晶子の家は貧乏ではなかったが、裕福とも言えない普通の家庭である。ただ、血縁関係のある家族は父親だけで、晶子が中学生になった頃に今の母親と再婚した。お互い連れ子が居た為に、義母の実の娘である愛華あいかが晶子の三つ上の義理の姉となったのだ。

 義母は実の娘が可愛くて仕方無いのか、愛華だけを猫可愛がりしている。欲しいものは何でも買い与え、食べたいものは何でも作ってあげていた。故に、愛華は我儘で我の強い性格になってしまっていた。

 比べて晶子に対する態度は、まるで別物だった。好きの反対は無関心だと聞いたことがあるが、義母が晶子に向ける眼差しは正にそれである。

 テストで良い点を取ろうがお構いなし。誕生日にプレゼントやケーキを貰った覚えも無い。おめでとうの言葉も無い。ただ、最低限の世話をしているだけ。

 元々、父と母との間にどういう経緯があったのかはわからないが、父は義母に全く頭が上がらない様子だった。晶子に似て気の弱い性格であったし、これは推測に過ぎないが、恐らく収入にかなりの差があるのではないかと思われる。

 父は義母と姉の言いなりになるしかなくて。家族に味方の居ない晶子は、無駄な抵抗をすることなく毎日を過ごしてきた。今の高校を受けたのもそれが理由。本当ならば、中学の友人が居る別の高校に行きたかった。だが、家族がそれを許さなかったのだ。

 私立大学に進学する姉の為に、晶子の出費は可能な限り抑えたかったのだろう。制服や鞄、指定のローファー。晶子の高校デビューは、殆どが姉のお下がりで済まされてしまった。思うことはあったが、何も言えなかった晶子の弱さも悪い。

 今更、手遅れだ。


「晶子、学校は楽しかったか?」


 夕食の時間。一日の内、家族四人が揃う数少ない機会であるが、晶子にとっては憂鬱な時間でもあった。大抵の場合は、愛華と義母が馬鹿馬鹿しい話題で盛り上がっているだけの居心地の悪い空間なのだが。

 今日はいつにも増して悪かった。いつもは静かに話を聞いているか、適当な相槌を打っているだけの父親が、今晩に限って晶子に声をかけてきたのである。

 こんな日に限って、どうしてわざわざ学校のことなんかを訊いてくるのか。


「え……えっと」

「雨白って、進学校みたいにギスギスしてないから気楽で良いでしょ? 良いなー。アタシも、もう一回高校生やりたいなー」


 晶子の隣に座る愛華が、サラダを口一杯に頬張りながら羨ましそうに言った。私立大学に進学してから髪を金色に染めて、耳にはいくつものピアスがギラギラと光っている。

 愛華が卒業し、そして晶子が通う雨白高校は県内でも真ん中辺りの偏差値を誇っている。しかし、晶子が住む『現町』の学生は隣の『夢宮市』の高校や大学に進学することが、ステータスの一つになっている。

 夢宮市は国内で最も医療や福祉に特化した都市であり、大学や専門学校だけでなく高校も全国的にハイレベルだ。

 それに比べて、すぐ近所にある雨白高校はこれと言った特徴など何もない、いたって平凡な学校である。いや、印象としてはむしろ出来損ないの落ちこぼれが集まる掃き溜めとさえ考える者も少なくない。

 事実、愛華も高校受験時の第一志望は夢宮市の高校だった。ただ、元々愛華はそれ程勉強が出来る方でも無かった為に、大した努力をすることもなくあっさりと雨白高校へと進路を変更したのだが。


「晶子ってバカだから、夢宮の高校なんてムリだってわかりきってたしね。アタシの言った通りにして良かったでしょ?」

「愛華の言う通りよねぇ? 塾とか家庭教師を呼んで勉強して受験に落ちたんじゃ、目も当てられないもの」


 クスクス、ケタケタ。まただ、またこの嗤い声だ。いつの間にか、話題を振った張本人である筈の父親まで俯いて黙り込んでしまっている。

 二人に何も言えない不甲斐なさでも感じているのだろうか、それともこの場を出来るだけ平穏に乗り切りたいだけか。


「雨白も良い学校よねぇ? 近いから交通費もかからないし、変に背伸びをするよりも足元をちゃんと見て、自分の実力に合ったところで過ごすのが一番よ。どうせ大した才能も学力も無いんだから……ねえ、アナタ?」

「あ、ああ……そうだな」


 果たして父親が本心から同意しているのかはわからなかったが。たとえその場限りで義母に口裏を合わせただけであっても、晶子を愕然とさせるには十分だった。

 だが、すぐに諦めがついた。父親は昔からそういう人だった。不器用で、鈍臭くて。自分の身を守ることに必死で、娘のことにまで気が回らないのだ。


「愛華は大学どう? 楽しい?」

「うーん、まあまあかなぁ。あ、そうだママ聞いてよー」


 晶子が黙っていれば、愛華の大学の話で食卓は騒々しくなっていた。向かいに座っている父親は俯いたまま、もそもそと食事を口に運ぶだけ。結局、彼は食事を終えて席を立つまで晶子の方を見てくれなかった。


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