ep5.××主義者の誓約-04



   ×××




「……この腕じゃダメなんだよ」



 外の雨音がうるさい。所々割られた窓ガラスのせいで遮音出来ていないのだ。

 あとで人を寄越さないとな、とため息を吐き踵を返す。

 床に転がる男の右腕には目もくれなかった。



「どうしてだろう、上手くいくと思ったのに……やっぱり、不器用な僕には出来ないのかな」



 階段を下りて一階の隅の部屋へ向かう途中、居間で足を止めてぐるりと見回した。

 誰にも邪魔されない場所とは言ったものの、流石に広すぎたかなと思う時がよくある。

 基本的な生活を一人だけで送っていると物の位置は大して変わらないし、大して汚れもしない。


 気持ちが沈みかけて、早く行こうと彼は目的の部屋に入り重いドアを開いた。

 その先は電気が少なく薄暗いし、空調のおかげで苦しくはないがこの季節は湿っぽくなるから居心地はよくない。

 そこは下に下りる階段があり、大した段数はないものの角度が急な分慎重に下りなければならない。


 ひんやりと冷たいコンクリートの壁を手で伝い、ようやく部屋に入ると少年は嬉しさと悲しさとで複雑な気持ちになった。



「どうしてなんだろう? ちゃんと考えたし、プロだって雇った。品定めだってちゃんとしたのに……ごめんね、出来なかったよ」



 少年は話しかける。


 部屋の奥にはいくつものモニターとマイクがセットされたテーブルがあった。モニターには一階と二階の部屋が全て見られるようになっている。



「きみみたいに器用に何でも出来たらよかったのに……って、怒られちゃうね。ごめんね」



 苦笑して頭をかくと、少年は部屋中央に置いてある椅子にそっと腰かけた。

 この場所がどこよりも好きな彼は、乱れていた自分の心が落ち着いて行くのがわかった。



「ずっとそんな姿をさせてごめんね。きみに似合う腕を見つけたんだ。何としても、絶対に手に入れるよ。……そうしたら」



 ゆっくりと手を伸ばし、ガラスに触れた。

 温かさを感じて涙がこぼれる。



「そうしたら……きみと、また手を繋ぎたいよ……」



 涙が頬を伝い、少年はそれを拭いもしなかった。


 あぁ、温かい。

 そうだよね、きみはここにいるんだ。

 こんなにも温かくて、こんなにも美しくて……。



「幸せ……だよ……僕は」



 涙が止まらない。

 失敗してしまって落ち込んでいたのに、現金だなと自嘲してしまう。

 そうだ。僕には彼女がいる。

 彼女がいるから僕は毎日を幸せに生きられるんだ。

 微笑みかけると、彼女も笑い返してくれた。



「僕は何処にも行かないから、待っててね。きみの右腕を肉が骨から剥がれるまで刺した犯人も憎いけど、でもそんなことに囚われてる場合じゃないんだ」



 彼女の腹の傷は元通りになったけど、損傷が酷かった腕は切断した方がいいと言われた。

 その代わりをつければまた元通りになりますよと教えられて、それは自分で探すと答えたのを昨日のことのように覚えている。



「きみにぴったりな右腕を見つけたんだよ。あの右腕なら何の違和感もなくきみに合うはずなんだ」



 たまたま目撃したアレは、運命なんだと疑わなかった。


 夜、月明かりに光る美しい日本刀を手にした美しい右腕。細くしなやかなあの腕は袖を捲らなくてもわかる。

 あれはきっと、に違いない。



「でも、僕は閑君は判断出来るタイプだと思ってたけど……ダメだったね。狩野窪さんを釣るには彼が一番だっていうのはわかってるんだけど……どうしたらいいと思う? あ、困らせたよね。ごめん」



 上手くいくと思っていたのに、やっぱり僕は不器用なんだなと改めて思うしかなかった。

 きっと彼女ならもっと上手くいく方法を思いついて、失敗なんてしなかったんだろうなと思う。

 ゴツンとガラスに額を当てると髪が揺れてくすぐったかった。



「でも諦めないよ。きみの為なら何でもする……っていうと、きみのせいにしてるみたいだけど。本当に、何でもするよ」



 少年は優しく笑った。


 巨大なガラス管はホルマリン溶液で満たされ、その中には一人の少女がいる。

 その身には何も纏わず腹部に若干の傷跡を見せ、眠るように目を閉じて唇を固く結んでいる。



「ずっと、僕と一緒にいようね…………怜七れいな



 少年はうっとりと彼女に見惚れた。今日も笑顔が可愛いなぁと。




 しかしそのガラス管に入れられているのはまごうことなく、一人の少女の死体でしかなかった。




 ――5.××主義者の誓約 了


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