5.じゅうごせんちめーとる

 それはあの時だけの距離。

 それ以外はずっと、数メートルの距離がある。

 だけど、同じ音楽室に居るだけで、もうそれだけで心落ち着いていられる。

 彼は、ピアノの前に座ってはいても参考書だか問題集だかに取り組んでいて弾いてないことが増えた。

 前に彼がそうしているときに、邪魔になるのが嫌でヴァイオリンを弾くのをやめていたら、『怠けるんじゃねー』と怒られたので、恐る恐る、でも穏やかな気分で好きな曲を奏でる。

 ……やはり一つ上で、受験生なのかもしれない。

 でもそれなら、部活は引退してる時期だから、月曜日だけしか来ないのは何故だろう。

 ……でも多分、彼が毎日来てたりしたらそれはそれで浮かれすぎて倒れるかもしれない。

「……最初のころよりかなりマシになったぞ。初めて聞いたときは死人が弾いてるみたいだった」

 ぼそっと彼がそう言ったので思わず手を止めてしまった。

 なんだろう、顔が熱い。

「手止めてんじゃねー。練習だ練習」

 ぶっきらぼうに言う彼に、わたしは小さく返した。

「ありがとう……ございます」

 彼は、フンっと鼻を鳴らしただけだった。




 あんまりご本人になれなれしく近づく気はしないけれど、彼の弾くグランドピアノには、十五センチくらいまで近寄るようになった。

「お前それで自分の音聞こえんの?」

 と聞かれたこともあったけれど。

「わたしはピアノの音が大きいくらいでちょうどいいんです」

 なんてよくわからない言い訳をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る