第29話:野次馬とは「野次」を飛ばす「馬」鹿なり(前編)



 ◆◇◆◇◆◇



 ろくな街灯もない、のしかかるような闇に覆われた夜の太竹山。その入り口に、明らかに場違いな出で立ちの女子たちが三人いる。手に持ったお互いの懐中電灯の光が照らし出すその姿は、山歩きと言うよりはおしゃれなショッピングモールで買い物をする時の格好に近い。明らかに、これから山中でキャンプを決行するつもりではないようだ。


「うふふ、感じる、感じるわ……」


 懐中電灯をくるくると回しつつ、抑揚のない笑い声を上げる女子が一人。ゴシックロリータと言われるフリルとレースとリボンをふんだんに使ったその服装は、これ以上ないほどに下田貫というド田舎に合っていない。彼女の名前は牧園百合。簡単に言えば、自己陶酔の気が強いかなりオタクなオカルトマニアである。


「何を? ゆりりん。また何か“見えちゃってる”わけ?」


 百合の笑い声に応じたのは、スイーツ研究会で朝日と一緒だった西木美世だ。短めのスカートから覗くすらりとした両脚に虫除けスプレーを噴射しつつ、やや気のない返事を美世は返す。


「自分がもうこの世のものではないことに気づいていない、哀れな死者の魂の揺らぎが……」


 百合の発言は、何やら怪しげだが同時にかなり曖昧で要領を得ないことおびただしい。


「んー、よく分かんないけどさ、それってここに書いてあるとおりじゃん?」


 しかし、どうにかこうにか美世はその内容を解読できたらしく、虫除けスプレーを地面に置き、側のリュックの中身をごそごそとあさる。


「お、あったあった」


 彼女が片手で広げ、懐中電灯の明かりで照らしたのは、とある女子高校生向けの情報誌の記事だった。流血を思わせるフォントで書かれた題名は「怪奇! 本物の霊が目撃された心霊スポット! 編集者の体験による恐怖の詳細レポート!」というものだ。そこには日本各地の有名な曰く付きの土地の名前に混じって、ここ太竹山の名がある。


「美世ちゃんマジっすか。マジメにヤバくない? 除霊とか、エクソシストとか知らないっすよ、私たち」


 美世の隣で雑誌を食い入るように見ているのは、皆よりも一回り小柄な女子だ。名前は日野来香という。強いくせっ毛が犬の耳のように見えるところから、皆から時折「ライカ犬」と言われることもある、マスコット的な立ち位置の女子である。


 今時の女子高校生を地で行く西木美世。ゴスロリ&オタクの牧園百合。そしてこの子犬のような雰囲気と外見の日野来香。凄まじい個性のごった煮のような組み合わせだが、これでも一応全員初城台高校の学生であり、しかも仲良しの三人組である。明らかに百合が浮いているが、何とかなっている。


 ちなみに来香の「ライカ犬」というあだ名は、旧ソ連が打ち上げた宇宙船スプートニクに乗せられた犬が由来だ。あまり知性的には見えない三人組にしては、ずいぶんとマニアックな通称と言えるかもしれない。以前テレビ番組でこのライカ犬のことが特集され、その犬の悲劇的な最期に号泣した百合による命名である。


 しきりにやばいっすやばいっすと言っている来香だが、口調は嬉しそうだ。それもそのはず。今日彼女たちはここで肝試しを行う予定なのだ。雑誌によると、太竹山では戦国時代の落ち武者の亡霊が今も徘徊しているらしい。誌面にはその武者とおぼしき心霊写真まで載っている。


「じゃあ、ライカだけ帰る? ハウス?」

「わ、私は犬じゃないっすよ」


 美世の台詞に頬を膨らませる来香だが、「お手」と彼女に言われると反射的に手を出している。


「だよね~。ここまで来て帰るなんてあり得ないし」

「ふふふ、もう逃げられないわ。一蓮托生……」


 美世と百合の言葉に、来香は胸を張る。


「もちろん私だって行く気満々っす。その落ち武者の霊、出たらカメラでばっちり撮ってやるっすから」


 来香は首から提げた大きなカメラを構える。


「よーし、せっかくここまでライカの兄貴の車で送ってもらったんだし、気合い入れていきますか」


 一応のリーダー格である美世が、ここで場をまとめる。


「――太竹山の肝試しに」

「我が友の仰せのままに」

「楽しみっす!」


 かくして三人組は太竹山へと足を踏み入れる。未だ朝日と狭霧のいる山へと。



 ◆◇◆◇◆◇



 山道を朝日と狭霧は連れだって下っていく。既に狭霧は結節での休息を終えたため、後は離れに戻って所用を済ませ、入浴してから就寝するだけだ。朝日の手に持った懐中電灯が闇を切り分け、足元を照らして道を示す。その気になれば月明かりだけで真昼と変わらず歩ける二人だが、とりあえず形として朝日は懐中電灯を持ち狭霧を先導していく。


「一つ、聞きたいことがある」


 狭霧を横目で見つつ、朝日は不意に口を開く。


「なんだい?」

「當麻の結節って、どんなところなんだ?」


 それは、ずいぶんと満足そうな様子の狭霧を見ていて、朝日に生じた疑問だった。こんな小さな山の結節で満足できるとは、本家當麻の結節はどれくらいの規模のものだろうかと不思議に思ったのだ。


「そうだな……」


 しばし考えてから、狭霧は口を開く。


「とりあえず、一通りのものは揃っている。たまに知らない人が外観だけ見て、ガイドに載っていない高級旅館と勘違いするらしいけど」

(嫌みか貴様! うちは小さな仏堂で悪かったな!)


 狭霧の何気ない一言に朝日はむっとする。言葉の端々から、我が家の結節とは比べものにならない豪華さが伝わってくる。


「當麻が成金趣味だとは知らなかったよ。さぞかし豪勢な外見なんだろうね」


 捨て鉢な気持ちで朝日がそう言うと、丁寧に狭霧は否定した。


「違う違う。あそこは温泉が湧くんだ。うちの結節は温泉と隣り合わせなんだよ。舞踊の稽古が終わった時とかは、弟と一緒に入ったりするんだ。なかなかいい場所でね」


 だが、これも朝日にとっては嫌みだ。


「人生を満喫しているようで結構なことだな」


 名家に生まれ、人並みはずれた美貌を持ち、さらに人外の異能を有し、おまけに無形文化財の継承者にして優雅な生活を送る。まるで漫画の主人公か何かのような狭霧の人となりに、朝日は半ば呆れつつ感想を述べた。天が二物どころか過剰に与えすぎた結果が、この當麻狭霧という存在に見える。


「君の生活は楽しくないのかい?」


 朝日の皮肉に感情を害する様子もなく、狭霧は逆に尋ねる。


「贅沢には関心がない。私にはこれだけあればいい」


 朝日は右手をかざす。手の平から水銀のように滴り落ちる気魄が見る間に形を整え、一振りの刀剣となった。桜木流撃剣・万象一刀。空気に気魄を通し、朝日はほぼ不可視の刃を狭霧に突きつける。


「これだけが私の人生の指針」


 剣と共に生き、剣と共に死す。ただ一刀のみによって刻まれた、人生という名の道を歩む。人太刀として極まった朝日の一言に、しかし狭霧は感動した様子を見せずにこう言った。


「片手落ちだね」

「何だと!?」


 まさかの否定に、朝日は目をむく。妙に自信ありげに狭霧が断言するのが、ますます気に食わない。


「一度勝ったからっていい気になるな。踊り手のあんたに剣客の志が分かるとでも言いたいのか?」


 息巻く朝日だが、狭霧は話を逸らす。


「君はいつだってまっすぐだ。本当に、朝日という名前の通りに」


 また掛け値なしに誉められ、朝日はどう答えていいのか分からなくなる。なぜこの頭角は、自分を誉めそやすのだろうか。朝日には理解できない。


「あんたは狭霧という名前の通り、つかみ所がないけどな」


 正直な朝日の感想に、淡雪のように狭霧はほほ笑む。


「お互い様だね」


 こんな笑顔を向けられたら、どんな女性でも頬を染めて恋に落ちることだろう。ただ一人、朝日を除いて。


「舞には以前も言った通り、シテ、アドといったものがある。誰一人欠けても舞は成り立たず、そこに宿神はいない」

「何がいないって?」


 聞き慣れない名詞を耳にして朝日は首を傾げるが、狭霧は説明しない。


「君の剣も同じだよ。つまり……」

「それ以上言うな」


 狭霧の言葉を、朝日は遮った。


「あんたの言いたいことが何なのか、自分で考える」


 剣について、人太刀である自分が諭されるいわれはない。朝日の決意に、狭霧は満足そうな顔で言った。


「答えを待ってるよ」



 ◆◇◆◇◆◇



「う゛ぐっ……」


 一方こちらは仲良し三人組あるいは有象無象たち。太竹山に入ってしばらくして、あの場違いゴシックロリータの牧園百合が呻き声と共にうずくまった。


「ちょっとゆりりん、大丈夫? 辛いなら帰ろうか?」


 軽くえずく彼女の背を、西木美世がさすっている。


「だ、大丈夫よ。三割くらい、暗黒に意識が侵蝕されただけ……」


 対する百合の返答は意味不明だ。実際に精神に異常を来しているのではなく、単にアニメや漫画的な言い回しを好んでいるだけなのだが。


「う~ん、これはもしかすると本物かもね」


 そんな百合を見て腕組みをし、少し深刻そうな表情を浮かべる美世。彼女の大仰すぎる発言を蔑む様子はまったくない。


「本物っすか?」

「霊感の強いゆりりんがここまで危ない感じになるって、今までなかったからさ。本当に出るかも」


 美世の返答に、来香はさっと顔を青ざめさせる。


「の、望むところっすよ。べ、別に怖くなんかないし!」


 勝ち気なことをいう来香だが、かすかに膝が震えている。さすがに怖くなったらしい。


「で、どう? ゆりりん。感じる?」

「ええ。分かるわ……」


 ふらふらしつつも立ち上がった百合が、気取ったポーズと共に口を開く。


「美麗なる魔性と、清廉なる狩人の気配が……」


 エセ予言者のような怪しい物言いだが、残る二人は全員真顔だ。


「はい、全員注目」


 美世が大まじめな顔でうなずきつつ言う。


「マジで気をつけていこう。もしかすると、私たち相当ヤバイものを見ちゃうかもしれないからさ」



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