第14話 潮騒(1)

 この日は澄んだ青い空に日が眩しく照らしつけていた。早足で初夏が来たかのようで、村人の幾人かは着物の袖を折るか、或いは肩まで捲し上げていたが、風が吹けば涼しく、本格的な夏の到来にはまだ至らぬ心地だった。

 稽古は朝餉を取ってから家の裏手の空き地で行われた。

 昨夜の縁日の余韻がまだ抜けきらぬ楸は朝餉を掻き込むと、気合を充実させて木刀を手に取った。挙動のひとつひとつに逸る気持ちを抑えられぬ興奮が露わになっていた。

「気持ちの高揚は構わぬが、手元に力を籠めるのはやめた方がいい。力任せで傲慢な太刀になりかねない」

 反対に、疾風は昨夜のことがまるで月夜の幻であったかのよう平生を取り戻し、感情の色で瞳を揺れ動かすこともなかった。凪の水面のように静かな落ち着きだ。太刀筋も平生と変わりなく力強く鋭い。楸に相対しても、常と変わらず油断し手を抜くことない。

 朧にとってそういった疾風の態度は座りが悪いようでもあり、また、有難くもあった。楸は何種にも変幻する疾風の剣筋に打ち据えられながら、新たな手法を学んでいった。

 日が澄んだ青空の南に昇る頃、疾風は藤間屋敷に帰って行った。彼は紫雲が不在の間、長の代行となるので、本来であれば縁日に忍んだ挙句に外泊をしている場合ではなかった。ただ、任せられた処務は昨晩出かける前に一切を終わらせていたし、東雲より今朝までには何事も起こっておらぬ報を受けていた。依って、屋敷での勤めは別段大した件はなく、単に屋敷に控える格好となる。


 一休みして、次は朧が主体となり稽古をつける番だった。彼女が楸に手解きをするのは実質これが最後と言えた。

 朧は焦っていた。楸に伝えるべきことは山ほどあったが、たった一日では伝えきれない。彼は疾風や東雲たちとは違う。家柄も地位もない下忍は、真っ先に駒として敵中に放り出される。修行で教わる理論に対して、実際の忍働きがいかに理屈と乖離しているか。書物の言は修学者を時に裏切る。

 朧はそういった忍びの働きぶりの泥臭さをこれまで以上に口酸っぱく、希望に満ち溢れた少年に言い聞かせねばならなかったし、形にとらわれ過ぎぬことを体に教え込ませなければならなかった。

 勿論、理論も大事だ。時期尚早と言える業にしても理論にしても、伝えられることは皆伝えてしまわなくてはならなかった。論じることを今は理解出来ずとも、後に思い出しさえすれば体得出来ることもある。じき疾風たちから教わる時に、別の角度から理論を理解できるように。そういった願いを込める。

 己が里を離れれば楸はきっとすぐにでも下忍の御役目を頂戴するのだから、今までのように毎日稽古に明け暮れるだけでは済まない。朧が担っていた穴を埋める役割は彼しかいないだろう。

 仮に戦場へ赴かぬとも、やがては諜報に遣わされるであろうし、もしかすると誰かしらと一戦を交えることになるかもしれない。生き長らえて欲しくとも、下忍になった後の命の心配は彼自身にしか出来ぬ。

「楸。刀の道はいかなる者にとっても等しく矛盾と葛藤の道じゃ」

 木陰の下で握り飯を頬張る楸は突然どうしたのかと不思議に思ったが、いつになく真摯な顔の朧に耳を傾ける。

「お前が進むのは忍びの道と言えど、その内にも刀の道は潜んでおる。守るために人を人を成敗する。言わんでも承知しておろうが命を取ることじゃ。理由が如何にせよ殺人は消えん。刀の道は人を殺す道じゃ。人を生かすことも出来るが、殺すのも免れぬ。どちらか一方だけでは済まん。どちらもじゃ。

 刀を振るということは如何なる理由建前にせよ傷付ける行為じゃ。相対する者に傷を負わせるだけでなく、己も、それを見た者も、何らかの形で傷を負う。四肢を失い、出血するだけが傷ではない。胸の内や記憶にも刻み込まれる。殺さずに済むような大器になれれば良いが、なかなかそうもいかん。相手の業を“活かし”打ち負かすというのは単なる殺人よりも遥かに難しい。

 じゃから刀を使う際は、自分は守るためだけに振っているのだと言い訳をしてはならぬ。ごうを背負う責任を持って振らねばならぬ。たとえ常日頃念頭に置いておっても、いざという時にそれを言い訳にしてしまうこともあるじゃろう。じゃが、それではならん。重い責任が圧し掛かっていることを自覚せねばならぬ」

 朧が楸の青色のまなこを覗いた。蒼穹の抜けきったように澄んだ瞳がじきに血生臭さで濁らぬか心配だった。否、いっそ濁ってしまった方が良いのだろう。人を殺めて尚真っ新に輝いている瞳と言うのは濁った眼以上に恐ろしい。血を浴びても純粋なる瞳で居られ続ける精神というのは並大抵ではない。狂人か善悪のつかない類だろう。

 朧が初めて人を殺めたのは十三の歳だった。自ら泰光に手を挙げ願い出た忍び働きでだった。十六夜を失って自棄になっていたこともあったし、彼の庇護が解消され生活の糧が必要でもあった。それに、里の人手不足の解消になるのであればと思ったのだ。

 十六夜や道順が稽古をつけた成果もあり、忍び働きは絵に描いたかのように円滑に行われた。そう、己自身は爪の先ひとつも傷付かなかった。だのに、数日は暗澹たる心地で飯が喉を通らなかった。覚悟して刃を向けたかと言うと、その瞬間だけは是と言えたかもしれない。だが、残ったのは後味の悪さと、罪悪を正当にする気持ちと、次第に慣れると己の言い聞かせる開き直りだった。とどのつまり、長らくの間、正当であったと己に言い聞かせて心を麻痺させねばならなかった。

 楸の眼は揺らいでいた。だが、経験のない彼がまだ覚悟を定められず、心をあやふやに浮遊させているのも仕方のないことだった。

「楸、お前はまだ忍びになりたいと考えているか」

 朧が尋ねる。

「う、うん……」

「お前の母御の仇はもうこの世に居らぬぞ。初めは母御が殺されたのが悔しゅうて忍びの道を選んだのではなかったか」

「そうだけど……」

 楸の返事は揺らいだ瞳と同じく、実に歯切れの悪かった。未だ決意と言うものがない。それもそのはずで、大体の者は忍び働きをしてやっと意を決することが出来た。それは彼らが生まれながらにして忍びの家系である頸木を打たれているからだ。彼らは生まれた時から忍びの道から離脱ことを許されていない。だが、楸の場合、母親がくノ一であっても風刻の里とは縁がない。即ち、忍びの家系にあらぬ。引き返す道はまだ残されている。

「お前の母御が雷神の宮の抜け忍であったことは覚えておろう? わしら風刻者は雷神者と相対する存在じゃ。お前が正式に風刻者となれば母御の郷里の者を傷付け、屠ることになるやもしれぬのだぞ?」

 楸は「うん……」と返事をして暫く考え込んだ。

 そんな彼に対して朧は胸の裡に二つの相反する欲求が浮上しては沈んでいった。即ち、己の意思を引き継いで忍びとなってもらいたい欲求と、命が危ぶまれるのであればいっそ別の道を進むと決めて欲しい欲求。矛盾する二つの思いを抱えながら、結局のところ後者の思いの方がより強いのは、朧にとって楸はやはりたったひとりの家族に他ならないからだった。けれども、辞めて良いのだぞ、との一言は絶対に言ってはならないと胸に仕舞い込む。

「おーちゃん、俺さ」

 楸が言葉を零した時、彼女は全て聞くまでもなく、もはや後戻りが出来ぬことを覚った。

「俺、雷神の宮の里に行ったこともないし、故郷って気も全然しない。でもひとつ確かなのはさ、母さんは雷神の宮のくノ一だったかもしれねーけど、母さんを殺したのも雷神の宮の忍びだってことだよ。抜け忍を殺すってさ、前に聞いたけど里全体の決定なんだろ? だったら、俺にとっては雷神の宮の里ってそんなに良いところじゃないと思うんだ」

 全員がいつかの敵みたく悪い人間だとは決められないけど、と彼は付け加える。

「それに俺、おーちゃんに助けられてからさ、力が欲しいと思ったんだ。人の力じゃなくって、俺の力。力がないと大切な人たちを守れない。母さんは守れなかったけど、忍びになったら今度は俺がおーちゃんも疾風も綺姫も皆守る!」

 楸は真っ直ぐだった。小難しい理屈は彼の内にはなから存在していない。希望と決意に満ち溢れている出会った当時のままに透き通った瞳だ。

 朧は口を噤んだ。忠言など小賢しい小言に過ぎなかった。

 もうひとつ伝えねばと考えることがあったが、何度も念押ししては彼も姉分の賛同を得られて居らないと考えるかもしれない。それに、“母親が敵方のくノ一であった”ということを鑑みれば、嫌でも自ずと気付くことになろう。朧は楸が早いところ“事実”に気付くよう願いながら、言葉を喉の奥に押し留めた。

「そうか。わしの余計な心配のようじゃったな」

 朧は楸の柔らかい髪に手を伸ばす。金色の髪が日差しを受けて燦然と輝いている。

「お前もいつまでも子どもではあるまいしな。私怨で動くのは下品。が、お前はそれを分かっとるはずじゃな」

 のんびりと構えている楸がどこまで真に迫って理解しているのかは少し頼り気なかったが、彼女には信じることしか出来ない。

「ならば楸よ」

 彼女は立ち上がる。楸に真剣を手渡すと、自らも同じく黒塗りの鞘を携える。

「わしを殺す気でかかって来い。無論、お前が斬らずしてわしを制することが出来るのであれば上品。構わぬがな」

 固唾を飲む楸に背を向けたまま、朧はゆっくりと間合を開く。三間程の所振り返り、楸と対峙すると、彼女は彼に対するあたたかな思いの一切を瞬く間に消し去った。


 この時の楸は、胸に冷たい雪がしんしんと音を立てて降り積もるような心地になっていた。目に見えぬ雪は朧によってもたらされたものだ。胸に、水月に、腹に、手に、足に。雪は次第に楸の体の随所に積もり、四肢を硬く強張らせる。影を縫われたように柄に手をかけたまま、指先の一本も動かすことが出来ない。

 今までの稽古において斯様なことはなかった。地稽古でも闊達に動けていたはずだ。自身の強張った体に焦燥しながら、楸は今までが手加減されていたのだとはたと気づいた。楸は稽古の時の朧しか知らないのだ。今でも彼女が実力の全てを曝け出しているとは限らない。

 楸は息が詰まる思いをした。一体どこにこの鬼面を隠し持っていたのだろうか。或いは、将来己もこの鬼面を胸の内に隠し持つことになるのだろうか。彼女は殺す気でかかって来いと言ったように楸を殺すつもりでいるのだ。

 朧からどこからともなく決意めいたものを感じ取って、楸はやっとの思いで刀を鞘から抜き放つ。唾を嚥下するのもままならぬまま、二人はじっと見つめあい、互いに打突の機を狙う。

「楸、無になれ。無になるというのは全てを受け入れることじゃ。草の音、木々のざわめき、鳥の声、虫の羽音……。全てを己の中に、そして己を自然と一体化させよ」

 朧はいかにも冷静で、余裕すら感じる。仕掛けてくる様子はなかったが、代わりに、いつまでもじっと立ち尽くしている楸にかかって来いと剣尖で合図を送る。だが、寸分の隙もない彼女を眼の前にして、一体どう斬り込めば退けられるのか。楸には皆目見当がつかない。

 考えあぐねていると、業を煮やしたのか、程なくして朧が動く。一歩間合を詰められるたび、楸の鼓動は大きく音を立てた。間合を詰める一歩一歩が須臾のようであり、逆に時が止まったかのようであった。

 手のひらが汗ばむ。袋小路に追い詰められていくようだった。これでは、自然と一体になり全てを受け入れるどころか、神経が四散するばかりだ。それでも、ただ身を固くして相手の刀を甘んじて受けるわけにはいかなかった。

 楸はすぐに一足一刀の間合になるのを見越して、大きく前へ躍り出た。ついに袈裟に刀を走らせる。

「やあァッ!」

 間合を誤ってはいなかっただろう。だが、朧はいとも簡単に楸の白刃を躱し、宙に留まった彼の切先をいなす。楸はいなされた剣尖を己に引き付け、再び上段から斬る。それもまた難なく受け止められる。

「技・気・心が一致せねば打突の機はないぞ」

 朧は楸の心を見透かして忠告するが、同時に攻撃を流しつつ、刀をかすみ(※こめかみのこと)の横でくるりと翻し、後方に足を引きながら楸の首筋を斬る。

 びゅっと空を斬る小気味の良い音が鳴り、楸の襟首を裂く。辛うじて避けたものの、咄嗟に体が動かなかった時のことを考えると肝が冷えた。朧は本当に楸が傷付くのも介さぬ意気で仕掛けているのだ。

 身震いがした。楸は、まだ心のどこかで朧が己を斬るはずはないと甘んじていた。

(殺すつもりで戦わないと本当に斬られる……!)

 楸の太刀筋に漸く力が籠められる。

 如何にすれば朧を斬ることが出来るだろうか。楸は彼女との間合を測りながら考える。彼女は刀をぎりぎりまで引き付けて最小の動きで躱す。そこに無駄はない。決して楸と刀を斬り結ばない。それは即ち、その程度の攻撃しか己が繰り出せておらぬ証明でもあった。

 楸の業はまだ磨き始めの原石然としている。以前よりはずっと急所を正確に狙い定められるようになったが、技術が完全に熟しておらぬことに加え、心に存分な余裕がないため柔軟に刀を返すことが出来ぬ。だが、彼には朧のように軽やかな身のこなしがあり、疾風のように力強い太刀筋の片鱗が見られる。

「良いか。技を鍛錬すれば気が修練される。気が修練されれば自ずと心は落ち着き、技と心は一体となる。さすれば心と体の作用は優れたものとなる」

 朧は楸の太刀を躱すたびに鋭い一太刀と助言を返す。

「頭で算段しているうちはわしを捕まえられんぞ」

「……ぐっ!」

 楸の腹に蹴りを見舞う。

 両者とも刀を持っているのに、朧は刀を使わずして懐に飛び込んでくる。まるで楸を打ち負かすのに、刀など本当は必要ないと言わんばかりだ。

「窮鼠却って猫を噛むとあるが、お前は今正にその猫のようじゃな。猫であるなら、妙術の猫にならねばのう」

 重い一太刀が楸の刀に響く。朧にしては珍しく力任せに振り下ろした刀――挑発だ。彼女の口の端に笑みが宿る。

「くっそぉっ!」

 楸は挑発だと気付きながらも渾身の力で刀を返す。挑発に乗る青さが胸のうちにまだまだ残っていた。

 だが、余剰な力が入った一撃は、朧によっていとも簡単に躱され、その上あろうことか刀を弾き飛ばされる。手際の良く素早い行動で、彼女は楸に覆いかぶさり、動きを制す。

「全然だめじゃぞ」

 首筋に白刃を当てられて楸は動きを止めざるを得なかった。朧はしっかりと彼の水月を片膝で捕らえ、次に二の腕をぐいと上方に抑えた。こうすることで胸より下の体の動きを封じる。

「お前朝疾風に何と言われた」

 朧が冷ややかな視線で楸を見下ろした。

「手元に力を籠めるのはやめろって……」

「それで?」

「力任せで傲慢な太刀になるって……」

「そうじゃな。じゃから、こうなっておるわけじゃ」

 水月に体重をかけられて楸は呻いた。彼女はいつもの様子に戻っていた。もう対峙した時のような強烈な殺気はない。

「で、降参か」

 身動き一つままならぬ楸は負けを認めるしかなかった。

「はい、降参します……」

「そうか、降参するのか」

 朧は一瞬、清々しい微笑みを見せた――途端、

「莫迦もん! 降参しますじゃないじゃろ!」

 膝頭に力を籠められて、楸の水月が再び苦しく軋む。

「こういう時は隙を見つけて相手を出し抜く方法を考えよ。お前は忍びになるんじゃぞ! 忍びは勝負事に勝つのが本願ではない。目的を達成し、報を掴み、帰還せねば意味がない。敵に捕まり拷問にかけられ自死したくなければ、今何が出来るのか、常に己に問うておけ!」

 いかなる時も手段を選ばず生き抜けとは朧の戦いの方針だった。だが正々堂々たる武家の戦いとは違い、これこそが忍びの勤めにおいて重要な極意のひとつだ。

「ふぁ、ふぁいッ! ってあれ? おーちゃん何だか急に向こうの方が曇ってきたよ」

 ふいに空に雲が現れた。楸は唸りながら視線を朧から外す。朧はそれがくだらぬ出まかせでないかと須臾詮索し、やがて彼の視線の方角に己の顔を向けた。隙を見つけるための嘘ではないらしい。

 爽やかな晴天に薄雲のようなものが棚引いている。朧の眼には薄雲というよりも野火の煙の類に見えた。更に言うと野火としてもどこか不可思議だった。何故なら、雲や野火の煙にしてはやけに規則めいているのだ。

「雲……ではないぞあれは」

 朧は楸から飛び降りて、風下に目をやった。

狼煙のろしじゃ」

 楸も立ち上がって空に立ち上る一条の雲を眺める。

 方角は東。風刻の谷の近くからだ。

「狼煙……? 何でそんな必要があるんだ?」

「雷神の宮が攻めて来よった」

「えっ!? 何言って――」

 朧は地面に弾き飛ばした楸の刀を腰に佩き、自身の刀を手に握りしめたまま動き出す。楸は狼煙を解読する間も、事態を飲み込む間もなく、朧にずいと背中を押される。

「楸、お前は藤間屋敷に行け。疾風か東雲様に西の将・いろりが攻めて来よったと伝えい!」

「ちょっと待ってよ! 勘違いかもしれないだろ!」

「勘違いで済むならばそれで良い」

「おーちゃんはどうするんだよ!」

 谷の方角へ走り出そうとする朧を引き留め、楸が問い質す。

「谷へ行く。勘違いでなければ誰かが行って奴らの足止めをせねばならぬ」

 一刻の間も惜しいように、彼女は掴まれた手を振りほどく。表情には焦りが滲み出ていた。

「まことに攻め込んで来たとあらば、狼煙を上げている奴らだけでは到底敵うはずもない。西の将と言えば八人衆に匹敵する剛の者じゃ」

「おーちゃん一人じゃ……」

「分かっとるわ! じゃが少しでも時を稼がねば……。でなければ八年前のように再び里が戦場いくさばになってしまう。繰り返すわけにはいかん! 良いからお前はとっとと里へ飛べ!」

 朧はとんと楸の胸を押す。

「いいか、必ず疾風たちに伝えろ。それがお前の任じゃ」

 それっきり、彼女は身を翻し、谷の方へ駆けて行った。

楸は言われたようにするしかなかった。狼煙が今正に上がったばかりだとすれば、谷からやや離れた里の中央ではまだ気付いていないかもしれなかった。加勢しに行った朧を救いたいのであれば、一刻も早く里の忍びたちを掻き集めてもらい、ともに迎え撃つしかない。

 風刻の谷は雷神の宮のある招雷山と続いており、里の裏口に当たる。この境界を突破されれば、朧の言う通り里は戦火を免れず、禍が降り注ぐ。

楸は呼吸するのも忘れ、全身に風を浴びて急使として里へ飛んだのだった。

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