第25話 出勤

 シャリシャリと、キャンバスの上にペンを走らせる音が響く。僕は後ろからフーフーの仕事風景を眺めている。隣にはこんな温かい室内でも帽子とマフラーを外さない若い男が立っていて、やはり僕と同じようにフーフーとその描く絵を眺めていた。彼の名はジョルジュ。デカダンス組に在籍する製図家で、アーティストではないが、若いながらも設計主任らしい。

「……相変わらずとんでもないなぁ」マフラーの男、ジョルジュがうなる。「そしてホントに描くのが速い」

「速さだけは自信あるからね」手を止めずフーフーは答える。「絵がうまく見えるのはツールのおかげだけど。こっちの世界って画材がホントに優秀でさ」チラッと僕を流し見て微笑んだ。「線画みたいなノリで色のせられるのは本当に楽だよ」

 なんて謙遜してるが、線画みたいなノリで簡単に正しい色を選択できるフーフーが天才なのは間違いないだろう。

 キャンバスの前で笑うフーフーの前に広がっているのは、乱雑なネオンに彩られたクーロン・シティの赤錆びた路地の景色だった。ひしめく看板の下に電化製品の入った網カゴが所狭しと並んでいる不思議な空間。描かれていく過程を見学していてさえ、僕にはこれが絵であるとは信じられなかった。リアルすぎる。普通に写真と誤認しかねないレベルで驚異的な完成度だ。本人は「ツールが優秀だから」の一点張りだが、フーフーもなんだかんだいってアーティストである。ラッキーでちょっと点数もらえただけの僕のようなクローンとは一線を画する。

「描く速さならジョルジュだってすごいじゃん」と、フーフー。

「製図はしょせんパターンの繰り返しだからな。それに色も使わない」

「彩色だってパターンだよ」

「絵描きはみんなそう言うんだ」舌を出しながら、ジョルジュは窓に目を向ける。「おぉ、見ろよ、外も凄いわ」

 立ち上がり、窓から外界を見下ろす。

 人。

 もの。

 使い魔。

 人の波。

 ちょっとしたお祭りのような景色だった。

 カカリンの爆破解体が終わってすぐに、物資の搬入作業が始まった。一見手ぶらに見える老若男女様々な人たちが中型のジープっぽい乗り物で各地点に運ばれて行っては、使い魔の中から資材を取り出している。使い魔ありきのこの世界では、搬入に大掛かりな機材やトラックは必要ないようだ。収納したものを取り出すというのは使い魔の基本機能だが、それを適切な順番で行えばどれほどの速さで建物が組み上がるのかを僕が知るのはもう少し先として……。

 窓から外界を眺めていた目をやや上方に向けると、白と黒の渦巻が描かれた巨大な巻き貝がSFの人工太陽のように宙に浮かんでいるのが見える。周囲には小さな貝が衛星のようにチカチカと緑色に点滅して、木材やら金属材やらが一瞬だけ宙に現れては作業人の使い魔に取り込まれていく。

 あれが監督の使い魔、”集積者コレクター”。

 あるいは”メトロポリス”とも呼ばれる巨大なヤドカリだ。

 普通、アーティストの使い魔というのはある種の特別な力を備えるものらしいが、監督の使い魔にはそれがない、いわゆるバニラなんだという。その代わりに単純な収容能力が桁外れらしい。容積なんと20立方キロメートル。軽く巨大湖並みだ。収納メモリだけなら楽園最高魔力の保持者イヴをも凌ぐ世界一の移動倉庫というわけである。

 ゆえにデカダンス組では、まずは監督の使い魔の中に全ての資材を詰めて運んだのち、小さな貝ごとに中身を選り分け、作業人たちが自分たちのプライベートな持ち物と一時的な交換の要領で中身を入れ替えて必要地点までそれぞれ運んでいくと、そういう手順で運搬作業を行っている。一度の運搬で運べる量が多いため、集団での大掛かりな作業になればなるほど能率が上がっていく。大事業の神と謳われるデカダンス監督らしい能力ちからである。

 ガタリと、ドアの開く音。

「あ、どうもこんにちは」素早くフーフーが振り返り、片手をあげた。

「やあフー・フー、ジョルジュ、それに新しいクローンかな」巨大なアフロヘアの女の人が、顔の横で両手を広げる。「ミズノだっけ? よろしくな」

「いよおミズノ」スイカみたいな服を着たスイカみたいな体型の男が素早く僕の横に回り込み、上機嫌にバシバシと背中を叩いてきた。「すごいね、生まれて一月もせずデカダンス組なんてな」

「どうも……恐縮です」

 ぞろぞろと5、6人くらいが部屋に入ってくる。初対面の人たちに囲まれ若干緊張しながら、僕はペコペコと頭を下げていた。

「あれ? パレードいないんだ」入ってきた集団の中では一番若そうな、ちょっと丸い女性が辺りを見回してホッとしたようにため息をつく。「緊張して損しちゃったかな」

「わかんないよ、パレードってすぐいなくなるし、いきなり現れるから。ね?」

 フーフーの笑顔に、多少オーバーに笑い返す。「それは、確かにそうかもね」

 爆破解体が終わるまでは一緒にいたパレードは、用事があるとか言って花火師カカリンと共にどこかへ行ってしまった。おかげで僕の知り合いはフーフー一人きり。そもそも僕の人生にはまだ友だちと呼べる人間なんてほとんどいないのだが。

 入ってきた一団の一人、猿のお面を被った奇妙な男が部屋の真ん中に真っ赤な大テーブルを設置する。誰が音頭を取ったわけでもなく自然と皆が自分たちの椅子を使い魔から取り出し、思い思いのポジションに着席した。お面男はテーブルの上にドサッとあぐらをかいた。

 スィーっと、再び扉が開く。

 モノクルの付いた巨大なシルクハット、黒いベルト、花のようなスカート、ぬいぐるみ、そして溶けたセラミックスのような肌の艶……我らがデカダンス監督である。窓の外では監督の使い魔ヤドカリが空に浮いて作業を続けているのを見るに、結構遠隔操作が効くようだ。僕の使い魔は頑張っても10メートルほどしか離せない。

 監督がゆったりと緩慢な足取りで上座につき、赤いクッションが張られた肘掛け椅子に座るまで誰も喋らなかった。

 全く、本当にお美しい……。

 が、しかし、僕は姿勢を正した。僕は舞台を見に来た客でもなければ、美術館で人形を眺める愛好家でもない。

 僕は、デザイナーだ。

 今生で初めての、生活のための労働をしに来たのである。

 今僕らがいるのは、廃工場のような外観に反して、赤く清潔な図書館のような内装で飾られていたデカダンス組の”仮設”設計事務所兼デザイン本部の4階だ。いわゆる中会議室で、緑色のマットの中に黒い蛇の影がいくつも泳いでいるのと、天井に描かれたネオンの曼荼羅模様が印象的だ。着工が一昨日と聞くが、既にどう見ても完成してるのはやはり楽園の技術者たちの神業なのか。

「おう、そうだ、コーヒー淹れるわ」さっきの太った男……スイカのような服を着たスイカのような彼が立ち上がり、端っこの給湯所へ向かう。「ほれ皆の衆、軽く自己紹介だ自己紹介。俺はダムダム、建築家よ」

「俺も建築家」テーブルの上の猿仮面の男が親指で自分を指差した。「ベータってんだわ。こんからよろしうな」

「クァラ」と、羊のような髪のおばさん。

「ロジャーだ」金髪のナイスミドルが微笑む。「ロジャー・ブラウン、建築デザイナー。マンハッタン生まれのクローンだ。よろしくな」

 へぇ、この人も……。

 皆の目線が、マフラーを巻いた青年に向いた。

「ジョルジュ」フーフーが膝をつつく。

「ああ、俺もか。はい、改めましてジョルジュですヨロシク……製図担当だよ」

「こいつらが建築班ってやつだにゃ」ひときわ背の高いリーゼントの男がダミ声でゴロゴロとうなずく。「俺はチビニャン。建築とデザインの中間みたいにゃ仕事をしとる」

「そうにゃ……なんですか」

「あたしアンハッピー」巨大なアフロの姉さんがウィンク。「それとゼロって爺ちゃんが総合デザインの責任者ね。今はいないけど」

「コンセプトデザインのフー・フーです」

「ミズノです。カリグラフィー担当なのかな」

「ピ、看板デザイン」最後の一人が、小太りの彼女。「ピ、がそのまま名前ね。よろしくミズノ」

 咳払い。みんなが上座の監督を見た。

 5秒ほどの沈黙。

「我々はこれから4つの組に分かれて動くことになる」監督は前置きなく話し始める。相変わらず感情が読み取れない事務的な声だが、不思議とゾクゾクするほどに女性的な響きを含んでいる。「青、白、朱、黒の4組だ。ミズノには一先ひとまずこの4組の標を頼んだ」冷たい目が僕を見つめる。

「はい」いちおうとか、えっととか僭越ながらとかの余計な言葉を飲み込んで、短く答える。どうも監督の淡々とした口調の後だと、内容のない言葉を自粛せざるをえない気分になる。

 テーブル中央のモニターに、着色された「青」「白」「朱」「黒」の4文字の、それぞれ1楷書風、2行書風、3草書風の計12パターンを使い魔経由で送信する。既に採点は済ませたとはいえ、自分がそれなりに本気を出した仕事の成果を審査されるんだから、それなりの緊張感だ。

 モニターに字が表示され、同居人たちが一斉に身を乗り出した。

「……かっけえにゃあ」チビニャンが唸る。「個人的にゃこの崩した3番目がいいが、使いやすいんにゃやっぱ1か」

「そうなんですか? 3の方がシンプルですけど」ピが聞いた。

「んにゃこたにゃい。お前にゃ関係にゃいかもだが……」楷書の”青”を指先で叩く。「このパターンはほとんど直線にゃんだ。線の並びを覚えりゃ絵心にゃしでも書ける」

「どっちにしろ色分けあるし、どれでもイケるんじゃない?」そう言ったのはアフロの、えっと、アンハッピーだ。

「その通り、どれにも不満はない」監督のその一言で、だいぶ心が落ち着いた。「ジョルジュ、ピ、フー・フー」

「はいよ」マフラー青年のジョルジュの後ろに使い魔が出現する。犬、猿、カラスの惜しくも桃太郎ではない三体組のうちカラスの目がモニターから文字をスキャンし、猿が犬のくわえるガラスのボードに僕の文字を書き込む。

 同時にフーフーとピも使い魔を出し(クラゲと変な猫)、恐らくはジョルジュから送信された、スタンプ化された僕の作品をそれぞれ自分の作品に貼り付けていた。フーフーの手元を見るに、きちんと3Dペイント化もされているらしい。魔法の世界とは思えないくらい現代的な作業だが、不自然には感じない。テクノロジーは現実的なニーズが育てていくものなんだから、原理が変わってもやることが似通うのは当たり前だ。

「以上の流れがこれからのミズノの作業だ」ダムダムからカップを受け取り、監督は目を閉じる。「明日からはデカダンス組に在籍する全デザイナーの主たる作品メインコンテンツの現物を実際に見て、そこに”漢字”で表題をつけてもらう。組分けは今から組内報オルガネットに公開するが、それはデカダンス組全体の構成リストでもある。最低限、自分の在籍と各組の責任者の顔は覚えておくように」

 監督の言葉に間を合わせるように、ブルブルと僕の使い魔が通知を鳴らした。フーフーをはじめ他の面々の使い魔も似たような音を出す。デカダンス組には組内報オルガネットという全体の進捗情報を共有できるホームページみたいなものがあって、使い魔をブラウザにして自由にアクセスできる。こういう機能も現代世界と同じニーズだ。

 ともあれ、デカダンス組の全メンバーの名前と顔写真が載ったリストに目を通す。

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