第7話 ここまできたら最後まで行くしかない!

 吐き気がした。


「大丈夫か、ユズハ」


 気遣うレモンの声が、遥か遠くから聞こえてくる。

 身体の奥の奥のほうから冷えてしまったように寒気が止まらない。膝に両の手をついて目眩をこらえる。眼の前で繰り広げられた惨劇はあたしの想像を超えていた。

 地下牢に閉じ込められた猫たちが一匹、また一匹と死んでゆくさまが。

 降りかかった呪いにひとり、またひとりと倒れてゆく人間たちの姿が。

 目の奥に焼きついてしまって消えない。


「……あんな……血で……いっぱいの」


 自分の声だというのに、かすれてしまった声はまるで年老いた老女のようだ。

 みんなみんな死んでしまった。

 人も猫もだ。

 歌の最後のフレーズだけが頭の中でぐるぐる回る。


  とうで、とうとう誰もいない。お城は空っぽ、消えちゃった。


 身体が震える。握った拳が小刻みに揺れている。なんで、こんなことが起こる。

 わからない。わたしにはわからない。

 王は猫たちを呪い。

 猫たちは、自分たちを王女から引き離した人間たちを呪って。

 互いに互いを呪って呪って、そうして死んだ。誰ひとり助かりはしなかった。

 数え歌を歌っていた少女の姿が蘇る。『読解』で見せられた王女の姿とそっくりだった。間違いなく、あの幽霊は百年前に死んだ王女なのだ。

 あの王の顔も覚えていた。やつれ、すさんだ瞳をしていたけれど、肖像画の列にあった最後の人間のものだった。あたしの中で王国の歴史が繋がった。

 怒りで眼の前がくらくらする。

 あたしは怒っていた。


「な……んで、……こんなことになっちゃったの……?」


 自分の放つ言葉が氷の息のようだ。凍てついていて、触れるもの全てを凍らせてしまう。もちろん自分自身も。


「過去形じゃない」


 レモンが言った。

 その言葉に、あたしははじかれたように顔をあげる。

 いつのまにか、あたしの正面に来ていたレモンが口を引き結んだまま、金色の瞳であたしを見つめていた。


「終わってないんだ」

「レモン……」

「まだ、呪いは終わっていない。それなのに、新しくわかったことはあまりにも少ない」


 レモンは小さく息を吐いた。

 呪いは終わっていない。百年前に王国に降りかかった呪いが、今も……。

 鐘の音が聞こえてきた。


「時間だわ。帰るわね……」


 チリが言った。 

 二時間が過ぎていた。


「もうちょっと付き合ってもらえないかな、チリ」


 レモンの言葉に、一瞬だけチリは迷った顔を見せた。けれど──。


「この仕事を受けたとき、そういう約束でしょ」

「あたしは構わないっすけどぉ」

「だめよ、ヤヨイ」

「今日は調子がいいし」

「だめ」


 断るチリに対して、頭を下げたのはレモンだった。レモンの弱気な態度なんて初めて見る。さっき『観た』光景に、レモンもまた傷ついていたのだ。


「頼む」

「だからー、殊勝な顔をされてもねー。あたしだってなんでも知ってるわけじゃ……」


 チリが困った顔になる。

 レモンの顔が力なく垂れ下がった。ため息をひとつつく。

 うな垂れてしまったレモンの背に、あたしは自然に手が伸びていた。

 背中を撫でてやる。いつも自分のほうが主だと言って、あたしに命令してばかりのレモンが、このときばかりはされるがままだった。

 二度、三度と撫でていると、もう大丈夫だと言って、レモンは顔をあげた。


「仕方ない。無理を言ってすまなかったな、チリ」


 レモンの声に力が戻っていた。


「あーもう、ユズハってば、あんた何モン? この暴君にそんな顔をさせるなんて……。うー……、ちょっと待って、もう少し考えるから。……ヤヨイ、むの三番。持ってきて」

「ほい!」


 ヤヨイが持ってきたのは、本ではなく一枚の絵図面だった。羊皮紙らしきものに描かれたお城の見取り図。


「この城の建築時の図面よ。これが役に立つはず」


 チリが言った。


「役に立つ……家捜しでもしろってのか? だが──何を探せって言うんだ?」


 レモンの問いかけは、あたしたちの問いかけでもあった。レモンもあたしも、シィに抱えられているブランシュも、瞳の中に疑問符を浮かべている。

 シィだけは──表情が変わらないのでわからなかったけど。


「ひと月前から起きているという事件の中で、原因の中心にいながら、表に出てきていない存在がいるわね」


 図面を広げたテーブルの上に立ち、チリがみなの顔を見回しながら指摘した。

 わかる? と問いかけている。

 表に出てきていない存在……?


「だから、あたしたちは体育会系なんだってば。頭を使うことはちょっと……」

「それはおまえだけだって言ってるだろうが、ユズハ。てか、体育会系でもねーだろ、運動音痴のくせにっ」

「む。じゃ、じゃあ、レモンはわかるの?」

「考えてる」


 レモンだって、わかんないんじゃないかよー。


「表に出てきている存在、というのはあの幽霊の少女のことですね」


 ブランシュが言った。王女の幽霊のことだ。それは理解できた。では、表に出てきていない存在、というのは……。ちょっと待って。何か引っかかった。


「猫」


 隣でシィが言った。

 あ、とあたしたちは同時に声をあげた。

 そうだ。そうだよ。『読解』を観たかぎりでは、呪いをかけたのは黒猫だ。王女じゃない。

 王女の元に現れた九匹の黒猫たち。王女から引き離された彼らが王を呪ったのが、そもそもの始まりだ。

 なのに王宮を歩き回っているのは王女の幽霊だけ。では──、


「猫たちはいったいどこにいるの?」


 あたしの疑問に答えてくれたのはチリだった。


「場所はわかっているわ──地下よ。地下牢。過去の記録を見るかぎり、猫たちは王に地下牢へと閉じ込められて、そのまま死んでいる。彼らはいまだにそのまま地下にいるに違いないわ」


 王国に降りかかる呪いの元は、おそらくは地下にいるだろう黒猫たち。もちろん生きているわけじゃないから、幽霊なんだろう。あの、王女のように。

 彼らの元に辿りついて、どうにかして呪いを止めてもらうしかない。そんなこと、できるのかどうかわからないけど。


「けれど、この王宮には地下へ続く階段なんかないことがわかってる。少なくとも公には知られていない」

「隠し通路か……。それを、この図面から探せって?」

「役に立つと思うわ」


 とチリが言った。

 ひとつの問いかけの答えが、またひとつの問いを生み出してしまって──あたしたちは図面を見つめて、大きくため息をつく。

 けれど、

 ここまできたら最後まで行くしかない!

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