ラベンダーのせい


~ 七月十日(月) 二時間目 横に九十センチ、前に百八十センチ ~


  ラベンダーの花言葉 あなたを待っています

  スイレンの花言葉 繊細すぎる心



 もう、隣の席でもなんでもない。

 そんな机に座るのは、しょぼくれモードが極まってしまった藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をつむじの辺りでお団子にしているが、今日は彼女のアイデンティティーである花がどこにも挿さって無い。


 ……おじさんの浴衣。

 あれをたこ焼き屋のパンダに着せたのは、十年ちかくも前の話だ。


 浴衣はおろか、パンダの姿も見当たらなかった。


 お店の名前も変わり、お兄さんもあの頃とは別の人。

 パンダなど知らないと言われ、挙句の果てにはたこ焼きの味まで変わっていた。


 たこ焼きなのに、醤油の香りがふわっと漂う。

 あの思い出の味ではなくなっていた。



 穂咲のあまりの落ち込みように、今日はおばさんも花を挿すことを諦めた。



 ……まあ、だからと言って俺に押し付けられても。

 どうすんだよ、こんなに沢山のラベンダー。


 手に抱えた数十房はあろうかというラベンダーの束。

 紫の小花がたっぷりと開いた房の向こうで、先生が何とかしろと目で訴えてる。


 これ、ずぼっと挿したら泣いて逃げ出すだろうな……。


 どうすればいいやらまるで分からず、朝からずっと悩み続ける俺に、神尾さんが席を立って近付いてきた。


 そして、ラベンダーを一つ手に取って、教室の左前隅へ。

 突っ伏す穂咲の髪に優しく挿してあげながら、その花言葉を口にした。



 彼女が席に戻ると、また一つ椅子を鳴らす音が響く。

 気付けば俺が手にしていたラベンダーは、すべて穂咲の髪に、優しい言葉を添えられて飾られていった。


 そんなラベンダー畑は、途中から顔を上げて、えへへと照れながら花を活けられていく。


 なんだろう、すごく感動的なのに、やっぱりバカな光景に見える。


 最後のひと房を飾られた穂咲が照れくさそうに席を立つ。

 そしてみんなにお辞儀をすると、窓から優しい風が一つ吹き込んで、まるでお礼とばかりにラベンダーの香りが教室中に届けられた。


「うう……。いつも、ありがとうなの。あたしがこんな時にも、いつもやさしくて、ご迷惑ばかりおかけしまして……」


 ありゃりゃ。どんどんテンション下がって、とうとう鼻声になりだした。


「皆様には……ぐすっ、どのように、お詫びを申し上げたらよいやら……」


 やっぱりバカだ。


 でも教室中、苦笑いやらすすり泣きやら励ましの声やら聞こえてくる。

 こんなに愛されて、幸せ者だね、君は。


 俺は穂咲の席を定位置に戻してあげた後、最後に一輪、スイレンの花を挿してあげた。


「俺からは、これ。お前にぴったりだ」

「えへへ。ありがとうなの」

「…………じゃあ俺からも、いつものやつをプレゼントだ。秋山、立っとけ」

「ほんで俺だけなんかーい」


 俺はニコニコと笑う穂咲に見送られながら、幸せ一杯の教室からただ一人だけ、不幸せな顔を浮かべて廊下へ出るのであった。

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