ep1.平穏主義者の失敗-04


 結局遅刻をしてしまった閑だったが授業の途中に教室に入るや否や、その顔色の悪さに教師から偉く心配されそのまま保健室へ押し込められた。

 中学と違い高校は保健室へ随分入りやすいんだなと1つ学べた。


 その次の授業からは無事に教室へと戻ったのだが、授業の内容が頭に入るはずがなかった。

 いや元々真面目に聞く気はないが、教師とのトラブルを避ける為にはある程度授業をこなさなくてはならない。

 しかしいくら集中しようとしても意識はすぐ鞄の中の入部届に行ってしまう。


 名前の欄は埋めておいた。

 埋めておかないと何があるかわからないから、怖かったからだ。

 そしてチャイムが何回か鳴り、誰かに呼ばれて体が強張る。



「あー……、で合ってるんだっけ? 読み方」

「え、あ……そうだけど」

「何か2年生が呼んでるよ。部活の先輩?」



 ドア近くの席に座るクラスメートがそう言い、廊下を指差した。

 そこには笑顔で手を挙げる、あの眼鏡の男。



「シズカくん入部届ちゃんと書いてくれた? うちの顧問非常勤でさ、昼休み中に捕まえないと今日はもう捕まらないんだよ~。今日が提出〆切日だし早くしないと」



 クラスを教えた覚えはない。

 閑は何も言うことが出来ず、ただその男の後をついて職員室へと向かった。

 確か入部届には「吉良」と書いてあったのをかろうじて覚えている。


 職員室へ入り、顧問へ入部届を提出して、閑はすぐに廊下へ出た。

 吉良と顧問は何やら「よく新入生を入れたな……」等と会話をしていたが、頭に入って来ない。


 だが時間が経ち、動揺が薄れてくると冷静さは戻って来た。

 ただ考えてみると、自分の今の立場の危うさがますます浮き彫りになる。

 どう考えても逃げ場はなさそうだし、どこへ逃げてもあの吉良という男は自分を追ってくるだろう。

 それはつまり、もう自分の求めていた平穏な日々とはかけ離れた状況だということだ。



「やあお待たせ、先生との話が弾んじゃってね」

「……あんたが一方的に話してるだけ、って感じに見えましたけど」

「お?」



 言い返してやると、吉良が反応を示した。

 相変わらず笑顔なのが薄気味悪い。

 閑は心臓の鼓動がバレないよう、自分の所作に細心の注意を払った。



「へぇ……話せるくらいにはなった訳か。思ってたよりも大丈夫そうだね、シズカくん。よかったよかった」

「あんた、何なんですか……」

「昨日キミが見た通り、って言えば十分だろう?」



 昼休みの職員室前は人通りが多い。

 1年生から3年生まで、男女問わず行き交っている。

 その邪魔にならないよう閑と吉良は壁際に寄って話を続けた。



「オレは見ての通りの男だから心配ご無用! ちょっとお喋りなクラスのムードメーカーってところさ。あと女子にちょっとモテる」

「俺は何をすればいいんですか?」



 もう見逃して欲しいとかそういうのはいい。選んでいられない。

 俺は何をすれば、元の生活に戻れる?



「何をすれば、って……もうしてもらったけど?」

「……は?」

「『ゴシップ同好会』に入部してくれたでしょ? 困ってたんだよね~1人しか入部希望者がいなくて、まぁ確かにちょっとマイナーな部だけどさぁ」

(かなりマイナーだろ……)

「今日の放課後が顔合わせだから絶対来てね、シズカくん。オレ待ってるからさ」



 笑顔が、刺さる。



「……脅迫、ですね」

「人聞きの悪い。仲良くしたいんだよキミとは」



 他言無用なことはわかっていたが、つまりは監視させろということだ。

 閑が誰かに自分の正体を言いやしないか。

 息を呑んでから深呼吸を1つして、口を開いた。



「……一応言っておきますけど、俺は平穏主義者なんです」

「え、平穏?」

「俺は何もしたくない、何にも巻き込まれたくない。ただ寝て起きてボーっとして飯食って寝て、それで幸せを感じられる燃費のいい人間なんです」

「ほ、ほう……」

「友達なんていらないしクラスの輪から省いてもらって大いに結構、部活動に青春を捧げるのなんてもってのほか……」

「趣味は?」

「日永一日空を眺めること」

「……ナマケモノの方がまだ活動的だね」



 閑の主張に少々引き気味の吉良だったが、閑は構わず続ける。



「だから、俺は秘密を打ち明ける相手がいないんです。……意味わかりますよね?」

「……」



 少し攻撃的な言い方だと自覚しているが、それでも言っておかなければならない。

 自分は人一倍、自分への危機察知能力は高いと吉良に知らせておきたいのだ。



「わかった。シズカくんが可哀想なぼっちだっていうのは十分わかった」

「……否定しませんよ」

「だからもう一度、オレからも言っておくよ」

「?」



 吉良は腕を伸ばし、閑の肩にポンと手を置いた。



「部活、来てね」



 これが、閑の入部動機である「不可抗力」である。



   ×××


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