ep4.平穏主義者の抵抗-09



   ×××



 雨が降る中、男は自分の身体を抱えて歩いていた。

 腕がついていたはずの場所を手で押さえ、赤い痕を雨が消してくれるようにと人気のない方へと進む。


 しくじった。簡単な仕事だったはずなのに、予定が狂ってしまったのだ。

 深夜だが住宅街を避け、繁華街の方へとやって来た。

 こんな雨の日だ。路地裏なら人も寄り付かないだろうし、休憩出来るだろう。



「どうして……話が、クライアントから聞いていた話と……違っ」



 ドン、と壁にぶつかって男はその場に膝をつく。

 雨が体温と体力を奪い、意識がもうろうとして来た。


 この出血で動いたのはまずかったか……。しかしあの家はクライアントが手配した場所だ。いつまでもいる訳にはいかなかった。

 どこか休める場所を見つけて、医者に電話をしよう。出張出来る医者の方がいい。

 斬られた腕も上着に包んでこうして持って来たから、腕のいい医者になんとかくっつけてもらって……。



 これからのことを考えながら水溜りを踏んで歩いていると、進行方向に人影が見えた。

 マズい。こんな姿を誰かに見られる訳には……。しかしどうしてこんな薄汚いところに人が?

 歩みを止めずにゆっくりと前進していくと、向こうもフラフラと覚束ない足取りでこちらに近付いて来た。


 出血のせいで判断力が鈍る。

 いつもならすぐにでも殺しているのに……。



「……誰だ?」



 掠れる声で問いかけると、その人物は俯いていた顔をゆっくりと上げた。

 オレンジ色のレインコートのフードは、顔の上半分を見せない。



「――……」

「?」



 その人物はブツブツと何かを唱えていた。

 聞く気はなかったが、気味が悪かった。



「……よ」

「……何だ?」



 レインコートはまたフラフラとこちらへ歩み寄る。

 踏みつける水溜りがバシャバシャと音を立てる。



「……嫌いなんだよ」

「……何が」



 手の届く距離まで来たところで、ようやく顔が見えた。

 少年だった。



「雨が嫌いなんだよ。……雨が、雨が嫌い……嫌いなんだ……嫌い……なんで……きら」



 うわ言のように少年は呟き続ける。

 男は思わず後退りする。

 この少年は、正気ではない。



「雨が嫌いなんだ、何でかわからないけど……嫌いなんだよ。……だから」

「?」



 ブツ、と頭の中で音が弾ける。

 皮と肉と血管を破る音が、首から脳みそに抜けた。





「だから、血を浴びさせて」





 熱い感触が横方向に駆け抜け、目の前が真っ赤に染まっていくのを見ていた。

 空から降りつける雨と、吹き出す赤にレインコートが汚れていく。

 その汚れていく様を、見ていた。


 やがて視界は灰色だけに染まり、頭がクラクラする中またレインコートが視界をチラつく。

 少年は銀色に輝く何かを天高く振りかざし、それを何度も振り下ろしていたのを何となく見ていた。


 ゆっくりと、視界は闇に落ちていく。





 ――4.平穏主義者の抵抗 了

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