幕間

第41話 テント

「えっと……ようするに、監督が作っていたのは街というよりも街を舞台にしたゲームであって、そしてそのデモプレイをあの場所で実際にやるってこと?」

「多分、そういうことなんじゃないかな」フーフーは自信なさげに首をひねる。「いかんせん私もこれ聞かされたの今朝だから……」

「今朝? プレイヤーなんでしょ?」

「こんなビッグイベントとは夢にも思ってなかったよ。すでに緊張で胸がバックバク」

 肩を抱きながら彼女が振り返った先には、つい先ほどできあがったばかりの大魔境クーロンがある。小規模ながらも実際に9箇所で建築を進めていた都市区画を一気に結合させたそのサイズたるや凄まじく、面積は実際の九龍城砦のちょうど9倍にあたるという。楽園のゲーム制作において舞台の一部を実際に作ってしまうこと自体はそこそこ一般的だが、これだけの規模を仮想部分なく完全再現するのは前代未聞らしい。ホクロをはじめ街の合体では大して反応していなかったデカダンス組の面々も、ファニー・フェイスのあのラジオを聞くやいなや蜂の巣をつついたが如くに沸き立っていたのだからやはり歴史的な行事なのだろう。

 僕にはいまいちピンとこないのが本当に悔しい。

 今現在、建築班の白組は瓦礫の撤去に追われていて、朱、青の両組は突如始まったゲーム向けの最終調整を完了させる仕事に大半が忙殺されているが、僕らは近くのテントで待機指令が出されている。テントと言ってもガラスの窓や吊り照明まで完備した楽園水準の巨大テントで、カラフルな看板や空き瓶、動物のぬいぐるみが詰まった籠が乱雑に放置されているせいで座るスペースを見つけるのにも苦労した。

 窓際でソワソワと何度もため息をついてるフーフーを眺めていたら、振り返った彼女と目があった。

「うーんと」僕はごまかすように腕を組む。「この街を舞台にしたVRゲームを作って、そのデモプレイをアーティストたちがあそこでやるって理解でいいのかな」

「デモプレイっていうか本プレイだよな」テントの入口から、パレードのさえずるようにきれいな声。「やあ、お二人。お前らがいるってことはここが控え室であってんだな」パレードはキョロキョロと辺りを見渡しながら、いつものようにスラスラと説明する。「ようするにハダリーと一緒さ。そもそもがアイドルの体を使ってプレイするってていのゲームを作るって話で、今回のイベントは実質本人が本人役でプレイするよってこと。だよなテラー?」

 テラー?

「……私に聞かれても、なんと答えてよいやら」

 すっと、パレードの背後から少しだけ背の高い少女が姿を現したその瞬間、心臓が痛いくらいに一つバクンと跳ね上がったのを覚えている。

 憧れの出会いは、案外あっけないもの。

 この人が、テラー……。

 テラーは灰色の髪をした、とてもスレンダーな印象のアイドルだった。長い髪は枝毛が目立ち、着ているセーターは夜を吸い込んだみたいに真っ黒い。楽園最高のホラー作家を前に色々と沸き立つ感情はあったのだが、何はともあれまずはその美しさに目を奪われた。青さすら感じる色白の肌と尖った顎は、だけどどことなく柔らかくて温かい。グレた中学3年生だったりスレたOLだったり、陰りのある女性の「魅力的な部分」をこれでもかと凝縮した少女の完成形アイドルである。

 テラーは頭一つほど背の低いパレードを押しのけるように一歩二歩、ものを避けながらゆっくりと僕へ向けて歩みを進めてきた。タバコを指で挟み、前に立つ。

「ハジメマシテ、クローンの人」

 ツンとくるミントの香り。

「あ、は、はじめまして、ミズノといいます」僕は慌てて立ち上がる。「あの、ファンです、生まれてからずっとテラーのホラーばっかりやってて……」

「ホラー? あれが?」フンッと、テラーは鼻から息を漏らして目をそらす。「本物のホラーってのはマカやベルゼブブのようなものを言うんだ。私のは安全な刺激に酔うためだけの嗜好品、これによく似ている」タバコを軽く振ってみせる。「これからここで起きるのもそういうものさ。どうせ子供だましならレベッカのようにポジティブに振れればいいんだが……中途半端ってのはこの世で一番醜いもんだ。なあ?」

「えっと……」早くも助けを求めてパレードに視線を送ってしまった。

「言ったろ? こいつは照れ屋でへそ曲がりだってな」

 チッと、テラーは露骨に舌打ちする。「……付け加えるなら人見知り、自惚れ屋、低俗、狭量、不寛容、陰湿、粘着質、幼稚、ありがち、馬鹿、恥知らず、そして無能か。ああくそ、才の無さを一番最初に言うべきだった……また間違えた……」

「いや才能はありまくるんじゃ……」フーフーが視界の端で困ったように笑っている。「アーティストで、クローンでもないんだから、点数は全部才能ですよね?」

 全くその通りだと思う。作品にまつわるあらゆる難癖や雑音は点数の一言で消し飛ばされる、ここはそういうテーマの世界のはずだ。

「私は、そんな風には割り切れない」しかしテラーは不機嫌に笑う。「それなのに愚かにも”頑張ってしまった”ことが問題なんだよ、フー・フー」いやにまっすぐに僕の目を見つめながらまたタバコをくわえ、そして煙を吐く。「お前、私の作ったものを知ってるんだな?」

「はい、白線とかスライサーとかシンズとか……」

「死んでしまえよ」

「へ?」

「お前は酷い奴だ。どうしてそんなに嬉々として人の恥を語れるんだ? お前が今語った全ては、私にとっては思い出したくもない過去の負の遺産だよ……無論、全ては晒した私に責任があるがね」

「いや、あの……」

「あの、なんだ?」テラーがグワッと顔を寄せてきた。透き通った肌の白さに目眩がする。「私に沸き立つ感情を決定できるのは私だけだ。お前は自分が親切な気持ちで行えば、全ては善であると信じられるクチか?」

「そ、そういうわけじゃ……」

「なあミズノ、お前はこの間ココルがパレードと会ったときそこにいたな。なら、あの時私が下に降りなかったことも覚えてるな?」

「……はい」

「あそこにお前がいたことに、私はついさっき気がついた。考えてもみりゃパレードがクローンといるのなんか当たり前の話なんだが……まあ、気づかなかった事自体は構わない。私が馬鹿ってだけで終わるからな。だがしかし、わかっていたふりをしようとしていたとすればこれは問題だ。私はもう40を超えているが、こんな歳にもなってまだ見栄を張る性根が治らない。恥ずかしくてたまらないね。恥ってのは怒りと同じ意味だ」

「…………」

「いいね、その目だ。その感じだ。それを言いたかった。私は自分の作ったものを他人に見られるとそんな目で見下されてる気分になる。頼まれてもいないのに曝け出し、身勝手な後悔で恥じ入って、醜態に立ち会った誰かを憎む。私はそういう生き物だ。幻滅したか?」

 …………。

 うげえ。

「そのへんでやめとけよ、バキュームがかわいそうだろー」いつの間に現れたのか、自称メルヘン画家の獣人ココルが羽交い締めのようにテラーを僕から引き剥がした。「ごめんなバキュームごめんなー、超面倒くさいでしょ。こいつこう見えて仲良くなるとどんどん口数減るの。初対面が一番面倒なの。だから嫌いにならないであげ……ぎゃっ!?」

 ココルの口に、テラーが指を突っ込む。「親切にありがとう、ココル」

「ちょ……ひゃめ……」

「つまりは私と話して得るものなど何も無いということだ」テラーは最後にそう言ってココルの口から手を引き抜き、くるりとUターンして歩き出す。

「ケホッ、ブヘッ……え、どこいくのテラー?」ココルが聞く。

「見学」

「あ、一緒に行くいくー」ココルは嬉しそうにぬいぐるみのような使い魔から着ぐるみの猫紳士ジェントルミャーを取り出し中に乗り込む。「じゃあねフー・フー! よくわかんないけど明日はよろしくー!」

 着ぐるみはすでにテントから出ていたテラーを追いかけ、小さな入口をありえない器用さでくぐり抜け、ガシャガシャとどこかへ駆け出していった。

 ウィーン……と、遠くで重機や瓦斯設備が動く音。

「相変わらず嵐みたいだったね」顔の周りに停滞しているミントの香りを吸い込みながら、僕はため息。なるほどあれがテラーか。初対面でこんなに話をしてくれるとは、案外サービスがいい性格なのかもしれない。

「あら、いつの間にかパレードもいないや」フーフーは立ち上がり、伸びをする。

「ホントだ」

「じゃあ私たちも見物しに行こう。仕事があるなら連絡が来るでしょう」振り返って僕を見た目が、輝く。「ねえねえねえ、この街の景色って半端じゃないよね? 先からその感動と明日への緊張で頭グチャグチャなんだけど」

「九龍城砦の9倍だっけ? イメージわかないなあ」喋りながら走るフーフーの背を追い外に出る。青龍門と僕の字で書かれた街の入口までは目測で50mくらいあって、主に青組の面々とおぼしき集団が使い魔に乗ってケーブルを使いながらあれこれ空中作業をしていた。

「……ねえ、折角だから上から眺めない?」フーフーが僕を見上げる。

「上?」ついつい空を見る。「えっと、ビルの上からってこと?」

「ううん、空」

「空?」

「実は私の使い魔も飛べるんだ」彼女の後ろに虹を映す巨大なクラゲが浮かび上がった。「観覧車くらいの速さしか出ないけど、結構高く上がれるんだよ。ついでに360度カメラにもなるのが私の使い魔の機能」

「へえ。空かあ」

「きつい?」

「いや、速くなければ大丈夫」頭より先に心が返事をしていた。飛ぶのは正直怖いのだが、ここで断るほど男を捨ててはいない。

「じゃ、お先どうぞ」とフーフーに促されるまま、クラゲの脚が変形したステップを上って座席につく。クラゲの膜は内側から見ると、まるで泡のように青く透明だ。

 僕の後からフーフーがステップを上ってくる。

「え?」ついつい驚いて目をパチクリさせてしまった。だって、どう見たってこの座席は一人分である。てっきりこのまま使い魔を広げるものだと思っていたが……。

「高いとこ飛ぼうと思うと私がこのサイズが限界」使い魔のへりに肘をついてフーフーは笑う。「パレードみたいにはいかないよ」

「え、じゃあ……」

「私は膝に乗るよ」

 実にあっけらかんと、フーフーはそう言ってのけた。

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