第1章 絵から始まる事件

(1)友人の密かな趣味 

「アルティナ、お願い! お金を貸して!」

「ええと、リディア? いきなりどうしたの?」

 食堂で夕食を食べていた時、「話があるので、後で時間を取って欲しい」と同僚兼友人に頼まれたアルティナは、快く寮の自室に彼女を招き入れたが、二人向かい合って椅子に座った途端、勢い良く頭を下げられて面食らった。


「本当にごめんなさい。母と弟を救出して貰うのに、手を貸して貰ったばかりなのに、借金の申し込みまでする事になって。急に纏まったお金が必要になってしまって」

「それは構わないけど、『急に纏まったお金が必要になった』と言うのは、どういう事? まさか、お母さんや弟さんが病気とか? もしそうなら、遠慮なんかしないで。一大事じゃない」

 目の前の彼女の境遇や性格について、一年に満たない付き合いでも十分に理解していた為、アルティナはよほどの事情が生じたのだろうと推測し、一番考えられそうな可能性を口にしたが、それを聞いたリディアは、慌てて否定した。


「病気とかじゃないから! 家族は大丈夫なの!」

「そうなの? それなら良かったけど。じゃあどうしてお金が必要なの?」

「それは……」

 何故かそこでリディアは口ごもり、アルティナは不思議に思ったものの、そんな彼女を急かしたりせずに、黙って見守った。すると少しして、リディアが申し訳無さそうに口を開く。


「その……、他人が聞いたら相当馬鹿馬鹿しい話だと思うから、できれば呆れないで、話を聞いて欲しいんだけど……」

「呆れないから、取り敢えず言ってみて?」

 穏やかにアルティナに励まされて、リディアは覚悟を決めた様に話し出した。


「実は、今年も開催されていた王家主催篤志芸術展を、先月観に行ったの」

 それにアルティナが、何気なく頷く。

「ああ、あれね? 十年前位から始まって、毎年作者の有名無名を問わずに、なかなかの作品が集まるって言う。私は今まで、一度も観に行った事は無いけど」

「一度も観に行った事が無い!?」

 そこでカッと両目を見開き、僅かに身を乗り出したリディアに若干驚きながら、アルティナは正直に告げた。


「え、ええ……。私、絵画や彫刻とかの素養は無いし、それに対する興味も無くて。それにこれまで、殆ど王都を離れていたから」

「アルティナ!!」

「はいっ!」

 ここで鬼気迫る顔付きで、自分の両肩を掴みながら大声で呼びかけてきた相手を見て、アルティナは本気で動揺した。そんな彼女に向かって、血走った目でリディアが語気強く訴える。


「あなたはそれでも貴族なの!? 色々事情はあっても、元はれっきとした公爵令嬢で、今は伯爵令息夫人なのよ!? 貴族と言うものは芸術家のパトロンになる義務があるし、その芸術を嗜み広める為の活動をするべきではないの!?」

「え、ええ! その通りね。熱心に活動していらっしゃる方々は、社交界にはたくさんいらっしゃるわね!」

 迫力に負けて、思わず同意の声を上げたアルティナだったが、彼女の引き攣り気味の顔を見て我に返ったリディアは、両肩から手を離して謝った。


「……ごめんなさい。つい、興奮して。そういえばアルティナは公爵家で冷遇されていてずっと領地暮らしだったと聞いていたし、寮内でもそういう話をした事が無かったから絵画には興味が無いかと思って、芸術展にも誘わなかったのに」

 そう言ってリディアは項垂れ、そんな友人の意外な一面を目の当たりにしたアルティナは、密かに感心した。


(リディアがこんなに絵画に対して思い入れがあるなんて、知らなかったわ。確かに庶民にしては、珍しいかも。それと比べると、確かに私は貴族失格ね)

 そんな事を考えながら、アルティナはこの場を収めるべく、慎重に声をかけた。


「あの……、全く興味が無いって事でも無いから、今後機会があれば誘って欲しいけど……」

「うん、ありがとう。そうするわ」

 そこで一応その話を終わらせたリディアは、真剣な表情で語り出した。


「話を戻すけど……。先月出向いた芸術展で、小さめの作品だけど、とても素敵な絵を見つけたの」

「どんな作品なの? 有名な画家の絵?」

「ううん。覚えている限りだと四年前から出展しているけど、無名の人よ。でも毎回素敵な絵を出しているから、自然に名前を覚えていたの」

 さらっとそんな事を言われたアルティナは、少々驚きながら問いかけた。


「『四年前から』って……、リディアは毎年観ているの?」

「勿論。王都に来た七年前から、毎年欠かさず観ているわ」

「そうなの。常連なのね」

 思わず感心して頷いたアルティナに、リディアが真顔で訴える。


「だって芸術品と言う物は、普通は貴族からの注文で作ったり、貴族に売り込む為に作る物よ? 当然大抵の物は、貴族の屋敷内でしか鑑賞できないし」

「確かにそうね。羽振りが良い商人とかだと、家に飾る人もいるだろうけど。後は教会とか役所の建物とか、公共の建物?」

 考え込みながら口にしたアルティナに、リディアが深く頷く。


「そうね。だから自然と芸術家も、親が芸術家や貴族とかの人間しか、なりようが無くて。だけど平民だって、優れた作品を目の当たりにしたら、凄いとか綺麗だと感動するわよ。それを考えると、十二年前に篤志芸術展の開催を決定した国王陛下は、本当に他国に誇れる名君だわ!」

「そう?」

「そうよ! 陛下が有名無名問わず、貴族平民問わず、供出する作品を募ったから、今まで陰で絵画や彫刻を嗜んでいた平民の作品が、世に出て一躍脚光を浴びる事になったんじゃない! 第一回優秀奨励賞に輝いた『黎明』は、陛下に買い上げられて王宮の貴賓室に飾られているし、作者のドメースルさんは平民出身ながら、今では画家の第一人者なのよ?」

「ええと……、絵が買い上げられたの? 確か『篤志芸術展』って、作者から無償で王家に供出して貰って、それを一般向けに公開した上で入札して、売上は全て孤児院や施療院の運営資金に当てられるんじゃ無かったかしら?」

 芸術展に関して覚えている知識を思い返しながら、アルティナが首を傾げると、リディアは苦笑しながら解説を加えた。


「だから、その中でも特に優秀な作品には、王家が『奨励賞』を設けて、その賞金として作者にお金を払って買い上げているんじゃない」

「はぁ……、そうだったのね。でもそう考えると、大抵の作品の作者にはお金が入らないのに、そんなに作品が集まるの?」

 そんな素朴な疑問を口にしたアルティナに、リディアが真顔で言い聞かせた。


「アルティナ。王家主催篤志芸術展に参加する理由は、お金は二の次で名誉よ」

「名誉?」

「無名でも作品を提出できるけど、入札するに達しないと判断された物は、主催者側から返却されるの。これは著名人の作品でも同じ。だから著名人は自身の面子にかけて、無名な人は自分の力量を世間に知らしめる為に、こぞって力作を供出するのよ」

「そういうものなのね……」

「それがきっかけで、売れる人も結構いるし、最近では噂を聞いて他国からの視察や観覧者も多くて、芸術品の輸出が増えているらしいわ」

「そういう二次的効果もあるのね」

「そうよ、さすが陛下! 国内の文化水準を上げながら、更なる交易拡大まで見越すなんて、先見の明をお持ちだわ! 王都の話を伝え聞いて、頑張って近衛騎士団に入団して、王都暮らしができる様になって本当に良かった!」

 感極まって国王を褒め称え始めたリディアを、アルティナは冷静に観察した。


(リディアが、王家主催篤志芸術展を開催決定した一事だけで、陛下に心酔しているのが良く分かったわ。それに近衛騎士団への志願理由が、王都の芸術展で作品が見たかったからか……。うん、リディアの芸術品好きは、筋金入りみたい)

 そこでアルティナは、控え目にリディアに話の続きを促してみた。

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