4:双子、再び。

4


 初めはそれが、出血によるものだと考えた。

 あるいは、教室と比べてトイレの中が冷えているからだとも思った。

 けれど、鏡に映る光景を目の当たりにし、その解釈は間違いだと気づいた。

 この寒さは、この世のものではない。

「見つけてくれたね」

「見つけてくれたね」

 双子は、ニタァと笑う。どんなに訓練された役者でも、こんな邪悪な笑みを浮かべることはできないだろう。

 現実離れした光景を目の当たりにし、俺は固まった。なんだ、こいつら。

「……幽霊?」

「幽霊とは少し違うよ」

「花子さんじゃないよ」

 声は聞こえる。けれど横には誰もいない。鏡を見ると、双子の姿が見える。叫ぼうとするが、声が出ない。

「叫ぶことは許されないよ」

「お友達なんて呼べないよ」

 肺が苦しい。息を吸いたくても吸えない状況が数秒続き、元に戻る。息を吸いこみ、言葉を吐く。

「……訳が分からねえ」

 俺は頭をかきむしった。

「お前ら、何者だよ」

 俺がそれを聞くと、双子はあきれたように溜息をつく。

「みんなその質問をするね」

「聞いたって分からないよ」

 長い前髪で目元が隠れ、口元以外で表情を判断できない。

「うるせえ答えろ」

「じゃあ答えてあげる」

「一度しか言わないよ」

「「耳を貸して」」

 俺は、鏡を見ながら少しかがむ。双子の身長に合わせると、両耳に手を当てられ、吐息がかかる。

「天使」

「悪魔」

「魔女」

「妖精」

「鬼」

「神」

「そういう物理的にこの世で確認されていない神秘的存在」

「それに近いもの。それが私たち」

 言葉はそれで終わった。吐息が耳元から離れる。

「……なんだ、それ」

「ね、だから言ったじゃない?」

「あなたじゃわからないよって」

 キヒヒという笑い声と同時に白い歯が光る。

「厳密にいえば、今の表現じゃ足りないよ」

「わたしたちは、生き物じゃないし思考しない」

「音」

「光」

「熱」

「重力」

「どちらかというとそういったものに近い」

「だからお兄さんたちが見たり聞いたりしてるわたしたちはね」

「お兄さんたちの脳が目の前の現象を理解するために、無理やり幻覚として私たちを認識して、理解しようとしてるだけなの」

 言っていることに頭が追い付かない。目をこすって再び左右を見る。誰もいない。

「でもそんなことはどうでもいいの」

「今日はお兄さんに、あることを教えに来たの」

 手を握られた。直接は見えないが、少女の手の感触がある。そして、無理やり自分のブレザーのポケットをさわらせられた。

 何か、入っている。

 俺はポケットからそれを取り出す。正体を知って絶句した。

 それは、血で汚れたナイフだった。

 慌てて、手を放す。取っ手に付いた血がヌルりと手に付いた。人を刺した感覚が、手に蘇る。俺はうずくまった。鳥肌が立つ。体の震えが止まらない。

「あ、あああ……ああああっ」

 口元を双子の一人に抑えられた。

 のどの穴が吸い付くような感覚がし、声が出せなくなる。

「「しーっ」」

 双子は自分の人差し指を唇に当てる。のどが元に戻り、息が吸えるようになった。

「叫んじゃダメって言ったでしょ?」

「それに、お兄さんは、人を刺してないよ?」

 震えが徐々に収まり、落ち着いてくる。

 鏡を通して、双子をにらむ。クスクス笑いが、部屋全体に響く。

「そのナイフは」

「ただのナイフじゃない」

「それは"巻き戻しナイフ"」

「あれは"巻き戻しナイフ"」

「「対象となる人間を刺すと、所有者は現在の記憶を保持したまま、その人間と初めて会った時空間に戻ることができる」」

 言ってることを飲み込めない。

 俺の態度を見て双子は理解したのか、詳しい説明をし始めた。

「お兄さんは、先生を刺したから」

「先生と最初に出会ったその瞬間に戻ったの」

 俺は新井とのファーストコンタクトを思い出す。

 俺が新井と初めて会ったのは、今年の四月。2年になってはじめてのHR。

 言っていることは合致している。

「でも、そんなの」

 床に落ちたナイフを拾う。

 ポタリ、ポタリと、刃から血が零れる。

「……納得できるわけねえだろ」

 言いながら、実は状況を飲み込み始めている自分がいた。

 理解できない、とかそういう話ではないのだ。

 理解しなければ、他に世界の解釈方法がない。

「……じゃあ、仮にだ」

 沈黙を自分で破り、双子に話しかける。

「仮に、このナイフで別の人間を刺せば」

「別の人と初めて会った時空間に戻ることができるよ」

 自分の頬を、一筋の汗が伝う。

「疑ってる?」

「嘘じゃないよ」

「実際にそれを使って『何度も時間を巻き戻してる人』だっているしね」

 双子はお互いに顔を見合わせて、うなずく。

 そして、こちらをじっと見る。

 今の言葉を聞いて、俺はある人間の顔を思い浮かべた。

「なぁ……それって」

「想像通りだよ? "カクタマヒル"のこと」

 双子の片割れが即答する。鼓動が早くなるのを感じる。

 これであの時、アイツがアオバを刺そうとした理由も分かる。

 カクタマヒルは、時間を何度も巻き戻して告白を成功させようとしている。

「マヒルお兄さんは、何百というやり直しの果てに、現在の完璧超人の姿を手に入れた」

「はじめは、弱っちくて、教室の隅で本を読んで、遠足の班決めで一人だけ余るようなタイプだったのに、すごいよね?」

 今の言葉はさすがに信じられなかった。

「いくらなんでも、カクタが弱そうって」

「嘘じゃないよ」

「人生を何度もやり直すことができたら、それが可能になると思わない?」

 俺は、つばを飲み込んだ。頭の中でこれまでの人生における大きな失敗全てを思い出し、それがすべて成功した世界を思い浮かべる。

「……ある、かもな」

 あそこまで劇的になんでもできる奴になれるかは知らないが、なんとなく未来は明るそうに感じる。

「マヒルお兄さんは自分を変えているその間に、復讐も成し遂げた」

 双子は嬉しそうに口を開く。

「”オオツカくん”って覚えてない?」

 嫌な話をするもんだ。あまり思い出したくない。

「……覚えてるよ」

「だよね」

「みんなにいじめられて嫌われてたオオツカくん」

「一年前に自殺したオオツカくん」

「無視されたり、罰ゲームの対象にされたり」

「お兄さんは他クラスだったから知らないかもしれないけど、みんなから嫌われていたのは噂で聞いたことあるでしょ?」

 答えなかった。

 オオツカくんに関して、詳しい話は知らない。けど、見た目からして自分に自信がなさそうで、いつもうつむいていたという話は聞いたことがある。遺言などは残されてないから、いじめとは公に言われていないが、生徒たちの間では『そういう扱い』になっている。

 俺が黙り続けていると、双子の方からしゃべりだした。

「沈黙は肯定」

「やっぱりそうだよね」

「でもね。時間を巻き戻す前は、マヒルお兄さんがオオツカくんにいじめられていたの」

 耳を疑うような話だった。

「……ちょっと待てよ」

「それを、マヒルさんは」

「何百回と時間を巻き戻し」

「「ついにやり返した」」

 話を聞いて、背筋が寒くなった。

「高校内だけでなく、中学の交友関係も含めてマヒルお兄さんは徹底的につぶした」

「そうして直接手を下さずに、自分の学校のいじめっ子が勝手にいじめてくれる環境を作り出した」

「「これが、巻き戻しナイフの力」」

 ナイフを握る手が汗ばむのが分かる。胸の奥の鼓動が、早くなる。

 とんでもないものを、俺は手にしている。

「お兄さん?」

「……」

 相槌を打てなかった。頭が沸騰しそうで、会話ができる状態じゃなかった。

 考えろ。

 これがあれば、俺は何ができる?

 考えろ。

 これがあれば、何でもできる。

「お兄さん?」

「……ああ、悪い」

 同じ聞き方を二回もされたため、さすがに反応することができた。

「いろいろなことを考えてるところ申し訳ないけど」

「お兄さんはこのままだとマズいことが起きるって自覚してるよね?」

 少女たちの声のトーンが変わる。俺は鏡を通して、少女たちの方をもう一度見る。

「……悪いこと?」

「この世界の1月30日。シズオカアオバはカクタマヒルからの告白を拒否する」

 そこで、俺はハッとした。あることに気付いた。

「……カクタはやり直しを行うために、シズオカアオバを必ず殺す」

「その通り」

「正解だよ」

 双子はニヤニヤしながら答える。

 このナイフを使えば、なんでもできる。

 しかし、なんでもできるのは俺だけじゃない。

 カクタだって、思い通りにならない世界を変えられる力を持つ。

 このままいけばどうやったって、アオバは殺される

「殺されたくなければ」

「カクタマヒルを、あなたは食い止めなければいけない」

 でもどうやって?

 思考速度が加速する。

 カクタは、自分が時間を巻き戻すために人を刺して思い通りに世界を改変することができる。やり方を変えれば、いつかは告白を成功させ、思い通りの世界を実現させられるかもしれない。

 しかし、俺は違う。

 俺の場合、時間を何度巻き戻しても、行き着く先は「カクタがアオバを殺す未来」。

 カクタかアオバのどちらかに対して行動を起こさなければ、この未来は変わらない。

 しかし、それさえできれば

「さてと、お兄さん」

 少女の言葉が思考を遮断する。

「ここから先はノーヒント」

「できるとこまでやってごらん」

 その瞬間、双子の姿が煙のようにフッと消える。

「お、おいちょっと!」

『『またね』』

 鏡にはナイフを持った俺が呆然と立っている姿だけが映り、不思議なことに血の跡は綺麗になくなっていた。


 ×××

 トイレのドアを開けると、アオバが待っていた。

「あら? おがみん、もう鼻血は止まったのかい?」

「ああ……」

 鼻血を出していたことを、忘れていた。双子との会話に集中していたため、それどころではなかったのだ。

「良かったのだ。保健室には行かなくても平気そう?」

 アオバは心配そうに聞いてくる。

「おおげさだな。大丈夫だ」

 俺はそう言って歩き出す。アオバは訝しげな表情をする。

「おがみん、やっぱ何か隠してる」

 ギクリとした。俺の態度が不自然だったのかもしれない。論点をすり替えるためにくだらない冗談を言うことにした。

「隠してない。隠してない。それより、アオバ。お前、口にご飯粒ついてるぞ」

「なぬっ!」

 急いで口を拭うアオバ。犬のように頭を振る、それに対して俺が「うっそー」と言うと、アオバはかみつく勢いで「おがみんのバカ!」と言いながら俺の背中をポコポコ叩いてきた。

 そのまま、くだらない会話をしながら教室に戻る。

 こんなに親しげに話していているのに、俺は告白に失敗してこいつと口を聞けなくなった。

 未来が分かっているから、もっと別の方法で告白することを目指すのが最善。

 だが、未来が分かっていても最善策が分からないこともある。

『この世界の1月30日。シズオカアオバはカクタマヒルからの告白を拒否する』

『カクタマヒルはやり直しを行うために、シズオカアオバを必ず殺す』

 双子の言う通りだ。

 このまま何もしなければアオバはカクタに殺される。

 だから、俺は行動する。

 教室に戻り、すぐさま俺はある男に声をかけた。

 それはもちろん。

「カクタ」

 声をかけると、完璧超人は振り返ってこちらを見る。

「ああ、オガミくん。どうしたの?」

 人工的な笑みが、俺の質問を歓迎してきた。

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