第5話 酔っ払ってる!?

 太陽の位置からすると今は昼少し前に思えた。

 けど、携帯の時計はまだ始業前を指している。

 どうやら地球とキャッティーネの時間は同期していないらしい。と同時にわかったのは、このあたりは電波の圏外だということだ。アンテナが一本も立たない。

 この辺りが田舎すぎるのか、そもそも携帯のない世界なのか、それはまだわからない。

 さらに思ったのは、写真を撮ったら残るんだろうか、ということで。念のために辺りの風景を二、三枚携帯で写しておいた。

 ついでにレモンも──。

 ぱちり。よし。かわゆく撮れたぞ。

 でも、バッテリーがもったいなかったから電源は切るしかなかった。これで文明生活としばしお別れ。

 肩の上のレモンからこの世界についての説明を聞きながら、あたしたちはお城を目指した。


「じゃ、じゃあ、猫は、地球の生き物じゃないっていうの?」

「ちょっと違う。猫ってのは別の世界に行ったり来たりできるように進化した唯一の生き物なんだよ」


 はい。自慢入りましたー。


「真面目に聞けっての!」

「聞いてる、けど。でも、信じられないよ」


 レモンの話によれば、昔々、猫たちのご先祖さまが異世界への扉を開けた。

 その日から、猫たちは地球と別の世界とを行き来する、地球のあらゆる他の生き物とは別の道を歩き出した──っていうんだ。


「夏への扉を見つけてしまった猫……ってわけかぁ」

「なんだそれ?」

「そーゆーSFの古典があるんだ。とにかく……ここは異世界で、あたしはレモンの使い魔にされちゃったんだね?」

「そうしないとおまえが死んでたからだ」

「う、うん。……ありがと」


 そう言う以外に答えようがない。

 死──かぁ。

 中学生のあたしには、その単語はピンとこない。死、なんて普段は意識しないから。


「使い魔の証であるその頬の〈契約印〉が消えないかぎり、ユズハはこっちの世界で生きられる」

「……使い魔って、ゲームとかによく出てくるよね。魔法使いのお伴になってる」


 アニメにもあった。箒に乗った魔女にくっついてた黒猫がいた。

 あれが確か使い魔だ。


「ってことは、レモンってば、あんた魔法使い?」

「『あんた』じゃねえ。そう呼ぶかぎり、俺も『おまえ』って呼ぶからな。ココじゃ、言葉ってのは重要なシロモノなんだ。注意しろよな」

「う。よくわからないけどわかった。ごめん」

「素直さだけは買いだな、ユズハは。で、話を戻すと、その通り、だよ。俺たち猫はすべて魔法使いだ。この世界にいる限りはな」

「へー」


 魔法、かあ。


「言っとくが、ユズハも、だからな」

「へー……。えっ!?」

「魔法使いの使い魔なんだから当たり前だろう? 契約した以上、俺たちはいまや一心同体だぜ。ユズハと俺は繋がっている。人間だって魔力を持っているんだ。キャッティーネにいるときは魔法が使える。ただし、俺の許可があるときだけ、な」

「使い魔だから?」

「そう。で、ユズハくらいの年齢の人間の女が実はいちばん魔力がでかかったりする」

「中学生くらいってこと?」


 レモンが肩の上で頷いた。ひげが頬を撫でてくすぐったい。


「ああ。おまえたちみんなこっちでは魔女ってことだ。魔力だけはたっぷりある、な」

「わお」

「もし地球でも魔法が自由に使えたとしたら恐ろしいことになるだろうな。世界はユズハたちの年頃の女たちに支配されているだろう。誰も逆らえない」


 それは悪くない妄想だと思う。中学二年の魔法少女たちが世界の支配者、かぁ。


「妄想じゃねえよ! リアルだ。現実を見ろ!」


 と、猫に言われてもねー。

 なんて話をしているうちに、あたしたちは丘を越えて街の入り口までやってきた。

 石の塀で囲まれた街だ。

 左右に、あたしの背丈の倍くらいの石の壁が延々と伸びて、ぐるっと街を覆っている。

 門があって、門番がいた。

 人間の門番だ。

 ヒゲ面の四十歳くらいのおじさんで、革の鎧を着こんでいる。腰には剣。西洋風の剣だ。ネコ耳と尻尾がなかった。肉球スタンプも目に見える限りはない。

 ということは、この人は地球から来たわけじゃないってことだろう。この世界に元からいる人なんだ。

 門番はレモンを見るや直立不動になって敬礼をした。

 おおっ、敬礼!?


「ご苦労。変わったことは?」


 と、レモンが偉そうに尋ねた。


「本日はありません!」


 かしこまった門番の応え。確かにキャッティーネでは人間よりも猫のほうが偉いらしいとわかる。


「そちらの御方は新しい使い魔殿でありますか!」

「ユズハ、だ。以後はこいつの言葉は俺と同じだと思え」

「わかりました! 私はエドガーと申します。以後、お見知りおきを、ユズハ様!」

「う、うん。……よろしくお願いします」

「ありがたきお言葉です! どうか、この国の窮状をお救いくださいますよう」

「窮状……?」

「それは後で話す。……入るぞ」


 気になるなあ。

 門番が門を開けてくれて、あたしたちは街の中に入った。

 門の向こうは大きな通りになっていて、まっすぐ先に広場と噴水が見えた。左右には灰色のレンガを組んだ背の低い建物がぽつぽつと存在している。このあたりは街の外れだからだろう。あまり賑やかではない。畑混じりの街並みだ。

 通りを人間と猫が時折り行き交う。その光景を見るだけじゃ、主従はわからない。

 いつもご近所で見かけているようすとあまり変わらないように思える。

 あ──待って。

 そうでもない。

 猫の毛並みに普通ではない色が混じっている。紫とか赤とか。それに、行き交う猫同士が言葉を発していた。


「お元気ですか」

「すっかり春ですねぇ」


 と、これが茶色い猫と紫猫の会話だったりする。

 その向こうで人間の主婦らしき人が、「お洗濯物が良く乾きそうだわ」と言いながら乾した布団を叩いていて、足下にごろんと寝ている虎猫が「もうすぐアメが降るわよー」なんて髭を撫でながら忠告していた。

 砂利が敷かれた道の脇を見れば、縁台で、猫と人間の老人がチェスみたいなゲームをしていたり。


「王手」


 猫のほうが、駒を咥えて動かしてから言った。


「ま、待った!」

「待ったは無しだよ、スミス」

「そこを何とか! 晩飯に煮干を一本増やしますから!」


 ヒゲをしごきながら、「一本じゃなあ」と交渉をかける牛柄(白に黒ぶちっていう)の猫に、老人が、そこを何とかゾディアック様、とかおだてている。

 お城はまだまだ先で、道は直接には繋がっていないみたい。

 街に入って噴水のある広場が見えてきたときだ。

 さっと日が翳った。

 見上げると、あれほど晴れていた青い空にもくもくと灰色の雲が沸いている。

 そして、ぱらぱらと何か降ってきたんだ。

 コツ、コツ、と落ちてきた何かは石畳を跳ねる。


 小さな小指の先ほどの透き通った塊で、氷の欠片に見えた。

 ただし、ひとつひとつ色が違う。

 赤、青、紫、水色……。

 石畳の上に跳ねて散らばる。

 七色の目にも鮮やかな……


「キャンディ・ドロップだ!」

「いや、違うぞ……こいつは……」


 空から落ちてきたキャンディ・ドロップらしきものはすぐにやんでしまって、再び青空が広がった。けれど、地面に散らばった欠片はそのままだ。

 灰色の石畳がからふるに色づけされている。

 あたしの肩の上から飛び降りたレモンが、ふんふんと欠片に鼻先を近づけて匂いをかぐ。ぱっと跳び退った。


「やべぇ!」


 ふたたび肩の上に乗ると、「ユズハ、城まで走れ!」と叫ぶ。


「えー」


 あたしはスポーツは得意じゃないんだってば。お城までなんて、無理だよ、無理。


「急げっての! 放っておくと大変だ」


 なんだなんだ? いったいこの欠片って何?

 疑問は直後に解けた。

 通りを歩いていた猫たちが、引き付けられるように七色の欠片に近寄っていって、ぺろりと舐める。

 そのままひっくり返ってごろごろと転がった。

 次々と猫たちが集まってきて、みな欠片を舐めて、ひっくり返った。

 残らず、だ。

 お腹をさらしてだらりと足を投げ出して声をあげる。


 ふにゃあごろごろにゃらふーごろろー。


 そんな奇声をあげて、通りに出ていた猫たちが転がったのだ。

 これって、

 酔っ払ってる!?

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