけど」

「……アシュ=ダールか。入ってくれ」


 扉を開けたら、至極ショボンとした闇魔法使いが立っていた。


「何の用だ? 言っておくが、私はお前がどう言おうが、エロールは私の血が繋がっていると思っている」

「……申し訳なかった」


 アシュは深々と頭を下げた。


「私は研究室だから、つい学術的な見解を述べてしまったんだ。しかし、ここは社交の場だ。もちろん公の証明書もない。だから、君の言う通り、0.00001パーセント起こり得る奇跡も存在する。だから、君たちがそれを信じると言えば、僕に否定する権利はない」

「……ふっ、言っただろう、エロール」

「え、ええ」

「ん? どうしたんだい?」

「いや……こちらの話だ」


 フェンライは思わず苦笑いを浮かべる。この男は、やはり、どこか憎めないところがある。死ぬほど憎らしいが、それだけではない。


「ま、まあいい。それで、先ほどの話の続きだが」

「……続き?」















「やはり、公の検査が必要だと思って、君たちの親子鑑定の有無を依頼しておいたから」

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