第二章 訓練

第7話 森を抜けて

「あ、ありがとう、マクス。こ、ここでいいよ」


 酷い荒れ道を、マクスが手綱を握る馬車がゆっくりと走っていた。

 これでもアガルト王国時代はそれなりに整備されていた道だ。

 ベアダ帝国が侵略したのはいいものの、いかに旧アガルト領に手をかけていないかがこの道を見ただけでも分かる。


 もっともそれ故に道中ベアダ兵の検閲に引っかかることはまずなく、町の闇市で金に換える強奪品を運ぶにはうってつけだった。

 今日も二頭の馬が牽引する荷台には幌が被せられ、中は様々な品物で埋め尽くされている。


 その片隅に青年と少女の姿があった。


「うん。分かった」


 青年に声をかけられてマクスは手綱を引いて、荷馬車を止めた。

 頂上に一本の大樹が見える、深い森に覆われた丘陵の麓。特別これといって何もない場所だ。


 だが、マクスには青年がここで降りてどこに向かうのか見当がついた。

 と、同時に父親である盗賊団の頭領が何故、青年と少女にしばしの離脱を認めたのかを理解した。


(まだ諦めてないのか、父さん……)


 マクスは心の中で軽く溜息をつく。

 だが、決して心情を表には出さない。


「ネ、ネコ。こ、ここで降りるよ」


「分かったー。準備するー」


 幌の隙間から顔を出して馬車の旅を堪能していた少女が、青年の声に応えてそそくさとずだぶくろを担ぎ始める。

 そんな少女を見つめる青年の目つきはいつもと変わらないものの、その心の内にはきっとある希望が芽吹き始めているに違いない。

 ここで自分が悲観的な様子を見せては繊細な友人が傷つくと、マクスは思ったのだ。


 だから無茶だと内心呆れながらも、マクスは勇気付けるように満面の笑みを浮かべつつ

「じゃあ二ヵ月後にまた来るよ。上手く行くよう祈ってる」

 と励ましの言葉を贈るのだった。




 マクスの荷馬車を降り、その姿が見えなくなるまで見送った青年と少女は、それぞれの荷物を担いで丘陵の森へと入っていった。


 足を踏み入れた途端、日の光は遮られて薄暗く、木々や草花の充満した匂いが鼻腔をツーンと刺激する。

 そんな道なき道を青年は草を踏み分け、邪魔する小枝を時に切り落としながら進みはじめた。


 その後を少女が余所見もせず、むしろ青年が背負う荷物の端っこをぎゅっと握って付いて行く。

 天真爛漫な言動が目立つ少女だけに、珍しい花や昆虫なんかを見ればそちらに夢中になって、青年とはぐれてしまいそうなものだ。

 が、さすがの少女でもここでもし青年とはぐれてしまえば大変なことになるのが分かるらしい。

 盗賊団のアジトがあった森と違い、この辺りには青年と少女しか人間の気配はない。

 青年とはぐれたら最後、近くの村までは少女の足で歩いてざっと五日はある。何も食べずに歩ける距離ではなく、ましてや道中で凶暴な獣に襲われる可能性だってなくはない。

 

(なるほど。頭が悪そうに見えるけど、危険なことには敏感なんだ……)


 青年は荷物を掴んで付いて来る少女の行動を意外と感じながらも、同時に彼女がここまで生き抜くことができた一端を見たような気がした。


 まぁ、なにはともあれ素直に付いて来てくれるのは助かる。

 その性格から当初は常に少女に注意しながら進まなくてはならないなと青年は思っていた。

 また、あまりに言う事を聞かないようならば、手を繋ぐしかない。道がない暗い森の中を片手だけでかきわけて進むのは骨が折れるものの、少女を無事目的地まで連れて行くにはやむを得ないだろう。


 それが意外な少女の行動で、荷物を引っ張られる力にだけ意識すれば良くなったのだから楽でいい。

 これから始まる、二ヶ月間のふたりの冒険。

 ずっとこの調子でいけばいいなと青年は思った。


「ねぇねぇ、イヌ。訊いていい?」


 だが、そんな青年の願いが天に届くのを邪魔するが如く、少女が話しかけてきた。


「な、なに?」


「ネコたち、どこに行くの? 森に入る前に大きな木が見えたけど、あそこ?」


「……う、うん。ま、まぁ、そうだね」


「ふーん。でも、こんな道もないところを歩いて、本当に辿り着けるのかなぁ?」

 

 少女が不安そうに呟くので、青年は口下手ながらも精一杯説明した。


 これから向かうところは過去に何度か行ったことがあること。

 道がないようにみえるけれど、それは長らく誰も通らなかったからかき消されてしまっただけで、見覚えのある木を頼りに歩いているから大丈夫なこと。

 だからネコは自分にはぐれないことだけに注意して付いてくればいいこと。


 どもり癖もあって普段からあまりしゃべり馴れていないから、これだけのことを話しただけでも青年は少し疲れてしまった。


「えー、ネコにはどれも全部同じ木に見えるよぅ。どうやって見分けるの?」


 だと言うのに少女は青年の苦労なんてどこ吹く風とばかりに質問を矢継ぎ早に投げかけてくる。


 おかげで青年は、この地・アガルトが国土の半分以上を森に覆われていて、領民の多くは猟師であったこと。

 そして盗賊団『アガルトの夜明け』はそんなアガルトの残党で構成されていて、みんな、森の中で生き抜く術を知っていること。

 青年は自分がアガルト出身かどうかは分からないものの、子供の頃から頭領を初めとする団員たちから徹底的に森の中での生き方を身につけさせられたことなども説明させられることになった。


「そ、それに敵のベアダ帝国の兵士たちは森の中の追跡に馴れていないんだ。だ、だから森の中に逃げていれば、追いかけてこれないんだよ」


「ふーん。そーなんだー。ねぇねぇ、ってことはネコもこれから森の中で迷わないで済むようになれるかなぁ」


「な、なれるさ。で、でも、ネコは木のてっぺんに登って見渡すことが出来るだろ」


「えー、アレって大変なんだよぅ? たまに鳥さんの巣と鉢合わせしちゃって、親鳥が嘴で突っついてきたりするもん」


 少女がいかに親鳥の嘴アタックが強烈かを、手足をばたつかせて必死に伝えようとしてくる。

 自分の指を鳥の嘴になぞらえ、頬を、鼻を、目をつついてみせて、その度に少女はぎゃーと叫び声をあげるからうるさいことこのうえない。


「あ、あはははは」


 だけど青年は少女の言動が面白くて、笑ってしまった。


 不思議なことに最初は少し話しただけでも疲れたのに、今はもうそんなものは感じない。むしろ話すのが楽しくすらあった。


 これまで盗賊団の中では青年とまともに話してくれる人はほとんどいなかった。たいていは青年のどもり癖に腹を立て、中には殴りつける者すらいた。

 マクスは辛抱強く青年の話を聞いてくれるものの、少女のような無邪気な快活さはない。それにいつも忙しそうにしているから、長く話をして邪魔をするのも気が引けた。


「だからね、ネコも森の中で迷わないようにしたいっ! どうやったら迷わないようになるか教えてよ、イヌ!」


「う、うん。そ、それも教えてあげる。で、でも今は……」


 青年の声を遮るように、不意に視界が開けた。

 眩しい光が暗闇に慣れた目に飛び込んできて、思わず瞼を閉じる。

 それは少女も同じなのだろう。「目がー、目が痛いよー」と騒いでいる。


 しばし時間をおいた後、青年はゆっくり瞼を少しずつ開けた。

 目の前に広がるのは、緩やかな斜面に咲くそよ風に気持ち良さそうに揺れる花々と、その斜面の頂上に聳え立つ一本の大樹。そして傍に佇む、古い小屋。

 ここからは見えないが、頂上の向こうは突然の断崖絶壁となっていて、眼下には青い海を見下ろすことができるはず。

 一部の色彩を除いて、青年が覚えている一番古い記憶の通りだった。


『大丈夫。僕たちならきっと上手くいくさ。そうしたら……』


 その時だった。

 どこからか懐かしい声が聞こえたような気がした。


 すっかり忘れていた声。

 だけど記憶の片隅にしっかりと残っていて、もはや聞くことが出来ないはずの声。

 それが幻聴だという事は、青年にも分かった。

 それでも体の中から熱い何かがこみ上げてきて、溢れ出しそうになる。

 青年は慌てて顔を空へと向けた。


 視界が少し滲んだが、日が自分のほぼ真上にまで上がっているのが見えた。


「うわー、すごい! 一面だらけだー!」


 と、そこへ青年の横を少女が駆けて追い越していった。

 それまで青年と夢中に会話しながらも決して荷物から手を離さなかったのに、深い森を抜けた安堵と、目の前に広がる光景にいてもたってもいられなくなったのだろう。

 背負っていたずだぶくろの荷物もぽーんと放り出して、そのまま血染めのたんぽぽ畑へダイブ。優しく受け止められた身体に「きゃはははっ」とはしゃぎながら、右へ左へごろごろと寝転びまわる。


(まるでホンモノのネコみたいだ……)


 少女の姿を見ながら、青年は自分の顔が綻ぶのを感じた。


「ネコ、こんなにいっぱいお花が咲いているのって初めて見たよ」


「そ、そう……」


「街の人はこの花を『血みたいな色で気持ち悪い』って言ってたけど、ネコは嫌いじゃないよ。だって、こんなに奇麗なんだもん!」


 少女は顔の近くに真っ赤な綿毛を携えたたんぽぽを見つけて、ふーっと息を吹きかける。

 たちまち綿毛が揺れ飛び、風に乗ってふわりと空に舞った。


「ねぇ、イヌ。このお花、なんていう名前なの?」


「……た、たんぽぽ、だよ」


「たんぽぽ! たんぽぽって言うんだ! スゴイ! ホントにイヌは何でも知ってるねぇー」


 突然ネコががばっと上体を起こした。

 そしてにっこりと無邪気な笑顔を青年に向けると、

「イヌ! ネコにこれからもいっぱい色んなことを教えてねっ!」

 嬉しそうに両手を上げて、その勢いで回りの綿毛がまた天高く舞い上がるのだった。

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