ep4.平穏主義者の抵抗-07


 狩野窪を背負って階段を上る最中、この間とは立場が逆だなと閑はふと思った。

 だがあの時は彼女が原因で自分が怪我をし、今回は自分を庇って彼女が負傷した……。

 おあいこにしてもらえまいかとため息を吐く。



「あの閑さん」

「? ……そういえば怪我してんのに家に直帰っておかしい、よな?」



 声を掛けられて気が付き病院に行くかと尋ねると彼女は首を横に振った。



「私の家の隣のドアを叩いて下さい」

「?」



 指示されたドアの前へ行き、ドアをノックする。

 何で? と聞いても彼女は答えてくれなかった。

 そしてしばらくすると中から「はいはーい」という軽い男の声が聞こえて、ドアが開く。鍵の開く音はしなかったから施錠はしていなかったのだろう。



「こんな時間にどちら様ぁ……って、あらぁ猫ちゃんどした? またやんちゃしたのかい?」



 出て来たのはくたびれた男だった。ボサボサの長髪に無精ひげ、瓶底眼鏡をかけた頼りにならなさそうなもやし男。

 だが背だけは高く、頭一つ上の位置からこちらを見下ろしている。



(猫ちゃんつったか、このおっさん)

「おや? もしかしてこの子が猫ちゃんの話してた友達? へぇ~猫ちゃんこういう奴が好みなの? 暗そーだけど」

「あんたにディスられたかねぇよ」

「おやゴメンゴメン」



 ケタケタと笑うその男はよいしょと狩野窪を軽々持ち上げ家の中に入れようとする。

 それに思わず閑はツッコんでしまった。



「ちょっ、何してんだよおっさん!」

「何って……あ、もしかして言ってないの?」



 男が尋ねると狩野窪は「そういえば」と肯定した。



「おっさんはそうだなぁ……闇医者みたいなもんかなぁ、藪医者かな?」

「ヤブ……」

「猫ちゃんのことも知ってるし、何をしてるかも知ってるよ。あ、でも大家さんからは無職だと思われててねぇ」



 そしてケタケタとまた笑う。何がそんなにおかしいのだろうか。



「ま、そゆことだからこの子のことはおじさんに任せときなさい。襲いやしないよ、おじさん年上好きだし」

「はぁ……あー、本当なんだな? 狩野窪」



 尋ねるとコクリと頷かれた。

 ならこれ以上疑う必要もない。閑はすぐに踵を返す。



「じゃあいいや」

「きみも気を付けて帰りなよ~」



 藪医者の男はヒラヒラと手を振り、閑が階段を下りて車に乗り込むまでドアを閉めなかった。

 見た目の胡散臭さはひどいが、一応まともな人間……なのかもしれない。






「預けて来たか? 藪医者に」

「あの人のことも知ってるんですか……」

「調べといたんだよ、なーんか怪しかったからな。ま、本当にただの藪医者だったぜ。こっちの業界とは何も関係がねぇただのクズだ」



 閑がシートベルトをしめると車はすぐに発進した。

 ここから学校を越え、駅を過ぎればすぐに閑家だ。


 狩野窪のアパートが見えなくなってから、閑は口を開く。



「吉良先輩が『雨男』ってことも知ってるんですか?」

「確認すべきことか?」

「『雨男』名義で狩野窪にメール送ったの、浅師先輩ですよね?」



 浅師は口笛を鳴らし、煙草の煙を吐き出す。



「へぇ、よくわかったじゃねぇか。思ってたより脳みそ入ってそうだな」

「あの眼鏡は、狩野窪=『猫』ってこと知らないんだから俺のとこには寄越さないでしょう?」

「あぁーそういや知らねーんだった」



 吉良の知らないことまで浅師は知っている。

 それなら狩野窪のアドレスを知っているのも、彼女が「雨男」のファンであるのも知っていてもおかしくない。

 吉良から連絡を受けた彼は、突けばすぐにでも閑の元に行きそうな狩野窪をチョイスしたのだろう。

 その判断は間違ってはいなかった訳だが。



「……俺のことはどこまで知ってるんですか?」

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