第39話 満腹と別腹

「はい、おまたせー」


 女将さんが次々と料理をテーブルに広げてくれる。

 サラダに前菜、それにあっつあつのパン。

 

「このパンは美味しいんだけど、罠だから食べ過ぎないよーに、あとで後悔します。

 個人的には一つにしておいたほうが良いです」


「瑞菜ちゃん最初に来た時3個くらい食べて帰る時お腹破裂するーって言ってたもんねー」


「あっ! もー、女将さんまだそのこと覚えてるんですかー」


 はっはっはと笑いながら厨房へと戻っていく。

 そのやり取りが楽しそうでついつい俺も笑顔になってしまう。


「あ、笑ったなー! 食べればわかるんだから……たくさん食べちゃう理由」


 瑞菜に言われてまずはパンを食べてみる。

 フッカフカでほっかほかのパンをちぎってバターだけで食べてみる。


「……なるほど、確かに言われてなければおかわり間違いない……」


 柔らかく、ほのかな甘味とバターのしょっぱさが絶妙な組み合わせ。

 後を引いて次から次へと食べてしまい、気がつくとパンがなくなっている。

 おかわりを頼みたいのをぐっと我慢してサラダに手を付ける。

 うん、野菜が美味しい。ドレッシングが控えめなおかげで野菜自体の甘みを感じる。特にトマトはフルーツみたいな甘みを感じる。


「このトマトすごいね。こんな甘いトマト初めて食べたよ」


「このトマト美味しいんだよー。野菜も全部シェフのご実家で作った野菜を使っているんだよー」


 確かにこんなに美味しい野菜はそうそう食べられないな。

 前菜のサーモンのマリネとブロッコリー、それに生ハム。

 このお値段でこのセットは凄いな、味も文句なしに美味しい。


「はーい。今日はパスタセットがブッタネスカ、ピザセットはマルゲリータになりまーす」


 絶妙なタイミングでメイン料理が来る。

 少しスパイシーなトマトソースの香りが前菜を収めたお腹のやる気をまた引き出してくれる。


「……量……多いよね……?」


 パスタは普通の店の2人前、ピザは宅配ピザのMサイズくらい、どう考えても一人前じゃない。


「そうなの、でもね、食べるとわかるんだけど、食べられちゃうの、ホントに怖いのここの料理……一ヶ月に一度って決めないとね、どんどん太っちゃうの……でも美味しいの。半分ずつシェアしようね」


 女性の心というやつは複雑なようだ。

 

 ピリ辛のトマトソース、でも辛味はあくまでアクセント、トマト自体の濃厚な美味しさとパスタ自身の味わいを感じることが出来る。

 日本人好みのアルデンテ、ピリッとした味わいのせいでもう一口、もう一口と食べてしまう。怖い。瑞菜の言っていることがわかる。

 ピザの方も食べてみる。柔らかく薄いピザ生地はもっちりとして心地よい噛み心地。チーズとトマトソースの相性は今更語る必要がない、バジルの香りも強くそれらが合わさって最強になる。


「ホントに美味しい……」


 思わず賞賛が口から漏れてしまう。


「でしょ? そしてね、気がつくと、あの大量の料理が……無くなってるの。

 ホラーでしょ? それでね、あ、パンお代わりください」


 瑞菜が女将さんにパンのお代わりを頼む。


「パスタソースつけて食べてみて」


 言われるがままに従ってしまう。今しがた大量のパスタとピザをお腹に収めたばかりなのに、その組み合わせが、絶対に美味しいものである確信を俺に抱かせるからだ。


「……これは、卑怯だよ瑞菜さん」


「気持ちはよく分かるわ……仕方がないのよ、人間美味しいものには勝てないの……」


 そんな二人の後悔をぶち破る、無慈悲な一言が女将さんから発せられる。


「はい、これ。二人へのサービス」


 濃厚なティラミスの差し入れである。

 パンによってパスタのお皿が綺麗サッパリ空になったタイミングでのデザート。

 少しひりひりする口の中をレモンがはいった冷たいお冷で冷まし、頂いたティラミスにスプーンを差し入れる。

 

「うう、これ、美味しいのよね……」


 瑞菜は嬉しいような悲しいような複雑な表情でティラミスを頬張っている。基本的には幸せそうで何よりだ。

 俺も一口食べてみる。

 ガツンとコーヒーの香りと苦味、一瞬遅れてとろけるようなクリーミーな味わいが口に広がっていく。スポンジ部分にもたっぷりシロップが打たれており、すべてを口に入れての味の変化が楽しい。

 濃い味のはずが、全体を総評するならさっぱりとしたガツンとした甘みと苦味。

 言葉にするのが難しい、簡単に言えば。旨い。である。


「はーーーーー……また、食べすぎてしまった……」


 食後のコーヒーを飲みながら瑞菜が懺悔している。


「いや、ほんとに美味しいね。もっと食べ過ぎで苦しくなっても良いはずなのに、最後までぺろりといけてしまった……」


「それが、このお店の怖いところなの。

 夜のコースも凄いボリュームで……また、来月一緒に来ようね今度は夜に」


「是非、よろこんで」


「もっと来てくれてもいいのよー」


「だめよ女将さん。太るわ……」


「瑞菜ちゃん細いんだから少し肉ついたほうが良いわよー」


 うんうんと同意のうなずきをしているとキッと睨まれてしまう。

 こわいこわい。

 

 それにしても、最高のランチだった。

 俺の胃と身体は満腹感と多幸感に包まれていた。

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