3 もっと人間的なことよ。人間らしくってこと

 基地司令本部の一室に入ると――

 一人の女の子が立っていた。

 

 白すぎる肌に、白すぎる髪。

 そして、赤い血をこぼしてにじませたような虚ろな瞳。まるで感情を感じさせない整った顔立ちの――人形のような女の子が、ぽつりと立っていた。

 

 黒い壁、黒い調度品、黒いカーペットに包まれた部屋の中で、その女の子の存在は異様に映った。キャンバスを黒く塗りつぶした後、白い絵の具で乱暴に書き殴ったみたいに。

 

 一目見て、試験管から生まれた『マキア』だと気付いた。

 命令を受けなければ、百年でも二百年でもその場に立ち尽くしていそうなその女の子は、僕が部屋に入ってきても虚空を見つめたまま。まるで、僕が指令室に入ってきたことに気がついていないみたいだった。


「ハロー、クドリャフカ――スバル君、よく来てくれたわね」

  

 視線を移すと、大きなデスクの前に黒を基調とした制服を着た大人の女性が立っていた。まるで、夜からそっと抜け出してきたみたいに。

 

 ちなみに、滅多に呼ばれない僕の名前と共に呼ばれた『クドリャフカ』は――『財団』での僕の『コールサイン』というか、『識別ネーム』みたいなものらしい。

 宇宙開発最初期に打ち上げられた宇宙船に乗せられた動物――猫だか犬だかの名前で、ロシア語で『巻き毛』の意味を持つ。ちなみに、僕は巻き毛ではなく黒髪の直毛だった。


「命令通り出頭しました」

「まぁ、そんなに堅苦しくしないで。私はこの基地の戦術指令任務を受けているけど、基本的には『財団』から送られてきた監督役みたいなものだから」

「じゃあ、だらしなくします」

「素直にそう言われると、それはそれで憎たらしいなあ」

 

 この基地の監督役の一人は、困ったように笑いながら僕たちの前に足を運んだ。

 

 ミクリ・ミカサ。

 女性。

 二十九歳。

 日本。

『国家救済機関』に出向する『財団』の上級監督官。

 この新横浜基地では戦術指揮官の役職に就いている。

 その他のパーソナルデータは閲覧不可能。

 

『財団』とは、『国家救済機関』を運営するスポンサーであり、事実上の『最高意思決定機関』のことを呼ぶ。宇宙開発技術や『マキア』技術、新型の戦闘機『ガンツァー』の開発特許技術の全てを独占している。今現在の世界が、かろうじて世界と国家の形を保てているのも、財団という存在があってこそだと言われている。


「まぁ、この基地の運営と維持は全て子供たちに委ねられいるみたいなものだし、他の子供たちの前でちゃんとしてくれればいいけどね。私は、口うるさく言うつもりもないし」

「国際公務員は気楽でいいですねえ」

「言ってくれるわねー。この時勢、公務員は給料がお安くてつらいのよ。地下に潜ってる他の同僚と違って、こっちは常に前線で危険と隣合わせなのよー? 現場手当くらいじゃ割に合わないわ」

 

 彼女はやってられないと言った具合に手を広げて愚痴ってみせた。

 そして、長い黒髪をバレッタでまとめた小さな頭に乗せていた制帽を脱いで、指先でくるくると回す。黒い制帽の中心には、月と地球を象った銀のエンブレムが縫い付けられている。かつて、人類が月面に進出していたことを記録しておくかのように。


「ほんと、嫌な時代よねー。空は黒い雲に覆われてて一年中冬みたいに寒いし、人口が減り過ぎてろくな男がいないし」

 

 こうしてふざけて見せてはいるものの、彼女は常に僕や――子供たちのことを子細に観察しているように見えた。


 彼女の日本人らしい黒い瞳に見つめられると、まるで自分が顕微鏡の中の小さな観察対象になって気がしてしかたない。僕は、彼女の前だけでは気を抜かないように気を付けていた。本能的に。


「それで、ミカサさんは僕に何の用なんですか? こんな愚痴を聞かせるためにわざわざ呼んだんじゃないんでしょう。もしそうなら、そろそろとお茶とお茶うけくらい出してほしいんですけど」

「当たり前でしょ。司令本部の証明コードはそんな簡単に発行できないのよ。スバル君には、お茶うけの代わりに――新しい任務を与えます」

「任務?」

「ええ。補充要員の教育指導係よ」

「補充要員の教育指導係?」

 

 僕は、言葉の意味が一瞬本当に分からなくて、本気で『iリンク』で検索をかけようかと思ったくらいだった。

 そして僕は、今この瞬間も僕たちの会話に一度も反応せず、僕の隣でただ虚空を眺めながら立ち尽くしている女の子を思わず眺めた。当たり前のように溜息を吐きたくなった。


「その通り。ご明察よ」

「あのー、一応尋ねときますけど拒否権はありますか?」

「ありませんっ」

「ですよね」

 

 僕は、がっくりを肩を落とした。

 そもそも、『連合』に所属する子供たちには拒否権どころか人権すらない。前線に立ち、戦闘機に乗るためだけに人工的に生み出された『マキア』は、それだけが唯一の存在理由であり、存在の証明でもある。

 

 戦闘機に乗って空を飛ぶ――

 ただ、それだけのために存在する人類の守護者。

 空で死ぬために生み出された子供たち。


「チャイカ、あなたの隣にいるスバル君が、あなたを指導する教育係よ。彼の言うことをよく聞いて初出撃に備えてちょうだい」

 

 ミカサさんは、僕の隣に立った女の子を『チャイカ』と呼んだ。


「了解しました」

 

 チャイカと呼ばれた女の子は、まるで抑揚のない――それどころか感情の一切こもっていない声で了解をした。上官に命令されればどんなことでも了解してしてしまいそうな、自分の死すら受け入れてしまいそうな――そこには、そんな雰囲気が合った。

 

『マキア』と呼ばれる子供たちのほとんどは、そんな危うさを孕んでいる。

 

 僕は、だんだん腹が立ち始めていた。

 何度経験しても、腹が立つものは腹が立つのだ。


「ちょっと待ってください。本当に僕で良いんですか? 僕なんて、まだ帰還数一回のルーキーですよ。それに、戦闘機乗り――『ガンツァー・ヘッド』としては半人前もいいところだし。他の子供たちに半人前って馬鹿にされてるくらいなんですよ。そんな僕に、教育係なんて務まると思います?」

「あら、ずいぶん自信がなさそうなのね?」 

 

 ミカサさんは僕を真っ直ぐに見つめて、見透かすように尋ねる。


「初迎撃の戦闘機乗りが最前線である――大気圏から帰還できる確率を、スバル君は知っているかしら? 僅か七パーセント。残りの九十三パーセントは、空で散る。無事に帰還することなく。その七パーセントに入った時点で、スバル君は一人前の戦闘機乗り――『ガンツァー・ヘッド』なのよ」

「それはそうかもしれませんけど、あれはまぐれみたいなものだし」

 

 そう、あれは百に一つ――いや、万に一つの確率でしか成功しない奇跡のようなものなのだ。

 

 だってあの時、

 あの初陣の時、

 僕は生まれて初めて戦闘機というものに――

『ガンツァー』に乗ったのだから。


 僕は、正真正銘の素人だったのだ。


 それに、今だって素人にほんの少しだけ毛が生えたみたいなもの。

 そんな僕に、他の子供の教育指導係が務まるとは思えなかった。


「いい、スバル君? 最前線にまぐれは存在しない。逃げ隠れていただけならともかく、あなたは人類を守るために最前線に立ち、そして力を尽くした。その結果、人類は守られた。それは誇っていいことよ。あなたに自覚がなくても――好む好まざるにかかわらずね?」

 

 ミカサさんは出来の悪い弟を褒めるように言い、優しく微笑んだ。


「あと私は、なにもスバル君に戦闘機の乗り方や、最前線での振る舞い方をチャイカに教育しろだなんて無茶を言うつもりはないわよ? そんなことは、そもそも無理だもの」

「へ?」

「チャイカは生まれたての子供だけれど、非常に優秀な『マキア』よ。初陣を果たしていない今の状態でも、戦闘機の操縦を含む全てのスペックで――スバル君を圧倒してる」

「ええっ?」

「おそらく、殴り合いの喧嘩をしたって、スバル君はあっという間に組み伏せらるか――失神KOは間違いないでしょうね」

「えええっ? じゃあ、僕に何をしろっていうんですか?」

 

 僕は意味が分からないと尋ねた。そして、僕のプライドや誇りはズタボロに傷つけられていた。まるでボロ雑巾のように。

 まぁ、もともとそんな高尚なものは持ち合わせていなかったけれど。


「あなたにお願いしたいことは、もっと人間的なことよ。人間らしくってこと。その一点に関してだけは、私は、誰よりもあなたを――スバル君を信頼しているのよ?」

 

 うんざりとその命令を了解する僕の隣で、チャイカと名付けられた女の子は我関せずを貫いていた。

 他人事というよりも、それを自分のことと認識していないかのように。まるで感情というものを、そして魂までも漂白されてしまったような表情で。

 

 僕は、大き過ぎる溜息を吐くしかなかった。

 やれやれと。

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