10回目:フルーフ・ツァイトイフェル<転生の女神>

 転生執行官である女神フルーフ・ツァイトイフェルは、自らを異世界転生させた。


 今までの度重なる失敗にごうを煮やした私は、ふと、私自身が異世界に行けば、その世界を救うことなど容易たやすいのではないかと考えたのだ。そして、実践した。

 転生するためとはいえ自らの命を絶つことは少し勇気がいる行為だったが、その壁を乗り越えた私は称賛に値する女神だろうと思う。


「そして、目の前にそびえ立つ邪悪な城こそ、この世界の平和をおびやかす魔王アルプトラウムの眠る地」


 空は厚い雲で覆われ、まだ日中であるにも関わらず、地上に日が差すことはない。カラスのような黒い鳥が騒がしく鳴き声を上げている様子は、いかにも、というような怪しい雰囲気をかもし出している。


「入り口には屍の騎士リビングデッド・ナイトがたったの2体しかいなかったし、思ったより警備は手薄なのかしら」


 転生直後、目の前に魔物がいたのには少し驚いたが、私の放った浄化の光によって難なく消滅した。女神である私に敵などいるはずもないが、特に不死者アンデッド系の魔物に対しては、それこそ無敵である。


 正面から魔王城に乗り込んだ私を出迎えていたのは暗く長い廊下だった。壁には燭台しょくだいが備え付けられているが、蝋燭ろうそくは燃え尽きたまま放置されていて、あかりはない。


「私は暗闇でも見えるから平気だけど、普通は侵入者に合わせて火がともる仕掛けがあってもいいよね」


 くだらない愚痴をこぼした瞬間、廊下の奥から一筋の閃光が走った。身をひねり、紙一重で閃光を避ける。だが、続けざまに幾筋もの閃光が私を襲う。これは避けられない。


白き祝福の壁ホワイトブレッシングウォール!」


 私が力ある言葉を唱えると、私を包むように透き通った白い壁が出現し、閃光を遮断した。それでも閃光は飛来し続ける。私は左足を前に出して身を屈めると、強く地面を蹴った。

 走り出したのではない。私は地面と水平に宙を飛んでいた。前方に見えた燭台しょくだいが一瞬で後ろに流れていく。そして、閃光を放つ魔物を視界に捉えた。


「あれは、偉大なる屍アークリッチ。あんなのがいるなら、警備は不要かもね」


 あちらも私が接近しているのに気が付いたのだろう。閃光を放つのを止めると、何事かを呟き始める。


「……汝ハ何者ヨリモクラキ者。数多アマタタマシイ喰ライシ者。絶望ノツルギヲ掲ゲシ者。我ガ声ニ応エヨ。顕現ケンゲンセヨ。ソシテ我ラガ敵ヲ打チ滅ボセ」


 偉大なる屍アークリッチが魔術の詠唱を終える。だが、まだ相手との距離がある。そして、今、私が使っている防御の術では、あの魔術は防げないだろう。それならば、より強力な術を使うまでだ。


神の盾ディバインシールド!」


 目の前に黄金こがね色に輝く盾が出現する。直後、轟音とともに凄まじい衝撃が襲ったが、それでも私の進撃は止められない。そのまま偉大なる屍アークリッチに接近すると浄化の術を唱えた。白くまばゆい光が偉大なる屍アークリッチを包み込む。


「オ……オォォォ……ォ……」


 体が崩れ落ち、消滅していく偉大なる屍アークリッチ。しばらく後には何も残らなかった。

 私は揺れる銀色の髪を撫でつけながら、微かに乱れた呼吸を整える。そして、再び魔王城の奥へと向かって歩き出した。



 どれほど進んだだろうか。おそらく最深部と思われる場所で待ち構えていたのは、魔王の腹心、四天王と呼ばれる存在だった。

 獅子の顔を持つ獣人。首無しの鎧騎士。背中に羽を生やした有翼ゆうよく人種。黒いローブを目深まぶかにかぶった小柄な人物。


「獅子王レオンベルク」


「騎死王ハーン」


 そのうち二人が前に進み出て名乗りを上げた。

 それには返答せず、私は意識を集中する。全力でかからないと勝てないかもしれない。そう思わせる威圧感を四天王は放っている。


 獅子王が地を蹴った。鋭い爪がくうを裂く。それを紙一重で避けると、私は無数の氷の矢を空中に出現させた。獅子王に向かって放たれた氷の矢は、しかし、獅子の咆哮で吹き散らされてしまった。

 すぐさま私は後ろに跳躍し、上空に雷雲を発生させる。騎死王が剣を抜き放つのが見えたが、それには構わず、獅子王に向かって雷を落とす。騎死王の剣がひらめく。そして、雷が斬り裂かれた。

 再び獅子王が向かってくる。私は神の盾ディバインシールドを使って輝く盾を出現させた。繰り出される獅子王の爪が私の盾に突き刺さる。


「っ!?」


 神の盾ディバインシールドに傷を付けられたことに驚愕きょうがくしたが、それが隙となった。獅子王が身を屈めると、その頭の上を騎死王の剣が水平にぎ払う。輝く盾は上下に斬り裂かれ、音もなく消滅した。無防備になった私に迫る獅子王のこぶしが、私の腹をえぐる。鋭い爪が内臓を傷付けた。激痛が走ったが、意識を集中して術を行使する。


聖なる懲罰の矢ホーリーパニッシュメント!!」


 邪悪な魂を引き裂き、悪を殲滅せんめつする光が獅子王と騎死王に直撃する。すぐに私は激しく出血する腹部に手を当て、治癒の術を唱える。優しい光が傷を塞ぎ、出血が止まった。まだ全快とは言えないが、それを待っている時間もないと判断した私は前を見る。眼前に獅子王の顔があった。直後、腹部を押さえていた左手をつかまれ、そのまま腕をへし折られた。


「!?ぁあああぁあぁああっ!!!」


 叫び声を上げながら、騎死王の剣が閃くのを見た。そして、私の腕を掴んだままの獅子王が軽々と私を持ち上げて、部屋の中央に放り投げた。


「う、……くぅ」


 冷たい床に叩きつけられた私は小さいうめき声を漏らす。立ち上がろうとしたが上手く力が入らない。ふと、先程まで私が立っていた場所を見れば、誰かの片足がそこにあった。


「あ……」


 恐る恐る自分の右脚を見る。膝から下がなかった。

 だけど、まだだ。まだ、負けてない。腕はもちろんのこと、脚だって治癒すれば繋がる。

 自分を奮い立たせ、次の術を唱えようとした。だが、そうはさせまいと獅子王が跳躍し、仰向けになっている私の腹を踏み潰した。


「あ゛……ぐぷぁ……」


 吐血する。苦しい。痛い。意識が朦朧もうろうとする。

 そんな私の意識を叩き起こすように右肩を中心に衝撃が走り、破裂音が聞こえた。獅子王のこぶしが私の右肩を叩き潰したようだ。


「これで動くこともできまい」


 獅子王の声が聞こえる。私自身、もう動けないことはわかっている。何かしらの術を使おうにも精神の集中すらままならない。

 コツコツと騎死王が床を踏み鳴らす足音が聞こえる。


「一思いに楽にしてやるべきだろう」


 いやだ。死にたくない。こんなはずじゃなかった。


「まあ待て。その女。特別な何かを感じる」


「特別な何か?」


「ああ。恐らく、女神の力、だ」


「なんだと!?……この女が、女神の……」


「ならば、この女の命で魔王様の復活が叶うというのか」


「試して損はないだろう」


「女神の封印は、女神の命で解くことができる……」


「女神の心臓をえぐり出し、その血を魔王様に捧げるのだ」


 私を踏みつけている獅子王が、その右腕を構えて、私の胸に狙いを定める。


「ゃ……やめ、て……たす、け……て」


 涙を流しながら息も絶え絶えに懇願する私だったが、その願いは聞き届けられなかった。

 獅子王の爪が私の胸をえぐり、心臓を引き抜く。そして、私は絶命した。




 その様子を見ていた私は、クローンとはいえ自分自身が殺されたことに対して複雑な気持ちを抱いていた。

 しかし、女神自身を送り込んでも世界を救済できないことが今回の件でわかった。私のクローンは、少なくとも戦闘面に関しては私と遜色そんしょくない力を発揮していたのだから。

 やはり、異世界の救済は人間に頼るしかないようだ。祝福を授けることで女神以上の力を発揮する人間とは、なかなか凄いものだ。

 ……でも、クローンでよかった。寸前で思いつかなかったら、危ないところだったな。



 数ヵ月後、女神ネットワークを通してすべての転生執行官に緊急電文が届いた。

 かつて、女神の祝福によって封印されたはずの魔王が復活して、その世界を滅ぼしたらしい。なんと恐ろしい話もあるものだ。私は滅ぼされた世界に対して祈りを捧げ、世界の救済に向けてもっとがんばらなければならないと、強く心に思った。


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