(17)思わぬ事態

「あんたら、ちょっと顔を貸して貰おうか」

 距離を詰めながら恫喝してきた相手を見て、ランディスは躊躇わずに上着の合わせ目から懐に右手を差し込み、財布を取り出した。

「何の用だ? 金が欲しいなら持っていけ」

 そう言いながら目の前の男の足元にそれを投げ捨てると、その中に入っていた金貨が微かに金属音を響かせたが、男達はにやにやと笑いながらも、それに我先に手を伸ばしたりはしなかった。


「こりゃあ、豪勢な事で」

「勿論金も貰うが、あいにくと俺達は、他のものも欲しいもんでな」

「おとなしく、そこの路地に入って貰おうか」

 それを聞いたリディアは、素早く考えを巡らせる。


(これは普通の強盗じゃないし、絶対、さっきの店員と示し合わせているわよね。そうなると、素直にお金や絵を渡しても無駄な可能性が高いわ。口封じの気配が濃厚だし、おとなしく人気の無い所に入ってたまりますか!)

 そして、さり気なくランディスに身体を寄せながら、短く囁く。


「殿下、走って下さい」

「リディア?」

 そう言うや否やリディアは真正面の男に突進しながら、先程囲まれた時点でランディスから渡されていた絵の入った木箱で、勢い良くその男の顔を殴打した。


「欲しけりゃ、持って行きなさい!!」

「ぐあっ!!」

「何だと!? ぐあっ!!」

「走って!」

 まともに鼻に角が当たった男が、思わず顔を押さえて前傾姿勢になった所に体当たりをかけて転がし、その隣にいた男が掴みかかろうとした所に箱を投げつける。そうして一番進路を妨害しそうな二人がひるんだ隙に、リディアとランディスは包囲を抜けて走り出した。


「ちっ! この女ぁぁっ!」

「誰か! 強盗よ!! 助けて!」

(騒ぎを起こせば、さすがに逃げるわよね)

 大声で叫びながら街路を駆け出したリディア達を見て、付近の通行人はぎょっとした顔つきで振り返り、こぞって道を開けたが、人目に付けば退散するだろうと踏んでいた男達は、予想に反して怒りの形相で追い縋って来た。


「おい、逃がすな!」

「待て! この野郎!!」

「この女! ぶっ殺してやる!」

(まさかこんな人通りがある所で、白昼堂々斬りかかる気!? こいつら、正気なの? まさかブレダ画廊は、ジャービス中毒者を使ってるとか!? 冗談じゃないわ! ランディス殿下に、怪我なんかさせられないわよ!!)

 チラリと背後を振り返ったリディアが、連中の何人かがどこからか刃物を取り出して追って来ているのを認めて、蒼白になった。


「人殺しよ!! 助けて!!」

 そして前を向いて力の限り周囲の人間に向かって助けを求めたが、ここでいきなり引き寄せられてバランスろ崩した。

「リディア!!」

「え? きゃあっ!」

 ランディスに抱え込まれた体勢のまま、街路に倒れ込みそうになり、リディアは思わず悲鳴を上げたが、ここで至近距離で怒声が響いた。


「この野郎、死ねぇぇっ!!」

「ぐぁっ!」

 呻き声を上げたランディスに抱きとめられたまま、リディアは身体の左側を下にして街路に倒れ込んだが、すぐにランディスが無言のまま身体を捻って、仰向けの彼女に覆い被さる体勢になる。その間リディアは考えが追いつかなくて頭の中が真っ白になっていたが、すぐにとんでもない事に思い至った。


(まさか、ランディス様が斬られた!?)

 慌てて起き上がろうとしても、しっかり抱き留められている状態で身動きできなかった彼女は、狼狽しながら声をかけてみた。


「つっ……」

「ランディス様、大丈夫ですか!?」

 しかし忽ち周囲を男達が取り囲む気配が伝わり、脚や腕が伸びてくる。

「どけ! この野郎!」

「女の方も黙らせろ!」

「さっさと引き剥がせ!」

「……つぅっ!」

 誰かがランディスの肩を乱暴に掴み上げ、他の何人かが彼の脚や背中を力任せに蹴り付けているのを感じて、リディアは悲鳴じみた叫びを上げた。


「ちょっとあなた達! 止めなさい!」

「うわっ! こいつ蹴りやがった!」

「逃げられねぇように、脚の腱を切っちまえ!」

「ついでに腹もかき切っておこうぜ」

「止めて――っ!!」

 一気に生命の危機を感じたリディアが反射的に絶叫すると、ここで新たな叫びが加わった。


「お前達! そこで何をしている!!」

「全員、武器を捨てろ!!」

 馬蹄の響きと共に少し離れた所から響いて来た声に、男達は瞬時に顔色を変えてリディア達から離れた。


「拙い! 近衛騎士隊の巡回だぞ!」

「ずらかれ! そいつらはもういい!」

「行くぞ!!」

そして足音が遠ざかると同時に、急いで走り寄る気配と共に声がかけられる。


「大丈夫か、あんた達!」

「騎士団の人が来てくれたぞ! しっかりしろ!」

「……助かった? ランディス様、大丈夫ですか?」

 尋ねても応答が無い為、集まって来た通行人の手を借りて彼の身体の下から抜け出たリディアは、意識が無いらしい彼の怪我の具合を目の当たりにして、真っ青になりながら声をかけた。


「殿下!! もう大丈夫ですから!」

「大丈夫ですか? 一体何事ですか?」

 そこで巡回していた近衛騎士の一人が、馬を下りながら声をかけてきた。聞き覚えのあるその声に、その人物を振り仰ぐと、指導教官の一人で新人時代に教えを受けた彼と面識があったリディアは、救われた気持ちになりながら涙目で懇願した。


「クエルテ小隊長、お願いします! 早く医師を手配するか、ランディス殿下を王宮に運んで下さい!!」

「リディア、お前なんだってこんな所に! それにランディス殿下だと!?」

 慌ててうつ伏せになって、微動だにしないランディスの顔を覗き込んだクエルテは、一気に顔つきを険しくし、連中を追いかけようとしていた部下達を呼び戻した。


「何て事だ……。おい! 奴らは放っておけ! リーン、ハルズは馬車を確保しろ! 辻馬車が無ければ、荷馬車でも構わん! それからローガン、お前は止血用の布と包帯を調達してこい! 大至急だ!!」

「はっ、はいっ!!」

「了解しました!」

 周囲の野次馬が何事かと遠巻きにする中、クエルテは右肩と右脇腹を鮮血に染めているランディスを見下ろしながら、小さく舌打ちする。


「全く、なんだってこんな事に……。殿下、お気を確かに! すぐに王宮にお連れしますから!」

 蒼白になって固まっているリディアにチラリと視線を向けてから、怪我がない方の左肩を軽く揺すりつつクエルテが大声で呼びかけると、それにランディスがゆっくりと目を開けて反応した。


「……奴らは?」

 それにクエルテが答えるより早く、リディアが涙声で叫ぶ。

「逃げて行きました! 殿下にこのようなお怪我をさせてしまって、申し訳ありません!」

「君の……、せいじゃ、無い……」

「殿下!?」

 再び意識を失ったらしい彼を見て、リディアは悲鳴を上げたが、そんな彼女をクエルテが鋭く叱咤した。


「リディア、報告も弁解も泣くのも後回しだ! 取り敢えず止血だけ済ませる! これで邪魔になる殿下の服を切れ!」

「……っ、は、はいっ!」

 差し出された短刀を反射的に受け取ったリディアは、止血の邪魔になる所や、他に裂傷がないか確認する為に、服を切り裂き始める。そこで傷口や痣になり始めている数か所を目の当たりにして、彼女は泣きたくなったが必死に涙を堪えた。その間クエルテは、斬り付けられた肩を下から軽く持ち上げつつ、周囲の圧迫を始めていたが、周囲の店から布や包帯を調達して来た部下が、その手元を見て驚愕する。


「小隊長、これを! うわ!? どうしてランディス殿下がこんな所に!?」

「話は後だ! ここをしっかり押さえてろ!」

「はい!」

「小隊長! そこの店から運搬用の荷馬車を借りてきました!」

「リーン、それをお前の馬に繋げ! それからハルズ、お前は大至急王宮に戻って、ランディス殿下の治療をすぐに始められるように、団長に報告して手配しろ!」

「はい!」

「失礼します!」

 そしてクエルテの指示の下、手早く荷馬車に馬が繋がれ、荷台にマントを敷いた所にランディスを横たえて、一行は一路王宮へと向かった。リディアは荷馬車に同乗して彼の出血部位を押さえていたが、なかなか止まらずに滲み出てくる血に、泣きそうになるのを必死に堪える。


(結構深く斬られてる……。出血が酷い……、どうしよう! どうすれば良いの!?)

 そして血相を変えた一行が王宮に帰り着いた直後、騎士団はある決断を早急に迫られる事となった。

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