第5話「探偵と共通項」

   ◆


 夜のゆかり商店街を、少年は走っていた。努めて冷静であろうとしていたが、焦りで揺れる心を抑えるので精いっぱいだった。だが、少年は強い。ツヨシの攻撃を受けて取り乱さない者はそういない。ましてや走る気力がある者など、数えるほどしかいないのではないだろうか。それほどの精神力を、少年――赤原タケルは持っていた。


 ――さすがにこれは参った。タケルはそう思った。不意打ちをした自分が逆に不意打ちで倒されるなど情けない、とも。

 だがタケルは覚えた。空中で固定されている不可視の拳銃すら使いこなすヤツがこの町にはいる、と。ゴルドだけではない、とさえ予測した。その上で仲間を集めなければならない、ともタケルは実感した。

 とにもかくにも、タケルは仲間を集めていたのだ。セパレーター、それに連なる『何か』を追うために。


 だが今は、受けたダメージを回復することに専念するしかなかった。それが歯がゆいタケルだった。故に加速した。少しでもそのことを振り切るために。今だけは考えずにいるために。

 そしてタケルは前方をよく見もせずにさらに加速した。思わず下を向きすぎていたのだ。どうしようもなく前方不注意だった。それ故、タケルは同じように碌に前を見ずに走って来たゲンスケの肩とぶつかった。ダイナミックなすれ違いである。

「すまない」「悪い!」

 それぞれが自分のことでいっぱいいっぱいだったため、碌に確認もせずタケルとゲンスケはそのまま走っていった。

 ――いや、それは違っていた。

 ゲンスケは何かを察していた。

「こんな大げさなイベント、何もねえわけがねえ」

 立ち止まってゲンスケは呟いた。

 とはいえタケルは雑踏の中に紛れてしまった。今から探すのは困難である。

「だがそれでもいいぜ。……確定じゃねえが、今のヤツは恐らく敵だってことはわかったからな」

 とりあえず収穫を手に入れた――ゲンスケはそう思った。


 そして、懸念が戻って来た。

「……あいつに限ってそれはないと思うけどよ、無事でいろよ」

 ゴルドの無事を願いながらゲンスケは走った。空きビルまでの道順は、視界に入った看板や張り紙がゲンスケに教えてくれていた。


   ◆


「ゴルド!!」

 ゲンスケが必死の形相で空きビルの屋上に辿り着くと、ゴルドは一人で煙草を吸っていた。意外と呑気していたのだ。だが、ゲンスケにすぐ気が付いたので、逆にゴルドは驚いた。

「ゲンスケ、お前、どうやってここまで登って来たんだ」

 それもそのはず、未だに地上からはこのビルに入ることはできない。侵入口は3階の割れた窓か、この屋上へ直接跳ぶ――ぐらいのはずだ。だが今ゲンスケは、屋上の扉から出てきた。つまり、有り得ないがビル内部からやって来たことになる。

「確かに有り得ねえよな普通なら。だが俺は今、3階の窓から入ってきたわけだ。割れていた窓からな」

「……何か持ってきたのか?」

「いや、焦ってたから手ぶらだぜ」

 ゲンスケは真剣なまなざしでそう言った。

「一体、どうやって……」

 ゲンスケはいかなる方法でここまでよじ登って来たのだろうか? ゴルドは分からなかった。

「――ツヨシさんから買った銃、まだあるか?」

 唐突に、ゲンスケが話題を振った。

「ああ、あるが。それがどうかしたのか」

 当然、ゴルドはその話題を疑問に思った。

「それさ、銃身以外は期限が来たら霧散するじゃんよ?」

「ああ」

「ならよ、これは逆転の発想なんだけどよ、……その霧だか靄だかで出来たその銃、――期限までに消すことってできるか?」

 ゴルドは「確かに……」とだけ呟いて、銃を調べてみた。だが、当然と言えば当然であるが消し方など分からなかった。干渉は確かにできるのだが、破壊はできないのだ。

「ま、そういうこった。ツヨシさんの具現化能力は強力すぎるんだ。思念や感情を一時的に物質化できるが、物質化した以上、そう簡単には消せないんだよ」

 生み出された以上、それは物質としての意味を全うしようとする。そのルールは絶対であり、生み出したツヨシでさえ覆すことはできないのだ。

「……だがゲンスケ。その話はやはり関係ないんじゃないのか?」

 ゴルドの疑問は尤もだ。ゲンスケは手ぶらで来た。ならば、ツヨシの作ったアイテムを持ってきていないということのはずである。

 しかしゲンスケは、「そうじゃないんだ」と口火を切った。

「ツヨシさんの話はあくまでも前座だ。言っちゃなんだが、これから話すことを理解しやすくするために必要な要素だったんだよ」

 探偵みたいなことを言い出したな……とゴルドは思ったが、その直後にゲンスケが自称とはいえ探偵であったことを思い出し、内心可笑しく思った。

「……それで、本題は何なんだ?」

 ゴルドが聞くと、ゲンスケの表情が再び真剣なものへと変貌した。


「なんてことはねえ――敵もまた、似たタイプの能力を持っているってことさ」


「……つまり、俺を襲った――」

「――〈帽子の野郎〉の作った、ロープみてえな影が残ってたのさ」

「――そこまでの情報は既に手に入れていたか」


 ゴルドの発言に、ゲンスケが首肯した。

「逃がしちまったが、さっきそいつとすれ違った。確定情報じゃなかったが、お前の反応を見るにビンゴだったようだな」

 今度はゴルドが頷いた。

「確かに、そう言われてみれば思い当たる節もある。……だが、まさかツヨシさんと同タイプの能力だとはな」

「ああ、偶然にしては出来すぎている気もするが……だが事実だ。この件に関しては、ツヨシさんにも話さねえとな」

「ああ。だが今日はとりあえず休んでもいいか? ……さすがに堪えた」

 実際、ゴルドは疲れ切っていた。ゲンスケもそれは重々理解していた。

「そうだな、とりあえず今日は帰ろう。こっからなら俺んちの方が近いし泊ってけって」

「……ああ、そうさせてもらおう。悪いな」

「何言ってんだよゴルド。お前をここまでボロボロにさせちまったのは俺だ。だからせめてこれぐらいは当然のサービスとでも思ってくれよ」

 ばつが悪そうに頭をかきながらゲンスケが言った。

「ふ、では当然の様に泊まらせてもらうとしよう」

「そう言ってもらえると、俺もちっとは気が楽だ」

「だがちゃんと報酬は払ってくれよ?」


 その瞬間、ゲンスケの表情が固まった。……正直なところ、ゴルドはこの展開にすら慣れていた。

「どうせ町内会で議題に出ていたこの件を、二つ返事で請け負ったんだろう?」

「……はい、すみません」

「銭湯のチケットか?」

「多分そうなりそうです。ホントすみません、まさかここまで大ごとになるとは思っていなくて……」

「俺の技量を過大評価すると痛い目を見るぞ?」

「うぅ、すまねぇ。ゴルドが強いってことを撤回する気はねえけど、もうちっと気を付けるわ……」


 「すまねえ、すまねえ」と言い続けるゲンスケ。それを見て、ゴルドはつい笑ってしまった。

「なんだよぅ、笑わねえでくれよぅ……」

「いやすまんな。だが、お前はそういうところが面白い」

 ゴルドは嘘偽りない本心からそう言った。

「……それ、バカにしてないよね?」

「心外だな、俺は本心で言ったんだが」

 ゴルドは少しだけムッとした。

「お前割と純粋だよなぁ」

「そうか?」

「そうだよ」

「ならそうかもな」

「なんだそりゃ」

 なんだか妙にアホらしくなり、二人はゲラゲラ笑いだした。


「うるせー!」

 近くの家、その二階の窓から寝間着姿の中年男性が怒鳴ってきた。時刻は23時。もう深夜だった。

「申し訳ねえ! 沢田のおっちゃん!」

「だからそれがうるせーって言ってんだよゲンスケー! おやすみ!!」

 ピシャリと窓が閉められた。何故かさっきより静かな気さえした。普通に気のせいだったが。

「……ま、今日は俺んちでも騒がずさっさと寝るか」

「そうだな、それがいい」

 言いながらまた笑いだしそうになった二人だったがなんとか堪えた。


 ――確かに、ゆかり町で何かが始まろうとしている。だが、この町なら乗り越えられる、この町の人々なら乗り越えられる。

 ゴルドはそう思った。







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