32回目:瀬湖瞬<黒髪の魔動人形>

 「お目覚めですか、ご主人様?」


 瀬湖せこしゅんが異世界に転生してから最初に目にしたのは、一人の黒髪の少女だった。年の頃十歳くらいに見える少女は、少し長めの髪を横でまとめて、細く赤いリボンで結んでいる。


 「……えっと、キミは……? それに、ここは……?」


 しゅんは自身が命を落としたことを自覚していない。彼は歩道を歩いている時に、頭上へ落下してきた植木鉢によって即死したのだ。それは、大学を卒業し、社会人としての生活を始めた初日の出来事だった。


 「はい、私はフルート・ヴェーレと申します。女神様の祝福によって創造された魔動人形でございます。この世界は、ご主人様が暮らしていた世界とは別世界、簡単に言えば、異世界となります」


 「異世界……? ああ、漫画とかで聞いたことある言葉だな。異世界に呼ばれた主人公が、お姫様のお願いとかで魔王退治に……」


 そこまで言って気が付いたのだろう。はっとした表情でフルートの瞳を見据えたしゅんは、恐る恐る次の言葉を続けた。


 「もしかして、俺が魔王を退治するの……?」


 「はい、その通りです、ご主人様」


 にっこりと微笑みながら答えるフルートとは対照的に、しゅんの顔は見る見る真っ青になっていく。しかし、何かを思いついたのか、しゅんは気を取り直してフルートに質問を投げかける。


 「もしかして、俺は何かすごい力を授けられてたりするのかな? そりゃそうだよね。いくらなんでも、何もなしに魔王を倒せなんて、あるわけないよね」


 「ご主人様に特別な力はありません」


 「……ええと、それじゃあ、伝説の剣みたいなものがあって、それに俺は選ばれる、とか」


 「ありません」


 「……身体能力が底上げされていたり、魔力が通常より大きかったり」


 「ご主人様の身体能力は並以下ですし、さらに言えば、この世界の基準に合わせれば、底辺に近いですね。魔力に至っては、まったくの素質なしです」


 「……無理じゃん」


 再び顔色を真っ青に染め上げていくしゅんだったが、そこで、フルートの存在だ。


 「ご主人様、そのために私がいます。私は女神様の祝福によって創造された魔動人形。ご主人様のめいに従い、ありとあらゆる困難からご主人様をお助けします」


 そう、彼女の存在こそが、しゅんに授けた女神の祝福なのである。フルートは、魔力によって稼動し、魔力ある限り、動きを止めることはない。そして、彼女が活動するための魔力は、大気中に無尽蔵に存在している。


 「……フルートは、その、強いの?」


 「はい。私の戦闘能力は極限まで高いレベルで設定されています。ありとあらゆる武器で戦うことができますし、格闘戦も可能です。また、この身体は非常に丈夫に造られていますので、ご主人様の盾としての活躍もご期待ください」


 「いや、盾って、それは、その……」


 「気遣いは不要です。たとえ、この身が砕け散ろうとも、自動的に再生する機能も搭載していますから、ご心配なく」


 フルートは強い。おそらく、彼女一人の力で魔王を倒すことだって可能だろう。だが、フルートだけで魔王退治におもむくことはできない。それには、しゅんの存在が必要不可欠なのだ。


 「ただし、ひとつだけ注意があります。それは、私が機能するのは、ご主人様の近くにいる時だけなのです。ご主人様から三十メートル離れれば私の全機能が停止し、動くことも、思考を巡らせることもできなくなります」


 それはフルートの唯一の弱点であったが、魔王を倒せる程に強力な魔動人形にするためには仕方のない仕様だった。


 フルートの説明を聞いたしゅんは、しばらく考え事をしている様子だったが、しばらくして何かに納得したかのように頷くと、改めてフルートに向き直った。


 「うん、わかった。……えっと、俺は、なんの力もないし、フルートに守ってもらうばかりになっちゃうだろうけど……、これからよろしくお願いします」


 そう言って右手を差し出したしゅんに、フルートは微笑みながら小さな手を重ね合わせた。


 「はい、こちらこそよろしくお願いいたします、ご主人様」


 「うん。……ええと、ところで」


 「はい、なんでしょう?」


 しゅんの何かを言い難そうな態度に、フルートは小首を傾げる。


 「……その、どうして、子供の外見なのかなーって。お姉さんとかじゃなくて、ね」


 その質問に、フルートは不思議そうに目をしばたかせた。


 「ご主人様、言わないとわかりませんか? それは、この姿があなたの」


 「あ、いや、言わなくていい! わかった、わかったから!」


 フルートの外見設定は、ご主人様の趣向に合わせて設定している。これから始まる旅は、長く、苦しいものになるだろう。フルートが、それに立ち向かう彼の心の支えになるのであれば幸いだ。


 ちなみに、フルートはご主人様の命令には絶対服従だ。たとえ、その命令が色々とあれだとしても、フルートは喜んでそれに従うだろう。


 「あ、それとですね、私は魔術についても最高レベルのものを扱うことができます。傷を癒すこともできますから、怪我をされた時は隠さずに教えてくださいね」


 「うん、わかったけど……、魔術か、試しに、ちょっと見てみたいな」


 彼の世界では存在しなかった魔術の存在に、しゅんは興奮を抑えられない様子だ。あまり見せびらかすものではないが、ご主人様のお願いとあれば、フルートに断ることはできない。


 「ご覧になりますか。それでは、簡単な水の魔術を」


 フルートが両手を胸の前に掲げ、意識を集中すると、透き通った青い光が輝き始めた。その輝きは次第に強くなり、そして、はじけ飛ぶように霧散した。刹那、低い地響きが鳴り始める。


 「……? あ、あれ? ……この反応は、……!? ご主人様、後ろを!」


 フルートが指差したその先には、高さ五メートルはあろうかという巨大な津波が、しゅんたちに向かって押し寄せていた。


 「……まさか、私の水の魔術で……。かなり魔力を抑えたつもりでしたが、それでも、ここまで強力な魔術が発動するなんて」


 このままでは二人とも津波に押し潰されてしまうだろうが、フルートに動揺はない。何故ならば、魔術を使って、あの津波を消してしまえばいいだけなのだから。そして早速、フルートは意識を集中して魔術を発動させようとした、次の瞬間。


 「うあああっ!! ……! フルート!」


 「はい、ご主人様」


 しゅんの命令に従って魔術の発動を中止したフルートは、後ろを振り返って一目散に逃げ出した。それから程なくして、しゅんは二度目の命を落とすことになった。



 主人不在となった魔動人形は、当然ながら、その全機能を停止させた。そして数週間後、土砂の中から魔動人形を拾い上げた魔王軍幹部の魔術士は、自身を新たな主人として、魔動人形を起動することに成功する。彼が手駒として扱う少女型の魔動人形は、何人もの異世界転生者の命を奪い去り、黒髪の悪魔として恐れられたという。


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