なんで


 久しぶりだった。ライオールは、久しぶりに意識が遠のいて、膝から崩れ落ちる経験を味わった。めまいもしたし、なんだか急に熱っぽくなった。体内の体温が確実に一度上昇したし、久しぶりに背中から汗をかいた。


 ……なんでそうなる。


 どうしてそうなるのだ。


 先ほどエステリーゼに説明したのは、他ならぬライオール自身である。アシュの行動が、ヤバいのは知っていた。もちろん嫌な予感もしたが、この事態は想定の斜め上をいっていた。


「だって……いや――」


 白髪の老人はそう言いかけ、慌てて自制した。自分は自分の立ち位置がある。ここで取り乱してしまえば、目の前のエキゾチック美女はパニック状態に陥るだろう。自分も少なからず周囲に影響する存在であることは自覚している。


「ただ……っいや――」


 再び言葉をこぼしてしまい、慌ててそれをしまう。想定以上の動揺があることを、ライオールは自覚せざるを得なかった。今のナルシャ国にとって、一番ことを構えたくないのは、間違いなくギュスター共和国だ。情勢としては、どちらかの国が少しでも危害を加えようものなら、即戦争勃発は避けられない状況である。


 それで、なんでダリオ王誘拐ということになるのか。


「……」

「……」


          ・・・


「……はわ――――――――――――!?」


 ライオールに遅れること数秒。やっと、秘書のエステリーゼがことの重要性に気づく。全力でピョンピョンと跳びはね、首を高速に振って、顔面がリンゴのように真っ赤に膨れ上がっている。


 その様子を見て、幾分ライオールも平静を取り戻す。


「落ち着いてください、エステリーゼ先生」

「お、お、お、お落ち着いてらりゃるわけないじゃないですか!? 戦争が起きます……いや、それどころじゃ……ダリオ王誘拐……国際的大問題ですよ!? 大陸の国々から包囲網を……滅亡……いや、国民が全員奴隷に……大丈夫ですか!? ねえ、大丈夫なんでしょうか!? 大丈夫じゃないですよね!? これって、絶対、ぜぇーーーーーーーーーったい大丈夫じゃないんですよね!?」

「……ど、どうか落ち着いてください」


 錯乱とパニック状態を交互に繰り返すエキゾチック美女。もはや、卒倒しそうになりながら、ライオールの胸ぐらをガンガンと掴んで、ガンガンと壁に打ち付ける。彼女はかなり優秀で情報処理能力も抜群だが、あまりにも異常すぎる事態に、取り乱しようが半端じゃない。


「やはり、あの方の思考は読もうと思っても、難しいものです。ただ、一つだけ言えるのは、戦争を引き起こしたい訳ではないということです」

「そ、そんな……それ以外の何があるって言うんですか!?」

「少なくとも悪意のある行動ではないのは確かです。善意か……暇つぶしか……それとも別の思惑があるのか」


 アシュの思考は破綻しているように見えるが、まったく読めない訳でもない。

 悪意をまき散らすような行動をする時は、どこまでもドス黒く冷徹な策略家になる。それは、見事なまでに鮮やかに作戦を成功させる。逆に言えば、成功しない策略を彼はとろうとはしない。


 そして、彼は根っからの平和主義者である。


 不必要な暴力を好まず、戦争を好まない。あくまで話し合いで解決しようとして、最後の手段まで戦闘行為を避けようとする。


「……言っていることが、まったくわかりません」

「あの方の定義する善意は、大抵逆に作用する場合が多く、あの方の暇つぶしは、本当にただの暇つぶしなので、思考にまったくと言っていいほどパターンがない」


 恐るべき天然。


 敵として対峙した時よりも、何か善行を施そうとした時や、暇つぶしの時の方が恐ろしいなんて、これ以上ないくらいの皮肉だろう。


「……とりあえず、バルガ君と至急連絡を取らなくては。生真面目な気質である彼とアシュ先生では、これ以上ないくらい相性が悪い」

「は、はい!」


 ライオールは、秘書に仕事を与えて、彼女に平静を取り戻させる。


「フフッ……やはり、あなたは心臓に悪いです」


 白髪の老人はどこか楽しそうに笑った。


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