男子校産青蜜柑

弍ヶ下 鮎

第1話

「本当に辞めるんだな?」

そう聞かれ僕はあえて淡々と、

「はい、今までお世話になりました」

と言った。ココロに後味の悪い苦味が広がっていくのを感じながら頭を下げる。

 頭を上げた時に見えた少し悲しそうな顔に、後悔が頭をもたげた。



 高校2年生の春、学年が変わる頃合に僕こと鮎川千紘は5年近く所属していた陸上部を辞めた。残り半年で部活を引退する時期に辞めた理由は特にない。

ただ何となくいろんな事が嫌になった。


努力をしなかった自分ではなく、メンバーに選ばれた仲間を恨む友達。


先輩に対して敬意を払わない後輩。


真剣にチームを引っ張る顧問の横で指導を疎かにする副顧問。


 そんな今までなら些細な事だと我慢できたはずのものが急に嫌になった。それで耐えきれなくなって、辞めた。つまらない理由だとは自分でも思うが、仕方がなかったとも思う。


 そんなことを考えながら校内を歩いていると不意に「鮎川!」という声とともに、肩をぽんっと叩かれた。

「今退部届け出してきたところ?」

僕は振り返り、そこに立っていたついさっきまで同じ部活に所属していた同級生に

「うん。これで晴れて帰宅部だよ」

と少しおどけて答えた。彼は寂しそうな顔で

「そっか。部活で話す相手いなくなっちゃうなぁ」

と溜息をつきながら言う。その表情を見てまた少し後悔が滲む。それを拭いとって必要以上にさっぱりした顔をしながら、

「じゃあ今日はもう帰るわ」

と言ってその同級生の前を後にする。背を向けて歩きながら、後悔する程度には嫌ではなかったこともあったんだなと今更ながらに思う。随分と中途半端な気持ちで部活を辞めたなと自分を少し責める。

 僕の通う高校は中高一貫の男子校で、運動部は基本、中学から持ち上がりで同じものを選ぶ。編入生もいないのでメンバーの変化はほとんどない。だから仲のいい人とはつながりも濃くなる。その関係に歪みが出来ることは承知でやめたんだと自分に言い聞かせた。辞めた途端に後悔している自分に自己嫌悪が募る。

 学校を出て歩きながら、その後の予定がないことに思い当たった。今は期末考査が終わった期間で午前授業、まだ時間は午前1時前で家に帰ってもやることも無い。男子校出身者には往々にしてある事だが彼女も居ない。居たこともない。それ加えて部活がないと暇なことこの上ない。何をしようかと思案していて、昨日図書館で借りた本のことを思い出す。それで、どこかの店にでも入ってそれを読もうと思い立った。

 海沿いにある僕の学校の近くには静かな喫茶店などが多い。そのうちの一つ、少し値は張るがそのおかげで静寂と美味しいコーヒーが約束される喫茶店に目をつけて扉を押し開けると、ドアベルがチリンと小気味よい音を立てる。それに反応した若い男性の店員さんがカウンターの中から

「いらっしゃいませ、こんにちは!」

と伸びやかな声で挨拶をしてくれた。その笑顔と気持ちの良い挨拶はもやもやした気分をすっきりとさせてくれる。俺も笑顔で

「こんにちは」

と返しつつ店内に入り、カウンターでアイスコーヒーを頼んだ。店員さんは気さくに話しかけてくれる。

「学校帰りですか?」

「はい、今日は午前中で授業が終わりで」

「羨ましいですね。あ、こちらアイスコーヒーになります。良い午後の時間をお過ごしください」

にこやかに他愛もない世間話をしていると、なにかが解決したわけでもないのに気分が軽くなる。いい場所を見つけたな、と思いながらコーヒーを受け取り、窓際の席に座って僕は本に耽った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る