9. ツクヨのほうき星
亜空間へと追放されたアルトゥール様は何とか体勢を立て直そうと身体をよじったり伸ばしたりもがきましたが、宙をむなしく掻くだけでした。
亜空間は刻一刻とその姿を変えました。宇宙空間を思わせたかと思えば虹のような光に包まれ明滅し、どこへ行くのやらどうなるのやら全く想像が及びません。
このまま永遠に虚空を漂い続けるのか、獲物に巻きつく蛇のようにじわじわとした焦りと怖れがアルトゥール様の胸を締めつけはじめました。
「!」
そのとき何かがアルトゥール様の耳に聞こえました。
姉さん? アルトゥール様は声のした方向に手を差し伸べました――
はっと我に返ったアルトゥール様ですが、辺りを見回すと暗い夜の森にいました。
月がこうこうと照らす夜空の彼方に山影がありました。それは見覚えのある景色で、アルトゥール様は故郷のアフランシだと気づいたのです。
手首を返して腕時計を確認しましたが、どうしたものか、暗い穴に落ちた時間で時計の針は止まっていました。
夜空にすっと一筋の光が走りました。流星です。光の筋が夜空に幾つも浮かんでは消え、重なりました。
と、そのとき流星群の中でも一段と太く彗星を思わせる巨大な光の筋が夜空に奔りました。それは線香花火のような光の瞬きをいくつか残してすぐに消えてしまいましたが、続けざまパーン! と乾いた音がして一瞬世界が揺らぎました。
「あれはツクヨのほうき星!」
アルトゥール様は驚きました。ツクヨのほうき星とは彗星ではなく、数年に一度観察される流星群の中でも一際大きな流星を指します。それも、かつてないほどの大きさです。
アルトゥール様はチェシャがヨモギを摘みながら語った話を思い出しました。ツクヨのほうき星が来るとすれば三年後。時間を遡ったのか、それともここは未来なのか、真夜中の森の奥深くでは確かめようがありません。
戸惑っていると人影が見えました。とにかく今は森を出よう、アルトゥール様は月明かりを頼りにかさかさと草木が揺れる方向へと掛けていきました。
影の主はジネディーヌ様でした。
「ジネディーヌ!」
「む、どうしてここに?」
怪訝そうな面持ちでジネディーヌ様は問いかけてきました。
「いや、これは――」
男装を解き、今は夜会服姿だと思い出したアルトゥール様は慌てて釈明しようとしました。
ところが、
「夜風は体によくない。もう一人の身体ではないのだから」
ジネディーヌ様は思いがけず優しい声をかけたのでした。
何を言ってる? 一人の身体でないとは? 事情がよく呑みこめないアルトゥール様がことの次第を説明しようと口を開きかけたそのとき、再びワンチョペが現れたのです。
「ご主人、とうとうドン・ジョバンニの記録を超えましたなあ」
ワンチョペはついにこの日が来たかと感慨深げです。
「記録なぞどうでもいい。ようやく夢の主と逢えたのだから」
が、
「生憎、ショーはこれからでさあ」
ワンチョペは嘲笑するような笑みを浮かべました。
「む、裏切ったか」
「何を言う。これでも随分お前を助けたのだから」
その低く重い囁きとともに彼の姿が溶けはじめました。
「何だ?」
溶けた肉塊はやがて黒装束をまとった壮年の男へと変貌を遂げました。
「あの姿は確か!」
どこかで見た憶えがある、あれは美術館だったか本の挿絵だったか、アルトゥール様は叫びました。伝説の放蕩者――
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