(15)予想外の流れ

 息を切らしながら店に駆け込み、何事かというような店員と客達の視線を受けながらテーブルについた二人は、何とか注文を済ませてから無言になった。しかしこのままでは話が進まないと判断したランディスが、気合いを入れて口を開く。


「その……、驚かせて悪かった」

「……いえ、何とか落ち着きましたし、大丈夫です」

 さすがに話しかけられた以上、無視などできなかったリディアが言葉を返し、勢いで気になった事を尋ねようとする。


「ええと……、殿下は」

「だから、人目が気になるから、できれば名前で呼んで欲しいんだが」

「分かりました」

 すかさず要請された内容に頷いてから、リディアは話を続けた。


「ランディス様は、以前からラスマードの名前で、絵を描いていらっしゃるんですか?」

「ああ。もう十年近くにはなるかな? とは言っても作品を公にしたのは、篤志芸術展に出品し始めた四年前からだが」

「そうでしたか……」

 まだ少し茫然としながら彼女が相槌を打つと、ランディスは苦笑しながら話を続けた。


「立場上、本名で描いたりしたら追従の言葉しか貰えないと思ったから、偽名で発表する事にしたんだ。だから私の絵を正当に評価してくれる人と、直接顔を合わせる機会が殆どなくて。それだけは今も残念だが」

「でも確かに本名でお描きになったら、正当な評価は下されないと思います。その判断は正しいかと」

「そうだろうね」

 そこで注文した飲み物が来た為、二人は一度話を止め、無言でカップを口に運んだ。


(緊張する……。まさか殿下とラスマードさんが同一人物だったなんて、夢にも思っていなかったもの。それに殿下の絵に対して、大抵は好意的な批評はしていたけど、時々辛辣な事も手紙で書いていたし……)

 そこに思い至ったリディアは、真っ青になりながら勢い良くカップをテーブルに戻し、狼狽しながら声を上げた。


「ああああのですねっ!?」

「だからリディアは、私の絵を正当に正直に評価してくれる、数少ない人間の一人なんだ。だからできればこれからも、率直な意見を聞かせて欲しいな」

 しかしそんな彼女の心の中を読んだように、すかさず笑顔でランディスが要請してきた為、リディアは微妙に顔を引き攣らせながら頷く。


「私などの意見で宜しければ……」

「それなら良かった」

(なんだか、考えを読まれたような気が……。勿論適当に持ち上げる事を言うつもりは無いし、酷評する気も無いけど……)

 どうしたものかと頭痛を覚えながら、再びカップの中身を飲み始めたリディアだったが、それから少しの間黙り込んでいたランディスが、妙に思いつめたような口調で言い出した。


「それでこの際、君に話したい事があって……」

「はい、何でしょうか?」

「…………」

 思わず顔を上げて真正面から向き合ったリディアだったが、何故か相手が固まって無言になっている為、不思議そうに促してみる。

「……あの? 何かお話があるのでは?」

 それを聞いたランディスは、幾分逡巡した挙句に、かなり強引に話題を変えた。


「いや、やはりまたの機会にする。ところで、今日はブレダ画廊に行くんだろう? これを飲み終わったら早速行こうか」

 その提案に、さすがに彼女は慌てて固辞しようとした。


「いえ! さすがにランディス様にお付き合い頂くわけには!」

「そうは言っても……、『一人では入りにくい』と手紙に書いてあったし。私も久しぶりに絵を見に行きたいから」

「ランディス様は、ブレダ画廊に行った事があるんですか?」

「いや、他の所に顔を出した事はあるが、ブレダ画廊は初めてなんだ。そこに何かお目当ての絵でも、飾ってあるのかな?」

「お目当てと言えば、お目当てはあるのですが……」

「うん?」

(ランディス殿下は、ジャービスの密輸話は耳にしているし、ブレダ画廊とマークス・ダリッシュがそれに一枚噛んでるのも知っているし、正直に話しても良いわよね?)

 一瞬、どこまで話して良いものかと迷ったリディアだったが、すぐに自分が知っている限りの事を話す事にした。


「あの……、ここだけの話にしておいて貰いたいのですが……」

 そう言って警戒する様に軽く周囲を見渡した彼女に、ランディスは少々驚いた顔になりながらも頷いた。


「勿論そうするが、何かな?」

「ちょっとマークス・ダリッシュの絵を見に行こうかと考えています」

「彼の最近の絵かい? それはあまり、お薦めできないな」

「いえ、彼の絵本体ではなく、その廉価版の絵に麻薬が仕込んである可能性があると、アルティナが言っていたものですから」

「……何だって?」

 マークス・ダリッシュの名前を耳にした途端、渋面になったランディスだったが、麻薬云々の話が出されると、瞬時に真顔になって声を潜めた。そんな彼に向かって、リディアが小声で知っている限りの事を説明する。そして一通り聞き終えると、ランディスは怒りを内包した呟きを漏らした。


「どこまで性根が腐った奴らだ……」

「その絵を見てどうこう言うわけではありませんが、元々マークス・ダリッシュがどのような絵を描く人なのか、気になっていたもので。ついでに既に発表されている絵も展示してあれば、それも見て来ようかと思ったものですから」

 彼女がそう話を締めくくると、ランディスは納得した様に頷いた。


「分かった。それではやはり、一緒に行こう。その廉価版とやらの絵に、興味が湧いてきた」

 その決意に満ち溢れた表情を見たリディアは、説得を完全に諦めた。


「はぁ……、それでは今日はお付き合い、宜しくお願いします」

「ああ。それと何か気に入った絵があったら、お近づきのしるしにリディアに買ってあげるから。ただ申し訳ないが、今日の手持ちの金額の範囲内の物になるけど」

 そんな事をさり気なく言われて、リディアはうっかり頷きそうになりながら、慌てて固辞した。


「それはありが……。いえいえ、滅相もありません! ただでさえランディス様からは、既に絵を頂いていますし!」

「だけど、自分の絵を何枚も押し付けるのは、さすがに迷惑だと思うし厚かましいと思うから。だから良さそうな他人の絵を、見繕う事にしようかと」

「何が『だから』なんですか? 全然意味が分かりません!」

 大真面目に申し出るランディスと、微妙に話が噛み合っていない事を認識しながら、リディアは心の中で悲鳴を上げた。


(何か話が通じない……。手紙ではブレダ画廊に付き合って欲しい事だけ書いていた筈なのに、どうして絵を買う買わないの話になっちゃうわけ!?)

 そんな押し問答の末、取り敢えず丁重にお断りをしたリディアは、かなりの疲労感を覚えながらカフェを出て、ランディスと共にブレダ画廊へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る