020 137センチメートル

 「おはよう。二日ぶりだね」


 ジェイムズさんが言った。結局、昨日は行けなくて。だから余計に今日は、楽しみで。


 「はい。お早うございます」


 そう返した声も、何処か高揚する。

 そして、周りを見渡して。何処か、違和感を感じる。すると、気づく。


 「掃除、してくださったのですか!」


 苔むしてる、そう思い始めていた岩の表面や上も、かなり綺麗になっていた。

 ああ、気を使わてしまった。そう、バツの悪い気持ちになるけれど。


 「楽しみを奪っちゃったかな。でも、我慢できなくて」


 ジェイムズさんもまた、申し訳そうに。

 ああ、この人も好きなのか。そう思う。工場の掃除は嫌なことが多いけれど。自分だって、登る岩を綺麗にするのは、それ程苦じゃない。

 だから。


 「いいえ、助かります! でも、次は誘っていただければ、もっと嬉しいです」


 そう言った。いくらかの期待を込めて。

 ――次なんて、無いだろうに。




 そして、準備を済ませて。二人は登る。

 ジェイムズさんが登る壁も、一緒にいいですかと、聞いたらやらせてくれた。

 触った事もない壁は、やっぱり難しくて。でも、ジェイムズさんのやり方を見ていたら、思ったよりも出来て。


 「それは、どうやるのですか?」


 頻繁にそう聞いた。聞くと、ジェイムズさんは丁寧に教えてくれる。でも、聞かないと絶対に教えてくれない。意地悪なのではなくて、余計なお世話にならないように、気を使ってるみたいだ。


 「教えるのは僕の役目じゃなくて。だから、分かりづらいかもしれない」


 ジェイムズさんが言う。ああ、そんなことは無い。どうすれば、どうなると。動作と結果が伴うように教えてくれる。

 私の周りに、今までそんな風に教えてくれる人はいなかったから。

 あと。


 「ッッ――」


 真面目に登るときのジェイムズさんは、少し怖い。此れでもまだ、限界じゃあ無いみたいだけれど。集中した時は、岩と自分以外の存在を、この世から消し去ってしまったような、そんな風になる。

 ああ、私も其れくらい出来たら。そんな風に思いながら。今日も、無謀な挑戦をする。




 「――――」


 この壁のスタートは高い。私は、ジェイムズさんのようにルートや開始点にこだわりは無かったから。飛びつける一番高いところが開始点だ。

 一手目を取る。最初、此処を真上に登れないかと思っていたけれど、其れは無理だった。どうにか考えて、一手目は、左上に飛ぶことにした。


 「フッ――」


 短う息をして。そして、止める。呼吸を止めていられる短い時間の間に、目的を果たす。右手を返して・・・突っ張った腕に体重を預ける。そうすることで、開始点に右足を上げられた。

 そしたら、右手を伸ばす。二手目。ジェイムズさんは、ダイアゴナルと呼んでいた動き。何度もやって、勝手に体に染み付いていた動き。


 「よし……」


 取った。ちゃんと持ってる。後はもう、二手、だけ。

 取るべき場所を望む。更に右上、明らかな窪み。きっと、あれを掴めば終わり。だけど。


 「シッ――」


 フォクシィは飛んだ。入れ替えた、左足で踏んで。――クロスで、左手を出す。

 最初は、破れかぶれで。右手を伸ばしたり、右足のまま飛んだり、あれを無視しようとしたり。色々試したけれど、恐らく此れが私の正解。ジェイムズさんに答え・・は聞かない。それはきっと。違うと思うから。

 そうやって伸ばされた左手は、一直線にホールドへ向かって――




 ――当然の様に、何にも触れることはなく。指示を失った体は、墜落する。

 何度目の墜落だろうか。もう数える事もできないくらい、というだけは解るけど。




 そうして。この間の様に、ジェイムズさんに受け止められた。

 前はそんなに気にならなかったけれど。今日はとても恥ずかしい様な、そんな気持ちになる。


 「駄目だったね」


 ジェイムズさんは言った。惜しかったとは言わない。

 それは多分、そういうことで。


 (やっぱり、無理なのかな――)


 後ろを向く自分を。振り払うことは出来なくて。

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